69.電設のヒデオさん、困る。
見っともない姿を晒してから、早1週間が過ぎた。
現在、とても困った事態に直面している。
「……あの、ホント大丈夫だから。一人で行くから」
「「「ダメ!」」」
三人が過保護。まるで、ハイハイできるようになったばかりの赤ん坊に付きっきりの母親のように、徹底マークしてくる。
死ぬほど情けない姿を見られ、大人の男としての威厳が大暴落した結果、大暴落しすぎて一周回って反転し、逆に親密度が上がっている。
親密度が上がったのは良いのだが、親密度が上がりすぎて、一人の時間が無い。
四六時中、全ての行動が見守られている。本物の赤ん坊の如し。
「トイレくらい一人で行かせて?」
「「「ダメ!」」」
どんな正直者でも他人を入れない秘密の小部屋。
今や、トイレまでも一人では入れない。
比喩抜きで、本当に一人の時間が無い。
比喩抜きで、24時間付きっきり。老人介護より手厚い。
「「「ジャンケンポン!」」」
そして始まるジャンケン大会。
「ふふふふふふふふっ!」
そして一発で勝者決定。手の平を高らかに掲げ、不気味な美声で笑ってた。
「「……ぐぅっ……」」
握り締めた拳を額に当て、うつむき悔しそうな顔をする敗者が二人。
そこまで悔しがらなくてもいいと思うけど。負けず嫌いにもほどがある。
「では行こうか、ヒデオ殿」
「ではじゃないが」
当たり前のような顔して、ムチムチさんが一緒にトイレに入って来た。
ドアの鍵がガチャンッと閉められる。閉めたのは自分ではない。
一人ではない時点で、鍵を閉める意味無い気がするけど、何故か毎回律儀に鍵を閉めている。何故だ。
「……………………」
狭い。そして近い。
1階のトイレはバリアフリー仕様。車イスごと入れる仕様なので、普通のトイレよりは広い。それでもトイレはトイレなので、大人二人が入ると狭い。
美人さんと一緒にトイレに入るとか、気まずいってレベルじゃない。
ドアのすぐ外には聞き耳立ててる監視役がいるので、変な事できないけど。いや変な事する気も無いけど。
ちなみに、2階のトイレは普通のトイレなので、二人も入れるスペースは無い。
2階のトイレを使おうとすると、ドアが『勝手に取れちゃった』りする。使いたくても使えない。
「……こ、これは必要な措置なのだ……ヒデオ殿から目を離さないために必要不可欠な行為なのだ……仕方の無い事なのだ……極めて合法的なのだ……っ……」
ムチムチさんが、小声で何かブツブツ言ってる。
ブツブツ言いながら、自分がズボンを下ろす様子を凝視してくる。
目が怖い。出せない。
「ますたーのプライベート情報は、わたしが守ります。ご安心ください」
視線とズボンの間に、フェアが立ちはだかった。
某バスケ漫画のディフェンスっぽいポーズを取りながら飛び、ふわふわと巧みに揺れながら視線を遮っている。
ムチムチさんの視線を遮りながら、フェアが凝視してくる。
「……今更だなぁ……」
よく考えたら、最初から一人の時間なんて無かった。
こちらの世界に召喚されてから今日まで、一人だった時間は一度だけ。オール電化住宅を建てた直後だけしかない。本当に今更である。
開き直ってしまえば、案外どうと言う事も無い。
見られたからって、それがどうした。自分は男だ。男だから恥ずかしくないもん。
さっさと出す。
さっさと出すものを出す。
さっさと仕舞う。
さっさと水に流す。
全工程、終了。
こういう時、男は時短で済むから楽だ。男に生まれて良かった。
「くっ……ヒデオ殿のヒデオ殿……またチラッとしか見えなかった……っ……」
チラッと見られたらしい。
また見られたらしい。
見られたからと言って、何も変わらない。見せる前後で変化は無く、何かが減りも増えもせず、損も得も無い。
だから、気にしない。気にしないったら気にしない。
何故か血液が集中しそうになっているような気がしないでもないけど、きっと絶対に気のせいのはずである、多分。
自分はノーマルである。基本的には。
ここまでは別にいい。いや本当は全然良くは無いのだが、とりあえず実害が無いので、とりあえず良しとする。
実際、本当に実害は無い。男の大事な何かが日々ゴリゴリ削れている気がするけど、そんなものは実害の内に入らない。
