49.電設のヒデオさん、延期する。
残ったプリン・ア・ラ・モードは明日のオヤツに取っておく。
あったかい飲み物を飲んで食休みしつつ、今後の話をした。
「あ、先に言っときますけど、出発は3年後に延期しました」
「なっ!?どういう事だ、ヒデオ殿!?」
「まあ、色々ありまして、予定変更しました」
ムチムチさんは凄く驚いていた。
「ふーん?のんびりだな、ニンゲンは」
「おじちゃん、のんびり屋さんなの」
黒夫と魅雪は、反応が淡泊だった。
思い返せば、一昨日に出発の予定を話した時も、反応は割と淡泊だった気がする。
子供は結構そういう所がある。人懐っこく見える子でも、別れ際はドライだったりするのは、珍しくない。
しがらみの多い大人より、子供の方が割り切りが果断だ。
大人の場合、別離の話をする時は、嘘でも別れを惜しまないと顔をしかめられる。
送別会の代わりに祝賀会を開きたいような人との別れでも、表向きは別れを惜しんで見せるのが、大人の対応というもの。仕事の都合等で再会する可能性もあるので、本音は隠したまま別れるのが無難である。
再会したくない人に限って、再会したくもないのにバッタリ再会したりする。世の中は、そういう不条理に満ちている。
「とにかく、もうしばらくは今まで通りの生活って事です」
そして、再会したい人に限って、再会できなかったりする。それもまた世の常。
世の不条理を嘆いても、しょうがない。
嘆くより、いずれ来る別れの時まで、日々を大切にすごそう。そんな事を、改めて思った。
「今まで通り……。そ、そうなのか。……そう、なのか……今まで通り、か……」
話を聞いたムチムチさんは、何かを憂うような表情をしていた。妙に艶めかしかった。
今日はもう夕飯が入りそうにないので省略。たまになら、こういう日があってもいい。たまになら。
ひとっ風呂浴びて、早々にベッドに入った。
「……3年かぁ……」
ここ数日で状況が目まぐるしく変わりすぎて、精神的に疲れた。
なんか走馬灯みたいなものが脳裏を流れる。
精神的に危険な状態の気がするが、止める気も起きない。本当に疲れた。
株式会社ブルー精機。入社したのは約2年前。新卒入社である。
就職を機に引っ越し、実家を出て、一人暮らしを始めた。
ちなみに、実家があるのは、ダサいと呼ばれている県内。会社があるのは、都内だが区内では無い。
実家と自宅の距離は、電車とバスを乗り継いで片道2時間ほど。帰ろうと思えばいつでも帰れるが、帰るのが地味にキツイ程度の距離。
「……去年のお盆休みに帰ったのが最後だな、そう言えば……」
今年の正月は帰省しなかった。普通に面倒臭かった。
こんな事になるとわかっていたら、顔くらい見せに帰っておいたのに。
入居したのは安アパート。築30年、木造2階建て6室、その内の1室。全室無線通信環境完備。大家さんが地元ケーブルテレビの回線と契約している。通信料その他諸々全部込みの家賃で、月収の2割が消える。
会社には自転車で片道10分ほど。通勤に便利。買い物は少し不便。
1Kの狭い部屋だが、古い割には結構綺麗で、単身住まいなら悪くは無い。
ただし、キッチンに黒い悪魔が出る。たまによく出る。
「……煙を焚いても消えないんだよな、あの部屋……」
約2ヶ月前。異世界に勇者として召喚された。
気が付いた時には、すでに召喚済だった。
「……なんで覚えてないんだ……若年性健忘症か……?」
召喚の直前の記憶が飛んでいて、何時何所で召喚されたのかは不明。目撃者等がいたかどうかも不明。
スーツを着ていた事、カバンを持っていた事、自転車に乗っていなかった事、等々の状況から考えて、自宅と駐輪場の間か、会社の入口と駐輪場の間にいたタイミングで召喚されたものと推測される。
会社の駐輪場の方には、防犯カメラが設置されていたはず。運が良ければ映像記録が残っているかもしれない。
「……いい歳こいて蒸発したアホとは思われたくないなぁ……」
不可解な神隠し事件に巻き込まれた被害者、みたいな感じに判断されている事を祈ろう。
25歳にもなって突然自分探しの旅に出た、とか変な風に誤解されてたら、どうしよう。
召喚された日の夜。なんか妖精っぽいのに出会った。
勇者のスキルの妖精(仮)だと思う、多分。いまだに正式な正体は不明だけど。
この時はまだ『妖精さん』と呼んでいた。
「……最初は、豆電球の妖精かと思ったんだよな、割とマジメに……」
「はい。豆電球です。ますたー」
