79.電設のヒデオさん、引っ越しの準備をする。
定職に就いているサラリーマンにとって、引っ越しはハードルが高い。ちょっとしたご近所トラブル程度なら、我慢して呑み込むのが普通である。
今の自分は、休職中。良くも悪くも、自由度が極めて高い。
クレクレ気質のご近所さん大量増加とか、即行ぶっち案件である。
「ひ、引っ越し?本気か、ヒデオ殿?」
「ええ、まあ。できれば今夜中には家を出たいですね」
「こ、今夜中だと!?」
「急な話になって、申し訳無いですけど」
引っ越しの話をしたら、ムチムチさんは顔を引きつらせていた。
当然と言えば当然。今夜中に引っ越しする、なんて話を夕飯の後にいきなり聞かされたら、普通はこういう反応になる。
「そ、そんな、急すぎる!あ、あんまりだ!」
「そう言われましても。現状を考えると、これが最善ですし」
「か、考え直してくれ、ヒデオ殿!」
「いえ、本当に申し訳無いとは思いますけど、今夜中に出ます。それが一番、後腐れ無さそうですし」
「そ、そんな……。せ、せめて数日、先延ばしにする事はできないのか?」
「それじゃ遅すぎますよ」
「そ、そんな……こんなの、本当に急すぎる……っ……」
急ぎすぎている自覚はある。しかし、明日には、あの集団がこの地に来てしまう。引っ越し中に難癖を付けられても面倒だし、会わずに引っ越した方が面倒が無い。
明日の朝に家を出ても間に合うかもしれないが、安全マージンを考えれば、今夜中に出た方が確実である。
今の自分にとって、引っ越しはハードルが低い。人生25年の中で最も低い。
フェアがいれば、新居の住環境の整備はすぐに終わる。日課のバッテリー充電は就寝の直前にしているので、今日はまだ余力が十分残っている。
荷物は全て通勤カバンに放り込めば済む。梱包いらず。業者いらず。
市役所に転居届を出す必要は無い。会社の住所登録変更の手続きもいらない。
電気、ガス、水道、通信回線、その他諸々、生活インフラ系の契約は不要。
引っ越し作業に数日も潰される事は無い。
引っ越し先さえ決まれば、すぐに引っ越しできる。
「うーん……どこ行くかな……って言うか、行ける場所が無い……?」
引っ越し先を決めようとして、困った。
以前に選定した候補地が、どこも選べなかった。
自分がまだ城にいた時、逃亡潜伏先の候補地は複数見繕った。
現地を事前に下見できなかったため、候補地を一つに絞らなかった。実際に現地入りしてみて、もしも何かしら問題があれば、直ちに引っ越すつもりでいた。実際には、引っ越し当日に血だらけの魔族と遭遇するという超特大トラブルが発生したのに結局そのままズルズルなし崩し的に住み続ける事になった訳だけれども。
まあそれはともかく。
第一候補地は、無人の荒野。普通の人はおろか、犯罪者すらも寄り付かないという、ただその一点だけで決めた。
他の候補地は、交易の盛んな街を幾つか選んだ。人や物の出入りが激しい街なら、よそ者が紛れ込んでも目立ちにくそうだと思い、候補地に選んだ。
あの時は、自分一人だった。フェアの姿は誰にも見えていなかったので、員数外。木を隠すには森の中が好都合だと思っていた。
今は、人間の街は選べない。妖精と魔族を連れて人間の街には移住できない。
塩の買い出しの時には全員で街に行ったが、あの時とは事情が違う。
一時的に潜入するだけなら、一時的に我慢してもらうだけで済む。
長期的に定住してしまうと、長期的に無理を強いる事になる。
以前の候補地はスッパリ忘れて、新しく引っ越し先を選び直す必要がある。
「そう言えば、フェアはどこかリクエストある?次はどんな土地がいいとか」
参考までに、フェアに聞いてみた。
「ますたーの住まわれる土地なら、どこでも至高の土地になります。ますたー」
「……いや、あの、そういう事を聞いてるんじゃなくてね。どうせ引っ越すなら、住みやすい場所がいいかなと思って聞いたんだけど」
「わたしにお任せください。どんな場所でも住みやすくします。必ず幸せにしてみせます。ますたー」
「あ、はい。よろしくお願いします」
フェアが可愛い。そして頼もしい。
頼もしすぎて、参考にならない。
自力で選ぶしかない。参考資料として、通勤カバンから地図を取り出した。
「うーん……これあんまり参考にならないんだよなぁ……」
王国国内の地図は、あるにはあるが、精度が低い。
