第52話 『制度の外』
北部グランデル地方へ向かう道は、南部とは景色が違った。
丘陵は広く、畑は大きい。
南部のような小区画の農地ではない。地平線まで続く畑が、規則的に並んでいる。
それだけで、この土地の構造が分かる。
「でかいな……」
レオンが呟く。
「全部一つの家の土地ってこともある」
ナディアが答える。
「大地主制」
エリシアは地図を広げながら言う。
「南部の村共同体とは構造が違います」
南部は小農。
北部は大農。
それはつまり――
決定権の集中を意味する。
馬車が街へ入る。
グランデル地方の中心都市、ヴァルク。
人の数は南部の村の何倍もいる。
市場も広い。
だが――
空気が張り詰めている。
商人が倉庫前で口論している。
農民が価格板を見上げている。
そして板の数字は、すでに動いていた。
「……始まってる」
ミレイアが言う。
穀物価格。
南部の安定とは逆に、
**北部価格は急上昇していた。**
「投機が入ってる」
「早いな」
ナディアが舌打ちする。
「王都が報を出したばかりだろ」
「市場は噂で動きます」
エリシアは板を見つめる。
この速度。
南部のときより速い。
理由は単純。
北部は供給量が巨大だからだ。
巨大な市場が揺れるとき、
資金は一気に流れ込む。
「国家備蓄は?」
レオンが問う。
「北部倉庫はまだ設置途中」
ミレイアが答える。
「つまり制度が間に合ってない」
最悪のタイミングだ。
広場に集まる人々の視線が、こちらへ向く。
噂はもう広がっている。
「南部連盟の令嬢だ」
「国家制度の」
歓迎ではない。
様子見だ。
そこへ、一団の騎馬が現れた。
黒い外套。
北部の紋章。
先頭の男は五十代ほど。
背は高く、顎髭を整え、目は冷たい。
「エリシア・ヴァルドール」
名を呼ばれる。
「はい」
「私はローデリック侯」
北部最大の地主。
グランデル穀倉地帯の支配者。
噂通りの人物だった。
「あなたが国家制度を作った令嬢か」
「設計に関わりました」
ローデリックは周囲を一瞥する。
農民。
商人。
役人。
そして、言った。
「ここでは通用しない」
広場が静まり返る。
「国家備蓄?」
小さく笑う。
「我々は市場で回してきた」
「百年だ」
エリシアは黙って聞く。
「国家が倉庫を作る?」
「価格を縛る?」
冷たい目がこちらを見る。
「それは農業を殺す」
農民たちがざわめく。
反発ではない。
迷いだ。
エリシアは静かに答える。
「干ばつ時限定です」
「限定は拡大する」
ローデリックは即答する。
「国家はそういうものだ」
確かに。
その通りだ。
「あなたの南部は小さな土地だ」
「共同体で回る」
「だが北部は違う」
広い畑を指す。
「ここは商業農業だ」
「価格が農業を支えている」
「国家が触れば、崩れる」
理屈は通っている。
そしてこの土地では、現実だ。
南部モデルをそのまま持ち込めない。
ミレイアが小声で言う。
「制度の外ですね」
「はい」
エリシアは頷く。
国家制度は成立した。
だが、土地が違えば意味も変わる。
そこへ、一人の女性が人混みから前に出た。
農民服。
日焼けした顔。
「侯爵様」
強い声だった。
「今年の収穫は四割減です」
周囲がざわめく。
「市場で回すって言っても、回る量がない」
ローデリックの眉が動く。
「あなたは?」
「マリア」
農業組合の代表。
「農民の声です」
エリシアを見る。
「あなたが南部の制度を作った人?」
「はい」
「聞きたい」
真っ直ぐな目。
「本当に、飢えを減らせる?」
広場が静まり返る。
市場の理屈。
国家の制度。
その間にいるのが、現場だ。
エリシアは少しだけ考え、
正直に答える。
「完全には無理です」
ざわ、と空気が揺れる。
「でも」
続ける。
「減らせます」
マリアは頷いた。
「それなら、聞く価値はある」
ローデリックは腕を組む。
「農民は弱い」
「だから国家を求める」
「だが私は違う」
冷たい視線。
「私は市場を守る」
そのとき、ミレイアが板を見せる。
王都市場速報。
穀物価格――
**急騰開始**
レオンが息を吐く。
「……もう始まった」
南部のときと同じ。
いや、それ以上に速い。
ローデリックはその数字を見て、低く笑った。
「見ろ」
広場を指す。
「これが市場だ」
エリシアは板を見つめる。
制度はまだ根付いていない。
市場はもう動いている。
北部。
ここは南部とは違う。
だが――
周期は同じだ。
干ばつ。
価格暴騰。
投機。
そして崩壊。
エリシアは板の端に新しい文字を書く。
**北部連盟――可能性調査**
ローデリックの目が細くなる。
「連盟だと?」
静かな声。
「この土地で?」
エリシアは答えた。
「はい」
南部では村だった。
ここでは地主かもしれない。
形は違う。
だが問いは同じだ。
**制度は、この土地でも機能するのか。**
北の風が広場を吹き抜ける。
第二の試練が、始まった。
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