43.電設のヒデオさん、魔法陣を見せる。
勇者召喚の魔法陣は、異世界人の意思を無視して誘拐する魔法陣である。
「……ほぼ独学だと、やっぱり限界あるか……いや、でもなぁ……あんまり知られていいものじゃないし……」
後々の事を考えれば、この魔法陣は誰にも知られない方が良い。
王国は勇者召喚を何度も繰り返していた。最初の1回目だけは意図しないミスだったようだが、2回目以降は意図的に繰り返していた。それと同じ事を、また別の誰かがやらかさないとも限らない。
しかし、このままでは埒が明かない。
城での3週間の勇者教育期間中、宮廷魔術師長から基礎を教わったが、短期間だった事もあり、あまり難しい内容は教わっていない。贔屓目に見積もって、精々中学校の数学レベルの範囲くらいまで。城を脱出して以降は、城から無断拝借してきた専門書を読みながらの独学。どうしても知見が足りない。
魔法陣ド素人の自分が、王国の最高機密である複雑怪奇な魔法陣を設計変更できるようになるのは、果たしていつになる事か。
ほぼ独学のド素人にできないのなら、それができる人に頼れば良い。
自分の手に余る仕事を、自分の手には余ると自覚していながら一人で抱え込み続けるのは、社会人として最悪の悪手。他人に頼るのは必ずしも恥では無い。むしろ頼らない事こそが恥。TPOにもよるけど。
不幸中の幸い、この家には今、魔法陣を改良できそうな人がいる。デキる女を自称する人がいる。
正直に言えば、全然デキる女には見えない人なのだが、一応、頼りになりそうではある。
「うーん……ここで頼ってみるのも一つの手だけど……俺よりは魔法に詳しいよな、多分……いや、でもなぁ……下手に頼って何か問題が起こったら嫌だし……」
ムチムチさんに頼るべきか、頼らざるべきか、それが問題だ。
ハイエルフの母親の血を引いている一人娘。父親の方は妊婦を置き去りにして失踪するような人間のクズらしいが、次期里長よりも強かったらしいので、種馬として考えれば悪くは無い。優秀なサラブレッドと強靭な野生馬のハイブリッドみたいなものだ。
普通のハイエルフよりも血筋的に強力なハーフハイエルフ。母子家庭ながらも家庭環境は良かったらしいので、それなりに教育も受けているだろう。魔法関連の相談をするなら、ムチムチさんは頼りになりそうに思える。
この家で一緒に生活し始めて、もう1ヶ月を越えた。人となりの全てを知れるほど長い時間では無いが、根は善良そうな人に見える。あれが演技によるものだとは、どうしても思えない。勇者召喚の魔法陣を知っても、それを悪用するような人ではないだろう。
ただ、本人に悪意や悪気が無かったとしても、それだけでは安心材料にならない。嘘や隠し事が下手な人なので、情報漏洩の心配がある。自分が元の世界に帰った後、第三者に悪用される心配が残る。
技術的には頼りになりそうだが、本当に頼って良いものかどうか、迷う。
「……まあ、いいか。万が一の事が起こった時は、そん時はそん時って事で」
「はい。そん時はそん時です。ますたー」
いつも通りのニコニコ笑顔で、フェアが同意してくれた。
今日もフェアは可愛い。可愛いフェアの可愛い笑顔を見ていると癒される。細かい事はどうでも良く思えてくる。
顔も名前も知らない赤の他人より、自分の身の上を心配するのが先だ。自分をないがしろにしてまで、赤の他人の心配などしてられない。
まだ誘拐されていない異世界人より、すでに誘拐されて帰れなくなっている自分の事を第一に考えるべきだ。現在進行形で自分が被害者になっているのに、未遂の被害者候補になど構っていられない。
実際に起こるかどうかもわからない悲劇より、今まさに差し迫っているであろう自分のクビの危機こそが問題だ。このままだと自分はほぼ確実に会社をクビになるが、この世界で勇者召喚が再び行われるかどうかは神のみぞ知る。
元の世界に帰るためには、多少のリスクは許容範囲内だろう。そう判断する。
