92.電設のヒデオさん、出発する。
前話にまつわる些細な設定。
主人公が打ち明けられたのは、三人の前世と今世の出自に関する事情です。
出自に関する事情は大体全部打ち明けられましたが、それ以外の事情は概要だけで、あまり詳しく聞いていません。特に、魔王『不朽の新緑』に関する事は、ほとんど聞いていません。
具体的には、魔王『不朽の新緑』が樹人族の雌株である事とか、古い複製技術のパクリでは雌の個体の複製にしか成功していない事とか、その手のよもやま話。
その辺りの事情は、出自との直接的な関係が無く、打ち明ける側が言う必要があると認識していなかったため、言っていません。
主人公は聞いていないので、知りません。
素性を知ろうが知るまいが、朝は来る。
「……俺が実は勇者だったって打ち明けるの、忘れてた……」
自分が元勇者である事を、ムチムチさんは知らない。
打ち明け話に聞き入ってしまい、打ち明けるの忘れてた。
「……今更言うのもアレだよなぁ……」
身の上話は、話の出だしが難しい。
昨晩の魔眼の失敗は、良い切っ掛けだった。魔眼それ自体の良し悪しは、一旦脇に置くとして。話の切っ掛けとしては良かった。
ムチムチさんが身上を打ち明けられたのは、酔った勢いで魔眼を使ったおかげだ。あれが無ければ、きっと言えなかったはずだ。
元魔王だったと打ち明けられたら、その話の流れに便乗して、とても極めて自然な流れで、自分は元勇者だったと言えたはずだった。
これ以上無いくらい絶好のタイミングだったのに、うっかり言い忘れた。今回は本当にうっかりしてた。
「……言うの嫌だなぁ……」
こういうの、タイミングを逃すと言いにくい。
『今は妖精さんのヒモやってますけど、元勇者です』とか打ち明けるの、つらい。つらすぎる。
どのツラ下げて言えと。素面じゃ無理だわ、これ。
高学歴ニートが空気を読まずに学歴自慢を始めるのに近い。恥ずか死ぬ。
「……まあ、いいかぁ、言わなくても……」
「はい。言わなくていいです。ますたーの事を深く知るのは、わたしだけで十分です。ますたー」
どうせ知ってても知らなくても、日常生活に影響は無い。
スルーする事にした。
スルーしたくても、できない問題もある。
「姉ちゃんとニンゲンから、血の臭いがするっ!」
朝っぱらから、黒夫の嗅覚に嗅ぎ付けられた。
昨夜、就寝前に血は拭き取れるだけ拭き取った。ロボット掃除機がルーフをウィンウィン掃除してくれて、傍目には汚れ無し。当然、血の汚れが付いている衣服は着替え済。しかし、それだけでは不十分だったらしい。
風呂には入らなかった。夜遅かったのと、目をケガしたばかりだったので、風呂は止めたのだが、それが仇になった。
もっとも、臭いが無くてもバレてたとは思うけど。
「お姉ちゃん、それどうしたの?」
ムチムチさんの右目には、ネクタイが眼帯っぽく巻いてある。
できるのは応急措置まで。傷口を晒さないようにネクタイを巻いたまま、後は自然治癒に任せるしかない。
こんなの、どうしたって悪目立ちする。しかし、こればっかりは、しょうがない。
「こ、これは、その……。お、オシャレなのだ!私はオシャレに目覚めたのだ!」
芋ジャー姿で、なんか言ってた。
嘘が致命的に下手だな、この人。
いや一応、14歳前後にはド真ん中のファッションセンスと言えなくもないけど。
「似合ってないの。お姉ちゃん、もっと違うオシャレした方がいいの」
魅雪には効かなかった。眼帯風ファッションは琴線に触れなかったらしい。
「それ巻いてる所の周り、血の臭い強いぞ、姉ちゃん」
黒夫にも効いてなかった。男子なら年齢問わず興味をそそられるファッションのはずだけど、今はそれより臭いが気になるらしい。
