41.電設のヒデオさん、耳に触られる。
耳の話です。
目の前の黒夫に全力で意識を集中する。
周囲を気にしたら負けだ。ここに外野などいない。そう思い込む。
「く、黒夫。さ、触っていいぞ?」
「う、うん」
なんか緊張してきた。やたら緊張している黒夫が悪い。自分は悪くない。
黒夫が触りやすいよう、胡坐をかいたまま少し背を丸め、頭の位置を下げる。
微妙に手の置き場に困った。フローリングの床に手を付き、上体を安定させる。
黒夫が近付いてきて、太ももの内側の辺りに小さな手を置いた。
軽い。そして熱い。
体重がかけられているはずなのに、重さはそれほど感じない。その代わり、やけに高い体温がズボン越しに伝わってくる。
「……………………」
左耳を覗き込むように、黒夫が身体を傾ける。
自分の顔のすぐ近くに、黒夫の顔がある。
「……これがニンゲンの……にゃははっ、なんだコレ……よく見たら変な形してるぞ……にゃははっ……」
好奇心旺盛な猫のように、黒夫の黒目の瞳孔が大きく開いている。人間の耳を観察するのに集中していて、こちらの視線には全く気付いていない。
間近で見ると、改めて思う。つくづく黒夫は美形だ。
きっと大きくなったら凄いイケ猫の獣人になる事だろう。数多のメス猫の獣人からモテモテになって言い寄られたりするのかもしれない。
でも今はまだ子供だ。子供らしく頬を赤くして興味津々に何かを観察する様子は、本当に子供らしくて微笑ましい。
観察対象がただの人間の耳と言うのは凄い残念感あるけど。
「さ、触るぞ?ホントに触るぞ?いいんだな、ニンゲン?」
「いいよ」
めちゃくちゃ緊張した声を出す黒夫に、なるべく緊張している事を悟られないよう素っ気無く返事をする。
黒夫の右手がゆっくりと上がり、恐る恐ると言った様子で、そっと触れた。
「……あっ……ニンゲンの、硬い……」
「……………………」
まるで猫の肉球のような、ぷにぷにとした柔らかい感触が当たる。
黒夫の小さな指の腹が、ふちを丁寧になぞる。くすぐったい。
「……にゃははっ……ニンゲンの、触っちゃったぞ……にゃははっ……」
「……………………」
指の動きが本当に丁寧だ。形と硬さを確かめるように、ゆっくりと上下する。
小さくも熱い指。その熱が伝わり、肌がジンワリと温められていく。
「……ニンゲンの、ホント変なの……にゃははっ……上の方はピンッて立ってるのに、下の方は柔くてブラブラしてるぞ……なんだコレ……にゃははっ……」
「……………………」
何度も何度も上下しながら、少しずつ、指の動きが大胆になっていく。
指の腹に力が加わり、先端の肉が少し圧し潰されて変形する。
痛みは無い。くすぐったい。
「……ニンゲンの……これがニンゲンの、なんだ……」
「……………………」
熱中しているせいなのか、黒夫が更に身を寄せてくる。
頬と頬が触れてしまいそうなくらいにまで顔が近付いてくる。
「……ニンゲンの……もっと……」
「……………………」
そして、一気にゼロになった。
「……はむっ……」
「……っ……」
気付いたら、甘噛みされていた。
「……はむっ……はむっ……」
「……っ……」
小さな口唇に、先端の部分が咥え込まれた。
歯が当たらないように気を遣っているのか、柔らかい感触だけがある。
熱く湿った口唇が、やわやわと食感を楽しむように動いている。くすぐったい。
「……はむっ、あむっ……ぺろっ……」
「……っ……」
猫のようなザラザラした舌が触れた。熱い。
溝に舌先が捻じ込まれ、内側を引っ掻くように舐め上げていく。
まるで丁寧に掃除をするように、舌先で何度も溝をなぞられる。
こんな汚い事はさせられない。
こんな汚い事をさせるつもりなんて無かった。
もう止めないとマズい。
もう止めさせないとマズい。
「……はむっ……ぺろっ……れろっ……」
「……ぅっ……」
舌が強く押し付けられた。
唾液に濡らされ滑りの良くなった表面を、ザラザラとした舌全体で堪能するように大きく舐め上げられる。
変な気持ち良さに、思わず気持ちの悪い声が漏れそうになり、口を固く閉じた。
止め損ねた。
「……ぺろっ、ぺろっ……はむっ……ぺろっ……」
「……っ……」
舌の動きに遠慮が無くなっていく。
もう全体が口唇に咥え込まれて、余すところ無く唾液で濡らされた。
