84.銀の魔女、打ち明けない。
地下で別行動していた時の話です。
私は、森霊族の母と、人間の父との間に生まれた。
父の顔は知らず、母と二人で暮らしていた――……という事になっている。
身体の血統の構成という観点で言えば、正しい。
精神の表層の記憶という観点で言えば、正しい。
しかし、己の出自という観点で言えば、偽りだ。
「……打ち明けるべき、なのだろうな……だが、しかし……っ……」
出会ったばかりの頃、見ず知らずの他人である私達を、彼は受け入れてくれた。
私達が人間とは異なる種族だと打ち明けても、彼は受け入れてくれた。
きっと、私達の本当の出自を打ち明けても、彼は受け入れてくれるだろう。
そう信じている。私は本気で、そう信じている。彼の事を信じている。
本当に、信じているのだ。
信じているはずなのに、言えない。
私達の本当の出自を知った時、彼は、どんな顔をするのだろうか。それを思うと、怖くて、恐ろしくて、どうしても、言えない。
かつて『不朽の新緑』と呼ばれた魔王がいた。
異例の魔王だった。個としても強い魔王だったが、それ以上に、群として異常な強さを誇る魔王だった。
直属の配下は、いずれも魔王に勝るとも劣らない一騎当千の強兵揃い。そんな強兵が、優に千兵を超えて揃っていた。
通常ならば、強い者ほど我も強くなるものだ。しかし、魔王『不朽の新緑』直属の配下は、決して我によって和を乱さず、あたかも一個の生物であるかの如き一糸乱れぬ統率をもって事を成した。
中央から辺境に至るまで、魔王の威光は配下を通じて遍く届いた。
名の示す通り、魔王『不朽の新緑』は常に若々しく、いつまでも朽ちる様子は無かった。
その治世は永く続くかに思われた。
ある年、前例の無い瘴気が蔓延した。
極めて広範、かつ、極めて薄弱。毒性の弱い特殊な瘴気が広く薄く天地を覆い、数多の種族、大勢の者達が晒された。
当初、それは季節物の流感の類と見なされていた。例年よりも広がるのは早かったが、同時に、治りも早かった。大半の者達は、鼻風邪に似た軽い症状が出る程度で済んだ。赤子や老人でさえ、症状は軽かった。
しかし、極一部、例外があった。
樹人族の内、古代種の公孫樹の系譜に属する雌株の極一部にのみ、劇症化の果てに死に至る個体があった。
瘴気の蔓延から間も無く、魔王『不朽の新緑』は、直属の配下と共に朽ち果てた。
彼女の死後、次代の魔王は遺体を検分し、彼女の秘密を知る事になる。
魔王『不朽の新緑』直属の配下は、全員、同一個体の複製体だった。
そして、魔王『不朽の新緑』自身もまた複製体だった。
彼女の原木は、とうの昔に朽ち果てていた。
次代の魔王は、複製体に関わる事物、ありとあらゆるものを禁忌と定めた。
複製体の所持を禁じ、製作を禁じ、技術の転用を禁じ、研究開発を禁じた。
知る事、教える事、禁忌を犯した魔王の名を口にする事すらも禁じた。
全ての資料を焼却し、全ての設備を打ち壊し、全ての施設を潰した。
禁忌が実在したという事実そのものを隠滅し、そのために歴史さえ歪めた。
かつて『不朽の新緑』と呼ばれた魔王は、最初から存在しなかった事になった。
歴史書から記録は抹消され、遺灰は毒沼に打ち捨てられ、墓も墓標も無い。
唯一、魔王だけが手にする事を許される禁忌の書にのみ、かつて禁忌が実在したという事実が記されている。
永き時が流れ、世間の記憶は風化した。
記録も記憶も消え、世界から禁忌は完全に消滅した――……はずだった。
彼女が魔王の座に就くより遥か以前に使っていた、古い技術工房がある。禁忌にまつわる事物は全て消されたはずだったが、その工房は見落とされ、消されずに残った。
後世、それを発見してしまった者がいる。
とある一人の考古学者。調査のためならば竜の口にさえ飛び込むと謳われた、恐れ知らず。故に、発見してしまったのだ。
誰もが近寄るのを畏れ憚る、白蛇の御座。その目と鼻の先に据えられた地下工房の入口は、暴かれた。
工房に残っていた設備や資料の情報は、考古学者を通じて、出資者の手に渡った。
出資者が考古学者に出資していた当初の理由は、純粋に知的好奇心を満たすためであったらしい。
しかし、古の魔王が徹底的に抹消せんとするほど危険視した禁忌の技術、その存在を知り、変節した。
かつて記録を抹消された魔王のように、精強無比の私兵団を手に入れようとした。
