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50.電設のヒデオさん、勉強する。


大丈夫じゃなかった。



「……ふっ……ふふっ……私の存在など……必要では無いのだ……必要とされていないのだ……ふふふふふふふふっ……」



あの夜が明けてから、すでに1週間。


ムチムチさんの様子がおかしい。延々とおかしい。


リビングの窓を開け、縁側に座るみたいにして足をブラブラさせている。


虚ろ気な目をしてブツブツ呟いたり、虚ろ気な笑いをこぼしたり、虚ろ気に上を向いたり下を向いたり、とにかく虚ろ気だ。


この1週間、ずっとそんな感じで過ごしている。




それはそれとして。薄幸の美人というのは絵になる。


陽光の下、陰を纏う超絶美女。実に良い。ずっと見ていられる。


いつも服装だけはキッチリしている人なのに、今は割とラフな格好なのも、なかなかポイント高い。


スーツの上着を脱ぎ、ワイシャツの胸元のボタンは外されている。髪紐代わりのネクタイをほどき、自由になった灰色の髪が風に吹かれて流れている。


そして何より、平和なのが良い。


この1週間、家電は一度も壊れていない。実に平和な1週間だった。


なんかちょっとだけ、もうこのままでもいいかなって気分になる。



「野菜スティックです」


「……ふふっ……私など……この野菜よりも必要とされていないのだ……ふふふふふふふふっ……」



いつもの間食を差し入れる。


虚ろ気に笑いながら、大根ポリポリかじってる。


もうこのままでもいいかなって気分になる。


冗談半分でそんな事を考えていたら、腰の辺りをグイグイ引っ張られた。



「ニンゲン」


「おじちゃん」



力尽くで引きずられ、廊下に引きずり込まれた。そして詰め寄られた。



「お姉ちゃん元気にしてあげて」


「そう言われても……」


「どうせニンゲンのせいなんだろ。またニンゲンが変な事でも言ったんだろ。オレにはわかってるんだぞ」


「今のおじちゃん、ダメダメなの。へっぽこぴーなの。そんなおじちゃん、ボク見たくないよ。がんばってよ」


「早く姉ちゃん何とかしろよ、ニンゲン」


「そりゃあ、何とかなる事なら、がんばるけど……どうがんばればいいんだよ……がんばり方がわかんねえ……」



一瞬、少女マンガの真似事でもしてみようかと思った。


三大胸キュン行為『壁ドン』『あごクイ』『女性の背後から肩の上に腕を通して首の辺りを抱きしめる感じの奴(名称不明)』をしてみたら、どうだろうか。


ダメだ。完全に魔が差してる。落ち着こう。


あれはイケメン限定行為。モブ男が真似しても痛々しいだけだ。



「まったく、本当にニンゲンはダメだな。女心がわかってない!いつもそうだ!いつもだぞ!」


「ホントそうなの。おじちゃん、いっつもいっつもそうなの。もっと女心を勉強しなきゃダメ!」


「ええっ……」



子供達にダメ出しされた。ちょっと凹む。



「ますたー。女心を勉強しますか?」


「……………………」



フェアにまで言われた。いつもの笑顔で言われた。かなり凹む。



「女心を勉強って言われたって、何しろってのよ……」


「簡単なの。女心のさしすせそを覚えればいいんだよ。それでお姉ちゃんもイチコロなの」



魅雪が、怪しいモテ男講座のキャッチコピーみたいな事を言い出した。


怪しい。



「ボクが教えてあげるから、ちゃんと覚えてね、おじちゃん?」


「……はい。よろしくお願いします」



満面の笑みで言われた。


笑顔の圧が凄い。逆らえない。逆らう気力が圧壊する。



「女心のさしすせそ。ボクが言うから、同じ言葉を繰り返してね?」


「はい」


「まずは『さ』、『三角筋、さすがだね』」


「三角筋、さすがだね」


「次は『し』、『上腕二頭筋、仕上がってるね』」


「上腕二頭筋、仕上がってるね」


「次は『す』、『錐体筋、素晴らしい』」


「錐体筋、素晴らしい」


「次は『せ』、『脊柱起立筋、成長してる』」


「脊柱起立筋、成長してる」


「最後に『そ』、『僧帽筋、尊敬します』」


「僧帽筋、尊敬します」


「これが女心のさしすせそだよ。これ覚えればバッチリなの」


「…………………………」



筋肉のさしすせそを覚えた。



「そんなんじゃダメだ。オレが女心を教えてやるぞ」



黒夫が声を上げた。


前半には同意できる。後半には疑問がある。


男から教えられる女心は、果たして当てになるのか。当てにしていいのか。



「……まあ、一応言ってみろ。期待しないで聞いてやるから」


「なんだと!言ったな、ニンゲンめ!」



将来はイケ猫になってメス猫達からモテモテになりそうな黒夫なら、女心を手玉に取る方法を本能的に知っているかもしれない。きっと聞く価値はある、多分。



「いいかニンゲン。女って言うのは『唯一』が嬉しいものなんだぞ」


「うん?唯一?」


「男ってのは『一番』になりたがるだろ。大勢で戦って勝ち抜いて一番になりたいって思ってる奴らばっかりだ。でも、女は違うんだ。唯一がいいんだ。他の女の中から一番になるんじゃなくて、他の女なんかとは比べられない唯一になりたいんだ。それが嬉しいんだぞ」


