72.電設のヒデオさん、ひっくり返す。
まだ慌てるような時間じゃない。
そもそも、今回1回でどうにかなるとは、最初から思っていなかった。
魔物を相手に、状況をひっくり返そうと言うのである。一筋縄で行くはずも無い。
脳内スケジュールでは、長丁場を覚悟完了済。
交流し、交渉し、要求を呑ませる。
呑ませる要求とは、節酒。
お酒大好き十本首の赤蛇に、節酒させる。
人類史上最高難易度の無理難題と言っても過言では無い。
しかし、いかに困難であろうとも、やり遂げなければならない。
元の世界に帰るためには、節酒は絶対に必要である。
自分は本気である。
最終目標は、酒量を半分に減らす事。現実的に達成可能な目標としては、この辺りが十本首に妥協させられる限界ラインだと踏んでいた。
理想を言えば、酒量をゼロにしたい。十本首が断酒するなり森に帰るなりすれば、万事解決。しかし、現状では目途が立たない。
目途が立たないのに、ゼロを目標値に設定しても意味が無い。なので、半分。
目標達成のため、脳内でプロジェクトを構想した。
節酒プロジェクト、全6フェーズの構成である。
では、一つ一つ内容を確認していこう。
第1フェーズ。一緒に酒を飲む。
とにかく十本首と一緒に飲む。飲み会の終わり際には、翌日も一緒に飲む約束を取り付ける。それを繰り返して、隣で飲んでいても違和感が無いくらいの関係性を築く。
ある意味、最初にして最大の難関。とにかく隣で酒を飲むのを日常化する。
焦ってはいけない。じっくり行く。
第2フェーズ。節酒をほのめかす。
ここでは、十本首の節酒ではなく、自分の節酒をほのめかす。自分が節酒しようと考えている事を、十本首に遠回しに言って聞かせる。
酒呑みに面と向かって節酒を勧めても、意味は無い。医者が言おうが、家族が言おうが、耳を貸さないのが酒呑みという生き物である。
しかし、連日一緒に酒を飲んでいた相手が、節酒を考えていると言い出せば、どうだろうか。
酒呑み仲間が節酒を考えていると言い出せば、少しは節酒の事を意識するようになるだろう、多分。
決して焦ってはいけない。この時点では、ひたすら、ただひたすら、ほのめかす。
ほのめかすだけで、まだ節酒はしない。
第3フェーズ。節酒する。
ここでは、自分が節酒する。まだ十本首には節酒させない。焦らない、焦らない。
十本首の隣で酒を飲みながら、時間をかけて徐々に酒量を減らしていく。
毎日少しずつ酒量を減らしつつ、同時に、酒量を減らしたら体調が良くなってきたアピールも加える。
わざとらしくならないよう、細心の注意が必要である。もし、この時点で最終目標に勘付かれたら、プロジェクト全体の瓦解もあり得る。
ステマ的さり気無さを心掛け、慎重に事を進めなければならない。
第4フェーズ。節酒を勧める。
ここでは、十本首に節酒を勧める。まだ勧めるだけに留める。焦りは禁物。
節酒の勧告と同時に、顔色が悪いとか何とか、健康面で不安になりそうな事を適当に吹き込む。
飲酒による健康被害を少しずつ強調し、節酒の利点を少しずつ刷り込む。
ついでに、厄年とか何とか適当ぶっこいて不安を煽り、厄祓いには酒欲を抑えるのが有効とか何とか適当ぶっこく。大抵のオッサンは、厄年という言葉に弱い。
第5フェーズ。節酒させる。
いよいよ本丸に着手する。十本首に節酒させる。ただし、焦ってはいけない。
通常の酒呑みであれば、節酒させるのは不可能に近い。つまみ食いをやめられないデブの如く、酒呑みは酒を飲む。周囲が監視の目を光らせていても飲む。忍者の如く隠れ潜んで飲む。
しかし、この地に限って言うなら、節酒させる事は容易である。
酒の供給は、フェアが全量を担っている。供給を絞れば、自動的に節酒になる。
酒量をわずかでも減らせば、ほぼ確実に、十本首は不機嫌になるだろう。そこをどうにかフォローしなければならない。酒が切れた事にキレて暴れられたら、節酒どころの話ではなくなる。
健康のために必要だとか、酒量を減らしたら顔色が良くなってきたとか、適当に言いくるめて何とかする。何とかできると信じる。
第6フェーズ。酒量を半分にする。
ここまで来れば、もうゴールは目前。だからこそ、焦ってはいけない。
いきなり半減はしない。時間をかけて段階的に減らしていく。急減は厳禁。
