57.電設のヒデオさん、大丈夫。
ただ待っているだけというのも落ち着かない。
できる事がほとんど無くとも、全く無い訳では無い。
できる事がほとんど無いからこそ、できる事くらいはしておかないと気が済まない。
「ニンゲン、やめた方がいいぞ」
「ジッとしてた方がいいよ、おじちゃん」
「大丈夫だよ。ちょっと様子を見てくるだけだよ。すぐ戻るよ」
台風の日に田んぼの様子を見に行く老人みたいな台詞を吐いてしまった。
でも別に危険な事をしに行く訳では無い。南の方には一歩も近付かない。そもそも家から一歩も出ない。
行くのは屋上だ。
「ムチムチさん、後は頼みます。まあ、すぐ戻りますけど」
「本当にすぐ戻ってくるのだな?こっそり出歩いたりしないな?」
「しませんよ。本当に、ちょっと屋上行って、ちょっと様子見てくるだけです」
三人を地下室に一時避難させ、屋上に上がる。
「ますたー。この行動は推奨できません」
「ちょっと様子を見るだけだよ。他には本当に何もしないから。ちょっと見たらすぐ戻るから」
フェアにまで言われてしまった。
引き返そうか少し悩んだが、どうしても気になってしょうがない。
そのまま屋上に出た。
「フェア、これ調整できる?さっき光が見えた辺りが見たいんだけど」
「はい。調整しました。ますたー」
フェアに頼んで、天体望遠鏡の向きと焦点を調整してもらう。目標地点は、リビングの窓から水色の光が見えた辺り。
レンズを覗き込む。特に何も無かった。
「うーん……何も見えないな……」
よく考えてみたら、何も見えないのは当たり前だった。
ヘビの魔物がいるのは、山脈の向こう側。
水色の光が弾けたのも、山脈の向こう側。
こちら側から見えたのは散乱光の一部だろう。光源は物理的に見えるはずが無い。
変に焦って、無駄な事をしてしまった。
台風の日に田んぼの様子を見に行く老人も、今の自分と似たような気持ちだったのだろうか。
「……しょうがない。もう戻るか――……っ……!?」
戻ろうとした矢先。峰を越えて、こちら側に来るものが見えた。
「……やっぱりあいつらかよ……」
オッサンだった。個人識別できるほど奇襲部隊の顔を覚えていないが、時期的に他にいないだろう。
人間のオッサンが数名、峰を越えようとしていた。
「……っ……」
ゾワリッとした。
背骨の上を冷たい感覚がなぞる。
見えないが、わかる。
まだ見えていないが、わかる。
何か、いる。
次の瞬間、峰の向こうから赤いものが見えた。
「……ヘビの魔物……あれが……!?」
ヘビの頭がヒョッコリ出た。
赤い鱗。赤い瞳。赤い舌。一口で人間を丸のみできそうな巨大な口。
鎌首をもたげた巨大な赤い頭が、峰の向こう側から、逃げるオッサンを見下ろしていた。
「っ、ヘビじゃねえ!?いやヘビだけれども!?」
ヒョコッ、ヒョコッ、ヒョコッ。
ヘビの頭が、峰の向こうから次々と顔を出す。
そしてついに、本体が峰を越え、こちらに来た。
十本首の赤蛇だった。
「あんなのにケンカ売るとか馬鹿じゃねえのか!?」
平和ボケしていた鈍感な生存本能が、全力で悲鳴を上げている。
自分に向けられた訳でも無いのに、わかる。
十本首の赤蛇、怒ってる。超怒ってる。オッサン達に凄まじい怒りを向けている。
魔物にとっては、人間は羽虫だ。
部屋に入り込んだ羽虫を鬱陶しいと思う事はあっても、怒りや憎しみは向けない。
部屋から出て行った羽虫を追いかけたりしない。本来なら。
たかが羽虫を追いかけてでも駆除しようとするくらい怒り心頭になるなど、普通ではあり得ない。
「何やったら怒らせられんだよ、あんなの!?」
ヘビの怒りポイントとか謎すぎる。オッサン連中、何をやったのか。