ムチムチさんに魔法陣の事を教えるのはリスクがある。だが、リスクはあくまでもリスク。被害が発生する危険性はあるが、被害が発生しない可能性もある。
ムチムチさんに魔法陣の事を教えたとしても、情報漏洩が起こるとは限らないし、悪用されるとも限らない。要はムチムチさんがヘマしなければ良いだけの話だ。
どっかの偉い人も言っていた。人を信じるのは尊い事だ、と。
信じよう、ムチムチさんの事を。そうしよう。
ムチムチさんを呼びに1階へ下りると、リビングで三人が騒いでいた。
「「「終わったー!」」」
終わったらしい。何がだ。
「おおっ!丁度良い所に来たな、ヒデオ殿!終わったぞ!」
「そうですか。何が終わったんですか?」
「貴殿に任されていた仕事だ!全ての書類を整理し終えたぞ!」
ムチムチさんに任せていた山のような書類は、すっかり片付いていた。
自分の通勤カバンは、勇者召喚の副次効果でアイテムバック化している。凄く便利ではあるのだが、地味に使い勝手が悪い。自動ソート機能が微妙に機能してくれない。
城から持ち出した書類や書籍の内、表題の付いていないものは全て『紙』と『本』という同名アイテムになってしまい、見分けが付かないため、分類が必要だった。
表題が無くても、内容の要約を付箋紙に書いて張り付けると、それがフレーバーテキストっぽく表示されるようになる。
ムチムチさんには、山の中から一点一点内容を確認し、付箋紙を付けて分類するという、地味だが過酷な作業を頼んでいた。約1ヶ月がかりで、ついに全て片付いたらしい。
「ありがとうございました。本当に助かりました、ムチムチさん」
「ふふっ、貴殿の役に立てたのなら何よりだ」
分類済の書類を通勤カバンに仕舞いつつ、ムチムチさんにお礼を言う。
最初は、ムチムチさんが余計な真似をしないよう、動きを封じるために仕事を押し付けたつもりだった。結果的には、大いに役に立った。
『紙:裸婦と馬(裏面に記述あり)』とか『紙:益荒男と優男(裏面に記述あり)』とかは、魔法陣を調べる上で有用だった。
『紙:北西の国境警備の近況報告』とか『紙:大麦の収穫量』とか、全体の9割以上は今の自分にとっては無用な書類なのだが、それは言わぬが華だろう。
「ボクも!お姉ちゃんのお手伝いしたよ!がんばったの!」
「オレもだ!オレもやったぞ!忘れるなよ、ニンゲン!」
「はいはいありがとさん。よくがんばったな」
黒夫と魅雪の自己主張が激しい。適当に頭を撫でながら、適当にほめる。
実際、二人ともよくやってくれていた。最後まで見事にやり遂げた。
子供が大人の仕事の真似事をしたり、手伝おうとしたりする事は珍しくない。だが、それが最後まで続くのは珍しい。
大抵の子供は飽きっぽい。地味な仕事を根気強く続けるのは苦手だ。よっぽど興味のある事であれば、大人よりも凄い集中力を発揮する事もあるが、ただの書類整理でそれは無いだろう。
相変わらず、変な所で子供っぽくない。
「あ、あー、ゴホンッ、ゴホンッ。ヒデオ殿?何か忘れてはいないかな?」
「……忘れてませんよ」
わざとらしく前傾姿勢になり、ちょっと上目遣いでムチムチさんが聞いてくる。
差し出された頭に丹念に撫でる。撫で心地を堪能する。
見た目の破壊力に加え、灰色の髪の触り心地がめちゃくちゃ良すぎる。理性が死にそう。
「ますたー」
「あ、うん。わかってる、わかってるよ」
いつも通りのニコニコ笑顔で、鼻先スレスレにフェアが浮いていた。
小さな頭をそっと慎重に撫でる。恐る恐る撫でる。
いまだに力加減が慣れなくて、良くも悪くも緊張で精神がリセットされる。理性は助かった。
「ええっと……何を言おうとしてたんだっけ……。ああ、そうだ。ムチムチさん、書類整理が終わったばかりで申し訳無いんですけど、また別の仕事を頼んでもいいですか?」
「無論、構わないぞ。貴殿には返し切れないほど恩を受けているからな。貴殿からの仕事であれば、どのようなものでも十全に熟して見せよう。昼でも、その、夜でもな!」
