第61話 『倉庫公開命令』
北部ヴァルクの議会堂。
外の市場がざわめく中、議場の中は静まり返っていた。
中央の板には、巨大な数字が書かれている。
穀物価格――
**基準価格の二倍。**
誰もその数字から目を逸らさない。
それはただの数字ではない。
恐怖の温度だ。
エリシアはゆっくり板を見たあと、議場を見渡した。
「穀物は足りています」
静かな声。
だが、議場全体に届く。
「問題は供給ではありません」
指で板の別の列を叩く。
地主備蓄
農民備蓄
市場倉庫
「集中です」
ミレイアが数字を補足する。
「北部穀物の四割が市場倉庫」
ざわ、と空気が揺れる。
誰も否定しない。
知っているからだ。
だが――
見えない。
ローデリックが腕を組む。
「倉庫は商人のものだ」
「はい」
エリシアは頷いた。
「だから公開します」
その一言で、議場の空気が変わった。
「……公開?」
地主の一人が言う。
「在庫を?」
「はい」
エリシアは板に書く。
**倉庫公開命令**
ざわ、と議場が揺れた。
「商人が従うと思うか?」
ナディアが低く笑う。
「思わねぇな」
エリシアは頷く。
「私も思いません」
正直な言葉。
だが続ける。
「だから命令です」
沈黙。
「国家制度には権限があります」
ミレイアが補足する。
「干ばつ時、食料備蓄の調査権」
つまり――
**国家が倉庫を調べる。**
ローデリックが目を細める。
「商人ギルドが暴れる」
「はい」
「市場が混乱する」
「すでにしています」
静かな返答。
議場の何人かが苦笑する。
その通りだった。
そのとき、扉が開いた。
使者が駆け込む。
「倉庫街から!」
紙を差し出す。
ミレイアが読む。
そして眉をひそめた。
「……商人ギルド声明」
エリシアが受け取る。
短い文章。
『市場は国家の所有物ではない』
レオンが笑う。
「喧嘩売ってきたな」
ナディアが肩をすくめる。
「予想通りだ」
ローデリックが低く言う。
「誰が書いた」
ミレイアが答える。
「グレイン商会」
その名前で、空気が変わった。
北部最大の穀物商会。
そして王都最大の市場商会。
エリシアは紙の下を見る。
署名。
そこに書かれていた。
**セシル・ヴァルトン**
ミレイアが小さく言う。
「来ましたね」
ローデリックが眉を動かす。
「知っているのか」
「王都市場の主です」
ナディアが言う。
「市場操作の天才」
レオンが笑う。
「面白くなってきた」
そのとき、議場の外がざわめいた。
窓から見ると、
倉庫街に黒い馬車が止まっている。
商会の紋章。
そして降りてきた男。
痩身。
黒い外套。
銀縁の眼鏡。
ゆっくりと広場を歩く。
周囲の商人たちが道を開ける。
王のように。
ナディアが小さく言う。
「……あいつか」
エリシアは窓越しにその男を見た。
セシル・ヴァルトン。
男は議会堂を見上げ、
わずかに笑った。
その表情は挑発でも怒りでもない。
ただ――
**余裕。**
やがて扉が開く。
静かな足音。
議場に入ってきた男は、軽く一礼した。
「初めまして」
穏やかな声。
「セシル・ヴァルトンです」
視線がエリシアに向く。
「南部の令嬢」
微笑む。
「あなたの制度、拝見しました」
その声は礼儀正しい。
だが言葉の奥に、はっきりした意思がある。
「とても興味深い」
そして続けた。
「ですが――」
少しだけ首を傾ける。
「市場は国家より速い」
沈黙。
議場の空気が張り詰める。
エリシアは静かに答えた。
「速いでしょうね」
「はい」
セシルは笑う。
「だから勝ちます」
はっきりした宣言。
ナディアが小さく笑う。
「戦争か」
エリシアは板を見た。
倉庫公開命令。
そしてその前にいる男。
市場。
制度。
その衝突。
エリシアはセシルを見て言った。
「倉庫を公開してください」
セシルは少しだけ考え、
そして答えた。
「断ります」
即答だった。
「市場は自由です」
そして続ける。
「国家は遅い」
「市場は速い」
静かな声。
「どちらが勝つか」
エリシアの目を見る。
「見てみましょう」
議場は完全に静まり返った。
北部干ばつ。
その裏で始まった戦い。
それはもう、
ただの干ばつ対策ではない。
**市場戦争。**
そしてその最初の対面だった。
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