ふと、遠縁のオバサンの離婚騒動の原因を思い出した。期間限定、数量限定、購入のために1時間かけて並んだという高級プリンを夫に勝手に食べられたから離婚、とかいうクソ馬鹿馬鹿しい話だった。
こう言っては悪いが、専業主婦が一人だけ高級プリン食おうとするな。せめて家族全員分は買っておけよ。子供の分すら買ってないって、どういう事なのよ。
まあそれはともかく。もしも夫が高級プリンを食べたのではなく、ハエが高級プリンに止まって食べられなくなったのだとしたら、どうなっただろうか。あのオバサンなら、たかがハエ1匹を駆除するために、地の果てまででも追いかけそうだ。
古今東西、食べ物の恨みこそ、普遍にして不変。
魔物の地雷は知らないが、きっと十本首の赤蛇も、食べ物の事なら怒るのではないだろうか。
もしかしたら、十本首の赤蛇は今、高級プリンを食べ損ねたオバサン状態みたいになっているのではないだろうか。
「……なんか、急に怖くなくなったな……」
生存本能が急速に鳴りを潜めた。背中の不快感、すっきり解消。
これは良くない傾向だ。頭ではわかっていても、どうにもならない。
サボりを決め込んだ生存本能は、もう仕事をする気が無いらしい。
変に冷静になった目で、天体望遠鏡を覗き込む。
元より様子見のために屋上に来たのだから、サボってる場合では無い。
十本首の赤蛇の様子を観察する。
鎌首をもたげて前進する、十本首の赤蛇。怒りのせいで赤いのか、通常モードでも赤いのかは不明。
巨体のせいか、動きが遅く見える。モッサリした動きで、人間のオッサンの逃走スピードと同程度のスピードで前進している。
頭の高さは、オッサンの体長の5倍より少し高い程度。目算10mくらい。元の世界には、ここまで大きい陸生生物はいない。
これが、異世界の魔物。
「……思ったより小さい……それに、なんかノロい……」
変に冷静になった目で見れば、意外と小さい。
人間にも魔族にも、どうにもできない存在だと聞いていたから、もっとどうしようも無いくらい超巨大な生物の姿を想像していた。
口から放射能を吐き出す某怪獣クラスを想像していたのに、実際に出てきたのは、某人型ロボットの1/1立像の半分程度である。
酷いガッカリ感。こんなのが、異世界の魔物。
十本首の赤蛇は、想像よりは小ぶりな巨躯。勇者級の身体能力全開でぶつかれば、どうにかできそうに見えた。
そんなアホな考えは、数秒後、消し飛んだ。
「げっ」
十本首の内の一本が大口を開けた。
数秒の溜めの後、喉の奥から水色の光が溢れた。
そしてオッサンは石像になった。
放射能は吐かないようだが、石化のブレスは吐くらしい。
「……状態異常持ちかよ……しかも石化って……無理ゲーだろ、あんなの……」
石像のオッサンが斜面を転げ落ちる。
その先は見たくなかったので、視線は十本首の赤蛇に戻した。
全く無関係な話だが、もしも富士山の山頂からマネキン人形を落としたら、どうなるのだろうか。
全く無関係な話だから、今は考えない。
レンズの向こう側では、残りのオッサン連中が必死で山を下っていく。その後ろを十本首の赤蛇が追いかける。
再び、大口が開く。数秒の溜めの後、喉の奥から水色の光が溢れ、別のオッサンが石像になり、転げ落ちていく。
三度、大口が開く。数秒の溜めの後、喉の奥から水色の光が溢れ、また別のオッサンが石像になり、転げ落ちていく。
必死の形相で逃げていたオッサンの一人が、急ぎすぎて足を滑らせた。転ぶ途中で水色の光がぶつかり、石像となって転げ落ちていく。
ここまで見た所で、限界が来た。
「……ぅうっぷ……」
気持ちが悪い。
天体望遠鏡を放置して、屋内に戻る。