「いや昼だけでいいです」
相変わらず、この人は言う事がおかしい。
自分はどういう人間だと思われているのだろうか。
昼夜を問わず働かせるようなブラック勤務体制じゃないよ、うち。
「あんまり意気込まなくていいですよ。今度の仕事はちょっと厄介でして……。正直、頼むのはダメ元です。うまく行かなくても、別に責めたりする気は無いので、気楽にしてください」
「そう言われると、かえって成功させたくなるのだが……。それで、何をすれば良いのだ?」
「とりあえず2階に行きましょう。説明は私の部屋でします。ここで説明するのは難しいので」
「き、貴殿の部屋で、し、仕事……。そ、そうか、ついにか……。き、貴殿の部屋に行くのか……まだ明るい内から……っ……」
ムチムチさんは若干変な様子だった。
よく考えたら、この人、大体いつも若干変な人だった。
気にしてもしょうがないので、そのまま2階に連れて行く。
「次のお手伝いは、おじちゃんのお部屋でするの?」
「ふんっ。本当はニンゲンの部屋なんか入りたくないけど、特別だぞ」
そして何故か黒夫と魅雪も付いてきた。何故だ。
「いやなんで付いて来るんだよ。下で遊んでていいぞ?」
「な、なんだと!?どういう事だ、ニンゲン!?」
「ボクもお手伝いするよ?」
「うん、ありがとう。でも、気持ちだけ受け取っておくよ。そんなにお手伝いばっかりしようとしなくていいから。普通に下で遊んでてね」
「ニンゲンめ!姉ちゃんだけ部屋に連れ込んで何する気だ!」
「いやだから仕事だって言ってんだろうが」
「わ、私なら覚悟はできているぞ!貴殿が何をしようとも全て受け入れて見せよう!ど、どんな事でもだ!」
「いやだから仕事!仕事するんですよ!話聞いてた!?」
「ボクも一緒にお手伝いするの。きっとその方が早く終わるよ、おじちゃん」
「いやホントいいから。そんな無理してお手伝いしようとしなくていいから。こっちは大丈夫だから」
無駄にワチャワチャ揉めた。仕事をする前から疲れた。
黒夫も魅雪も渋っていたが、追い返した。階段から恨めしそうな目で見られたが、無視する。
多分大丈夫だとは思うが、万が一という事もある。勇者召喚の魔法陣は、子供達には見せない。情報が拡散するリスクもあるが、それ以上に、機密情報を知ったせいで余計なトラブルに巻き込まれるリスクがある。なるべく子供達は巻き込みたくない。
「さあ、どうぞ」
「あ、ああ、失礼する」
フェアとムチムチさんだけを連れて、自分の部屋に入る。
「……貴殿から部屋に招かれるのは、これが初めてだな」
「あれ?そうでしたっけ?」
部屋に入って早々、ムチムチさんが言った。
ちょっとこれまでの日々を振り返ってみる。
現在、2階の主寝室を自分の部屋にしているが、ほぼ仕事と睡眠にしか使っていない。厳密に言えば仕事ではなく、元の世界に帰るための調べ物などだが、似たようなものだろう。
娯楽用品などは無く、無駄な装飾も無く、遊びの要素は微塵も無い。人を呼ぶような部屋では無い。
食事の時間、オヤツの時間、間食切れなどで、何度も呼びに来てもらった事はある。だが、大抵は入口から呼びかけられるだけで、部屋には入って来ない。入口から興味深そうに覗いてきたり、臭いを嗅いでいたりする事はあるが、踏み入るのは控えている。
おそらく、黒夫にも魅雪にもムチムチさんにも、家主の部屋だからと気を遣わせてしまっている。
「あ、ほら、前に一度ありましたよ。今後の話をしようとムチムチさんを部屋に呼んで、夜に――……夜遅くに、なんか結果的に変な感じになりましたけど、変な格好で来た事ありましたよね?白衣を着て、その下には、その……」
「うあぁっ!?……そ、そんな事は覚えていないぞ!ああ覚えていないとも!貴殿の勘違いではないか!?」
「あ、はい」
ビキニアーマーに白衣という強烈な姿で夜這いをかけられたような記憶があるような気がするが、気のせいのような気がしないでもない。