人間の多く住んでいる街、人間の多く通る街道、人間の利用している山林や河川等の情報はあるが、人間のいない土地に関しては情報が乏しい。
人間の住んでいない開拓予定地の情報はあるが、いずれ人間が住み着く予定になっているので、選べない。
王国国内にこだわる必要は無いが、消去法で考えると、王国国内がいい。
王国以外の諸外国は、世界の半分の覇権を巡り、人間同士でドンパチやってる。そんな国、近寄りたくない。
また、作業上の問題として、碌な外国の地図が無い。
一応、世界地図っぽいものがあるにはあるのだが、国内の地図より更に精度が低く、各国の相対位置や面積の大小くらいしかわからない。ぶっちゃけ、個人レベルでは全く役に立たない。引っ越し先を選びようが無い。
「……せめて目星くらいは付けないと……」
妖精と魔族と共同生活する事を考えると、優先順位の高い条件は、人間の住みたがらない土地だ。人間の近寄りたがらない土地なら尚良し。
なんかイイ感じの無人の土地に引っ越したい。この際、周辺の自然環境等は二の次でいい。
住環境の整備は、フェアに頼む。完全に他力本願と言うか、妖精パワー(仮)本願だが、それは今更なので、今は考えない。
この地以外にも、無人の土地は、探せばどこかにはあるだろう。ただし、地図には明記されていない。
地図の中の、情報密度の低い箇所が怪しい。その中から、条件に合う場所を自力で探し出す必要がある。
妖精と魔族を引き連れて、人目を避けながら探す事になる。あまり闇雲に動き回りたくない。
「……お手頃な忌地、どっかに無いかなぁ……」
どこから探したものか。
「どうしたんだ、ニンゲン?」
「どうしたの、おじちゃん?」
悩んでいたら、黒夫と魅雪が来た。
お風呂に入り、芋ジャーに着替え済。もういつでも寝られる態勢である。
「悪いけど、今日は夜更かししてもらうぞ。今夜中に引っ越しするからな」
「「引っ越し?」」
「ああ、そうだ。二人とも、どっか行きたい所のリクエストとか、あるか?」
参考までに、ちょっと子供達にも聞いてみた。
「山だ。山がいいぞ。鹿狩って食うぞ」
「いや何を食いたいかは聞いてねえよ」
黒夫の意見は、あんまり参考にならなかった。
紅葉肉を求められても困る。ジビエの調理法とか知らん。
「海がいいの。取れ立てピチピチのイワシを丸齧りするの。踊り食いなの」
「いやだからね、何を食べたいのかは聞いてないんだよ」
魅雪の意見も、あんまり参考にならなかった。
イワシの踊り食いって、普通の人間が真似したら、口の中が悲惨な事になりそう。
「山だ!山がいいんだ!ミユキは山の良さをわかってない!」
「海なの!海がいいの!クロオは海の良さをわかってないの!」
「ええい、そんな事でケンカすんな!」
「ニンゲンは山がいいよな!」
「おじちゃん、海の方がいいよね!」
「どっちでもいいわ、そんなもん!」
「「どっちでも良くない!」」
異世界でも、山派と海派は相容れないらしい。至極どうでもいい。
「ほれ、ケンカしてるヒマあるなら、引っ越しの準備手伝ってくれ」
黒夫と魅雪の間に、通勤カバンを置いた。
「カバン貸すから、入れられる荷物は全部入れてきてくれ。入らないのはいいから。俺一人だと、引っ越しの準備に全然手が足りなくてな。黒夫、魅雪、頼りにしてるぞ」
「うん、わかったの、おじちゃん」
「ふんっ、しょうがないな。ニンゲンはオレがいないと全然ダメだからな」
頼み事をすると、二人ともアッサリうなずいてくれた。面倒臭い割には、いい子達である。面倒臭いけど。
通勤カバンを持って、二人は早速荷造りを始めた。協力してテキパキ仕舞ってる。仕事早い。
引っ越し準備を名目にして、子供達を追いやる事に無事成功した。これで落ち着いて引っ越し先を選べる。
「あ、そう言えば、ムチムチさんにはまだ聞いてませんでしたね。どこか行きたい場所のリクエスト、あります?」
「……………………えっ?」
参考までに、ムチムチさんにも聞いてみた。
ムチムチさんは、何故かポカンッと口を開けていた。
綺麗な歯と、艶めかしい舌が見える。
ただ口を開けているだけなのに扇情的だ。妙な気分になりそう。
「……ヒデオ殿。確認したい事があるのだが、良いか?」
「何ですか?」
「そ、その……。引っ越しと言うのは、私も一緒に引っ越すのか?」
「そりゃそうですよ。一緒に引っ越しますけど」
「ほ、本当に?本当か?ミユキも、クロオも、そ、それから、わ、私も!皆一緒のつもりなのか!?」