「ますたー。ご無理をなさらないでください」
「はははっ……。別に無理なんてしてないよ、フェア」
「ですが――」
「ちょっとお昼を食べすぎちゃっただけだよ。流しそうめんって、ペース配分難しいね。はははっ……」
グロい映像では無かった。気持ちが悪い。
「ますたー」
「そうめん、おいしかったからね。フェアのおかげだよ。ありがとう。でもちょっと調子に乗って食べすぎちゃったかな。はははっ……」
客観的に見れば、山から石が転がり落ちるだけの映像だった。気持ちが悪い。
血の一滴も流れていない。どんなホラー映画よりもショボい。気持ちが悪い。
「ますたー」
「ホント大丈夫……っ……だって。心配いらないよ」
そうめんが喉元までせり上がってきた。
飲み込む。飲み込めた。だから大丈夫。問題無い。
「ただいまー」
そのまま地下室に入る。大丈夫。問題無い。
「に、ニンゲン?だ、大丈夫か?」
「おじちゃん?大丈夫?」
「うん。大丈夫だよー。心配いらないよー。……あの分なら、こっちには来ないよ、絶対にね」
大丈夫。問題無い。
あのオッサン連中は全滅する。当初の想定通りだ。最初から、わかっていた事だ。
奇襲部隊は、一兵たりとも生きては戻れないだろう。
十本首の赤蛇が、一兵たりとも生きては逃がさないだろう。
「ヒデオ殿」
「本当に大丈夫ですよ。様子を見てきましたが、ここまでは来ません。ですから、そんなに心配そうな顔しないでください。大丈夫です」
大丈夫。問題無い。
そもそも、生きて山越えできたオッサン自体、数名しかいなかった。
あの調子では、山の麓にすら辿り着けないだろう。
ましてや、ここまで逃げ延びるなど、あり得ない。
つまり、ここまで十本首の赤蛇を引き連れてくる事は、あり得ない。
その前に終わる。一安心だ。だから大丈夫だ。
「ますたー」
「ニンゲン」
「おじちゃん」
「ヒデオ殿」
「大丈夫だとは思いますけど、まあでも一応念のため、もうしばらく、ここにいましょうか。防音ですし、ここにいれば更に大丈夫でしょう。ちょっと心配しすぎかもしれませんけど」
大丈夫。問題無い。
遠からず、十本首の赤蛇は怒りを鎮めるだろう。
怒りの原因が全て消えれば、魔物は縄張りに帰るだろう。
「ここにいれば大丈夫。うん。大丈夫、大丈夫」
大丈夫。問題無い。何の問題も無い。だから大丈夫。大丈夫だ。大丈夫。大丈夫。
「よぅし!映画見るぞー!ただ待つのもヒマだしなー!」
大丈夫だから、映画を見る。
DVDラックに向かい、ほとんど見ずに勘だけで適当に一本抜き取った。
「おっ、こいつは怖い奴だぞー?チビどもは大丈夫かなー?」
某ホッケーマスク怪人が金曜日に暴れるホラー映画シリーズ。その第1作目。
ちなみに、彼女のメインウェポンは鉈である。チェーンソーではない。
「せっかくだし、今日はポップコーン食べながら見るかー!フェア、ポップコーン補充!」
「はい。ポップコーン補充しました。ますたー」
家庭用ポップコーンメーカーにポップコーンを補充。
準備完了。
「それじゃあ、始めるよー」
DVDセット完了。ソファに座り、映画鑑賞の体勢。
「ほらほらー。もう始まるよー。みんなも座って座ってー」
「「「「……………………」」」」
他のみんなは、何故か互いに見つめ合い、目だけで会話していた。
目だけで意思疎通して、お互いだけで理解し合い、何かをうなずきあっていた。
こちらの呼び掛けに応えてくれない。凄い疎外感。
さみしい。
「勝っても負けても恨みっこ無しだ。皆、良いな?」
「当然だろ」
「いざ尋常に勝負なの」
「ますたーに勝利を捧げます」
「いやあの皆さん一体何をなさっておいでなのでしょうか?」