地下工房は修復され、複製体の技術を再現する研究が始められた。
表面上は密やかに、しかし、水面下では資金と人員が投入された。
考古学者がこれまでに調査研究の過程で入手した遺物の中には、歴代の魔王の血肉や魂魄の欠片が付着しているものがあった。それらも投入された。
旧魔王の断片を素材として利用し、旧魔王の複製体を製作する試みが実施された。
出資者は、欲をかいた。
古い方の技術工房は、古いおかげで消されずに残ったが、古いせいで資料も設備も不完全なものしか残っていなかった。
過去の技術をただ再現するだけでも難航していた所に、出資者にとって複製体を都合良く利用できるよう、幾つかの技術要素を新たに追加するよう指示が入った。
無茶な意向だ。過去の技術の再現すらままならない内から、新たな技術要素を横から差し込んで、うまく行くはずが無い。
無茶な意向であっても、研究者達は出資者に従った。
研究者達の奮闘虚しく、結果は惨憺たるものとなった。
試作品の内、半数以上は製作の途中で崩壊し、グズグズの塵屑となった。
製作できた試作品の内、半数以上は身体の急激な成長に精神の成長が伴わず、老いさらばえた赤子となった。
順当に完成させられた試作品は、極少数。それらも成功とは言えない代物だった。同種族の平均的な能力を下回るものばかりで、元となった魔王とは比べ物にならなかった。
試作段階とは言え、結果はこの有様。しかし、研究は打ち切られなかった。
彼女を複製するために、彼女が自ら築き上げた、彼女のための技術。その真似事。
形だけでも再現できた複製体は全て、雌の個体だった。
知能が赤子同然でも、能力が著しく低くとも、旧魔王の容姿と瓜二つの複製体には価値があると認められた。
出資者が、そう認めた。
複製体の研究は続行され、地下工房は拡張され、資金と人員は投入され続けた。
私の知る限り、完全な複製体の成功例は無い。
不完全ではあるが、試作としてなら辛うじて成功と呼べる水準の複製体であれば、3体だけ、ある。
『銀の魔女』『白き悲嘆』『黒き狂走』の複製体は、元となった魔王に近しい潜在能力を有している事が確認された。
工期短縮のため、老化の呪いを施術され、身体は短期間で促成栽培された。
身体の成長に伴い、植え付けられた魂魄の欠片が活性化し、身に覚えの無い記憶が再生されていった。
私の中で、私ではない私が膨れ上がる。
私は、膨れ上がる私を拒まなかった。
膨れ上がる私もまた、私を拒まなかった。
拒まず、排せず、圧さず、潰さず、害せず、ただ在るがままに私と私は寄り添い、そして、私と私は私となった。
試作の工程は不安定でバラつきがあり、『銀の魔女』の複製体は想定より半月ほど早く製作が完了した。残り2体は、想定通り順調に製作が進んでいた。
もし、あのまま何事も無く研究が続いていれば、複製体の試作品の成功例として、3体一纏めにして出資者に提出される予定になっていた。
元となった魔王の能力は、それぞれ有用さの方向性が異なる。一体一体は本物より見劣りしようとも、その多様さは、さぞや出資者を喜ばせた事だろう。
提出されていれば、そうなったはずだ。
そうは、ならなかった。
出資者は、あまりにも欲をかきすぎたのだ。
研究の暫定的な成果物を、出資者は大いに気に入っていたらしい。部外者の目の無い所では、常に傍らに失敗作を侍らしていたらしい。相当な入れ込みようだ。
見てくれだけとは言え、旧魔王の複製体を従え、気が大きくなったのだろう。更なる成果を早急に求め、研究に対して本腰を入れて本格的な支援を始めた。
本腰を入れすぎた。それが悪かった。
水面下で動くには、動きが派手になりすぎて、今代の魔王に見付かった。
禁忌にまつわる事物は、全て抹消対象だ。出資者も、研究者も、研究資料も、研究施設も、研究成果も、全て。
複製体の試作品は、禁忌そのもの。言うまでも無く、最優先で抹消すべきモノだ。
今代の魔王が自ら部隊を差配し、悍ましき禁忌の結晶は、尽く破壊し尽くされた。成りかけの肉塊も、赤子同然の失敗作も、低能な失敗作も、尽く。
ただし、3体の粗悪な成功例を除いては、だが。
古の魔王の定めた規則に則るならば、複製体は、モノだ。
言わば、ゴーレムなどの同類。石材や鉄材などの代わりに有機材料で構成されているゴーレムモドキ。