「あ、うん。ありがとう、フェア」
「えへへー」
城では3週間生活した。あまり思い出す事は無い。
魔術の授業が興味深かった事、騎士団長閣下がリア充だった事、電動シェーバーでのヒゲ剃りの感触に感動した事は、よく覚えている。
「……死ぬほど臭かったな、あそこのトイレ……」
トイレの臭いは忘れたい。
約1ヶ月前。王国南西端にある無人の荒野、通称『絶望の荒野』に引っ越した。
新生活を始めるため、オール電化住宅を新築した。この時、無茶ぶりしすぎて、フェアは初めて過労で倒れた。
あの時は、本当にビビッた。
「……次は本当にもう無いようにしないと……」
その日の夜。黒夫、魅雪、ムチムチさんに出会った。
黒夫は敵意剥き出し。魅雪は号泣。ムチムチさんは満身創痍で呼吸停止。出会い方が酷いってレベルじゃない。
引越初日にして、引っ越した事を後悔した。
「……もしも、あの日……」
仮定の話。あくまでも仮定の話だが、引越当日に戻れるとしたら、自分はどうするだろうか。
日程を遅らせる。目的地を変える。電気柵を設置しない。外灯と防犯カメラを設置しない。警告音を無視する。居留守を使う。寝続ける。
何か一手、違っただけで、きっと全てが変わっていた。
「……もしも、なんて意味無いか……」
後悔した。それでも、もしも、またあの夜がやって来たら、きっと自分は同じ事をするだろう、多分。
あくまでも、多分だ。
いざ本当に過去に戻れたら、実際には逃げてしまいそうな気もする。
平凡なサラリーマンには、人命救助は本気でキツイ。あの夜を二度も繰り返したくない。
「……あれから1ヶ月か……長かったような、短かったような……」
やたら濃密な1ヶ月だった。
謎肉と謎米を食べたり、最新式のロボット掃除機の性能に感心したり、プリン食べたり、何故か偽名の名付け親になったり、フェアの名前を付けたり、和室に子供用ベッドを運んだり、マイクロなビキニのせいで誤解されたり、火の気の無いIHコンロから火柱が上がったり、濡れた手でドライヤー使って心肺停止したのを助けたり、美容家電が全損したのを修理したり、箸の使い方を教えたり、食べ物の好き嫌いで揉めたり、ビキニアーマー白衣で夜這い未遂をされたり、何故か頭を撫でまくったり、正体を打ち明けられて泣かれたり、自転車の乗り方を教えたり、塩の買い出しに行ったり、かけっこ勝負したり、何故か耳を触ったり、何故か耳を触られたり、映画見たり、プリン・ア・ラ・モード食べたりした。
まあ色々したりされたりした。
「……そう言えば、名刺、どこにやったんだっけ……?」
こちらの世界に召喚されて、一番最初の記憶。
自己紹介のために名刺を差し出したが、受け取り拒否された。
元の世界の仕事では、名刺を渡すのは確実に受け取ってくれる相手ばかりで、受け取り拒否の経験が無かった。アレは地味にショックが大きかった。
自分が勇者を辞める事になった一番最初の切っ掛けが何だったのかと問われれば、あの時だ。
たった1枚の紙切れを、受け取り拒否された。ただそれだけの些末事。ただそれだけの事が、終わりの始まりだった。
ある意味、とても印象深い。もう二度と思い出したくない。
あの時の名刺は、どこに行ったのか。思い出そうとしても、うまく思い出せない。地味にトラウマ化しているからだろうか。
「……名刺……妙に気になるんだよな……」
誰かに渡したような、受け取ってもらえたような、ぼんやりした記憶があるような、無いような。
何故だろう。うまく思い出せないのに、妙に印象深い事があったような感覚だけがある。
何か凄く重要な、忘れてはいけない事を忘れているような気がする。
「……まあ、名刺の行方とか、別にどうでもいいか……そんな事よりも……」
忘れているなら、きっと大した事では無いだろう、多分。
大した事では無いなら、このまま忘れよう。そうしよう。
ここ数日は、精神が乱高下するにもほどがある波乱万丈の日々だった。
勇者召喚の魔法陣の改良に、自信満々で挑戦した。
魔法陣の改良が独力ではどうにもならず、心が折れかけた。
魔法陣の改良の協力を、半ばダメ元で依頼した。
魔法陣の概要が一目で解読され、期待が高まった。
魔法陣の解析がスムーズに進み、更に期待が高まった。
魔法陣の改良が期待したほどには進まず、早期の帰還は諦めた。
元の世界に帰るための乗り物が、ひょんな切っ掛けから創造できた。
元の世界に帰るための乗り物が運転できず、2日間おあずけ食らった。