「お姉ちゃん、それ髪に巻いてたよね?なんで巻き方変えたの?ねえ、なんで?なんで急にそうしたの?急にオシャレしたくなること、あったの?お姉ちゃん?」
「なんで血の臭いするんだ?血が出たのか?血が出るような事したのか?」
「い、いや、これは、その……。私とヒデオ殿との秘密だ!知りたいならヒデオ殿に聞くのだ!ヒデオ殿が言って良いと思った事なら、私も良いと思うぞ!」
「ちょっ!?」
なんか言った、この人。
二人が一斉に、こっち向いた。
「ねえ、おじちゃん?お姉ちゃん、なんで急に巻き方変えたの?ねえ、なんで?何があったの?お姉ちゃんが急にオシャレに目覚めたの、おじちゃんのせいなの?」
「姉ちゃんが血を出すような事したのか?……ま、まさか、姉ちゃんが血を出すような事シたのか!?シたから血の臭いするのか、ニンゲン!?」
ずいずい詰め寄られた。でも答えられなかった。
黒夫も魅雪も、かつて魔王だった頃の記憶が無い。
下手に記憶を刺激するような事を言って、現在の安定した状態が崩れるリスクを冒せない。
昨夜、ムチムチさんと話した内容は、原則、秘密だ。
「あー……、大人には大人の事情があんだよ。子供には関係無い。聞くな」
美人さんとの、二人っきりの秘密の夜。
色気も何も無い秘密だけど、秘密は秘密。問答無用で情報封鎖。
「ボク子供じゃないの。ボクも大人の事情知りたい。教えて、おじちゃん?」
「お、オレは別に、お、大人の事情とか、そんなの、別に……。で、でも、ニンゲンがどうしても教えたいって言うなら、教えられてやってもいいぞ?」
「いや教えないから。そんな事より、とっととメシ食え。冷めるぞ」
「ズルいの!お姉ちゃんばっかり!ボクにも教えて!」
「お、オレが教えられてやってもいいって言ってるんだぞ!教えろ!」
「いやだから教えないって言ってんだろ。とっとと食わないと皿下げるぞ」
やっぱり子供は面倒臭い。
元魔王とか何とか、そんな超どうでもいい理屈抜きで、子供は普通に面倒臭い。
「こういう酒の肴も、悪くないのである」
「おつ~」
「……………………」
酔っ払いのオッサンが、のん気に朝酒しながら、こっち見てた。
すぐ横では、フェアが無言で、こっち見てた。満面のニコニコ笑顔で無言だった。
味方がいない。
「ムチムチさん!」
「対応は貴殿に任せる」
共犯者にハシゴ外された。酷い。
「おじちゃん!」
「ニンゲン!」
「ああもう、めんどくせえなぁっ!?いいからメシ食えって言ってんだろ、チビどもが!」
朝飯を食べ終わる頃には、すでに疲れた。
ムチムチさんは右目を負傷中だが、すでに痛みは引いているようで、行動には支障が無い。
朝の片付けをした後は、予定通り、ゴミ拾いに勤しんでいた。
「さすがに量は減ってきましたね」
「ああ、そうだな。ここから拾える分は粗方拾い終えたのかもしれない。昨晩の話通り、今日を区切りとしよう」
いくら海が広くとも、陸地からゴミ拾いできる範囲は限定的。1週間も拾い続けていれば、拾えるゴミも無くなる。
今日の釣果は小物が多い。大きいものでも、手の平サイズの防具の切れ端っぽいものくらい。ゴミ収集場所が無いので、ひとまず通勤カバンに仕舞っておく。
すぐ隣では、今日も懲りずに黒夫が釣りに挑戦していた。
「……なあ、黒夫。いい加減、エサ変えた方がいいぞ?スルメ丸ごとは、やっぱり無茶だって」
「嫌だ。このまま釣る」
「……このままだと、1匹も釣れないまま海を離れる事になるぞ?いいのか?」
「嫌だ。釣るまでここにいる」
「無茶言うな。お前が釣れなくても、明日には出るからな」
「嫌だ」
わがままな猫だわ、こいつ。
わがままなクセに根性あるのが、実に面倒臭い。
この1週間、坊主なのに釣り竿を構え続ける根性。地味に凄い。そして面倒臭い。