舌先をこすり付けるように激しく上下させ味わっている。
食べられている。
このままだと全て食べ尽くされる。
くすぐったい。気持ちいい。止めないとマズい。もう止めないと本当にマズい。
わかっているのに、止める言葉が出ない。出せない。
止めたくない。
「……んむっ……れろぉっ……」
「……うあっ……!?」
何の前触れも無く、いきなり舌先が穴に捻じ込まれた。
細い舌先が奥までズリッと一気に侵入し、穴の内側の弱い部分がザリザリと削り取られるように強く刺激される。
「だ、ダメだ、黒夫!これ以上は!」
強い刺激のおかげで、ようやく我に返った。
慌てて黒夫の肩を掴み、身体を引き剝がす。
舐められている部分に意識を集中しすぎた。
いつの間にか、お互いの身体が密着していた事にも気付いていなかった。
「フーッ、フーッ、フーッ!」
「お、おい、黒夫?ど、どうしたんだ?」
おかしい。黒夫の機嫌が激しく悪化している。まるで猫が威嚇するように荒く息を吐きながら、凄い形相でこちらを睨んでいる。
ついさっき観察している時は無邪気な子供の目だったのに、今は肉食獣のような鋭い目だ。
そう言えば、猫は肉食獣だった。
「フーッ、フーッ、フーッ!」
「お、落ち着け、黒夫」
「フーッ、フーッ、フーッ!」
「とにかく落ち着け。落ち着くんだ。話せばわかる」
「フーッ、フーッ、フーッ!」
「落ち着け。落ち着くんだ。な?わかるな、黒夫?」
一向に鎮まる様子が無い。それでも何度も声をかけて落ち着かせる。
なんでこんなに機嫌が悪化したのかは不明だが、そんな疑問は後回しでいい。まずは落ち着かせないとマズい。このままでは絶対にマズい。
何がどうマズいのか自分でもよくわからないが、とにかくマズい。
「に、ニンゲン……っ……」
「く、黒夫……っ……」
黒夫が再び身を寄せようとしてくる。
小さな肩を掴んで全力で腕を突っ張っているが、負けそうになるくらい強く身を寄せようとしてくる。
力負けしそうになる。
「に、ニンゲン……オレ……オレ……っ……」
「……黒夫……」
もう負けてもいいんじゃないか。一瞬そんな考えが脳裏を掠めた。
思わず、腕の力が緩んだ。
緩めてしまった。
「……っ……」
「……………………」
黒い瞳が真っ直ぐにこちらを見つめている。顔が近付いてくる。そして。
「クロオ。ヒデオ殿。さすがに、ここでそれ以上は……」
寸前で外野に止められた。惜しい。いや惜しいって何だ。
助かった。なんで助けたんだ。いや助けてくれて助かった。
良かった。いや良くないけど良かった。きっと良かったはずだ、多分。
「……にゃあっ……?」
第三者が止めに入ってくれた事で、さっきまでの変な雰囲気が霧散する。
「にゃっ、にゃっ、にゃあっ……!?」
獣性に支配されていた黒夫の目に、理性の光が戻って来る。
「にゃああああああああっ!?」
そして錯乱し、また理性を失った。
「ち、違う!違うんにゃ!い、今のは違うんにゃああああっ!」
「お、落ち着け、黒夫!」
「にゃああああっ!?」
顔を引っ掻かれた。
「イッテェッ!?何度も何度も何しやがんだ、この野郎!」
「にゃああああっ!?」
「うわっ、馬鹿、落ち着け!腕振り回すな!ってか爪を立てるな!」
「にゃああああっ!?」
腕をグルグル回して暴れてる。完全に駄々っ子だ。手が付けられない。
「ニンゲンにゃんか大っキライにゃああああああああっ!」
「いや何でだよ!?」
ひとしきり暴れると、黒夫は捨て台詞を残してリビングから逃げ出した。
そしてすぐ隣の和室に隠れた。近い。
「……にゃああああああああっ……!?」
ベッドに潜ってミノムシみたいになり、鳴きながら足をバタバタさせていた。思春期に誰もが必ず一度は夜中にやるアレである。
黒夫は小学生くらいだから、まだ早い。しかも今は午前中なので、まだ早い。
「何だったんだよ、一体……」
さっきまでの非日常的な感覚が尾を引いている。自分の中にモヤモヤした熱がこもっている気がして、酷く落ち着かない。
夢か幻だったと思い込んで忘れたい。
左耳に濡れた感触が生々しく残っていて、しばらく忘れられそうにない。
ちょっとした罰ゲームをするだけだったはずなのに、どうしてこうなった。
