76.電設のヒデオさん、丸投げする。
※法律上、間違った情報が含まれています。
目覚めは最悪だった。
「……うぐっ……ぎもぢわるい……」
頭が痛い。吐き気がする。完全に二日酔いだ。
勇者級の身体には各種耐性が付いてるけど、アルコール耐性は対象外らしい。
石化より、二日酔いの方が脅威。
酒の前には、勇者も魔物も膝を屈する。
「ますたー。1本取り置きしておきました」
「あ、うん。ありがと、フェア」
フェアリーストア・オリジナルブランド商品『フェアリーゼΩ』、容量50ml。
ウコン&しじみ&キャベツ&柿&その他エキス配合。
「くっはぁ……」
一気に飲み干した。
二日酔い、一瞬で解消。
凄い効能である。ちょっとヤバイくらい凄い効能である。
その他エキス配合が気になる。
「……よく死ななかったなぁ……」
思い返せば、昨日はメチャクチャ飲んだ。途中からヤケ酒になって、学生時代にもしなかったような無茶な量を飲んだ。急性アルコール中毒で救急車を呼ばれた時の3倍は飲んだ。それなのに、最後は黒夫と魅雪を抱えて、自分の足で歩いて帰宅できる程度には自我が残っていた。
飲み会の前に『フェアリーゼΩ』を飲んでおいて良かった。もし飲んでなかったら、きっと早々に潰れていただろう。
お酒を飲む前と後には、やっぱり『フェアリーゼΩ』です。効きます。
「おはよう、フェア」
「おはようございます。ますたー」
広いベッドの上で、朝の挨拶をする。
巨大な円形のベッドの上には、自分とフェアしかいない。何だか物凄く久しぶりな気がする。
寂しい、なんて一瞬思ってしまったのは、きっと気の迷いだ。気の迷いのはずだ、多分。気の迷いという事にしておこう。
「……昨日は……あのまま寝落ちか……」
幸か不幸か、記憶は残っている。
酔って前後不覚に陥っても、記憶は飛んでいない。
「……ああああああああっ……やっちまったなぁ……」
酔って前後不覚に陥ったのに、記憶は飛んでくれなかった。
昨日の醜態は、全て覚えている。
ほとんど思考ゼロ、ノータイムの脊髄反射でアホな事ばっかり言ってしまった。
就職してからは、酒で失敗しないよう注意していたのに、やってしまった。
「……絶対に、もう二度と、ヤケ酒はしない……!」
固く誓った。
醜態を晒した後では手遅れだけど。
「……とりあえず、歯、磨くか……」
自分の息が酒臭い。
いつもの朝と同じように、洗面所に向かった。
昨日は帰宅後、黒夫と魅雪を1階の和室に寝かせ、自分は2階で寝た。
酒を飲みつつ結構色々食べていたので、夕飯はキャンセル。
二人もジュースを飲みながら結構色々食べていたようなので、特に起こしたりはせず、そのまま寝かせた。
自分達が抜けた後、つなしとムチムチさんがどうしたのかは、知らない。
洗面所に向かう前に、和室をチラッと覗く。
三人とも普通にベッドで寝ていた。
ムチムチさんも普通に寝ていた。
「……よく平気で寝れるな、あんだけ飲んで……まさか死んでないよな……?」
「はい。死んでいません。呼吸数、呼吸音、共に異常は見られません。ますたー」
普段の飲み会の3倍以上飲んだ自分の更に3倍以上飲んでたはずなのに、特に苦しそうな様子も無く、ムチムチさんの寝息は安らかだった。
どんだけ酒に強いんだろう、この人。
ハイエルフの血を引いているからだろうか。それとも、父方の血の影響だろうか。少し気になる。
洗面所で顔を洗う。
鏡に映る自分の顔は、いつも以上に冴えない。
ただでさえ冴えないモブ顔が、情けなく歪んでいた。
二日酔いが理由では無い。
「……何故、かぁ……」
洗面所で顔を洗いながら、十本首に言われた言葉を思い出していた。
『何故、戻るのであるか?』
自分は、元の世界に帰る。そんなのは、あまりにも当たり前の事だ。
当たり前すぎて、疑問を挟む余地も無い。
