86.電設のヒデオさん、魚を食べる。
動く小島と見紛うほどの、白い巨体。
デカい。デカすぎる。十本首の本来の巨体が、怪獣のソフビ人形に見えるレベル。
こんな生物、あり得ない。
水棲生物は浮力のおかげで陸棲生物より巨大化しやすいが、それにしたって限界がある。心肺機能の制約による物理的限界は超えられない。
物理法則上、生命活動を維持できるサイズの肉体じゃない。
物理法則に縛られない超生物。正体は、決まっている。
「……海の魔物……!?」
背鰭は無く、尾鰭は水平。そして、ねじくれた一本角。
超巨大な一角鯨の魔物だった。
海面から顔を覗かせ、巨大な瞳がこちらを見ていた。
瞳だけで人間よりデカい。
つぶらで意外と可愛いけど、サイズが可愛くない。
「ほぅ。なんぞ、懐かしい顔が見えるのぅ」
白い巨体が、人語を発した。重たい声。身体の芯まで響く。
つぶらな瞳とのギャップが凄い。
敵意は感じない。おそらく、害意は無い。そもそも自分達は一歩も海に入ってないのだから、怒りを買う理由が無い。
しかし、そんなのは関係無い。ただそこにいるだけで、脅威を感じずにはいられない。存在感が圧倒的すぎる。
「ふぅむ。やはりか」
うろたえ硬直した自分のすぐ脇を、赤い影が通りすぎた。
「久しいな、『鼻水吹き』よ。こうして顔を合わせるのは、いつぶりであるかな」
「おひさ~」
十本首が、前に進み出た。余裕綽々の態度。
いつになく頼もしい。少女マンガの王子様みたいにキラキラって見えた。
あら嫌だ。惚れそうだわ。もしかしてこれ、いわゆる吊り橋効果か。
酔っ払いのオッサンがキラキラって見えるとか、我ながら追い詰められすぎてる。
「……なんじゃ。誰かと思えば『頭割れ』の小童ではないか。しばらく見ない内に、えらい育ったのぅ」
声が急に軽い感じになった。近所のイタズラ小僧と出会った老人っぽい雰囲気。
気安く声を掛け合える間柄だけど、仲が悪いような、そうでもないような、良いとも悪いとも微妙に言い難い、何とも形容し難い雰囲気を感じる。
どうやら顔見知りらしい。サイズも種族も住処も全然違うけど。どういう関係なんだ。魔物関係か。
自分聞いた話では、魔物は基本、どいつもこいつも引きこもり気質。縄張りから出る事がほとんど無い――……はずだった。
独立独歩で、交流も争いも無いはずなんだけど、そうでは無いのだろうか。
人間が知らないだけで、魔物独自のネットワークでもあるのだろうか。
「……まあ、危なくないみたいだし、いいかぁ……」
両者の関係性の良し悪しは不明だが、ひとまず襲われない程度には、険悪な関係では無さそうだった。
それさえわかっていれば、他は割とどうでもいい。
今回、自分達が海に寄ったのは、ただの気まぐれ。海に用事は無いし、また海に来る予定も無い。
海から離れれば、海の魔物と再会する事は無いだろう。気にしない事にした。
魔物同士、積もる話でもあるのか、十本首と一角鯨は断崖絶壁の上と下で話し込んでいた。
旧交を温める魔物を横目に、昼ご飯を準備する。
海の魔物には関わらない。魔物と関わっても碌な事にならないのは、知ってる。お腹いっぱいである。
下手に首を突っ込んで藪蛇になるのは本当に心底嫌なので、捨て置く。
そんな事より食事の方が大事である。
「ボクのお魚はボクがお料理するの!」
「それじゃあ、お昼は魅雪にお任せしていい?」
「うん!任せて!」
自分の釣果は食い尽くされた。
黒夫は坊主。
ムチムチさんの釣果は食用不可。
食べられるのは、魅雪の釣った魚のみ。
張り切っていたので、魅雪に任せてみた。
「ピッチピチなの!食べ頃なの!くふふっ!」
魅雪が上機嫌で包丁をふるう。
大型バスの側面から引き出した野外キッチンの上で、魚を瞬時に切り分けていく。包丁捌きが冴える。
市松模様のエプロンを身に着け、鼻歌混じりに料理に勤しむ後ろ姿を見ていると、得も言われぬ感情をかき立てられる。
幼な妻、とかいう単語が脳裏に浮かんだ。
「……いいお嫁さんになりそうだなぁ……」
「「「……っ……」」」
古臭いかもしれないが、現代にも通じる真理がある。
女性の手料理は、男の夢の定番である。
今はまだ子供でも、いずれ大きくなったら、憧れの先輩のために手作り弁当を持って行ったりする日が来るのだろうか。
想像しただけで泣きたくなってきた。気分的には、年頃の娘さんを持ったお父さん的な。いやお父さんじゃないけれども。
「オレだって!鹿狩ったら料理するぞ!捌けるぞ!」
「お、おお、そうか。そりゃ凄いな。うん」