元の世界に一緒に連れて行くよう迫られた。
元の世界に来るのを諦めさせようとしたら、拗れて粘られた。
元の世界にすぐ帰れるのかと思ったら、帰れるのは約3年後だった。
元の世界に帰れるまで早くても約3年かかると知って、何故かホッとした。
「……ホッとしてる場合じゃあないんだよなぁ……」
時間が経てば、頭も冷える。冷静になればなるほど、心に不安が降り積もる。
無断欠勤が3年続けば、さすがに会社はクビだろう。現時点でもクビになっている気がするので、まあそれは良い。いや本当は全然良くないけど、こんな所で駄々をこねてもクビ撤回は無理なので、諦めるしかない。
3年後、元の世界に帰った後、社会復帰の事を考えると、今から憂鬱になる。
就職活動中に面接官から『この空白の3年間は何をなさっていたのですか?』とか聞かれるのだろうか。想像しただけでも胃が痛い。
まさか『勇者として異世界に召喚されてました』とか言えるはずも無い。職歴に勇者と書く奴は、別の意味で勇者である。
ついでに言うなら、勇者として召喚されたけど早々にバックレている。正真正銘、空白の3年間である。まあ酷い。
3年後、自分は28歳。
もしこれが他人事なら『まだまだやり直しが利く年齢だ』とか気軽に言える。
他人事なら、言える。
自分事だと、言えない。
28歳で人生再スタートは結構キツイ。キツイけど無理では無い辺りがまた地味にキツイ。
28歳と言うのは、諦めるには早い年齢である。視点を変えるなら、周囲が諦めるのを許してくれない年齢でもある。
自分が望むと望まざるとにかかわらず、人生再スタートのために就職活動せざるを得ないだろう。
「……まあ、なるようになる……といいなぁ……」
悩んでも、どうにもならないものは、どうにもならない。
どうにかできる事を悩むのは有意義だが、どうにもできない事を悩むのは時間の無駄だ。
台風のせいで電車が止まってるのに駅員さんに怒声を浴びせるオッサンの生き様と同じくらい、無駄で無意味だ。
異世界では、就活の準備なんてできない。履歴書も書けないし、資格試験の勉強もできないし、英会話のレッスンも受けられないし、もう本当に就活のために何もできない。できる事が無い。本当に、悩んでも意味が無い。
現実逃避気味だが、知った事か。
本当に悩んでも意味無いんだから、悩まない。
「……来年の事を言うと鬼が笑う、なんて言葉もあるしな……ましてや3年後とか、鼓膜が破れるほど大爆笑だろ……」
自分で自分に言い聞かせる。
割り切ろうとしていると、部屋のドアが軽くノックされた。
「……ヒデオ殿、もう寝てしまったか?」
「起きてますよ」
ムチムチさんだった。返事をすると、おずおずと入口から顔をのぞかせた。
「夜分遅くにすまない。貴殿と少し話がしたくてな。今、良いだろうか?」
「ええ、いいですよ。どうぞ」
一昨日も似たような事があったような気がする。
ムチムチさんが部屋に入ってくる。芋ジャー姿だ。一昨日と同じだ。
自分はベッドに腰かけ、ムチムチさんはイスに座って対面し、自分の膝の上にはフェアが座った。一昨日と違う。
「予定を変更したという話だったが、詳しい事情を聞いておきたくてな」
ムチムチさんは、何か思い詰めたような顔をしていた。
美人さんがそういう顔をしていると、無条件で手を差し伸べたくなる。
「ますたー」
「……………………」
お腹の辺りを小さい肘で小突かれた。
気付いたら、ムチムチさんの頬に手を伸ばしかけていた。
理性が当てにならない。危なかった。助かった。
「……それで、何を聞きたいんですか?」
気を取り直して、姿勢を正す。真面目な話をする。
「先日は、できるだけ早くに出発すると言っていただろう?それなのに、急に3年後と言い出した事だ。一体どういう風の吹き回しかと思ってな」
「ああ、その事でしたら、まあ何と言いますか、色々と事情がありまして」
すぐに帰れると思っていたのは勘違いでした。ただの早とちりでした。
……と言う真相は、我ながらマヌケすぎる。
恥ずかしいので、適当に誤魔化す。
「ヒデオ殿、正直に言ってくれ。貴殿が予定を延期したのは……、私が貴殿に無理を強いたから、なのだろう?」
「えっ、違いますけど」
思い詰めた顔で、思いがけない事を言われた。
「ち、違うのか?」
「全然違いますけど……。あの、なんでそう思ったんですか?」