「……………………」
濡れてしまった左耳を拭く。口唇と舌の感触ごと拭うように、ゴシゴシと強めに拭く。
本当に、さっきのアレは一体何だったんだ。何がどうして、ああなった。
「おじちゃん」
ガシィッと背後から肩を掴まれた。
何故だろう、心臓を鷲掴みにされたような感覚がする。耳を拭いてる場合じゃない。
「クロオばっかりズルいの」
「いや、あの、魅雪?アレは別にズルとかそういうのじゃないんだけど」
ミシィッと肩から嫌な音が聞こえた。肩甲骨が圧迫骨折の危機。
「ズルいの。ボクも触りたいの」
「いや、あの、俺のなんか触っても別にいい事なんか無いよ?」
マズい。非常にマズい。このままではマズい。何が何だかよくわからないがマズい気がする。
逃走一択。逃げるように、その場を立ち去ろうとした。
立ち去ろうとして、立ち上がれなかった。
「あの、魅雪?手を放して欲しいんだけど……」
「ズルいの。ボクも触りたいの」
立ち上がろうとするたびに、絶妙に重心をズラされ、うまく立ち上がれない。
単純な力比べなら自分の方が上だが、力の使い方は魅雪の方が遥かに上だ。抑え込まれたら、抜け出せない。
「おじちゃんの、ボクも触りたいの。……ダメ?」
「……まあ、そんなに触りたいって言うなら、別に触ってもいいけど」
平和ボケ国家で生まれ育ち、サビ付いていた生存本能が今、叫んでいる。決して逆らってはいけない、と。
背後を取られてた時点で、選択肢など、あって無いようなものだった。いかに勇者と言えど、鬼女に背後を取られたら成す術は無い。
「ホントに?触っていいの?」
「いいよ。でも、あんまり変な風にしないでね」
許可を出すと、肩にかかっていた握力が少しだけ緩んだ。少しだけ。
まるで真綿をかませた万力のように、柔らかくもガッチリ固定されている。ビクともしない。
「くふふっ……」
「……あの、魅雪?ちょっと近すぎないかな?」
「ううん。これくらいでちょうどいいの」
自分の背中に、魅雪がピタリと体を寄せてくる。
幼くとも女の子らしい柔らかさを背中に感じる。熱と鼓動を感じる。気まずい。
「動いちゃダメだよ、おじちゃん?」
「あ、ああ、うん。動かないよ。うん」
気まずくて思わず身動ぎしたら、肩にかかる握力が増した。
完全に動きを掌握されている。逃げたくても逃げられない。
「……おじちゃんの……くふふっ……これがおじちゃんの……」
「……………………」
右肩の後ろに、魅雪の体重がかかる。
背後を取られてよく見えないが、右耳を見られているような気配がする。
人間の大人の耳なんか見て何が楽しいのか謎だ。子供の趣味趣向は、大人には理解し難い。
「すぅぅぅぅっ……おじちゃんの……すっごい、くさぁい……」
「ちょっ、何やってんの!?」
付け根の裏側に鼻先を押し付けられ、臭いを嗅がれた。
昨晩は疲れていたので、風呂には入らず、すぐ寝てしまった。そのせいで臭うのだろうか。昨日以外は毎日ちゃんとキレイに洗っているはずだけど。
「くふふっ……くさぁい……これが、おじちゃんのにおい……くさぁい……」
「なんで嗅ぐの!?」
「すぅぅぅぅっ……くさぁい……くふふっ……くさぁい……」
くさいと言いつつ、何故か臭いを嗅ぐのをやめてくれない。
裏側に吐息が掛かる。くすぐったい。気まずい。凄く気まずい。
「……っ……」
無意識に頭を動かし、魅雪から逃れようとした。
逃れようと、してしまった。
「……ガリッ」
「いっつっ!?」
先端に思いっきり歯を立てられた。
「くふふっ……。ごめんなさぁい。おじちゃんが急に動くから、ちょっと加減を間違えちゃったの」
「あ、ああ、そ、そうなんだね。うん。それならしょうがないね。うん」
ちょっと加減を間違えちゃったらしい。それならしょうがない。しょうがないったら、しょうがない。
追及してはいけない。
「痛かったよね。消毒してあげるね、おじちゃん」
「……っ……」
先端に舌先が触れた。
「……チロッ……チロッ……」
「……ぅっ……」
舌先がホンのちょっとだけ触れている。
触れるか触れないかというくらいの、かすかな刺激。
くすぐったい。猛烈にくすぐったい。
「くふふっ……。ジッとしててね、おじちゃん?」
「……はい」