「じゃ、ちょっと行ってきます」
「「「ダメ!」」」
午後3時半。みんなでプリンを食べた後。
いつもの日課に出ようとして、いつものように引き留められた。
「何度も言ってるけど、ホント大丈夫だから。一人で行くから」
「「「ダメ!」」」
玄関で、また揉め事が始まった。もう慣れた。
慣れてはいけない気がするけど、慣れてはいけない事でも、慣れれば慣れる。
「はぁ……。ムチムチさん、すみませんが、今日もお願いします」
いつものように、ムチムチさんに頼んだ。
こればっかりは、子供達には任せられない、絶対に。
「うむ。わかっている」
「いや全然わかってないでしょう。身支度、整えてきてください」
ムチムチさんが神妙な顔して、うなずく。
顔は神妙だけど、格好はラフ。服装を直すよう促す。
ここ最近、ムチムチさんはラフな格好でいる事が多い。ズボンとワイシャツだけ身に着けた姿でいる事が増えた。
ファッション誌には強い興味を示していたようだが、興味があるだけで、あまり着る気は無いらしい。こちらで適当に選んで何着か用意したのだが、いまだに自分のズボンとワイシャツを着ている事の方が多い。それ自体は別にいい。服の好みは人それぞれなので、着たいものを着たいように着るのを否定する気は無い。家の中であれば、ラフな格好大歓迎。でも外出時はダメだ。どんなケダモノの目に触れるかもしれないのに、ラフな格好はダメだ。胸元のボタンを外して谷間を外気に晒すのもダメだ。誰にも絶対に見せん。見せてやらん。
まあそれはともかく。これから向かう先には、身なりを整えるのは必須である。
「着たぞ、ヒデオ殿。これで良いか?」
スーツの上着を着て、ムチムチさんが戻ってきた。
「全然良くありません。髪はどうしたんですか、髪は」
「あっ」
「焦らなくていいので、ちゃんと全部身に着けてきてください。ちゃんと待ってますから」
灰色の髪は、自由なままだった。
これはこれで実に良く似合っている。美人さんは、どんな髪型も似合う。
しかし、これから向かう先ではダメだ。
「待たせてすまない。これで良いか?」
「ええ、完璧です」
うなじの辺りで髪を一つにまとめて、ムチムチさんが戻ってきた。
髪紐代わりにネクタイを巻いている。これで準備完了。
万が一の事を考えれば、サラリーマンのフル装備は必要最低限の保険である。
幸い、これまで一度も、万が一の事態には陥っていない。だが、今日もそうだとは限らない。保険は絶対に外せない。
これで本当に大丈夫なのか、いまだに不安になる。
まさか、保険の効果を確認するために危険を冒す訳にもいかない。安全確認したくても、できない。
大丈夫だと信じる。信じるしかない。
「では行こうか、ヒデオ殿」
「ええ、行きましょう。……ちゃんとお留守番してろよ?」
「「……………………」」
黒夫も魅雪も、不貞腐れたようなムスッとした顔をしていた。
それでも、小さくうなずいて送り出してくれた。
徒歩1分。通勤に便利。
「まってたよ~」
「遅いのである。小さき者よ」
十本首の赤蛇が、大型ステンレスタンクの前に居座っていた。
なんやかんやあって、一応、食客のような客将のような感じのポジションに落ち着いたような気がしないでもない、多分。
「いつも通りの時間だろ。文句言うなよ、ヘビの大将」
「いつも遅いのが悪いのである。我を待たせるなど、不遜極まり無し」
「……あんまり文句言うなら、おかわり無しだぞ?」
「ぬぅっ!?それは言わぬ約束であろうが!」
「いやしてないだろ、そんな約束」
適当に軽口を叩き合う。初日は心臓バクバクものだったが、もう慣れた。
慣れてはいけない気がするけど、慣れてはいけない事でも、慣れれば慣れる。
家との距離は、地味に嫌な近さ。かと言って、下手に離しすぎると、家から見えなくなる。それはそれで不安だ。
正直に言えば、森に帰ってくれるのが一番良いのだが、今の所、帰る気配は無い。帰還の予定は未定。
「はやく~」
「焦るなよ。すぐ注ぐから」
中央の右首は、今日も元気にマイペース。飲む前から酔ってるような雰囲気。
「何かリクエストはあるか?」
「委細、任せるのである。好きにするが良い」