「「「「ジャンケンポン!」」」」
そして始まるジャンケン大会。
「にゃははははっ!」
そして一発で勝者決定。Vサインを高らかに掲げて高笑いしてる。
「ぬぐぅっ……私はパーだ……っ……」
「どうしてボクはパーなの……」
「ますたー。わたしはパーです……」
両手の手のひらを広げ、敗者が無念そうに顔を覆ってる。
「……あの、もう本当に映画始まるんですけど」
「「「「……………………」」」」
呼び掛けると、今度は反応があった。
全員がソファに近付き、そして座った。
「……あの、なんかこれ、見にくいんですけど」
「「「「……………………」」」」
右腕にムチムチさん。左腕に魅雪。膝の上に黒夫。頭の上にフェア。
上下左右が固められた。ホームシアター・グランドクロス体勢。
「……あの、これ、ポップコーン食べられないんですけど」
「ふんっ。まったく、ニンゲンは世話が焼けるな。そんなに食べたいなら、特別に食べさせてやるぞ。……ほら、あーん」
「えっ?あの、黒夫?お前、何して――」
「あーん、だぞ。あーん」
「い、いや、だから、お前、何を――」
「あーん、しろよ!早く!ほら早く!あーん、だぞ!あーん!」
「あ、はい。……あーん……」
口の中に、ポップコーンが入った。
甘い。
キャラメル味だ。
「ええっと……。何してんの、お前?」
「し、しょうがないだろ!ジャンケンの結果なんだから!お、オレだって、ほ、ホントは嫌なんだぞ!」
大腿筋の上に、やわらかい感触が乗ってる。
マズい。これはマズい。乗ってるのは男なのに、何故か血液が集中しそうになってる。すでに半分くらい血液が集中してる。
いくら第二次性徴前の、硬く筋肉質になる前の身体とは言え、これは極めて非常に大変マズい。男のケツのせいで血液集中は絶対にマズい。
扉が開きそう。その扉、決して開けるべからず。
「……嫌なら無理して膝に乗るなよ」
「う、うるさい!ニンゲンめ、余計な事を言うな!そんな口には、これでも詰めとけ!……ほら、あーん」
「……あーん……」
甘い。凄く甘い。えらく甘い。めっちゃ甘い。そして、とても甘い匂いがする。
キャラメルの甘い匂いの中に、何か別の甘い匂いが混じっている。鼻の穴をふくらませて深呼吸したくなるような、理性をトロかす甘さ。
満員電車で女性の髪の匂いを嗅ぐ痴漢のオッサンも、今の自分と似たような気持ちだったのだろうか。
理解してはいけないものを理解しかけている気がする。
これは良くない。とても良くない。良い匂いだからこそ良くない。
「……なあ、黒夫?本当に降りていいんだぞ?」
「言っただろ!これはジャンケンの結果なんだよ!みんなパーだったんだから、しょうがないだろ!みんなパーだったんだから!」
ギュウッと両腕に圧迫感。
右腕が、美女の胸部に完全ホールド。極楽浄土に行きそう。
左腕が、鬼女の剛腕に完全ホールド。御臨終しそう。
そして頭頂部には、毛根が次々と死を迎えている感覚がある。
「……わたしは要請に応える、応えられない、応える、応えられない、応える、応えられない、応える、応えられない、応える、応えられない……」
「髪の毛で花占いしないで!?」
痛みは無い。でも止めて欲しい。勇者級の身体能力があっても、毛根の強度や成長速度は普通の成人男性(25歳)相当。若ハゲは嫌だ。
「ああっ!?もう映画始まってる!序盤大事!ちゃんと見て!」
「ほら、次いくぞ、ニンゲン。あーん、しろ」
「いや見ろって言ってんだよ!?」
気付いたら、気持ち悪くなってる暇も無かった。
青い顔して大丈夫を連呼する全然大丈夫には見えない人が四人がかりで元気付けられて大丈夫にしてもらうの図