「はい。みんな一緒のつもりですが、それが何か?」
「そ、そうか、そうだったのか……貴殿は、そのつもりだったのか……っ……」
ムチムチさんは急に大声を出すと、泣き笑いのような変な表情になっていた。
何故、そんな表情をするのだろうか。
引っ越しを急ぎすぎて嫌な気分にさせてしまっているのかもしれないが、それにしたって、おかしい。
「……………………」
ふと、嫌な考えが浮かんだ。
「まさか……。ムチムチさん、この家に残るつもりなんですか?」
「あ、ああ、そうなるのだろうと思っていたのだが――」
「っ、ダメです!」
反射的に否定していた。
「そんなの絶対にダメです!」
「あっ、えっ、なっ、ひ、ヒデオ殿……?」
「そりゃあ自由ですけど!この家に住みたいなら住んでいいし、出て行きたいなら出て行っていいし、そういうの全部、ムチムチさんの自由ですけど!居住も移転も職業選択も自由ですけど!」
「……ひ、ヒデオ殿……!?」
「そ、それでも、あの、ええっと、あの、なんて言うか、あの、アレです!と、とにかくダメだ!ダメなものはダメだ!一緒に来い!」
「……っ……」
「俺から離れるなんて絶対に許さない!」
口走ってしまった。
口走り終わってから、我に返って絶望した。
言ってる事が酷い。特に最後が酷い。これ完全にストーカーとかDVとかやらかすタイプの男の台詞だ、これ。
ヤバイ。
しかも気付いたら、全力で抱き締めてた。
いつの間に手を出したのか、手を出したばかりなのに記憶が飛んでる。
同意された記憶は無い。
「「……っ……」」
ずっとこのまま抱き締めていたい。
まずい。理性が死んでる。
離さなければならない。わかっているのに、離す気にならない。
やわらかい。あったかい。ずっと抱き締めていたい。
「……わ、私を……離さないでくれ……」
「……ああ……」
同意を得た。
幻聴か。
幻聴でもいい。
ずっとこのまま抱き締めていたい。
やわらかい。あったかい。この温もり以外は、今はもう、どうでもいい。
「「……っ……」」
押し倒したい。押し倒そう。押し倒せ。押し倒す。
「何やってるんにゃああああああああっ!」
「あ痛ぁっ!?」
直前。こめかみに通勤カバンの角がクリーンヒット。
超痛い。
さすがに我に返った。今度こそ本当に我に返った。
慌てて体を起こし、ムチムチさんを離した。
「おじちゃん?引っ越しの準備で大変じゃなかったの?そんな事してるヒマ、あるの?無いよね?そんなヒマ無いよね?それなのに、お姉ちゃんに何してるの?何しようとしてたの?それは今するような事なの?違うよね?そうじゃないよね?おじちゃん?」
「……はい。おっしゃる通りでございます」
すんごいドスのきいた声で言われた。
否定のしようも無い。そのまま全力で謝罪。平身低頭。
「ムチムチさん、突然失礼いたしましたっ!申し訳ございませんでしたっ!」
「ひ、ヒデオ殿、やめてくれ。頭を上げてくれ」
「変な真似して、もう本当に申し開きのしようもございませんっ!」
「やめてくれ。貴殿に謝られるような事は無いのだ。何と言うべきか、その……、べ、別に、そんなに嫌ではなかったし……むしろ、その……」
「んもう!お姉ちゃん、しっかりして!」
「流されちゃダメだぞ、姉ちゃん!」
「本当に申し訳ございませんでしたっ!」
思春期のサルじゃあるまいし、いい歳こいて何やってんだ。
この地での生活は、被災した複数の世帯が一つの仮設住宅で共同生活しているようなもの。
三人との共同生活は、約3年後、自分が自宅に帰宅する事で終了となる。
予定では、そうなっていた。
終了予定は3年も先なので、途中、何らかの事情により予定が変わる可能性は大いにある。現に今、この地にある仮設住宅を出て、別の地に引っ越そうとしている。当初の予定には無かった予定変更である。
これから先も、予定が変わる可能性はある。
外的要因で予定が変わる可能性もあれば、内的要因で予定が変わる可能性もある。
複数世帯の共同生活である以上、当然、自分以外の誰かの都合によって予定が変わる可能性もある。大いにあり得る。
当然の事なのに、無意識に、ある一つの可能性を除外していた。
「……どんだけ、うぬぼれてんの……アホな勘違い野郎かよ、俺は……」
ムチムチさんの方から、今すぐ別れたいと言い出す可能性を、考えていなかった。
引っ越しをすると決めた時、ムチムチさんも一緒に来るはずだと、当然のように考えていた。