一応、リクエストを聞く。返事は、いつも同じ。
なんか偉そう。実際偉い。人間より魔族より圧倒的格上。本来なら、無礼講なんて絶対に許されない相手である。
相手が偉かろうが何だろうが、知った事か。自分にとっては、酔いどれホームレスのオッサンだ。手加減無用。
「それじゃあ、初っ端から行くぞ。フェア、スピリタス」
「はい。スピリタスです。ますたー」
初手、スピリタス。タンクになみなみ注ぐ。
「「「「「「「「「「やったぁ~!」」」」」」」」」」
十本首、みんな仲良く頭を突っ込んだ。
「「「「「「「「「「ぷっはぁ~!」」」」」」」」」」
タンクは空になった。相変わらず、ペース早い。
「フェア。おかわり」
「はい。おかわりです。ますたー」
タンクにおかわりを注いだ。当然、スピリタス。
「「「「「「「「「「おかわりだぁ~!」」」」」」」」」」
間髪入れず、十本首が頭を突っ込む。
「「「「「「「「「「ぷっはぁ~!」」」」」」」」」」
タンクは空になった。
「ジャンジャン行くぞ。フェア、おかわり連続で注いで。あ、無理はしなくていいからね」
「はい。おかわり連続で注ぎます。ますたー」
今日の酒宴は、まだ始まったばかり。
午後4時半。オーダーストップ。
当店の飲み放題は1時間で終了です。
「ますたー。使用率90%になりました」
「うん。それじゃあストップで」
「はい。ストップします。ますたー」
「ありがとう。お疲れ様、フェア」
フェアに声をかけると、自分の左肩に飛んできて、腰を下ろした。
毎日大変な労働を強いて申し訳無い。頭が上がりません。
「おかわりを所望するのである~」
「聞いての通りだよ。今日はもう終わりだ」
ラストオーダー後も、ご不満のお客様がいらっしゃるご様子。
早く帰ってください。早く帰らせてください。
「飲み足りぬ~」
「早う次を持て~」
「まだまだこれからが本番なのである~」
「然り~」
十本首が、赤い頭をグイグイ近付けてくる。鼻息が荒い。そして臭い。
「臭っ!?息かけんな!」
「カッカッカ~。我の息がクサいはず無かろう~」
「我、知ってるのである~。クサいクサいも好きの内、と言うヤツであるな~」
「照れ隠しであるか~?ういヤツよ~、小さき者よ~」
「いや違うよ!?本当に臭いんだよ!顔近付けるな、酔っ払い!」
「我は酔ってないのである~」
「然り~」
「この程度で酔うような~、軟弱な我では無いのである~。キリッ」
「まだまだイケるのである~。倍はイケるのである~」
「我は3倍でもヨユ~ヨユ~である~」
「次のおかわりを所望するのである~」
「いやだからもう終わりなんだよ!終わり!もう終わりなの!」
十本首がウザい。鱗が赤くてわかりにくいけど、かなり酔ってる。
「ほんとに~?もうおわり~?」
中央の右首が言った。
酔ってるような雰囲気のまま、赤い顔を向けた。
「おかわり、ほしいな~?」
自分の方に、ではない。向いている先にいるのは、ムチムチさんだ。
血の気が引いた。
助けに入ろうにも、自分の周りには九本の首がまとわりついている。
邪魔。助けに入れない。
「……この身を質種のように見なされるのは、甚だ心外というものだ」
巨大な魔物に迫られて、ムチムチさんの顔は青かった。それでも、逃げ腰にはならなかった。美しい姿勢で、毅然としていた。
「どうしよっかな~?」
「好きにされよ。元より覚悟があって、ここに立っている」
「ふ~ん?いいの~?」
「良くは無いが、仕方が無い。……卑小の身だとて、意地はあるのだ。助けは、請わない」
「へぇ~?おもしろいなぁ~?」
無茶苦茶言ってる。
ムチムチさんの言葉を聞いて、中央の右首は目を細めた。
ヘビの表情が読めない。何を考えているのか、わからない。
「……しょうがないな~。きょうは、もうおわり~」
中央の右首が、引いた。
「本当に終わりであるか~」
「飲み足りぬのに~」
「残念~」
「致し方無し~」
他の首も引いていく。
「またあしたね~」
「……ああ、また明日な、ヘビの大将」
血の気が引く一幕もあったが、どうにか無事に日課は終了した。
地面に寝そべる魔物に背を向けて、家路につく。
短い家路の途中、少しだけ愚痴った。