「そ、そうなのか?」


「そうなんだよ!だから、女心を狩り取るなら『他の女より君の方がいい』とか言っちゃダメなんだ。『君のような女は他にいない』とか言わないとダメなんだぞ」


「お、おお、結構ちゃんとしたアドバイス……」



意外にも、ちゃんとしてた。


思い返してみれば、少女マンガのイケメン達は『おもしれー女だ。お前みたいな女、他にいないぜ』とか何とか言ってヒロインを口説くのがお約束だったような気がする。


少女マンガのお約束という事は、理想の口説き文句の一種に違いない、多分。


さすが、未来のイケ猫様。まだ男子小学生くらいなのに、すでに女心をよく理解していらっしゃる。


末恐ろしい男である。黒夫、恐ろしい子。


敵に回せば恐ろしいが、今回は味方で良かった。



「ふふーん!どうだニンゲン!」


「ああ、正直侮ってたけど、見直したわ。黒夫は頼りになるな。もう本当に今回は黒夫だけが唯一頼りになる存在と言ってもいいくらいだ」


「にゃあっ!?」



意外に頼りになった黒夫の頭をグリグリ撫でた。


勿論、日常的にはフェアが一番頼りになる。ただ、フェアは機微を察する能力が微妙。人間関係の問題解決は期待できない。


対して黒夫は、嗅覚を駆使して嘘を見抜くなど、情動を知覚する能力が高い。五感の鋭さと獣の勘の鋭さの合わせ技と言ったところか。



「おじちゃん」


「ますたー」


「ぶべらっ!?」



黒夫の頭を撫でていたら、魅雪に抱き着かれ、フェアに頭部に張り付かれた。



「おじちゃん、ホント女心がわかってない!」


「ますたーは女心がわかっていません」



肋骨が痛い。


目に手が当たって痛い。



「は、離してくれ!?」


「ヤなの」


「いいえ。それは無理です。ますたー」



力強くも女の子らしい柔らかさを感じる。


光が舞い、ほのかにフローラルな香りが鼻腔に広がる。


気まずい。物凄く気まずい。


密着度が高すぎる。血液が集中しそうになる。


背徳感と罪悪感が酷い。開いてはいけない扉が開きかけてる。



「オレを仲間外れにするな!」


「ええい、ややこしい!お前まで引っ付くな!」


「な、なんだと!さっきはオレが唯一だって言ったクセに!嘘だったのか!」


「何の話だよ!?いいから全員離れて!全員!」


「ヤなの」


「嫌だ!」


「いいえ。それは無理です。ますたー」


「いや何でだよ!?」



何故かワチャワチャ揉めた。


女心を勉強していただけのはずなのに。何故だ。


三人を引き剥がそうと奮闘していたら、ふと、背後に視線を感じた。



「……私など……お呼びでは無いのだな……ふふふふふふふふっ……」


「ぅおぉうっ!?」



ヤバイ女がそこにいた。


闇を纏ってた。比喩では無い。なんか本当に闇っぽい暗黒の瘴気っぽい物が渦巻いてる。原理不明。ヤバイ。


この1週間、薄幸の美人さんもイイね、とか気楽に構えすぎた。


異世界のエルフが陰気を発酵させると、こうなるのか。解呪方法不明。ヤバイ。



「……私だけ呼ばれない……私だけ不要……ふふふふふふふふっ……」


「お、落ち着いてください、ムチムチさん。こ、これは違うんです」



普通の人が病みかけてても怖いが、美人さんが病みかけると更に怖い。


美しいからこそ、裏返ると怖い。美人度に応じて、病みの怖さは指数関数的に増大していく。


つまり、病みかけの超絶美女は超絶怖い。