疑問を挟む余地も無いので、あんまり深く考えた事は無かった。
こちらの世界に来たのは、王国に召喚されたせいだった。
自分にとっては、一方的に誘拐されたようなもの。嬉しくも何とも無い。
誘拐されたと騒いだ所で、警察が助けてくれる訳も無く、大使館が拉致被害者の帰還の手引きをしてくれる訳でも無い。
騒ぐだけ無駄な状況だった。いや、むしろ騒げば騒ぐほど、自分の立場は悪くなっていただろう。
最初は帰るのを諦めていた。
大人しく諦めて、城の生活に順応しようとした。
召喚されてから1週間後、電動シェーバーでヒゲを剃った。
今にして思えば、あのヒゲ剃りが決定的に致命的だった。
真面目な話。電動シェーバーでヒゲを剃らなかったら、城での生活を受け入れていたかもしれない。
電動シェーバーで綺麗にヒゲを剃れた時、感動した。そして痛感した。
こっちの世界、自分に合ってない。
元の世界の生活の快適さ。異世界の生活の劣悪さ。比較するまでも無い。
自分という人間にとって、異世界での生活がこれっぽっちも向いていない事を、これでもかと痛感してしまった。
一度でも痛感してしまったら、もう無理だった。
気付かないフリをして受け入れるなんて、できなかった。
普通に生活しているだけでストレスが溜まり続ける日々の始まりだった。
明るい灯りの下で、うまい飯が食いたい。そのために、元の世界に帰りたい。
何とも即物的な願望だが、切実な願望だった。
表層意識も、深層意識も、完全に意思統一された。
意思統一の切っ掛けとなったのは、電動シェーバーである。
その後の諸々の展開は、オマケみたいなものだ。
平凡なサラリーマンに勇者業は荷が重いと自覚したり、フェアに人を傷付ける電気設備は出させないと決意したり、他にも色々あって、城を出奔するに至った。
全ての始まりは、電動シェーバーである。
元の世界に帰る。そのための手段を手に入れる。
最終目標は明確に設定された。
目標が明確に定まっているのだから、それに向かって行動するのは当然だ。
王国は当てにならないので、世間に顔バレする前に城を出奔した。
元の世界に帰るための方法を、誰にも邪魔されずに追求するために、無人の荒野に引っ越した。
フェアに頼んで、元の世界と同等の快適な生活が送れるようになった。何なら、元の世界の平凡なサラリーマンより高水準の快適な生活が送れるようになった。
生活水準は上がったが、目標は取り下げなかった。
目標を取り下げる理由が無かった。
帰宅困難者が、帰宅しなくても当面の衣食住に問題が無い状況だからと言って、帰宅の手段を検討しない理由にはならない。
普通に帰宅の手段を探した。
その後の諸々の展開は、オマケみたいなものだ。
RPGで例えるなら、エンディングを左右しないサブイベントの連発。
どれだけサブイベントが素晴らしかったとしても、エンディングは変わらない。
そのはずだった。
「……帰る理由、あるよな……?」
改めて、元の世界の事を思い出し、よく考えてみた。
身も蓋も無い事を言ってしまえば、別に物凄く帰りたいって言うほど帰りたい訳では無い。しかし、こちらの世界に定住したい訳でも無い。
どっちつかずな感想だ。我ながら、これはどうかと思わなくもない。だが、これが本音なんだから、しょうがない。
元の世界には、両親と姉がいる。
就職してからは、年に1回顔を合わせる程度。すっかり疎遠になっている。だが、別に嫌っている訳では無い。縁を切りたい訳でも無い。
社会に出て働いている成人男性なら、特に珍しくは無いだろう。家族仲は普通。
自分が行方不明になったら、普通に心配させてしまうと思う、多分。
親戚付き合いも、今は疎遠になっている。
祖父母が存命だった頃は、そこそこ交流があった。しかし、祖父母が亡くなってからは、すっかり疎遠になってしまった。
