58.電設のヒデオさん、胸焼けする。
「ほとんど見てねえ!?」
気付いたら、2時間経ってた。
「なんだ、もう終わりか?早いな?」
「全然見てなかったクセに何言ってんだ。ほら、もう終わったんだから降りろ」
脚を動かして、膝上の黒夫を追い立てる。
2時間乗りっぱなしだったが、勇者級の頑丈さのおかげで脚に痺れは無い。
体温が離れていく。少しだけ寒い。
「もう終わりましたよ。離してください」
「……そうか……ようやく終わったのか……」
「……やっと終わったの……長かったの……」
ホラー映画の苦手な人がホラー映画から解放されたような雰囲気を出しながら、魅雪とムチムチさんが離れた。
両腕が解放される。久しぶりの自由を獲得して、動きが軽い。
しかし、自由と引き換えに、柔らかさと温もりは失われた。
さみしい。
自由とは、さみしい。
いやこれは寂しがってはいけない気がする。
「フェアも、もう降りて」
「はい。ますたー」
頭の上から、フェアが降りる。
ふわりと軽やかに舞い、膝の上に乗った。
小さい体で、下からジッと見上げてくる。
「ますたー。わたしのご用意したポップコーンはおいしかったですか?」
いつもの可愛いニコニコ笑顔で、フェアが聞いてきた。
正直に言うなら、おいしいけど甘すぎた。
口の中が甘ったるいキャラメル味で埋まっていて、少し気持ち悪い。胸焼けがする。原因の9割方は、黒夫が調子に乗ってドンドン詰め込んできたせいだけど。
フェアにわざわざ悪評を言う必要は無い。
甘すぎるとは思ったが、おいしかったのは事実だ。それだけ伝えれば良い。
「おいしかったよ、フェア」
「ますたー。本当においしかったのですか?」
「もちろん。本当においしいポップコーンだったよ」
「そうですか。おいしかったのですか。わたしのご用意したポップコーンを食べさせられて、おいしかったのですか。わたしのご用意したポップコーンを、わたし以外の手で食べさせられたのに、おいしかったのですか。わたし以外の手で、わたし以外の、わたし、わたしがご用意したのに、わたしが、わたしの、わたし、ますたーのためにご用意したのに、わたしのますたー、わたし以外の、わたし、わたしの、わたし以外の手が、わたしの、わたし、わたしだけの、わたしのますたー、わたし以外の手、わたしが、わたしのますたー、わたしの、わたしだけのますたーにしなければ、わたしだけのますたーにするためには、わたしのますたー、わたしの手で、いっそ――」
「ポップコーン超おいしかったなー!フェア、ポップコーンおかわり!」
「はい。ポップコーンおかわりしました。ますたー」
「はははっ!ありがとう、フェア!やっぱりフェアは凄いね!」
「えへへー」
何故だろう。背筋が凍る。ホラー映画はもう上映終了しているはずなのに。
「せっかくだし、フェアも食べて」
「はい。いただきます。ますたー」
まるでリンゴをかじるみたいに、フェアがキャラメル味のポップコーンを食べる。ニコニコとおいしそうに食べている。
良かった。いつもの可愛いフェアだ。可愛い。
背筋が凍るような気がしたけど、きっと気のせいだったに違いない、多分。
「せっかくだし、黒夫も食うか?お前、食ってないだろ。俺に食わせるだけで」
ポップコーンをひとつ手に取った。
「ほれ、今度はお前の番だぞ。あーん、しろ」
「にゃあっ!?にゃにを言ってるんにゃあっ!?」
「ほいっと」
黒夫は大袈裟なほど驚いていた。
うろたえ、手をバタバタさせ、大口開けて騒いでいる。その口に放り込む。
「んにゃっ!?」
「どうだ、黒夫?」
「……あまいにゃぁ……」
「そりゃそうだろ。キャラメル味だしな。ほれ、もうひとつ行くぞ。あーん」
「……あーん……」
今度は素直に口を開けた。
今度はそっと入れる。
「……んっ……ニンゲンの味がするにゃぁ……」
「んな訳あるか」
指で数秒持っていただけで、味が移るとは思えないけど。
それとも、黒猫の獣人の舌なら、本当に感じ取れるのだろうか。
異世界の異種族の味覚について考えていたら、両肩に左右から手が置かれた。
軽く置かれただけのはずなのに、何故か異様な重圧感。
「おじちゃん。クロオばっかりヒイキするの、ズルいの」
「ヒデオ殿。私としては、極端な待遇の差というものは周囲に大変良くない影響をもたらすと思うのだが、貴殿はどう思う?ここは是非とも、貴殿の見解を聞きておきたいところだな」