「おじちゃん、がんばって」


「後は任せたぞ、ニンゲン」


「御武運を。ますたー」



気付いたら全員離れてた。危機回避能力が高い。


平和ボケ国家で生まれ育った自分の危機回避能力が低すぎるだけとも言う。


一人矢面に立たされて、危険が危ない。



「女心のさしすせそだよ。それでイチコロするの」


「唯一で攻めろ。嘘でもいいから唯一で攻めるんだ」


「ますたーの為さりたいように為されば宜しいのです」



アドバイスを背中に受けつつ、立ち向かう。


まるで、仲間の声援を背に受けて魔王に立ち向かう勇者のようだ。


自分は今、異世界に召喚されてから一番勇者してる。


辞めたい。



「……ふふっ……私のような不要な存在に何か用でもあるのかな……?」



闇っぽい何かが空間を侵食し、まとわり付いてきた。


ちょっと粘っこい。健康に悪そう。思わず払いのけそうになったが、耐える。


病みかけの時に振り払うのは、どう考えても死亡フラグである。


逆らわず、そのまま受け入れた。



「……………………」



そのまま手を伸ばし、闇っぽい何かごと抱き締めた。


痛々しいモブ男と笑わば笑え。


セクハラという言葉が脳裏をかすめたが、無視する。



「んひゅぁっ!?な、なにを!?ひ、ヒデオ殿!?乱心したか!?」



腕の中で、ムチムチさんがもがく。


もがいているが、全然抵抗されてる感じがしない。


本当に身体能力が貧弱だな、この人。身体は貧弱とは真逆だけど。


余裕で抑え込み、抱き締め続ける。そして頭を撫でる。



「こ、これは何の真似だ!」


「……………………」



頭を撫でると、粘っこいのが少し薄くなった。


闇っぽい何かを晴らすのに、この方法は有効らしい。


もっと撫でよう。



「こ、こんな事で、わ、私が誤魔化されるとでも、お、思っているのか!」


「……………………」


「こ、こんな、んっ、こんな事で、この私が……んっ……こんな……!」


「……………………」


「わ、私を何だと、ぅんっ、思って……ぁっ……いるのだ……っ……!」


「……………………」


「……んんっ……んっ……ぅあっ……ぃんっ……んんっ……ぁんっ……」



これは闇っぽい何かを晴らすためだ。実際、ちょっとずつ薄まってる。


大義名分は得た。だから問題無い。


撫でる。ひたすら撫でる。撫でまくる。久しぶりの感触を堪能する。


この1週間、距離を取られ続けて、全く撫でてない。実に1週間ぶりだ。


艶の無い灰色の髪。太くて固い剛毛。確かな撫で心地がする。


他の誰とも違う。こんな撫で心地の人は、この人の他には記憶に無い。


こちらの世界と、元の世界、二つの世界で唯一無二だ。



「……他にいません。ただここにいてくれるだけでいいと思える人なんて」


「……っ……」



赤くなりプルプルと震え始めたムチムチさんの耳元に、静かに告げる。


下手に動くと問題多発する人なので、何もせず、ただいてくれるだけでいい。


むしろ、ただいてくれるだけがいい。


そういう人なのだ、この人は。



「どうか、心安らかに、静かに生活してくれればいいんです」


「……っ……」



無理に仕事をしようとしなくていい。


無理に役に立とうとしなくていい。


無理に人間の男性の後をついて来ようとしなくていい。


ストレスで歪んでしまった心身が完全に癒えるまで、安静に生活すればいい。