「あんまり危ない事しないでくださいよ。肝が冷えましたよ、あれ」
「貴殿には言われたくないぞ、それ」
「私は別に危ない事してないでしょう。危ない事って言うか、ほぼ何もしてないですよね、自分で言うのも何ですけど。フェアがお酒注いでるの見てるだけですし」
「まったく、よく言う。何かあれば、敵意を一身に引き付けるつもりだろう?あのような言動をして、危なっかしいにもほどがあるぞ」
「いやアレそう言うんじゃないですけど。なんかもう畏まるの面倒なだけです」
「貴殿がそう言うのなら、そう言う事にしておくが……。貴殿一人に無茶をさせないために、無理を言ってついて来ているのだ。それなのに、私のせいで不当な目に遭わせては、女が廃る。私も多少は無茶をするさ」
「ええっ……。やめてくださいよ、そういうの」
「ああ、やめてもいいぞ。貴殿が無茶をやめるなら、な」
「私は無茶してません」
「そうか。では、私のも無茶の内には入らないな。これからも存分にやらせてもらうとしようか」
ムチムチさんは、そう言いながら笑っていた。
笑顔が美しくて、今日も不整脈がキツい。
午後5時。夕飯のメインは、昼間の内に調理済。後は並べるだけ。
「今日の晩ご飯は、イワシの煮付けだ」
「わーい!イワシなのー!」
黒夫と魅雪に手伝ってもらい、さっさと準備する。
電気圧力鍋からイワシを取り出し、深皿に盛る。
豆腐を適当に切り分けて小鉢に入れ、かつお節を振りかける。
浅漬けの素に漬けていた野菜を取り出し、平皿に盛る。
フリーズドライの味噌汁をお椀に入れ、お湯を注ぎ、よく混ぜる。
炊飯器から、ご飯をお茶碗に盛る。
全員分の箸を並べる。
夕飯の支度、完了。
「「「「「いただきます」」」」」
みんなで夕飯を囲む。
「このイワシ、骨がボロボロなの!あっさり砕けたの!ヨワヨワなの!」
「そりゃまあ、そういう料理だからね。……もしかして、マズかった?」
「おいしいの!」
「そう。それなら良かったよ」
電気圧力鍋の真骨頂のメニュー、骨ごと食べられるイワシの煮付け。
ちなみに、調理時間1秒である。1時間ではない。煮込み時間でもない。調理時間、総計1秒である。
電気圧力鍋の蓋を閉じて開けたら、出てきた。イワシも、調味料も、その他諸々の材料も、一切使ってない。
レシピ集に載ってる料理に限って言えば、もはや食材も調味料も不要。塩も不要。レシピ集を見ながら電気圧力鍋の蓋を閉じて開ければ、出てくる。
尚、電気圧力鍋を使わない料理を作る際には、普通に食材と調味料が必要。
「「「「「ごちそうさま」」」」」
夕飯を終えたら、後片付け。食洗器に洗い物を入れ、スイッチを押すだけ。手間いらず。
しばし食休み。この後は、風呂だ。
正直に告白すれば、ラッキースケベを期待していた時期もありました。
そりゃあね、あんな美人さんと一つ屋根の下で生活してたらね、期待もしますよ。期待してない、なんて言ったら嘘になりますよ、そりゃ。
期待はしてたけど、故意でやったら犯罪だし、過失であっても相手には精神的ダメージありそうだし、色々と気を遣って日々平穏な生活を維持してきました。
でもね、過日の自分は、まさかこんな日が来るだなんて、予想だにしていなかったのです。
「……できれば一人でのんびり入りたいんだけど」
「「「ダメ!」」」
という訳で、やっぱりダメらしい。どういう訳なの。
脱衣所まで全員ゾロゾロついて来る。
家の脱衣所は広い。全員入ってもスペースには余裕がある。
スペースの広さが憎い。
「……あんまり見られると脱ぎにくいんだけど」
「そんな事言って、オレが目を離した隙に変な事する気か!」
「ボクが見守っててあげるの。だから安心して脱いでね、おじちゃん?」
「こ、これは必要な措置なのだ。た、他意は無いぞ。ほ、本当だぞ」
「あの、ホント風呂入るだけだから。だからホントみんな出てってくんない?」
「「「ダメ!」」」
衆人環視の中、服を脱ぐ。
服を脱ぐのは、自分一人だけ。
逆ラッキースケベ、ラッキー抜き。どうしてこうなった。
精一杯の抵抗として、腰にタオルを巻いてから下を脱ぐ。小学生時代の水着の着替えを思い出す。
「……………………」