単純に1日当たりの酒量を減らしてしまうと、十本首の反発を招くだろう。適度にメリハリを付けるようにする。
重要なのは、短期的な摂取量の減少ではなく、長期的な総量の減少である。
休肝日を設けたり、解禁日を設けて飲み放題にしたり、マンネリ化しないよう緩急を付けつつ、酒量の総量を半分にまで減らす。
酒量の半減を常態化し、以降、継続する。
以上が、節酒プロジェクトの全容である。
最終目標を現在の半分に設定したのは、長期的な持続可能性を重視しているため。サステナビリティである。
もしも可能なら更に減らしたいが、絶対に無理は禁物。ストレスの暴発が怖い。
無理の無い範囲内で、十本首の酒量を減らす。
酒量を減らせれば、その分、妖精パワー(仮)の使用率に余裕が生まれ、充電に回せるようになる。
絨毯のバッテリーの充電にかかる期間は、当初の予定では約3年。元より長丁場なので、焦って失敗したくない。
いずれのフェーズも、想定期間は1週間から1ヶ月程度。十本首の様子を見ながら、柔軟かつ臨機応変に対応し、半年以内のプロジェクト完遂を目指す。
脳内スケジュール通りに完遂できれば、約6年後には元の世界に帰れるだろう。
正直に言えば、約6年後の帰還と言うのは、人生スケジュール的には厳しいのだが、しょうがない。
「……なんて事を考えてたんだけど……ついさっきまで、割と大真面目に……」
捕らぬ狸の皮算用。
どんな目標を立てようが、どんなスケジュールを組もうが、ひっくり返される時は、ひっくり返される。そりゃもう簡単に。
「このシュワシュワ感、なかなかクセになるのである」
「渋味の強い赤も良いが、透き通った白も良い。甲乙付け難し」
「ポン酒は良いものである」
「然り」
「ちーかま、良い。実に良いのである。酒が進むのである」
「こっちの強零とかいう奴、魔性であるな。飲めば飲むほど、もっと強零を飲みたくなるのである」
「おいし~」
全高1mくらいに縮んだ十本首の赤蛇が、鎌首もたげて酒飲んでる。
江戸切子に酒を注ぐと、ショットグラスをあおるみたいにグイッと飲む。
また酒を注ぐと、またグイッと飲む。オモチャの水飲み鳥っぽい。
個人的には、あの鳥のツラ見てると、なんかイラッと来る。
「……小さくなれるんなら、最初から小さくなっててくれよ……」
縮尺10分の1。体積比1000分の1。飲酒ペース1000分の1。
計算上、24時間飲み放題しても、使用率2.2%。
これまでの苦労や苦悩は一体何だったのか。一気に脱力した。
どうしてこうなった。
時間を少し巻き戻し、振り返ってみよう。
飲み会が始まったばかりの頃、十本首はいつものように大型タンクに頭を突っ込み、いつものペースでガバガバ飲んでいた。
ガバガバ飲んでいたはずなのに、ふと気付いたら、おかわりが止まっていた。
十対の瞳が、自分の方をジッと見ていた。
「小さき者よ。それは何であるか?」
「何って、ビールだよ」
「我が飲んでいるものとは違うのであるか?」
「まあ、違うな。酒は酒でも、そっちのは飛び切り強い酒。こっちのは弱い酒だ。強さ20倍くらい違うぞ」
「随分違うのであるな。そなたは、我と同じものは飲まぬのか?」
「無茶言うなって。ヘビの大将じゃあるまいし、そんな強い酒飲んだら、1杯でひっくり返っちまうよ。味わう余裕も無いよ」
「ふぅむ……。そなたが飲んでいるもの以外にも、色々あるようであるな」
「一通り揃えて来たからな。俺はビールしか飲まないけど」
チビチビ飲みながら答えた。
十本首は興味深そうに、しばらく見ていた。
酒も飲まずにジッと見ていた。
「我もそれを所望する」
しばらく見た後、中央の左首が言った。
「それって、ビールか?」
「そなたと同じものを飲んでみたい」
「度数低いぞ?いいのか?」
「構わぬ」
「……まあ、飲みたいなら、いいけど。とりあえず、今タンクにある分、全部飲んじゃって」
大型タンクにスピリタスが入っている状態では、新しく注げない。
「フェア、おかわり一旦停止で」
「はい。おかわり一旦停止します。ますたー」
フェアにおかわりを止めてもらう。
十本首が大型タンクに頭を突っ込むのを見ながら、内心、冷や汗をかいた。
アルコール成分の摂取量だけを考えれば、スピリタスと同量分をビールで賄うためには、約20倍必要になる。
節酒させて余裕を生み出す計画だったのに、このままでは藪蛇になりかねない。