魅雪とムチムチさんだった。
お二方とも、大変ご不満なご様子。
ご意見、ごもっとも。
「不公平は良くないですね。魅雪も食べる?」
「うん!あーん!」
「えっ?いや、あの、魅雪?できれば自分で取って食べ――」
「あーん!」
魅雪が元気良く口を開けている。
謎の重圧。
勇者は膝を屈した。
「……はい、魅雪。あーん」
ポップコーンをひとつ取り、そっと入れた。
「あむっ」
「ちょっ」
入れようとして、指ごと食べられた。
「あむっ、ぺろっ」
「み、魅雪!」
「んっ……。ごちそうさまぁ」
指先を一舐めして、すぐに指は解放された。
すぐに解放されたが、小さな舌に舐められた感触が、今もまだ指にネットリ絡みついている気がする。
妙な気分にさせられる。
妙な気分になるようは事では無い。
別にそこまで変な事では無いはずだ。子供が目測を誤って、食べ物を指ごと口に含んでしまう事は、それほど珍しくない。
魅雪も、別に他意は無いはずだ。ホンの少し指が口の中に入って、ホンの一舐めされただけだ。きっと目測を誤ったに違いない、多分。
「くふふっ……。おじちゃんの味、おいしいの」
「ポップコーンのキャラメル味だよ?おいしいのはポップコーンのキャラメル味の事だよね?味の感想は正しく言おうね?」
小さな唇を舌なめずりしている。
まるで、何かの余韻を愉しむかのように、ゆっくりとした舌の動きで小さな唇を舐めている。
見ていると変な気分になりそう。
変な気分になったら絶対にマズい。
「そ、そう言えば!……ねえ、魅雪、角は大丈夫?」
真面目な話で精神を立て直す。
地下室に避難する前、黒夫と魅雪は異変を鋭敏に感じ取りすぎて、調子を悪くしていたはずだ。あれが今どうなっているのか気になる。真面目に気になる。
「どう?まだ痛む?」
「ううん、もう痛くないよ。でもキピキピするの」
「ええっと……。それは、まだ嫌な感じがするって事?」
「うん。少しするの」
とりあえず、痛みが治まって良かった。
感想が抽象的すぎて読み取りにくいけど、最初よりはマシになっているようだ。
「黒夫はどうだ?耳、大丈夫か?」
「んー……、まだ何か耳の奥で響いてて、変な感じだぞ」
「嫌な感じはするか?」
「……する。ちょっとだけ」
ここは防音対策されたホームシアターの中。外部から物理的な音が届いているとは思えない。
おそらく、獣の勘のようなもので何か感じ取っているのだろう。
今から2時間前に様子を見た時には、十本首の赤蛇は強い怒りの感情に支配されていた。鈍い自分にも感じ取れたくらいだから、相当だ。
今の黒夫と魅雪の反応からして、怒りは一段落付いたと推測される。怒りの原因はすでに排除済と考えていいだろう。2時間あれば、片が付くには十分すぎる。
怒りの原因を排除し終え、まだ消えきらない残り火を抱えている状態だろうか。
人間なら、よくある事だ。怒りに限らず、感情を激しく揺さぶられると、原因が取り除かれても鎮まらない。いずれは鎮まるが、しばらくは余韻が残る。
良くも悪くも、知能の低い動物は感情を引きずらない。
なまじ知能が高い動物ほど、感情を引きずりやすくなる。
普通のヘビならすぐに忘れてしまいそうだが、十本首の赤蛇は頭の数が多い分、引きずりやすいのかもしれない。
人間でも、怒りの残り火は面倒なものだ。油断すると、ちょっとした事で残り火が再炎上し、八つ当たりされかねない。
人間の八つ当たりでも面倒なのに、ましてや十本首の赤蛇の八つ当たりとか、絶対に受けたくない。
「……また引きこもるか……」
急ぎの用事は無い。時間は余っている。奇襲部隊をやり過ごした時のように、地下で静かに過ごせばいい。
黒夫と魅雪が完全に嫌な気配から解放されるまで、しばらく地下で我慢してもらおう。
「念のため、警戒だけは必要かな……。ねえ、フェア。防犯カメラを南に向けて、映像をスクリーンに出してくれる?」
いつのもように、フェアに頼んだ。
「……いいえ。それは出来かねます。ますたー」
拒否られた。ポップコーンをかじりつつ、そっぽを向いてツーンとしていた。
拒否り方が可愛い。まあそれはともかくとして。
「あの、フェア?」
「ますたー。わたしの手は今、ポップコーンを食べるために塞がっています。わたしの手は塞がっていますので、要請には応えかねます。わたしの手が塞がっていなければ、きっと要請に応えられる事でしょう。わたしの手さえ塞がっていなければ」