「だ、だって!わ、私が、どうしても貴殿の故郷について行こうと迫って……、袖にされても諦めずにいたから……、貴殿に気を遣わせてしまったのではないかと思ったのだが……」
「いや、いくら何でも、気遣いで予定を3年も延期しませんよ」
準備のために数日かけるつもりはあった。だが、さすがに3年はかけない。
自分が帰った後の三人の生活が心配ではある。そうは言っても、そこまでの気遣いは度が過ぎる。
「そ、そんなの、わからないではないか!き、貴殿は、お人好しだから……、たまに著しく配慮に欠けるきらいはあるが……、お人好しな貴殿なら、他者への気遣いで数年予定を延期しても不思議は無いと思ったのだが……」
「そこは不思議に思ってください」
「もしそうなら、止めねばと思ったのだ。貴殿なら、更に予定を変更し、数十年くらい延期する事になっても不思議は無いと思ったのだが……」
「んな無茶な」
数十年経ったら人生終わりかねない、寿命的な意味で。
時間感覚が悠長すぎる。
そう言えばこの人、血の半分はハイエルフだった。人間と時間感覚が違うのは当然だった。
「予定の延期は完全にこっちの都合です。ムチムチさんは関係ありません」
「本当か?変な気を遣ってはいないか?」
「いや、ですから、気遣いで数年単位の予定変更はしませんよ」
「貴殿にそう言われても、にわかには信じ難い。私に気を遣わせまいとしていないか?何か隠してはいないか?」
「……………………」
この人に隠し事を疑われるのは、何だか釈然としない。
「……電力が足りなかったんですよ」
変に疑われるくらいなら、恥ずかしい思いをした方がマシだ。
疑われる余地が無いよう、全部ぶちまける事にした。
「確か、貴殿の道具を動かすには、特殊な動力源を要するのだったな。デンキと言う、雷のようなものを動力にしているのだったか」
「ええ、まあ、そんな感じの奴です。あの絨毯、物凄く電気を食うみたいで、すぐには動かせないんですよ。動かすための電力を貯めるのに大体3年かかるんです」
「ふむ……。それなら合点が行くな。世界を渡るとなれば、小なりと言えど、世界の在り様に干渉できるだけの力がいる。それほどの力を溜めるとなれば、相応に時間がかかるのは必定か」
「そういう事です。……それに気付いたのが、今日の昼過ぎだったんですよ」
言われてみれば当然の事でも、言われるまで気付けない事はある。
王国が勇者召喚の魔法陣を起動する際には、大量の魔石を使用する。50年に一度しか起動できないのは、魔石の使用量が膨大だからだ。
かつて自力で帰還した二代目勇者の老婆は、戦場の全ての人間と魔族の魂をエネルギーに変換したという。それが何Jに相当するエネルギーなのかは知らないが、とんでもない量のエネルギーである事は間違いない。
二つの異なる世界を繋ぎ、人間が安全に移動するためには、莫大な量のエネルギーが必要になる。それが魔力であれ、魂の力であれ、電力であれ。
エネルギーの種類は変わっても、必要なエネルギー量は変わらない。
「はははっ、マヌケですよね。笑ってください」
言われるまで気付けない事はあるが、言われるまで気付けなかった奴がマヌケである事実は変わらない。
「……当てが、ある」
乾いた笑いをこぼしていると、ムチムチさんは酷く真剣な顔をして、言った。
「はい?当て?何の当てですか?」
「無論、貴殿の道具をすぐに動かせるようにする当てだ」
「な、何を言ってるんですか?あり得ないでしょう、そんなの」
「……他ならぬ貴殿の道具であれば、当てがあるのだ。通常の魔道具であれば無理だが、デンキによって動くという貴殿の道具であれば、おそらく、すぐに動かせるようになるだろう」
「……………………」
あり得ない。
こちらの世界には電気設備が存在しない。
電気設備の存在しない異世界で、電気設備を動かすためには、フェアに充電してもらう必要がある。
オール電化住宅用の大型バッテリーを一瞬で充電し、更に増設した複数台の大型バッテリーもまとめて一瞬で充電できるフェアですら、あの絨毯の充電には1000日かかる。
あり得ない。あり得るはずが無い。
どこかに急速充電スタンドでも設置されているとでも言うのか。急速充電スタンドなんか誰が使うのか。
そもそも、こちらの世界にはバッテリーが無い。バッテリーの使い道も無い。
こちらの世界には電気設備が無い。そのはずだ。
「……まさか……」
そこまで考えて、ふと、思った。
こちらの世界には、本当に電気設備は無いのだろうか、と。