「ヘビだけに、藪蛇ってか」
「ますたー。とっても面白い洒落ですね。素晴らしいですね。感動しました」
「……ごめん。今の忘れて」
純粋な賛辞が心に刺さる。
「「「「「「「「「「ぷっはぁ~!」」」」」」」」」」
アホな事を言ってる内に、スピリタスは飲み干されてしまった。相変わらず、大型タンク一気飲み。
こんな超ド級の酒豪、どうやってビールで満足させろと言うのか。無理ゲーにもほどがある。
「なあ、ヘビの大将。本当にビール飲むのか?他にも色々あるぞ?ウィスキーとか、ブランデーとか、焼酎とか」
興味をそらすべく、アルコール度数の高い酒を勧めてみた。
「本当に色々あるようであるな」
「そうそう、色々あるんだよ、ビール以外にも。むしろアレだぞ、ビールなんて酒精が薄すぎて、生粋の酒呑みには全然物足りない奴だぞ。他のがいいんじゃないか?」
「他の酒より、まずはビールである」
「い、いやでも、これアレだぞ。生粋の酒呑みからは、馬の小便とか言って馬鹿にされたりする事もある酒だぞ。馬の小便だぞ、馬の小便。俺みたいな矮小なのが飲むような酒だし、ヘビの大将の口には合わないんじゃあないかなぁ?」
「構わぬ。注ぐが良い」
あれこれ言ってみたが、ビールへの興味をそらせない。
このヘビ、石頭。
「う、うーん……。や、やめといた方がいいよ?いやこれホントに。うん」
「「「「「「「「「「……………………」」」」」」」」」」
「こんなんアレよ?マジで馬の小便よ?もしくは牛の小便みたいな奴よ?何も好き好んで小便みたいなモン飲みたがる事無いって」
「……ヒデオ殿。あまり連呼しないでくれないか。酒がまずくなる」
「あ、はい。すみません」
横からムチムチさんに怒られた。
ちなみに、ムチムチさんが飲んでるのは赤ワイン。淡い緑色の江戸切子に、ワインの赤が意外と似合う。
美人さんは、何を飲んでいても絵になる。
頬をかすかに赤らめ、足を崩して横座りしてる。めちゃくちゃ色っぽい。
「……そなたの言い分は、わかったのである」
ムチムチさんに見惚れていたら、頭上から声が降ってきた。
内容と声音が合ってない。
ヘビの表情が読めなくても、わかる。めちゃくちゃ納得してないって声してる。
「真なる美酒を独占する気であるな!」
「ずるい~!」
変に勿体付けたせいで、変な勘違いされた。
「我に美酒を飲ませぬために嘘を吐いているのであろう!」
「えっ、違うけど」
「我を謀ろうなど百万年早いわ!目に物見せてくれようぞ!」
「みさらせ~!」
「えっ、ちょっ、待っ」
十本首が大きく仰け反り、気炎を吐いた。
鱗の隙間から怪しいオーラが噴き出し、全身を覆い隠す。
巨大な繭のようにスッポリ包み込み、渦巻き、そして見る見る内に凝縮していく。
巨大なオーラの塊が、鈍感な自分でも肌で感じるほど密度を上げていく。
極限まで気配が濃密になった所で、急にオーラが晴れた。
「見よ!我にかかれば、この程度の事は造作も無いのである!」
「かっかっか~」
十本首の赤蛇、縮んだ。
縮尺10分の1くらいに縮んだ。
「何それ!?物理法則どうなってんの!?」
「そんなものに縛られるか。我を矮小なる存在と同列に見るでないわ」
ちっこい体躯で、態度がデカい。いや普通のヘビよりはデカいけど今でも。
口調は今までと同じ。でも声は今までより高い。おそらく首が縮んだ影響だろう。笛と同じ原理だ。
声はガッツリ物理法則に縛られてる。
「さて、それでは――」
「いただきま~す」
「あっ」
中央の右首に、グラス奪われた。
ふちを咥えて、そのままグイッと一気にあおった。
「にがい~っ!?」
中央の右首が、ビールの苦味に悶え苦しんでいた。
スピリタスは平気な顔で飲むのに、ビールの苦味には苦い顔をするらしい。ヘビの表情読めないけど。
「我の分が!?また我に横取りされた!?」
「いやそれ俺の分だけど」
「にがい~っ!もういっぱい~!」
「えっ?もういっぱいって、どっち?欲しいの?欲しくないの?」
「のむ~!もういっぱい~!」
「我も飲むのである。用意せよ」
「あ、我も飲むのである」
「我の分も、よろしこ」
「最初に飲むと言ったのは我であるぞ!我も、我も、我も、抜け駆けはやめるのである!」
十本首がグイグイ迫ってくる。息が臭い。縮んでも臭い。
「ええい、息かけるな!すぐ用意するから、つまみでも食ってろ!」