こちらも、年1回顔を合わせる程度。親戚のチビどもと最後に会ったのが、昨年の正月だったはず。お年玉せびられた記憶がある。
自分が行方不明になったら、少しくらいは話題になるかもしれないが、そんなに心配されない気がする。今年の正月はチビどもと会わなかったから、お年玉やらなかったし。
友達付き合いも、今は疎遠になっている。
学生時代の友人は、就職して最初の頃は普通に会っていたが、気付いたら疎遠になっていた。何か特別なイベントがあって絶交した、とかでは無い。むしろ、良いイベントも悪いイベントも何も無かったせいで、交友関係が自然消滅した。
思い返せば、大学の時も似たような感じだった。進学して最初の頃は、高校時代の友人とも会っていたが、気付けば大学の友人ばかりとなり、昔の交友関係は自然消滅した。
自分が行方不明になった事に気付く友人は、果たして何人いるだろうか。
会社には、知り合いはいるが、友達はいない。
職場の雰囲気は良好だが、プライベートでの付き合いは無い。
自分が行方不明になったら、少しは心配されると思うが、それ以上に、仕事の穴埋めで恨まれそう。
未婚。独身。恋人無し。元カノは二人とも今どこで何やってんのか知らん。
自分が行方不明になっても、悲しんでくれる人はいない。
「……割とヤバイな、人間関係……」
思わぬ所で、自分の私生活の危機的状況に気付いた。背中を冷や汗が流れた。
就職して一人暮らしを始めてからは、新しい環境に早く慣れようと結構がんばっていた。仕事も結構がんばっていた。社内研修制度とかeラーニングとかも結構がんばっていた。
自分なりに、これでも結構がんばっていた。気付けば、この有様である。
人間関係、崖っぷち。ヤバイ。
傍目には、私生活を切り捨てて仕事に邁進する仕事人間みたいになってる。でも別にそこまで仕事に入れ込むタイプでは無い。ついでに言えば、無断欠勤3ヶ月になってるので、さすがに職場の席はもう無いだろう。
仕事の前に、再就職のための就職活動から再スタートである。
考えただけで今から憂鬱になってきた。
あらどうしましょう。帰りたくないわ、半分本気で。
冷静に考えると、元の世界に帰る逼迫した理由が『両親と姉を心配させないため』くらいしかない。
これだけでも帰る理由に十分と言えば十分だが、これでいいのか。
人生の悩みが深い。勇者召喚とは直接関係無い部分での悩みが深刻。
結婚してない。恋人いない。親友いない。幼馴染いない。親密な知人はいない。
必ず帰って絶対にまた会いたいと思う人が、いない。
日常生活は、現状維持で十分足りている。現状維持するだけなら、フェアが一緒にいてくれれば、何とかなる。
仕事は、嫌いではなかった。やり甲斐もあったし、割と好きな方だったと言ってもいい。でも特別好きというほどでもなかった。
仕事しなくても普通に生活できるなら、別に仕事しなくてもいい。
こっちの世界に来てからは、自分の生活っぷりはヒモかニートみたいになってる。モヤッとするけど、無人の荒野のド真ん中でそんな事を気にするのは自分だけだ。
この地には世間体など存在しない。究極的には、心の在り様だけの問題だ。自分が気にしなければ、それで済む。
「……こっちに定住ってのはなぁ……セーフティーネット皆無だし……」
根っから小市民なので、保険も社会保障も無い生活と言うのは、不安がある。そう言う意味では、帰りたい。
理由としては後ろ向きだが、帰りたい理由である事には違いない。ただし、今すぐ帰る必要性があるのかと問われれば、無い。
転ばぬ先の杖は、普通に歩く分には不要。
杖があった方が安心して歩けるが、杖が無くても普通に歩ける。
ケガや病気になったとしても、ここには病院が無い。医師も看護師もいない。