「ま、まあ、昔の事はいいです。重要なのは今です」
「そ、そうだな。過去よりも現在にこそ目を向けるべきだな」
黒歴史からは全力で目を逸らした。大人の処世術である。そんな事より、今は仕事の説明が大事である。
「ええっと、ムチムチさんに頼みたい事なんですけど。口で説明するより、まずは見てもらった方が早いですね」
部屋の奥、床に敷いた魔法陣の図面の前までムチムチさんを連れて行く。
「なっ!?こ、これはっ!?」
魔法陣を見て、ムチムチさんは目を見開いた。
「何というモノを作っているのだ!?世界の壁に穴でも開ける気か!?」
期待以上の反応だった。一目見て、魔法陣の概要を読み取ったらしい。
自分には原理不明の複雑な魔法陣だが、機能は知っている。異世界の人間をこちらの世界に移動させる機能。推測になるが、その過程で、世界と世界の境界に何らかの働きかけをする要素が組み込まれているのだろう。
世界の壁に穴を開け、こちら側へと移動させられた人間が、自分だ。
再び世界の壁に穴を開け、向こう側へと移動できれば、自分は帰れる。
「ムチムチさんに頼みたいのは、この魔法陣の改良なんです」
「っ、これに更に手を加える気か!?貴殿は何を考えている!?……いや、敢えて聞くまい。ダメだ、ヒデオ殿。悪い事は言わない。こんなモノは即刻廃棄すべきだ。これは世界の理を破壊しかねない。貴殿の身も無事では済まないだろう」
両肩を掴まれ、ムチムチさんに詰め寄られた。
視線を合わせ真っ直ぐに見つめてくる目は、とても美しかった。
説得しようとする真剣な声は、とても美しかった。
流されて、うなずきそうになる。この人がここまで強く否定するのなら、従うべきなのではないかと思えてくる。
それでも、自分が元の世界に帰るためには、これが必要だ。
今の自分には、他の手段は取っ掛かりさえ無い。これしか無いのだ。
これしか無いなら、これに頼るしか無い。これが全ての元凶であろうとも。
「どうしても、ダメですか?」
「どうしても、ダメだ」
しばらく押し問答のような不毛な遣り取りが続いた。
ムチムチさんは頑なで、折れてくれる気配は微塵も無かった。
真正面から頼んでダメなら、仕方が無い。少しばかり搦め手を使ってみよう。
「わかりました。では、こうしましょう。もし、魔法陣の改良に協力してもらえるのなら……、夕飯にデザート付けます。プリンです」
「じゅるり……。い、いや、そんな安い懐柔に応じるとでも思っているのか!貴殿は私を何だと思っているのだ!」
よだれを垂らしそうな顔して言う台詞じゃない。
まずは軽いジャブくらいのつもりだったのに、割と簡単に折れそう。
「せっかくですし、いつものプリンよりちょっとお高い奴にしましょうか?」
「な、なんだと?もしかして、いつもより凄いプリンが出るという事か!?」
「そうですね。いつもは3個1セットですけど、お高い奴は1個で同じくらいの値段です。単純計算で、いつもより3倍凄いプリンですね」
「さ、さんばい、だと……っ……」
「いや3倍と言わず、いっその事、プリン・ア・ラ・モードにしましょうか?」
「ぷ、ぷりんあらもーど……得も言われぬ魅惑的な響き……っ……」
「プリンの周りに果物とか生クリームとかで飾り付けしたデザートですよ。味だけでなく、見た目の良さもポイントですね。プリンの王様みたいな奴です」
「ぷりんのおうさま、だと……っ……」
後一押しで堕ちそう。美しい顔がだらしなく緩んでいる。
だらしなく緩んでいるはずなのに、美しさが損なわれない。ホントどうなってんの、この人。
昔の人は、美人はすぐに見飽きる、とか何とか言ったらしい。きっと本物の美人さんを見た事が無い人が言ったのだろう。本物の美人さんは、永遠に見ていられる。何度見ても、どんな表情でも、見惚れ直す。
「……はっ!?だ、ダメだダメだ!そのような買収に応じる私では無い!」