視線が腰のタオルに集中している気がする。気にしたら負けだ。
曇りガラスの扉を開き、浴室に入る。そして、曇りガラスの扉を閉める。
「おじちゃん?なんで閉めるの?開けて?」
「いや見えてるんだからいいよね?曇りガラスなんだから」
曇りガラスの向こう側から文句の声が上がる。でもここは絶対に死守。
普通に体を洗い、普通に髪を洗い、普通に浴槽に浸かる。
普通だ、行動だけは。
「……落ち着かない……」
曇りガラスの向こう側から、視線を感じる。
曇りガラスの向こう側では、全員正座待機。
本当に、何がどうしてこんな状況になっているのか。
「……なあ、黒夫。ちょっといいか?」
「なんだ、ニンゲン」
「どうせなら、お前も一緒に入るか?」
「にゃあっ!?」
「これ落ち着かねえし。もういっそ一緒に入った方が早いだろ、これ。お前も服脱いで、こっち来い」
家の風呂は広い。一般家庭用としては、かなり広い。浴槽の大きさは、詰めれば四人並んで浸かれるくらい。
子供と二人で入る分には、スペースに十分な余裕がある。
さすがに、ムチムチさんと密着しながら混浴したら理性を維持できる気がしないけど、子供と一緒に風呂に入る程度なら、別にどうという事も無い。
自分はノーマルである。ロリコンでもショタコンでも無い。男子小学生なんか完全に対象外である。むしろ、曇りガラスの向こう側で正座待機される方が、妙な気分になる。
「たまにはいいだろ。背中流してやるぞ。どうだ、黒夫?」
「にゃに言ってるんにゃっ!?」
「貴殿は、この状況で、どうしてそう言う事を平然と言えるのだ!?」
「クロオばっかりズルい!クロオが入るならボクも入る!」
「オレ入るにゃんて言ってにゃいぞ!?」
「あー……、まあ、魅雪も入りたいなら、いいよ、入っても」
「ひ、ヒデオ殿!?本気で言っているのか!?」
「ええ、まあ、いいんじゃないですかね」
「そ、そんな……。な、ならば、私も――」
「いやムチムチさんはダメですよ」
「何故だ!?」
「いや何故って、ダメに決まってんでしょ……。で、どうする、黒夫。入るか?」
「ボク入る!」
「だだだダメにゃあっ!一緒に入るなんてダメにゃああああああああっ!」
曇りガラスの向こう側で、何故か騒ぎが起こっていた。何故だ。騒ぐほどの事か。
たまには男同士で風呂に入るのも良いだろう、とかちょっと思っただけなのに。
気分的には、息子と一緒に風呂に入りたがる父親的な。こんな大きい息子がいるような歳じゃないし、そもそもまだ結婚すらしてないけれども。
結婚して混浴したい。いや違うそうじゃない。
「ますたー。僭越ながら、今の発言は極めて軽率であるように思われます」
「うっ……軽率かぁ……難しい時期かもなぁ……」
ダメ出し食らった。
浴槽の端に腰かけ足湯しているフェアが、若干ジト目だった。少し凹む。
黒夫は、まだ思春期の反抗期には早い。だが、父親と風呂に入るのを嫌がるくらいには自立心や羞恥心が芽生えていても、おかしくない。いや父親では無いけれども。
多感な時期の子供は、色々と面倒臭いものだ。風呂に入るように言ったのは、無神経だったかもしれない。反省しよう。
「……とっとと出るか……」
元々、自分は長湯するタイプじゃない。もう体も洗ったし、リラックスできない風呂に用は無い。
浴室内で大雑把に体を拭き、タオルを絞って、腰に巻き直す。
曇りガラスの扉を開けて、脱衣所に戻る。
「おじちゃん、もう出てきちゃったの?」
「なんで出てきた!?オレと一緒に入るんじゃなかったのか!?」
「いや、入らないって言ってたじゃねえか、お前」
「そ、それは、言ったけど、言ったけど!なんで出てくるんだよ!」
「……ヒデオ殿、この仕打ちはあんまりだと思うぞ。擁護しかねる」
「いや何が!?風呂入って出ただけだよ俺!?」
出たら出たで騒がしい。何なのよ。
風呂の件は、まあ別にいい。いや本当は全然良くは無いのだが、ここから先の問題に比べれば些事だ。
「……あの、一人で寝たいんですけど」
「「「ダメ!」」」
ダメらしい。
風呂に入り、歯も磨き、芋ジャーに着替え、後は寝るだけ。
2階の主寝室に全員ゾロゾロついて来る。全員で主寝室に入る。