おそらく、フェアに頼めば、電気設備の医療機器を出す事は可能だと思うが、医療機器だけあっても役に立たない。
MRI、内視鏡、電気メスなどがあっても、適切に使いこなせる人がいなければ、宝の持ち腐れにしかならない。
医療機器より、プロの医者が欲しい。
王国にも、正規の医者はいるだろう。しかし、自分達の立場では頼れない。
逃亡勇者と魔族では、人間の医者は頼りにできない。
初っ端の出会いからして、ムチムチさんは血塗れの傷だらけ。
つい最近も、黒夫は足を骨折し、魅雪は鼓膜が破けている。
塩の買い出しの翌日には風邪を引いていた。
この家での生活は、何かと健康不安が多い。
これまでは、健康面で大きな問題は無かった。いや、問題があった事はあったが、何とかなった。何が何だかよくわからない内に、何故か何とかなった。
だからと言って、これからも何とかなるとは限らない。
ずっと健康的な生活が送れるとは限らない。
生活面も、これまでは何とかなった。フェアが何とかしてくれた。何が何だか原理不明のブラックボックス状態だが、妖精パワー(仮)による科学も魔法も超越した何かで、何とかしてくれた。
裏を返せば、フェアに何かあるだけで、この生活は崩壊する危険がある。
特定個人に依存した属人的な体制は、平常時には良いが、非常時には脆い。
今は順調だ。しかし、この先ずっと順風満帆という保証は無い。
この流れが一度でも崩れてしまったら、もう二度と立て直せないかもしれない。
見えない危険が、常に付きまとっている。
この地には、健康保険なんて無い。失業保険も無い。火災保険も無い。
そういう土地での生活は、不安が大きい。
普段は顕在化しない不安だが、一度考え出すと、潜在的な不安は相当大きい。
「……保険の無い人生……ヤバイよなぁ……」
保険が無いのは、不安だ。
自分のような根っから小市民には、本当に不安だ。
こんな不安な状況の只中に、三人を放ったまま帰っていいのか。そんな思考が脳裏をよぎった。
「……………………」
良いも悪いも無い。三人は、他人だ。
2ヶ月ほど共同生活しているとは言え、本質的には、どこまで行っても他人だ。
家族では無い。親兄弟では無い。自分の子供では無い。結婚している訳でも無い。親戚でも無い。
自分達の関係に名前を付けるとするなら、親密な知人、だろうか。友人と呼ぶには微妙な気がするし、恋人では無い、残念ながら。
自分達の関係は、親密な知人だ。きっと親密だと思う、多分。
自分は親密だと思ってるけど、向こうはそう思ってなかったら、どうしよう。
親密かどうかには議論の余地があるかもしれないが、とりあえず知人だ。少なくとも知人なのは確かな事実だ。そこは大丈夫。
もしも知人が困っていたら、自分の生活に支障が出ない範囲内で、手を差し伸べるくらいはする。
では、もしも知人に手を差し伸べる事で、自分の生活に支障が出てしまうとしたら、どうすべきだろうか。
今までの人生25年の中で、生活と知人を天秤にかけるような状況になった事は無い。どうすべきなのか、人生経験の平凡な自分には、わからない。
幾つもの選択肢が脳内をグルグル回る。
元の世界に帰る。
自分とフェアだけで帰るつもりだったが、もしも三人を一緒に連れて帰ったら、どうなるだろうか。
三人とも戸籍無し。保険が利かないという意味では、ここでの生活と大差が無い。
病院はある。しかし、人間用の現代医学は、異世界のエルフや鬼に適用できるのだろうか。
黒猫の獣人が病気になったら、人間用の医者と、獣医さん、どちらに診てもらった方が良いのだろうか。
いずれにせよ、人間の医者に診せたら絶対に厄介な事態になる気しかしない。
王国の医者に頼るよりは百倍マシな気はするけど、マシなだけで、厄介事を避けて通れそうに無い。
こちらの世界に残るとしたら、どうなるだろうか。