いざとなったら、置いて行こう。オモチャ売り場の前で駄々こねる子供を置き去りにする母親のように。
普通の人間の子供なら迷子の危険があるけど、黒夫の場合、嗅覚と脚力が人間離れしているので、全く心配いらない。置いて行っても、すぐに追い付いて来るだろう。
そんな風に明日の事を考えていたら、服の裾を引かれた。
「……おじちゃん。角がヌヌヌッてするの」
片手で角を抑えながら、魅雪が言った。
何か異変を察知したらしい。
異変の内容が気になる。
しかし、その前に、重要事項のチェック。
「魅雪、気分は悪くなってない?体調は大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ」
「無理はしてない?角が痛かったりとかは?」
「くふふっ。おじちゃん変なの。ボク平気だよ?」
「……そうか」
表情を見る限り、本当に平気そう。無理をしているようには見えない。
重要事項のチェック終了。
次は、異変の内容の確認。
「今、どんな感じがしてる?嫌な感じはする?」
「ちょっと嫌な感じするの。ヌヌヌッて感じがするの」
感覚的すぎて、よくわからない。
聞き方を少し変えてみよう。
「前にも色々あったよね?その時と比べて、どんな感じがしてる?どの時よりも嫌とか、どの時よりは嫌じゃないとか、わかる?」
「えっとね。前に大きなクモを飛ばした時より、ちょっと嫌な感じなの」
「大きなクモ?……ああ、ドローンか……」
魅雪の言葉に、少し昔を思い出す。確か2ヶ月くらい前の事だったはずだ。
旧開拓村跡地に、王国の奇襲部隊が来た事があった。あの時、百余名のオッサン兵士の群れを映像で確認するために、ドローンを飛ばした。
兵士よりもドローンの方が強く印象に残っている辺り、魅雪から見た人間の脅威度が察せられる。
今は子供とは言え、魅雪は元魔王。有象無象の人間の兵士は、脅威判定の対象外。今回は、それよりも『ちょっと嫌』で『ヌヌヌッ』な感じらしい。
「嫌な感じは、ちょっとだけ?」
「うん。ちょっとだけなの」
嫌なのは、質か、量か、両方か。いずれにせよ、人間の兵士よりも厄介な連中が近付いて来ていると推測する。
現地点の立地を再確認。ここは魔族の領域内。北には森と山脈。西には崖と海。
率直に言って、位置取りは悪い。盤上の隅のような位置取りだ。逃げ場が無い。
北の森は、魔物の縄張り。少なくとも世間一般では、そういう認識の森。
魔物の縄張りの隣接地は、真っ当な魔族なら近寄らない。様相は大分違うが、ある意味、王国の忌地と似たような土地。
魅雪が嫌な感じがすると言ったからには、自分達に不利益をもたらす存在だろう。真っ当な魔族とは思えない。盗賊とか、ならず者とか、そういう連中だろうか。
人間の百余名の部隊より、脅威度が少しだけ上。種族にもよるが、魔族だけで構成された盗賊団であれば、人数が同じでも脅威度は上になりそうな気がする。
「しつこいようだけど、嫌なのは、ちょっとだけなんだね?」
「うん。ちょっとだけなの」
ちょっと嫌という程度なら、凄く強いボスに率いられた極悪盗賊団とかでは無い。
小悪党の集まった、烏合の衆みたいな集団だろうか。
「……うーん……どうするかな……」
対処自体は可能だろう。むしろ、対処不可能な事態というのが想像できない。
改めて振り返ってみると、うちのメンバー構成、異常だ。
元勇者1名。元勇者より有能な妖精1名。元魔王3名。魔物1体。
「……どんな集団なんだよ、これ……」
本気になったら、魔王軍全軍を相手にしても勝てそうな気がする。
魔王軍の規模は知らないが、魔物が交じってる時点で普通に勝てそう。魔王軍以下の集団が相手なら、負ける方が難しいレベル。
ただし、戦えば勝てそうだからと言って、実際に戦うかどうかは、また別の話。