思わず動きそうになってしまうたびに、先端の部分を小さな歯が掠める。まるで機先を制するように。まるで警告を発するように。
ホンのちょっと掠めるだけで、痛みは無い。
痛みは無いが、動けない。
「……チロッ……チロッ……」
「……っ……」
噛まれた痕がジクジクと鈍く痛む。血液が集まっている感覚がある。その上を、小さな舌先がなぞっていく。ゆっくり、ゆっくり、なぞっていく。
刺激とも呼べないような弱い刺激に、身体が過剰反応してしまう。筋肉が引きつり、震えてしまう。
「くふふっ……おじちゃんの、ピクピクしてる……かわいい……ちゅっ……」
「……っ……!?」
小さい口唇が寄せられ、リップ音が鳴った。
「あ、あの、魅雪?何して――」
「消毒だよ、おじちゃん」
「い、いや、でも、今のは――」
「消毒だよ。消毒してるんだよ」
さすがに、これ以上はマズい。むしろ、すでに手遅れなほどマズい気がする。止めないとマズい。
「くふふっ……。消毒してるんだから、ジッとしてなきゃダメなんだよ、おじちゃん?」
「……はい」
囁くような小さな声。優しげな声音のはずなのに、鬼気迫る何かがある。
逆らえない。動けない。
「……ちゅっ……んっ……ちゅっ……」
「……っ……」
再び、小さい口唇が寄せられる。繰り返されるリップ音が脳を揺さぶる。
「くふふっ……消毒だよ……消毒だからね、おじちゃん……」
「……っ……」
これは消毒だ。消毒だから、しょうがない。
脳の片隅がジクジクと麻痺しているように、うまく思考が回らない。
「……ちゅっ……くふふっ……ちゅっ……ちゅっ……」
「……っ……」
ついばむように口唇が触れていく。
先端から少しずつ下りて、下部の付け根にまで口唇が触れ、そしてまた先端に。
全体が消毒されていく。
「……もっと……もっともっと消毒してあげるね……」
「……っ……」
これは消毒だ。消毒だから、しょうがない。
もっと消毒して欲しい。
「ミユキ。やりすぎだ。ヒデオ殿が困っているだろう」
外野に消毒を邪魔された。
せっかく消毒されていたのに、どうして邪魔するのか。いやそもそもこれ消毒じゃない。
止めてくれて助かった。凄く惜しい気がするけど助かった。
「ヤなの。もっとするの」
「何を言っている。もう十分だろう。離れるのだ」
「うー。お姉ちゃん、イジワルなの」
「イジワルではない」
背中に密着していた魅雪が離れる。急に熱が離れて、少し寒い。
熱に浮かされていた思考が、少し冷えた。
「……ねえ、魅雪、ちょっといいかな?」
「なぁに、おじちゃん?」
向き直り、魅雪の様子を見る。黒夫の様子ばかり気になって気付いていなかったが、魅雪は魅雪で少し様子がおかしい。
「もしかして……、風邪引いた?」
魅雪の色白の肌が、ほんのり火照っている。熱に浮かされたようなポーッとした表情をしていた。
「フェア。体温計」
「はい。体温計です。ますたー」
体温計が出た。非接触タイプ。数秒で計測可能。
「ちょっとジッとしててね、魅雪」
魅雪の前髪を上げ、額の温度を測る。
ピッという電子音。体温37.0℃。
「……風邪って言うほど酷くは無いけど、やっぱりちょっと熱あるね。ゴメンね、魅雪。体調悪かったのに気付くの遅れて」
「ううん。ボク大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないよ。今日一日、ちゃんと休んでね」
昨日の今日で、疲れが出たのかもしれない。
子供の中には、遠足が楽しみすぎて興奮しすぎて、前日に体調を崩す子もいれば、終わってから体調を崩す子もいる。
微熱であっても、甘く見てはいけない。油断していると悪化して、治るまで長引いてしまう事もある。
「ほら、魅雪、ベッド行くよ」
「んっ……」
魅雪を横抱きに抱き上げて運ぶ。大した距離では無いが、念のため。
和室のベッドに寝かすと、魅雪は少し不満そうな顔をした。
「ボク大丈夫なのに……」
「ダメだよ。ちゃんと寝ないとプリン抜きにするからね」
「うぅっ……プリン……」
「その代わり、いい子にしてたら、お昼は魅雪の好きなのにしてあげるから。何かリクエストある?」
「……お魚がいいの」
「わかった。お魚ね。……もうちょっと何か無い?どんな魚がいいとか」
「じゃあイワシ」