病院も保険も社会保障も無い、不安定な共同生活。
一体いつまで続ければいいのか。寿命で死ぬまでか。
一生涯、この世界で過ごして、この世界に骨を埋めるのか。
両親はどうするのか。
息子が行方不明になれば心配するだろう。
帰る方法が無いなら諦めるより他に無いが、帰る方法はすでに確保してある。
帰る方法があるのに帰りもせず、生死不明のまま、心配させたまま放置するのか。そんな親不孝をするのか。
いずれは両親も老いて介護が必要になるかもしれないが、その時、自分は何もしないのか。
姉に全て丸投げして、捨て置くのか。
自分を遥かに凌ぎ、姉はバイタリティの塊みたいな人なので、丸投げしても問題無い気はする。だが、それはそれ、これはこれ。
いかに凄い頼り甲斐のある姉だとしても、丸投げは人としてどうなんだ。
もしも三人を連れて帰ったら、家族に紹介すべきだろうか。それとも、隠し通すべきなのだろうか。
筋を通すなら、当然、紹介はすべきだろう。しかし、そこから諸々の問題が生じる可能性が高い。家族間の問題に留まるなら別にいいが、世間バレして社会的な揉め事に発展する危険がある。
家族のためを思えばこそ、不義理であっても隠した方が良いかもしれない。あるいは、家族とは無関係な所から世間バレして、知らぬ間に巻き添えを食らう危険を考えれば、やはり事前に紹介しておくべきだろうか。
そもそもの大前提として、三人にとっては、こちらが故郷で、あちらが異郷だ。
異郷での生活に対して、どのような考えを持っているのだろうか。
ムチムチさんは、変に考えを拗らせてるようなので、今の段階で意思確認するのは良くない。
できれば一人安静にして精神が落ち着いた所で考えて欲しいが、現在の生活環境だと難しい。
黒夫と魅雪は、あんまり興味無さそう。以前、自分が元の世界に帰ると言った時、かなり淡泊な反応だった。
たくましさで言えば人間より数段上だろうし、保険が無くても普通に生きていけそうだし、わざわざ異郷を選ぶ理由が無い。
誘っても、普通に拒否られそう。その様子を想像しただけで、ちょっぴり凹む。
もしも自分がこちらの世界に定住すると決めたら、三人はどう思うだろうか。
今は、嫌がられていない。きっと嫌がられていないはずだ、多分。
今はそうでも、定住すると決めたら、また話は変わるだろう。
一時的に共同生活するのと、長い時を共に暮らすのとでは、違う。
日々発生する事象の多くは共通しているが、そこから受ける心象は大きく異なる。
表面的には同じように見えても、同列には語れない。
黒夫も魅雪も、いずれは大人になり、独り立ちするだろう。その時、ムチムチさんはどうするのだろうか。
もしかしたら、同じタイミングで家を出て行くかもしれない。そうなっても、全然おかしくない。
あえて嫌な言い方をするなら、子供はお荷物である。
たとえ黒夫と魅雪が人間離れした身体能力を持っていようと、今はまだ子供である以上、保護者が面倒を見なければならない。
お荷物を抱えている保護者は、多少の不都合には目をつむる。不自由でも安定した生活を優先する。
この辺の塩梅は人にもよるが、少なくともムチムチさんは、勘違いして夜這い未遂を起こすくらいには、安定した生活を優先している。
では、子供達が独立し、お荷物が無くなったら、どうなるのか。自由気ままにして良いとなったら、ムチムチさんはどうするのだろうか。
子供の独立を契機に離婚する夫婦は、珍しくないらしい。いわゆる熟年離婚だ。
いや自分達は夫婦じゃないけど。ただの同居人だけれども。状況は似ている。
独立の時期は未定。マージンを長めに見積もって15年後だと仮定すると、その時、自分は40歳になる。
子供達が家を出て行き、ムチムチさんも家を出て行ったとしたら、その時、40歳の自分には何が残るのだろう。