後一押しで堕ちそうだったのに、見惚れている隙に立て直された。
「そんなにダメですか、これ?」
「ダメに決まっているだろう!……と言いたい所ではあるが、頭ごなしに否定するのは了見が狭いかもしれないな。うん」
「ええっと……。つまり、協力してもらえるんですか?」
「そ、そうは言っていない。ただ、その、アレだ。このような危険な魔法陣の作成になど手を貸したくはないが、魔法陣は広義の意味では道具にすぎず、道具それ自体に善悪を問うのは違うのではないかと思い直したのだ。大事なのは、その道具を誰が何のために使おうとしているのかという事だ。貴殿がこれを使って何を成し遂げようとしているのか、その目的如何によっては、少しばかり手を貸さない事も無い」
後一押しで堕ちそうだった。全然立て直せてない。ブレッブレだった。
「できれば何も聞かずに協力して欲しいんですけど」
「貴殿には恩がある。この身一つで済む事ならば、如何様に使ってくれても構わないと思っている。……が、しかし、さすがにこれは、何も聞かずに手は貸せないぞ。危険すぎる」
「……………………」
「できれば納得させて欲しい。手を貸すに足る理由があるなら、手を貸すに吝かでは無いのだ」
後一押しで堕ちそうで、その一押しが重い。
目的を話すという事は、自分の事情を明かすという事だ。率直に言って、かなり抵抗がある。異世界から召喚された勇者で、魔族を殺すのが嫌で逃げ出したとか、あまり言いたくない。
今は平穏な日常を送れているが、自分の事情が知られたら、それが崩れるかもしれない。
元の世界に帰る日までは、ここで共同生活を続ける予定だ。気まずくなるような話は、したくない。
それでも、協力を得るために事情を話す必要があるなら、話すしかない。
「……この魔法陣は、私が生まれ故郷に帰るために必要なんです」
「……………………」
事情の全てを打ち明ける決心は付かなかった。とりあえず、一部だけ公開。
これで済むなら、これで済ませたい。
「……そうか。やはり、そうだったのか。貴殿の事情については、薄々気が付いてはいたが、やはりそうだったのだな」
「き、気付いてたんですか?」
「当然だろう。ここまで情報が揃えば、さすがに気付くと言うものだ」
バレた。即行でバレた。言い方が直接的すぎた。
もっと遠回しに言うべきだったと後悔しても、もう遅い。口から出た言葉は取り戻せない。
「貴殿は……、この国の宮廷魔術師長だったのだな!」
「違います」
バレてなかった。なんか明後日の方向に勘違いされてた。あんなに直接的に言ったのに、何をどうしたらこうなる。
「貴殿の実力。これまでの言動や行動。そして何より、私に託された大量の書類。これらを鑑みれば自明というものだ。若くして宮廷魔術師長の座に登り詰めながらも、政争に負けて都を追われてしまったのだろう?」
「違います」
「皆まで言わずとも良い。わかっている。わかっているとも。故郷に帰るにしても、ただ負けて逃げ帰るというのでは男子としての矜持が許さないのだろう?気持ちはわかるぞ。私は男子では無いが、負けっぱなしではいられないという気持ちなら、わかるつもりだ」
「違います」
「余人に反論の余地を許さぬほどの研究成果をもって、再び宮廷魔術師長の座へと返り咲き、その上で、堂々と胸を張って故郷へと帰ろうというのだろう?その気概、実に男子らしいではないか」
「違います」
「これほどの魔法陣を作り上げるなど、並大抵の事ではあるまい。このまま献上したとしても十分な成果と見なされると思うが、更に万全を期して、より完璧に仕上げようとは、その意気や良し」
「違います」
「貴殿の動機はわかった。正直に言わせてもらえば、少々やりすぎだと思わなくもないが……、まあ良かろう。危険な代物ではあるが、貴殿であれば取り扱いを間違える事も無いだろうし……。貴殿の傷付けられた誇りに輝きを取り戻す、そのための一助となれるなら、私としても本望と言うものだ」