グイグイ来る十本首を押し返す。手応えが重い。見た目の数倍は重くて力強い。
勇者級の身体能力ゴリ押しで無理矢理押し返す。
「……見た目が縮んでも、酔っ払いは酔っ払いか……」
縮尺10分の1になっても、鬱陶しさは据え置き。むしろ濃縮されてる。
酔っ払いのオッサンは、体格の大小によらず鬱陶しかった。
で、自分は今、ひたすら酒注ぐマシーンと化していた。
体格が10分の1になったせいで、大型タンクに注いで終わり、という大雑把な提供ができない。
飲酒ペース1000分の1に落ちたのに、かえって忙しい。
通勤カバンから江戸切子を数十個取り出し、手当たり次第に酒を注ぐ。
ビール、日本酒、ワイン、スパークリングワイン、焼酎、チューハイ、カクテル、リキュール、スピリタス、その他諸々、とにかく注ぐ。
十本首をいちいち個別に相手するのは手間がかかりすぎるので、ほとんど流れ作業で酒を注いで提供する。
缶もビンも手当たり次第に開けて、空いたグラスにドンドン注ぐ。
注いだ端からドンドン空になっていく。
大皿を何枚か取り出し、おつまみも盛る。
盛った端から消えていく。
キリが無い。ペースが早すぎて、追い付かない。
酒注ぐだけで手いっぱい。飲んでる暇が無い。
「ふぅむ。チマチマ飲むのは少々まどろっこしいのである」
「見よ。こうすれば早いのである」
人が必死になって注いでる横で、ビンをラッパ飲みする首が現れた。
未開封のミニボトルの飲み口だけ牙で切り飛ばして飲んでた。意外と器用。
「おお、そんな方法があろうとは。我は天才であるな」
「我はこっちの奴で試してみるかな」
缶をラッパ飲みする首も現れた。
牙を引っかけ、器用にプルトップ開けて飲んでた。
「情緒が無いのである。そんな飲み方、我は好かぬ」
「然り」
パック酒の飲み口を器用に開けて、グラスに注ぎ直してから飲んでる首も現れた。お互いの首がグラスに注ぎ合ってた。
「この細い肉を詰めた奴、酒に合うのである」
「こっちの塊も、なかなかであるぞ」
コンビーフ缶やスパム缶を器用に開けて、酒の肴にしている首も現れた。
酒呑み。それは、酒を飲むためならば不可能を可能にする生き物。
器用すぎる。手も指も無いのに。
「おいし~」
「……………………」
むなしい。
酔いどれホームレスのオッサン相手に延々お酌するのは、まったくテンション上がらない。
「……もう並べるだけで、いいかぁ……」
すでに節酒プロジェクトは完遂している。目標を大幅に上回り、想定外の大成功。実に喜ばしい事態である。喜ぶべき事態である。
後はもう、どうでもいい。
通勤カバンをひっくり返す。コンビニ商品をドチャドチャ落とす。
あぶれた商品がレジャーシートから地面に転がり落ちたが、気にしない。
知らん。
もう何も知らん。
「人があれこれ悩んでたって言うのに!なんもかんも全部ひっくり返しやがって!これが飲まずにやってられるかぁ!」
上記のプロジェクトは、極めてダメなプロジェクトの一例です。
ダメな所ばかりですが、とりあえず2点。
・最終目標と期限の設定が適当
事前の調査も検討も無しに、いきなり最終目標と期限を設定してはいけません。
『酒量半分』『半年以内』を達成可能とした根拠となる資料が存在しません。
なんかそれっぽいカタカナ語とか使ったりして色々言っていますが、要約すると、勘とフィーリングで決めています。
・中間目標が定性的
各フェーズごとにも、明確な成否の基準が必要です。曖昧にしてはいけません。
成否の客観的な判定が不可能になっていると、次のフェーズに移行するかどうかの判断が、勘とフィーリングになります。
中間目標を定量的に設定し、数字で成否を判定可能にしておく必要があります。
勘とフィーリングで決めた目標ありき。
勘とフィーリングで進捗管理。
地獄のようなプロジェクトです。成功したのは勇者補正のおかげです。
こういうプロジェクトは、高確率で破綻します。絶対に真似しないでください。
参考:PMBOK(Wikipedia)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/PMBOK>
※PMBOKガイドは、第7版で大幅な改訂が行われています。第6版以前の内容を参考にされる場合は、御注意ください。