40歳と言えば、平均寿命の約半分。人生の折り返し地点。
三人がいなくなった後、残りの半生をどう過ごすのか。
この家でフェアと二人きりで生活するのか。
いつまでか。死ぬまでか。
何も無い、他に誰もいない、無人の荒野のド真ん中で、ただ食い潰すだけの日々を送るのか。
それとも、三人が家を出て行った後で、元の世界に帰るのか。
15年も経ってから、実家に帰るのか。それは有りか、無しか。
確か、行方不明から7年経つと推定死亡で戸籍抹消、とかいう感じの話を聞いた事があるような気がする。
6年後の帰還ならギリギリセーフだけど、7年後以降はマズい。ましてや15年後とか、ダブルスコアで倍マズい。
戸籍、真っ白。職歴15年、空白。そんな状態で、実家に帰るのか。
長期間の行方不明者の帰還。それは果たして、是か非か。
帰還直後の短期間は、感動があるだろう。
ドラマチックな感動に浸る期間が過ぎれば、その後には日常生活が待っている。
その時、自分は、家族に迷惑をかけるだけの存在になってしまわないだろうか。
帰って来ない方がマシだった、なんて思われないだろうか。
どうする。
どうすべきか。
どうするのが正解か。
正解は、あるのか。
全ての選択肢が、何かを間違えているように見えてくる。
もっと良い選択肢が、理想的な模範解答が、ある気がしてくる。
意識高い系の人は、人生に正解は無い、とか言ったりするらしい。クソ食らえだ。
意識高い系の人から見れば正解は無いのかもしれないが、そんなに意識の高くない凡人から見れば十分正解と呼べるような模範解答は、ありそうな気がする。
模範解答がありそうな気はするけど、自分では思い付かない。
自分は、どうすべきなのだろうか。
「……いや、それ以前の話か……どうしたいんだよ、俺は……」
自分は、どうしたいと思っているのだろうか。
本当は、どうしたいのだろうか。
元の世界に帰りたいのだろうか。
こちらの世界に残りたいのだろうか。
三人と一緒にいたいのだろうか。
三人と円満に別れたいのだろうか。
わからない。
自分の事なのに、よくわからない。
ここまで真剣に悩んだ事、無い気がする。
「……まあ、どうせ早くても3年後だし……それまでに結論出せばいいか……」
今の自分の悩みは、3年後の自分に丸投げする事にした。
順風満帆に予定進行できたと仮定して、世界を渡る絨毯のバッテリー充電完了まで約3年かかる。ここで急いで結論を出しても意味は無い。
28歳の成熟した自分なら、25歳の自分より、きっと良い答えを導き出せるに違いない、多分。
どっかの意識高い系の人が言ってた。未来の自分を信じよう、とか何とか。
3年後の自分へ。がんばってください。陰ながら応援しています。
これは無茶ぶりでは無い。できると信じているからこそ丸投げするのだ。言わば、この丸投げは信頼の証。どっかの意識高い系経営者が、そう言ってた。
3年後の自分へ。あなたなら、きっと最良の答えを出せると信じています。
「よぅし!朝飯の準備するか!手伝ってもらうよ、フェア!」
「はい。手伝います。ますたー」
悩みがあっても、腹は減る。
今すぐ解決できない悩みなんかより、目先の食事の準備の方が重要度は高かった。
行方不明者は、時間経過で自動的に戸籍抹消される訳ではありません。
行方不明者と最後に連絡が取れてから7年以上探しても見付からず、家族が失踪宣告の申し込みをし、裁判所で確定すると、法律上死亡扱いとなります。
失踪宣告が確定した後、行方不明者が見付かった場合、手続きをすれば取り消せます。
参考:失踪宣告(Wikipedia)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B1%E8%B8%AA%E5%AE%A3%E5%91%8A>