「いやだから違うんですけど」
「良いぞ。この魔法陣の改良に手を貸そう。そして、貴殿を追い落とした輩の度肝を抜いてやろうではないか!」
バレてなかった。本当に全然、全く、これっぽっちもバレてなかった。バレるどころか、かすりもしてなかった。さすがである。
「ますたー。このまま勘違いさせておいた方が好都合ですよ」
「……………………」
耳元で、フェアがそっと囁く。天使の囁きならぬ、妖精の囁き。
思わず、うなずきそうになった。
自分は嘘は言ってない。ムチムチさんが勝手に勘違いしただけ。現状は、自分にとっては好都合である。少なくとも、バレるよりは好都合である事は間違いない。
「いや、さすがにマズくない、これ?」
「いいえ。マズくありません。ますたー」
「いやでも、善意で注意してくれてる人に手伝ってもらうのに、肝心な部分を誤解させたままっていうのは、さすがにちょっとアレなんじゃ……」
「問題ありません。ますたーこそが絶対の正義です。ますたーの為さる事は全てが善い事です。問題ありません。ますたー」
全肯定だった。
全肯定すぎて、逆にうなずけない。
自分の事情を知られるのは嫌だが、それはそれ、これはこれ。善良な人を騙して悪事の片棒を担がせようとしている感じがするのは、いただけない。
別に悪い事をしようとしている訳では無く、ただ元の世界に帰ろうとしているだけなのに、罪悪感が酷い。
こういう時、つくづく思う。結局、自分は凡人なのだ。全ての事情を打ち明ける覚悟も無ければ、罪悪感を呑み込んで突き進むだけの覚悟も無い。
凡人が無理しても、しょうがない。凡人は凡人らしく、事情と罪悪感がほどほどに折り合いが付くように仕事しよう。
「ムチムチさん、よく聞いてください。この魔法陣は、私が生まれ故郷に帰るために必要なんです」
自分の事情を適当に誤魔化したまま、誤解だけは解く事にした。
「それなら先ほども聞いたが?」
「出世がどうとかでは無く、もっと直接的な手段の話です。この魔法陣を改良したものを使って、生まれ故郷に帰りたいんですよ、私は」
「……んっ?随分とおかしな事を言うものだな。それではまるで、貴殿の故郷は、この世界の壁の外側にあるとでも言っているように聞こえるぞ?」
「そう言ってます」
「ふふっ、貴殿がそのような冗談を言うとはな」
「いや冗談では無く。……笑われるの、割と本気で心外なんですけど」
「い、いや、まさか、そんな事があろうはずが無い。まさか、世界の壁を越えて来たとでも言うのか?」
「はい。ですから、そう言ってます」
「な、何を言って……。あり得ない。あり得ないだろう、そんな事。定命の存在が世界の壁を超えるなど、無理だ。そんな事をすれば、砕けて終わりだ。よしんば世界の壁に穴が開いたとして、その穴を無事に通り抜けられるとは到底思えない。潰れてペチャンコになるぞ」
「えっ、そうなんですか?……じゃあなんで無事なんだよ、俺……この魔法陣を通してじゃないと帰れないって事か……?」
誤解を解こうとしたら、なんか新情報が出た。
異なる世界間の安全な移動のためには、どうしても元凶の魔法陣を転用しないと無理っぽい。
つまり、当初の方針通りだ。ここまま行く。
「お願いします、ムチムチさん。協力してください。この魔法陣の開発者は大昔に亡くなっていて、頼みたくても頼めません。この魔法陣を使った連中は、使い方は知っていても、使い方以外は何もわかっていなくて、全く頼りになりません。この魔法陣は一方通行で、あちら側からこちら側に来る事はできても、こちら側からあちら側には行けません。このままでは帰りたくても帰れないんです」
改めて協力をお願いする。深く頭を下げた。
「は、はは、はははっ……、そんな、まさか……、貴殿は、本当に……?」
どうやら無事に誤解は解けたらしい。
ただ、よほど信じ難い所業なのか、ムチムチさんの顔は盛大に引きつっていた。