神ならぬヒトの手によって造られし、ヒトを模したモノ。断じて、ヒトに非ず。
私は、ヒトではない。モノだ。
モノとして造られた。それが、私。
私がヒトではなくモノだと知ったら、彼は、どう思うのだろうか。私をどう扱うのだろうか。
やはり、モノを見るような目を向けられ、モノとして扱われてしまうのだろうか。
いや、そんなはずは無い。彼はそういう男性では無いはずだ。
いやしかし、人間の男性には『銀月の隠れた夜に狼へと変貌し女性を食らう』という言い伝えがある。そのような凶暴性を内に秘めているのが人間の男性というものらしい。私の父――……否、私の元となった者の父親に相当する男も、傍目には地味な容姿で穏便さを装いながら、実態は凄まじかったらしい。集落の皆がそう言っていた。母も『カレってば、あの夜はもうホントに凄まじかったのよ~』と言っていたから、間違い無い。
彼の故郷は、この世界とは別の世界だそうだが、それでも人間の男性なのだ。
私がモノだと知った途端、理性の箍が外れ、狼と化して肉に喰らい付いてくる危険も無くは無いのでは無いか。
私、狼さんに食べられちゃうのだろうか。
生のまま貪られちゃったりするのだろうか。
それとも、丁寧に料理されて、おいしくいただかれちゃうのだろうか。
怖い。とても怖い。だが、このまま黙ってるのは不義理だ。
不義理は良くない。大変良くない。良くないはずだ。
やっぱり本当の事、打ち明けちゃおうかな。どうしようかな。
打ち明けたら、どうなっちゃうんだろう。どうされちゃうんだろう。想像しただけでドキドキしてきた。
怖い。突然だが、まんじゅう怖い。
「お姉ちゃん?ボーッとしてると危ないよ?」
「ぬぉぶっ!?」
「ああもう、何やってるんだ、姉ちゃん。しっかりしないとダメだぞ」
唐突に思い出した菓子に気を取られ、足を取られ転んでしまった。
彼の故郷の菓子。外見は少々地味め。中には優しい甘さ。少し、彼に似ている。
まんじゅうは、良い菓子だ。しかし、今ここで思い出すようなものではない。
成すべき事を成すために、私は帰ってきたのだ。この忌まわしき場所に。
今は、今すべき事に集中しよう。
「……ミユキ、クロオ。二人とも、どのくらい覚えているのだ?」
集中すべきなのに、ふと、別の事が気にかかってしまった。
以前から気にかかってはいたのだが、自己の内面に深く関わる繊細な内容だけに、これまで聞く機会を逸していた。
それに、事は出自に関わる。彼がいては聞きづらい話だ。
色々な意味で、今なら確認するのに丁度良い。
「んー……。こっから出てったのは、よく覚えてるぞ」
「ボクも。出てく時、大変だったね、ワイワイガヤガヤしてて」
「ここの中の事は、どうだ?覚えているか?」
「えっと、オレの生まれた家、だよな?」
「あんまり覚えてないけど、ボクもここで生まれたんだよね?」
「ああ、そうだ。生家と呼ぶべきかは怪しい所ではあるが、ここで生まれたのには違いない。……それで、その、ここよりも前の事は、どうだ?」
「「ここよりも前?」」
「ああ、ここよりも前の事だ。どのくらい思い出して――……いや、どのくらい覚えている?」
「姉ちゃん、何言ってるんだ?」
「ここより前って、何なの?そんなの、あるの?」
「……そうか。そうか。覚えていないのなら、それで良いのだ」
転ばないよう、ゆっくりと歩を進めながら、幾つかの問いかけをする。
ミユキとクロオの記憶の状況は、おおよそ確認できた。
二人とも、汎用的な記憶、身体の技能的な記憶などは再生されているようだが、想い出などの私的な記憶は、ほとんど再生されていない。
彼の家で生活するようになって幾日かが過ぎ、気が付いた時には、二人の身体は成長途上のまま、老化の呪いが解けていた。
本来の設定では、身体に負荷がかからない程度に老化速度を調整され、成長期が終了する頃合いで自動解呪されるように設定されていたはずだった。
実際には、中途半端な時点で呪いが解けてしまっている。それに伴い、記憶の再生も停滞しているようだ。
この状態を喜ぶべきか否か。どう判断すべきだろうか。
合理的に考えるならば、早急に成長した方が良いとは思うが、生命とは合理によって測るべきものでは無い。
私は、私の今の状態を好ましく思っている。しかし、二人にそれを押し付けようとは思わない。
出来得るならば、このまま健やかに、自然な成長を願う。