「わかりましたか?お返事は?」


「ふぁいっ」



なんか変な声が出た。


その声を聞いて、ムチムチさんを離した。



「……………………」



言った言葉に嘘は無い。本気でそう思っている。でも、きっと何を言っても無駄だ。そして、無駄でいいとも思う。


思い込みやすく、思い込みで変な方向に突っ走る悪癖がある。この人は、そういう人だ。


直して欲しいと思うが、同時に、この人はこのままでいい気もする。


見ようによっては、この人がこういう人のおかげで、この家での生活は退屈とは無縁だった。


元の世界に帰還できるようになるまで、約3年。問題は起きて欲しくないが、問題が無さすぎて退屈に殺されたくない。


さすがに映画だけで時間を潰すのは無理がある。名作は揃っているが、新作は追加されない。


平穏な生活に適度な刺激を与えてくれる。適度に家電を壊し、適度に対応する羽目になる。


この人がいれば退屈しない。


本当に、ただここにいてくれるだけで、十分すぎる存在価値がある。この人は唯一無二の存在だ。


まさか、気兼ねなく家電をブッ壊してください、なんて本人に言う訳にはいかないけど。



「もう大丈夫ですね?」


「……だ、大丈夫ではない」


「えっ、大丈夫じゃないんですか?」


「そ、そうだ。ま、まだ、大丈夫ではないのだ。……だ、だから、その……も、もう少しだけ……いいか……?」



服の裾をキュッと握られた。


可愛い。美人な上に可愛いとか、相変わらず反則みたいな人である。


ただそこに存在しているだけで、男の理性をゴリゴリ削る。



「極めて凶悪な敵性存在を検知しました。排除の許可をください。ますたー」


「物騒!?」



気付いたら、フェアが眼前に浮いていた。


ついさっきまで後ろに隠れていたはずなのに、いつの間に前に出てきたのか。動きが早すぎて見逃した。



「姉ちゃん」


「お姉ちゃん」


「ち、違うのだ。い、今のは、その、ちょっと魔が差したと言うか……、久しぶりだったものだから、昨日までに味わい損ねた分を味わおうとしてしまったと言うか……、食べ溜めておきたい感じの気分になったと言うか……」


「……姉ちゃん」


「……お姉ちゃん」


「わ、悪気は無かった!とにかく!本当に悪気は無かったのだ!」



そしてムチムチさんには黒夫と魅雪が詰め寄っていた。


ついさっきまで後ろに隠れていたのに、闇が晴れてから出てくるの、ズルい。


子供とは言え、ズルいものはズルい。



「つまり、おじちゃんが悪いの」


「元はと言えばニンゲンが元凶だろ」


「いや何でだよ」



そして何故か最後には自分が締め上げられていた。


肋骨が折れるかと思った。



「ますたー。マッサージチェアはいつでも起動可能です」


「いやだからね、それ必要になる前に止めてくんない?」


「いいえ。それは無理です。ますたー」



味方はいなかった。


参考:人間の筋肉の一覧(Wikipedia)

<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E7%AD%8B%E8%82%89%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7>

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