現役の勇者ならいざ知らず、元勇者が魔族とドンパチする意味は無い。それ以前に、現役の勇者なら、元魔王とわかった時点で一緒に朝飯食ってない。
ともあれ。行動を決めるには、情報が足りない。
「なあ、黒夫。お前、何か聞こえるか?」
黒夫に聞いてみた。
「海の音が聞こえるぞ」
「そりゃ俺にも聞こえてるよ。他には何か聞こえるか?なんか不自然な音とか、どっちの方から聞こえるとか、あるか?」
「んー……。別に変な音無いぞ?」
「……そうか」
黒夫の聴覚には、異変は聞こえてないらしい。
断崖絶壁の下からは、波の音がする。わずかだが、自分にも聞こえている。無人の荒野よりノイズが大きい。
ノイズ混じりとは言え、黒夫の聴覚が異変無しと判断しているなら、距離は遠い。
「ねえ、フェア。望遠機能に優れた感じのカメラ、出せる?」
「はい。望遠機能に優れた感じのカメラです。ますたー」
望遠機能に優れた感じのカメラが出た。
撮り鉄の人が構えてるような、超ゴツイ望遠レンズ付き一眼レフカメラ。買ったら高そう。あんまりカメラに興味無いから、よく知らんけど。
「よっこらせっと」
フェアに出してもらったカメラを構える。
地味に重い。その割に、グリップ部分が小さい。重心が前方に偏ってる。
これ、手持ちで撮影するようなカメラじゃない。三脚が欲しい。
勇者級の握力でガッチリ把持。あって良かった、勇者級の身体能力。三脚並みに、お役立ち。
カメラで平原をグルッと見回す。
「……異常無し、か……」
視認可能な範囲内には、異変は見当たらなかった。
逆に言えば、異変の元凶からも、こちらは見えない位置にいる。
「……動くなら、早い方がいいか……」
座して厄介事の到来を待つ必要は無い。キャンピングカーは移動拠点である。
元凶からは、こちらが見えていない。相手が何者であれ、今なら動いても刺激する心配は無い。
「ムチムチさん、ご相談が」
「わかっている。発つのだろう?釣りは切り上げよう」
あっさり了承された。
「すみません。急な予定変更で」
「やめてくれ。今日までこの地に逗留していたのは、私のわがままだろう。謝るのは私の方だ。すまない」
「……いえ。そんな事無いですよ」
「無用な気遣いだ」
ムチムチさんが、罪悪感まじりの顔をした。
そういう顔をされると、こちらの罪悪感を刺激される。
変に見栄を張って言えなかったが、半分は自分のわがままだ。
ゴール地点、雷の塔は見えている。
ゴール地点を目の当たりにして、引き伸ばしを図ったのは、自分の方なのだ。
ムチムチさんがこの地に留まりたがっている、という大義名分を掲げていたが、結局は自分の都合を優先しただけだ。
早く元の世界に帰るために、山越えして来た。ここまで来ておいて、早く帰るのを嫌がるなんて、我ながら優柔不断すぎる。
帰還を先延ばしにしたって、いい事なんか無いのに。未練がましい。
「また移動するのであるか?矮小なる存在は、せわしないのである」
「然り」
「まあ良かろう。魚を肴にするのにも飽きてきた所である」
「つぎは、どこかな~?」
物見遊山のオッサンが地味にウザい。
お気楽でいい御身分ですよ。これで本当に偉いのが地味にタチが悪い。
帰ってくれないかな。
帰ってくれないだろうな。
帰るべき森、すぐそこなのに。
まあ酔っ払いのオッサンの事はどうでもいい。今はそれどころじゃない。野良ヘビに絡まれたとでも思って、諦める。
「とりあえず南東の方角に向かって出発します。全員、後片付けで気を抜かないように。忘れ物をしても、取りには戻りません。いいですね?」
「「「はーい」」」
とっても良い返事だった。
何故だろう。不安が増した。
対処不可能な事態なんて、微塵も想像できないのに、何故だ。