彼が見守ってくれるならば、それは叶うだろう。そう思うのは、虫が良すぎるか。
地上の入口から、地下工房へ続く道を進む。
扉が見えた所で、ミユキとクロオに腕を引かれた。
「お、お姉ちゃん……。今、ビリビリってしたの」
「凄く変な感じしたぞ。どう変なのか、うまく言えないけど」
二人同時に告げてきた。その手には、お守りが握り締められていた。
地下に潜る前に、彼から手渡されたお守り。私も持っている。3個も持たされた。彼は過保護なのだ。
「ニンゲン、言ってたぞ。危ない事があったら、これ引けって」
「ど、どうしよう?これ、引っ張った方がいいの?」
「落ち着け、二人とも。……その危機感は、おそらく、この先のものに過剰反応しているだけだ」
感覚の鋭敏すぎる二人を抱き締め、なだめる。感度が同種族の平均を大きく上回っている弊害だ。
引き返すべきか否か、逡巡した。
ここで私がやろうとしている事は、全く無駄な事だ。自己満足に等しい事なのだ。それを自覚した上で、ここまで来た。
ここまで来たが、無理を押して実行するだけの意味は、本当にあるのか。
意味があると信じたから、ここまで来たが、その判断は誤りだったのではないか。
「……ごめん。もう平気だぞ、姉ちゃん」
「……大丈夫なの。行くの」
私が逡巡している間に、二人は心を立て直した。
その強さが羨ましい。それは私には無いものだ。かつても、今も。
「では、行こうか」
先に進む。そのために帰って来たのだ。
「良いか。開けるぞ」
地下工房の扉を開けた。
「……あ、あれ?開かない?このっ、このっ、このぉっ!?」
開かなかった。ビクともしなかった。よく見たら、扉が溶接されてた。
「ボクが開けようか?」
「……頼む」
「えいっ」
扉が外れた。
「「「……っ……」」」
死の気配が、あふれた。
あれから時間が経っているはずなのに、こんなにも濃いとは。
幸い、さほど腐乱臭は強くないが、喜ぶ気にはなれない。
破壊された設備の残骸に交じり、そこかしこに黒く焼け焦げたナニカが捨て置かれている。
「「「……………………」」」
望んだ訳では無く、望んだ形でも無く。唾棄すべき所業の果て、ただ在る事さえ許されない宿命をこの身に刻み付けられた。恨みを抱きこそすれ、感謝する謂れは無い。
しかし、それでも、今世の私達は、ここで生を得たのだ。
ここに散らばっているのは、血の繋がらない生みの親と、義理の兄弟姉妹の亡骸。弔う義理がある。
いや、そんなものは無いのかもしれない。しかし、そうする必要があると感じる。
これは、区切りだ。
モノとして造られた私達が、ヒトとして生きるために。きっと必要な事なのだ。
私は、そう考える。
「二人とも、下がってくれ。『土よ。我が意に従え』」
ボコッ、ボコッ、ボコッ。
床に即席の墓穴を掘る。
生憎、棺桶も墓石も無いが、無いものねだりをしても仕方が無い。
できる範囲で、できる事をする。
「「「……………………」」」
黙々と作業をした。
できない範囲の事は、できない。その後の作業の大半は、ミユキとクロオがした。
腕力も体力も乏しい、貧弱な身体が情けない。かつても、今も。
「「「……………………」」」
墓穴に、集められるだけ集めた骨と灰を納め、埋葬する。
略式の葬送を済ませる。
荒れていた室内は、簡易的にだが掃除した。
禁忌にまつわる者達の墓所としては、上等な方だろう。
「……これで全部か?」
「うん。かたしたよ」
「もう残ってないぞ」
「……そうか」
何も変わらない。何も得るものは無い。何の達成感も無い。無駄な行動だった。
それでも、区切りは付いた。
私の手で、区切りを付けられた。
「では、帰るか」
「「うん」」
帰ろう。彼のもとに。
「「「……………………」」」
三人で、地上へと続く道を行く。
かつて、逃げるために這い上がった道。
あの時に見上げた記憶と重なる。
「……ふふっ。帰りを待っていてくれる人がいる。良いものだな」
「「うんっ!」」
嫌な記憶しかないはずの道を通るのは、不思議と嫌な気分では無かった。
「ただいま、ヒデオ殿」
「おかえりなさい、ムチムチさん」
地下で別行動していた時の話でした。
区切りは付いても、踏ん切りは付いてないので、出自の告白はまだ先です。
言わない。聞かない。へたれ――……じゃなかった、ナイーブな似たもの同士。