ムチムチさんが、自分と別れて生活するつもりなのだと思ったら、頭の中が真っ白になってしまった。
挙句の果てが、あの醜態である。
黒夫がフルスイングしてくれなかったら、割と本気でヤバかった。
以前は、こうでは無かったはずだ。
ムチムチさんが出て行きたいと言ったら、送り出そうと思っていたはずだ。
お別れの時が来たら、笑顔でお別れできるはずだと、そう思っていたはずだ。
その思っていたはず、だったのに。
いつから、こんな風になったしまったのだろうか。
いつの間に変質したのか、自分の事なのに、わからない。
こんなにも浅ましい執着心を抱いているなんて、自覚してなかった。
いや、それなりに邪な下心を色々抱いている自覚はある。だが、男という生き物にとって下心は標準装備なので、自分の下心も標準的なものだと思っていた。
「……さっきのアレは、なぁ……」
改めて、先程の自分の行動を客観視してみる。
引っ越しを機に、女性の方から別れ話を切り出された男性が、逆ギレして女性を押し倒した。
客観視すると、そういう構図である。
「……マジでアカン奴だわ、これ……」
うん。これはもう標準じゃない。
アウトである。未遂とは言え、アウトである。
アウトのはずなのに、ムチムチさんは笑って許してくれた。菩薩様かな。
「……このまんまじゃマズいよな……」
許されたから良し、とは言えない。
ムチムチさんは、これからも共同生活する事を笑って受け入れてくれた。
この状況、かなり笑えない。
このまま共同生活を続けてしまったら、3年後、自分はどうなってしまうのだろうか。今の段階ですら、この有様なのに。
マズい。非常にマズい。これ絶対にマズい気がする。
早々に手を打たないと、取り返しの付かない段階に至りそうな気がする。
異世界の豚箱で食う飯は、やっぱり臭いのだろうか。執行猶予は付くのだろうか。
いや気にすべきはそこじゃない。
「……南に行く、か……?」
ふと、引っ越し先に新しい候補地を思い付いた。
1ヶ月ほど前、ムチムチさんは言っていた。南の方角に『当て』があると。
バッテリーを急速充電可能な設備が、魔族の領域にはある――……らしい。
正体不明の設備だが、少なくともムチムチさんは、本気でそう思っているようだった。嘘を吐いていたとは思えない。
正体は不明だが、電気設備の存在しないはずの異世界では、明らかに異質な設備だろう。
正確な位置は不明だが、大まかな方角だけは、わかっている。
異質な設備なら、周囲から浮いているはず。自力で探し出せるかもしれない。
その設備を使えば、約3年という予定期間を、大幅に短縮できるかもしれない。
謎の設備の正体が、本当に急速充電可能な設備なら、万事解決。もし、ムチムチさんの勘違いだったとしても、まあその時はその時だ。予定通り、フェアにバッテリーを充電してもらえばいいだけの事。予定通りの進捗状況になるだけだ。
急速充電ステーション(仮)を探して見付ければ、期間は大幅短縮。
見付からなければ、期間は予定通り。探さなくても、期間は予定通り。
つまり、ある意味ノーリスク・ハイリターンだ。
急速充電ステーション(仮)を探して損は無い。
「……おあつらえ向きだよな……」
魔族の領域。事実上の二重の国境線の向こう側。
つい先月までは、南に行くのは命懸けのルートだった。
今は、違う。
ルート上の最大の障害が、実質、消滅している。十本首がコンビニに入り浸っている。今なら、魔物の縄張りは魔物不在。この隙を突けば、安全に通り抜けられる。
山脈に関しては、大した障害にはならない。普通の人間にとっては大きな障害でも、自分にとっては違う。こちとら痩せても枯れても勇者級である、一応。
幸か不幸か、うちは魔族が最大勢力。人間1名、妖精1名、魔族3名の混合チームなので、人間の領土内で活動するには不自由が大きい。魔族の領域に移った方が、幾分マシに動けるだろう、多分。
「よぅし!引っ越し先は南だ!」
引っ越し先を決めた。物凄い大雑把だけど。
「ニンゲン」
「おじちゃん」
「あ、はい。そんな事を言ってる場合ではありませんでしたね。口よりも手を動かせってね。はい。反省しております」
黒夫と魅雪にジト目で見られながら、せっせと引っ越しの準備をした。
二人とも、見ているだけで手伝ってくれなかった。
つらい。
※この物語の主人公は、アホな勘違い野郎です。