黒夫が急に言った。魅雪の姿に対抗心を抱いたらしい。
そんな無理して張り合わなくてもいいのに。小学生くらいの男子って奴は、こういう部分が非常に面倒臭い。
それはそれとして。鹿を捌けるのは、料理の技術に含めていいのだろうか。
凄い事は凄いが、ジビエ系の食肉加工技術は、料理とは別方向の才能な気がする。
「私だって、これでも料理は得意なのだぞ。母と暮らしていた時は、料理は私が作っていたのだ。母は料理がてんでダメだったからな」
「あ、はい。そうですか」
「本当なのだぞ。……ただ、その、どうにも人間の炊事場とは気が合いにくいと言うか、人間の使用する金気や火気は気難しいと言うか……。だ、だが、慣れれば平気なはずだ。後もう少し慣れさえすれば」
「いや無理しなくていいですから」
ムチムチさんまで何か言い出した。何故だ。大人が子供と張り合うような場面じゃないんですけど。
本人がどう主張しようと、刃物と火元を任せるのは怖い。
エルフ流の料理法とかなら得意なのかもしれないが、ここには人間仕様のキッチンしかない。
諦めてもらおう。
「ますたー。炊飯器にご飯用意できました。炊き立てです」
「あ、うん。いつもありがとう、フェア」
「和の心の象徴、白いご飯を用意できるのは、わたしだけです。そうですよね?」
「あ、はい。ホントそうです。ホントいつもありがとうございます。はい」
フェアが可愛い。でも何故だろう、ちょっと怖い。怖可愛い。
「お夕飯の仕込みも一緒にしちゃうね。その分、お昼の用意が少し遅れるけど、いい?」
「魅雪のやりやすいようにやっていいよ。それより、何か手伝おうか?」
「手出し無用なの。今日はボクが全部やるの」
魅雪、めっちゃ張り切ってた。
邪魔しちゃ悪いので、大人しく座って待つ。
魅雪の料理している所を、後ろからボーッと観察する。
魚の鱗を念入りに落とし、身は三枚おろし。残った頭と骨は水で軽く洗い、熱湯にサッとくぐらせ、再び水で洗ってから、鍋に入れて煮込み始めた。内臓にも何か下処理をしているようだが、見てもよくわからない。アラ汁とかモツ煮とかのための下処理だと思う、多分。
魚も、他の食材も、見る見る内に調理されていく。
調理の手際に淀みが無く、迷いが無く、タイムロスが無い。
「できたの!」
「「「「おー……」」」」
お昼は少し遅れたが、ほとんど遅れなかった。
各種お刺身の盛り合わせ。塩焼き。皮と根菜の和え物。お味噌汁。
刺身定食と焼魚定食のハイブリッド。メイン2品の魚尽くし。ボリューミーだ。
「「「「「いただきます」」」」」
みんなで魅雪の料理を食べる。
「ミユキ?こちらの皿に乗っている魚は、火が通っていないようだが?」
「それでいいの。新鮮だから、そのまま食べられるの」
「う、ううむ……。魚を生のまま食す料理があると聞きかじった事はあるが、よもや、この身でそれを味わう日が来ようとは……。生きていると、思いもよらない事が起こるものだな……」
「私の故郷でも、鮮度のいい魚は生で食べてましたし、大丈夫だと思いますよ」
「姉ちゃん、食べないのか?これ結構うまいぞ?」
「そ、そうなのか……」
ムチムチさんは、少し顔を引きつらせ、箸が止まっていた。
黒夫の方は、平気な顔して食べてる。
種族ごとの食文化の違いが垣間見える。
「よし!これも良い経験となろう!女は度胸だ!」
大仰な前振りをすると、ショウガと醤油を少し付け、一切れパクッと食べた。
「う、ううむ……。生肉のように柔らかいのに、所々に芯があるような食感……。苔とはまた違う青臭さがあるな……。獣肉とも鳥肉とも全く違う食味……これが生の魚か……」
「お姉ちゃん、どう?」
「こ、これは、な、なんともはや……。ど、独特だな。うむ。その、なんだ……。わ、悪くは無い!悪くは無いぞ!」
「……………………」
悪かったらしい。眉が歪んでた。
隠し事できない人だ、相変わらず。
「……お姉ちゃん。無理しなくていいよ」
「い、いや!?無理などしてないが!?」
「……それ、オレが食べるぞ。結構好きだし、それ」
「私の分は私が食べるが!?」
「……私の焼き魚、半分渡しますから、残りのお刺身ください」
「いや本当に大丈夫だが!?」
なんかウダウダ言ってるムチムチさんの皿から、みんなでお刺身を奪う。代わりに焼き魚を分ける。
火が通っていれば普通に食べられるのは、日頃の食事で知ってる。魚自体は平気。生魚がダメなようだ。
ダメなものを無理に食べさせても、しょうがない。