一人で部屋に入って鍵を閉めたりすると、ドアが『勝手に取れちゃった』りする。一人で寝られない。
「……みんなで寝るには、このベッド、狭いんじゃないかなぁ?」
「「「えっ?」」」
ダメ元で言ってみた。
三人揃って首を傾げた。
「何言ってるんだ、ニンゲン?こんなに大きいんだから平気だろ?」
「すっごいの。王様みたいなの」
「ここまで見事な寝具は、そうあるまい」
「……そうですね」
ベッドは、円形の超ビッグサイズ。キングサイズを超えた、石油王サイズ。全員で寝ても余裕がある。
そりゃそうである。数日前、フェアに頼んで新調したんだから当然である。わざわざ新調したのである。こうでもしないと、本当に狭いベッドにギュウギュウに密着して寝る羽目になるんだから、しょうがない。
いや、前のベッドもクィーンサイズくらいあったけど。一人で寝る分には十分広かったけれども。何なら、すぐ横で子供二人寝てても、正常な夫婦生活くらいならギリギリ可能な程度には広かったけれども。
ちなみに、この円形ベッド、ちゃんと電気設備である。
このベッド、スイッチを入れると回転する。他にも、ムーディな音楽が流れたり、ピンク色のライトが光ったりする。小さな収納スペースまで付いていて、サバイバル時に水筒の代わりになる樹脂製品が完備されている。
どこで使う電気設備なのかは、考えてはいけない。
「「「ジャンケンポン!あいこでしょ!あいこでしょ!あいこでしょ!」」」
考えてはいけない事を考えそうになっている内に、もう勝負は始まっていた。凄く白熱していた。
「「勝ったーっ!」」
ついに勝者が決まった。小さな拳を天に突き上げた二人が、一片の悔いも無さそうな笑顔を浮かべていた。
「この大一番で負けてしまうとは……無念……っ……」
敗者が自らの腕をつかみ、うなだれている。フォークボールを打たれてサヨナラ負けした高校球児みたいに、後悔まみれの顔してる。
「……助かった……」
数日前の、悪夢の一夜を思い出す。
そう、あれは正しく悪夢の一夜だった。
ムギュッと押し付けられる、暴力的やわらかさ。理性は崩壊寸前に陥り、すぐ横で寝ている子供達の存在を無視してしまいそうになった。
急遽ベッドを新調し、ムギュッとならずに寝られるスペースを確保した事で、どうにか事無きを得た。それでも結構ギリギリの、危険が危ない悪夢の一夜だった。
幾度、すぐ隣に聳え立つ雄大な山脈に挑戦しそうになった事か。
雄じゃないのに、本当に大変素晴らしい雄大さで、チャレンジ精神を大変刺激されて大変だった。
子供達と一緒に寝ているせいなのか、当の本人は警戒心ゼロだし。危機感が無さすぎる。しかも、無防備な寝顔が殊更魅力的とか、本当にタチ悪い。勘弁して。
今夜は、大丈夫だろう。子供達が壁だ。手を伸ばしても物理的にブロックされる。
正直、これで良かったと少しホッとしている。安心1割、残念9割くらいの配分で、少しホッとしている。
今夜に限って言えば、問題は無事に回避された。
明日の夜は知らん。明日の事はまた明日考える。
「ほら、もう灯り消すよ。横になって」
「「「はーい」」」
夜更かしは良くない。子供の成長にも、女性の美容にも良くない。男は寝不足だろうが徹夜だろうが別にどうでもいい。
現状、自分が起きていると一緒に起きようとしてしまうので、一緒に寝る。しょうがない。
ベッドに上がる。四人分の体重がかかり、わずかにギシッギシッと音が鳴った。
これは一応、自分の部屋の自分のベッドだ。堂々と真ん中に寝転がる。
左右から挟むように、黒夫と魅雪が位置取り。左右から見守り体勢。
ムチムチさんは、黒夫の向こう側に横になった。
「フェア、照明のリモコン取って」
「はい。照明のリモコンです。ますたー」
天井の照明をオフにする。ベッドの足元の間接照明だけが薄ボンヤリ光っている。自分の頭の少し上の辺りに、フェアが横になった。
「「「「「おやすみなさい」」」」」
こうして、今日も一日が終わる。
こうして、今日も一日が終わってしまった。
「……どうにかしないとなぁ……」
元の世界に帰るための電気設備。世界を渡る絨毯。
この1週間、バッテリーの充電は1回もできていない。
この困った事態をどうにかしないと、帰れない。