「……………………」
こちらの世界の住人は、電気設備を知らない。だが、自分のスキルは『電気設備』という名称だ。最初から『電気設備』と表記されていた。
こちらの世界の住人が知らないだけで、こちらの世界にも電気設備という概念は存在している。世界の意思だが何だかはよくわからないが、世界は電気設備という概念を認知している。
電気設備という概念は、いつから、こちらの世界に存在していたのか。
もしかしたら、自分が召喚されたその瞬間、自分と共に電気設備という概念が持ち込まれたのかもしれない。もしそうなら、話はそこで終わりだ。自分の周囲にだけ電気設備がある。他の場所に電気設備は無い。急速充電スタンドも無い。
だが、もし、もしも、そうでは無いとしたら。
自分が召喚される前から、こちらの世界にも電気設備という概念が存在したのだとすれば。
概念の元となったナニカが、どこかに実在しているのではないか。
そのナニカは現存し、今も稼働しているのではないか。
その可能性は、本当に無いのだろうか。
「じ、条件がある!わ、私の要求を呑むのなら、当てを教える!」
「……………………」
取り留めの無い思考は、ムチムチさんの声によって中断された。
「こ、交換条件など、言い出せる立場に無い事はわかっている!」
「……………………」
「わ、わかっているのだ!わ、わかっている……わかっては、いるが……」
「……………………」
「わ、私の当てが正しかった時には……貴殿の道具が、すぐに動かせるようになった暁には……」
「……………………」
「わ、私を……私も一緒に……貴殿の故郷に連れて行ってくれないか……?」
「……………………」
それは酷く悲痛な響きの声だった。
その悲しみと痛みを晴らすためならば、自分の生命さえ懸けても惜しくない。そんな危ない思考が脳裏をよぎる。
「ますたー」
「……………………」
お腹の辺りを小さい肘で小突かれた。
小突かれるまでも無い。
一瞬だけ気の迷いが生じたが、それは一瞬の事。一瞬で消えた。
自分は根っから小市民のサラリーマンである。危険を恐れぬ勇者では無い。
思考の基本は、保守的で安定志向。答えは、決まっている。
「必要ありません」
「な、何故だ!?」
「いや何故って……。ちょっと確認しますけど、その『当て』って、どの方向にあるんですか?詳しい場所は教えなくていいですから、方向だけ教えてください」
「ま、まあ、方向だけなら……。ここから南だ。南のどの辺りかは秘密だがな」
「……もう一つ確認しますけど、その『当て』がある場所まで行くの、かなり危険なんじゃないですか?ここから南にあるんでしょう?」
「そ、それは、まあ、多少なりとも全く危険が無くは無いと言えなくもないかもしれないが……」
「じゃあやっぱり必要ありません」
ムチムチさんの言う『当て』は、十中八九、魔族の領域にある。
ここから南。事実上の二重の国境線の向こう側。
無理ゲーすぎる。着く前に死ぬ。
元の世界に早く帰って、早々に社会復帰したい。しかし、そのために自分の生命を危険に晒すつもりなど無い。
こちとら平凡なサラリーマンである。元サラリーマンかもしれないが、平凡な小市民である。
社会復帰に命懸け(比喩抜き)とか、嫌すぎる。
自分の生命をチップにする気は無い。他人の生命をチップにする気も無い。某人生逆転ゲーム参加者みたいに生命を賭ける気は無い。
「3年かかりますけど、安全に充電できるんです。危険を冒してまで急ぐつもりはありません」
「……っ……」
自分には、すでに帰還の手段がある。帰還の目途も立っている。
時間はかかるが、安全に帰れる。
時間をかけるだけで、安全に帰れる。
すぐに帰れる代わりに生命の危険がある帰還ルートなど、端から選択肢に入らない。
一応、ここから遥か東の方角に進めば、山脈も魔物の縄張りも途切れているらしい。人間も魔族も安全に通行可能なルートは、あるにはあるらしい。
そこは現在、人間と魔族の主戦場で最前線。安全なせいで、とても危険。
南に行く場合、急いでも回っても、結局危険。どのルートを通るにしても危険なので、南には行きたくない。
「ですので、予定を延期して対応します。その『当て』は必要ありません」
「……そうか……そうかぁ……必要無いのかぁ……ふっ……ふふっ……」
誤解の無いよう、ハッキリ告げた。
なんかムチムチさんの目からハイライトが消えていた。
大丈夫なんだろうか。