本当に良いものは文化の壁を越える、なんて事をうそぶく人もいるけど、どうしたって合わないものは合わないものだ。
例えるなら、豚の生肉を食べるのと似たような感じだろうか。文化圏によっては食べる。ちゃんと衛生管理していれば安全に食べられる。頭ではそうとわかっていても、異文化圏の人にとっては、心理的に受け入れ難い。
機械じゃあるまいし、味覚測定器のような客観的な味の評価なんて、不可能だ。
心が受け付けないものは、無理に食べても、おいしくない。
無理すれば食べられなくもないかもしれないが、無理しないと食べられないものを無理して食べても、誰も嬉しくない。食べる側にとっても、食べさせる側にとっても、不幸なだけだ。
「せっかくの食事なんです。楽しく食べないと勿体無いですよ」
「……すまない」
「謝るような事じゃありません。それより、ほら、これとか少し変わった料理ですけど、おいしいですよ」
皮と根菜の和え物を勧めてみた。定食の副菜。珍味寄りの品。
ちなみに、この品の食材は全て火が通っている。様々な魚の皮は、炙ってから細切り。長芋、大根、ニンジンは細切りにした後、レンジでチンしてた。
副菜なのに、メインより手が込んでる。
「おおっ、これは美味だな。素晴らしい出来だ、ミユキ」
やはり火が通っていれば大丈夫らしい。ムチムチさん、幸せそうな顔してパクパク食べてた。
「お姉ちゃん、ホント?ホントにおいしい?」
「ああ、本当だとも。……ただ、何と言うか、これは食事と言うより、酒に合いそうな一品だな」
言われてみれば、定食の副菜と言うより、居酒屋の突き出しっぽい。
まさかこれ、つなしか。つなしの影響なのか。侵食されているのか。
魅雪、染められかけてる。十人がかり、もとい、十首がかりで、赤ら顔のオッサンが真っ白な少女を染めようとしている。
幼い少女に迫る、オッサンの魔の手。果たして、少女に抗う術はあるのか。それとも、このまま染められてしまうのか。少女は、オッサンの色に染まってしまうのだろうか。
脳が痒い。
「……よし。飲むか」
「なに?貴殿、本気か?」
この痒みを忘れるためには、飲むしかない。
本当なら、少女を魔の手から救うべく、オッサンのタマ取りたい所だけど、普通に無理。返り討ちにあって、こっちが逆にタマ取られる未来しか見えない。
実態は酔っ払いのオッサンと言えど、魔物は魔物である。
魅雪が染められてしまっても、泣き寝入りするしかない。
「貴殿にしては珍しいな。それにしても、こんなに日の高い内から飲むのか?」
「止めないでください」
「いや別に止めはしないが」
だってしょうがないじゃないか。情けないとは思うけど、相手が悪すぎる。
社会の不条理よりも不条理な存在。物理法則ガン無視の超生物。それが、魔物。
そんなん勝てんわ。酒に逃げて何が悪い。
おあつらえ向きに、酒のアテがある。これはきっと、酒に逃げろという酒の神様の啓示なのだ。そうに違いない。
「ますたー。お注ぎします」
「あ、うん。よろしく」
フェアがお酌してくれた。
江戸切子に、無色透明な酒が注がれた。
ほとんど香りの無い、ほぼアルコール燃料。
「ひ、ヒデオ殿、その酒は、止めた方が良いのでは……」
「止めないでください」
「い、いや、しかしだな……」
グィッと、あおった。
「かっはっ!?」
喉と胃袋がヒリヒリする。ほとんど味が無い。ひたすら熱くてヒリヒリする。
「……つなしの奴、よくこんなのカッパカッパ飲めるな……それが差なのか……」
優等生のあの子が、ちょい悪なアイツに惚れる、みたいな感じの少女マンガ展開。少女マンガによくある展開という事は、少女の願望の反映だろう、多分。少女はみんな、ちょい悪なアイツが好きなのだ。そうに決まってるのだ。飲んだくれの自称ミュージシャン志望の奴とかがモテるのだ。酒に弱い人畜無害なサラリーマンなんて、良くて精々、当て馬だ。運が悪けりゃ悪役に仕立てられ、メインキャラの見せ場を作るためだけにボッコボコにされたりするのだ。ボッコボコにされたサラリーマンの目の前で、ヒロインは幸せなキスをしてフォーエバー。
何故だ。サラリーマンが何をしたってんだ。
酒に弱いのが悪いのか。人畜無害なのが悪いのか。普通に仕事して普通に生きてるだけなのに、マジ酷いわ。冤罪反対。
「ちくしょう!不当な扱いには断固抗議する!シュプレヒコール!」
「酔うの早っ!?だから止めたのに!そんなの飲むから!」
飲まずには、いられない。そんな日もある。
まあ、今までの人生25年の中で、そんな日は今日が初めてだけれども。