「……………………」
なんか遠回しに催促された。
ポップコーンをひとつ手に取り、フェアの方に差し出す。
「……あの、フェア?もう両手空いてない?」
「いいえ。それは気のせいです。ますたー」
ポップコーンを取るために目を離したホンの一瞬の内に、食べかけのポップコーンは消えていた。どこに消えたのか謎だ。
ポップコーンの行方とか、今はどうでもいい。
「……フェア、あーん」
「あーん」
フェアの小さな口が、ポップコーンをかじった。
「えへへー。ますたーの味がします」
「いやキャラメル味だよ?」
可愛い。
可愛いけど、今は他に優先する事がある。
「フェア。お願い」
「はい。防犯カメラを南に向けて映像をスクリーンに出しました。ますたー」
ポップコーンを小さな口でかじりながら、フェアが要請に応えてくれた。
ホームシアターのスクリーンに、家の南方の様子が映し出された。
「っ、縄張り帰ってねえ!?」
遥か南の方角に、一際目立つ、赤。
防犯カメラの映像に、ハッキリ映っている。無味乾燥な無人の荒野で、その赤い点は異物として酷く目に付いた。
十本首の赤蛇が、山の麓に下りてきている。すでに怒りの原因が排除されているはずなのに、山脈の向こうに帰っていない。
「……まさか、トレイン……いや、違うか……?」
一瞬、まだ怒りの原因が残っているのかと思った。その可能性は即座に否定した。
原因を追いかけて来ていると考えると、黒夫と魅雪の反応がおかしい。二人とも、過剰な反応はしていない。魔物の怒りは、すでに一段落付いているはず。
もう原因は残っていないはずなのに、どうして縄張りに帰らないのか。
「ひ、ヒデオ殿。き、気のせいかもしれないのだが、その……、ち、近付いて来ているように見えるのだが……?」
ムチムチさんが、ホラー映画の登場人物めいた台詞を吐いた。不吉すぎる。
「は、はははっ……。き、気のせいでしょう。気のせいですよ。ええ、気のせいに決まってますよ。はははっ……」
自分は、ホラー映画の楽観的な犠牲者めいた返事を返した。楽観的で何が悪い。
来ない。きっと来ない。
「し、しかし……」
「や、やめてくださいよ、変な事言うの。そ、そんな事より、ムチムチさんも食べます?」
ホラー映画なら、ここで明るい場面を差し込むのがお約束。最期の日常風景。
ポップコーンをひとつ手に取り、冗談半分で差し出す。
「せっかくだし、あーん、しますか?なんて――」
「あむんっ!」
食い付かれた。指ごと食われた。むしろ指を食べる勢い。
この人、ホラー映画よりも恐ろしい事を平然とやってのける。理性が痺れる。
男の理性が完全に麻痺したら、下手なホラー映画の怪人よりタチ悪いのに。
下手なホラー映画の第一犠牲者よりも警戒心が無い人である。
「ひへほほほのあひはふるほ」(訳:ヒデオ殿の味がするぞ)
「指くわえながらしゃべらないで!?」
慌てて指を引き抜いた。
引き抜いても、指に艶めかしい感触が生々しく残っている。
口唇と舌の熱。やわらかさ。ぬめり。ざらつき。
指を濡らす唾液を見て、変な葛藤が生まれた。いい歳こいて、女子のリコーダーに誘惑される男子小学生の気分を味わう。
マズい。これはマズい。深刻な事態を前にして、ちょっと場を和ませようというくらいの軽いノリだったのに。
完全に意識持ってかれた。
率直に言って、十本首の赤蛇とか、もうどうでもいい。もうどうでもいいとしか思えない。至極どうでもいい。
これは良くない。非常に良くない傾向だ。
常識的に考えて、どうでもいいはずが無い。最優先の警戒対象だ。
常識なんか、どうでもいい。最優先はあーんだ。あーんが最優先だ。
自分は今、混乱している。混乱している自覚があるのに、混乱から抜け出せない。
ムチムチさんにあーんするんじゃなかった。
「ますたー。まだまだありますよ。たくさんありますよ」
「ボク、もっと欲しい。ドロッとしてて白くておいしいの、もっと、お口に入れて?」
「美味ではあるが、ひとつでは満たされないな、これは。……だ、だから、その、おかわりをくれないか?」
「オレはどっちでもいいけど。ニンゲンがどうしてもって言うなら、またもらってやってもいいぞ?」
誰もスクリーン見てない。
勇者は混乱している。妖精は混乱している。魔族は混乱している。
「……はい、あーん」
「「「「あーん」」」」