「イワシ!?……まあ、うん、イワシね、イワシ。お昼になったら起こすから、それまで寝てるんだよ」
「はぁい」
少し不満そうにしていたが、ベッドに寝かし付けると静かになった。
やはり昨日の疲れが残っていたのだろう。子供の疲労は、大人ほどわかりやすく見えないものだ。
リビングに戻ると、ムチムチさんがわかりやすく落ち込んだ顔をしていた。
「ミユキの体調の悪化に気付けないとは、不覚だ……」
エルフ耳がしおれていた。
「仕方がありませんよ。パッと見では元気そうでしたし、朝ご飯もちゃんと残さず食べてましたし、微熱くらいでは気付けない事もありますよ」
「だが、ヒデオ殿は気付いたではないか」
「それは、まあ、そうですけど」
密着して高い体温を感じていたからだけど、それを言うのは気まずい。
「うおっほん!……少々不覚ではあったが、まあ、それはそれとして、だ。なあ、ヒデオ殿?」
ムチムチさんが、わかりやすく咳払いをする。何かを期待するような目でこちらを見ていた。
「次はいよいよ私の番だな!」
エルフ耳が元気良さげにピンッと立った。
「ええっと……。何がですか?」
「決まっているではないか。次は私が触る番だろう?」
何故かムチムチさんまで触る気になっていた。何故だ。
「いや何言ってんですか。触らせませんよ、ムチムチさんには」
「な、なんだと!?触らせないとは一体どういう事だ!?」
「どうもこうも、なんで触らせる事になってるんですか」
「クロオとミユキには触らせていたではないか!ならば次は私の番に決まっているではないか!それでこそ平等と言うものだろう!」
「大の大人が何を言ってるんですか。変な所で子供と張り合おうとしないでくださいよ」
「またそうなのか!またあの子達だけなのか!やはり小さな子供にしか興味が無いのだな!?そうなのだな!?」
「全然違います」
むしろ逆です。大人の女性に興味津々です。だからこそ、触らせられない。
黒夫も魅雪も子供だ。子供に触られたからって、どうという事も無い。最後の方、ちょっと変な雰囲気になりかけたような気がしないでもないが、気のせいである。所詮は子供のイタズラみたいなものである。何の問題も無い。無いと言ったら無い。
ムチムチさんはダメだ。触らせられない。
触られたら、歯止めが利かなくなる気しかしない。
自分で自分の自制心に自信が持てない。
「どうしても、ダメか?」
「どうしても、ダメです」
何度も要求されても、何度でも突っぱねる。
何度も突っぱねてるのに、なかなか諦めてくれない。
この人、変な所で諦めが悪い。タチが悪い。
「なあ、良いではないか。何も減るものでも無し」
「ダメです」
「痛くしないから。ホンのちょっとだけ、ホンの先っちょだけでいいから」
「ダメなものはダメです」
なんかセクハラオヤジみたいに手をワキワキさせながら、ムチムチさんが迫って来る。やたら鼻息が荒い。目が血走ってギラギラしてる。異様な熱量を感じる。
百年の恋も冷めそうな酷い姿のはずなのに、何故か美しさが微塵も損なわれてない。むしろ異様に扇情的で頭がクラクラする。本当にタチが悪い。
「よし、それではこうしようではないか。ヒデオ殿、私のに触ってくれ。お互いに触り合うのだ。それなら良かろう?」
なんかとんでもないこと言い出した、この人。
「先に私のを触ってくれ。何なら舐めたり齧ったりしてもいいぞ?」
更にとんでもないこと言い出した、この人。
「ほら、ほら、ほら。好きなだけ触ってくれ。ちょっとくらいなら弄ったり痛くしてもいいぞ?」
エルフ耳がピコピコしていた。
触りたい。めちゃくちゃ触りたい。触ってめちゃくちゃにしたい。
触りたいけど、触ったら確実に終わる。最終局面に至るまで止まれなくなる、確実に。
そうとわかっていても、触りたい。
「……………………」
もう我慢しなくてもいいだろうか。
これまで我慢してきたのだし、もういいだろうか。
触って、舐めて、齧って、弄って、痛くしてもいいだろうか。
本能のまま、好きなだけ、めちゃくちゃにしてもいいだろうか。
誘われるままに、手を伸ばす。
「ますたー。体温計です」
「……………………」
誘われるままに手を伸ばした先で、フェアが立ち塞がっていた。
体温計を受け取り、ムチムチさんの額に向ける。
ピッと言う電子音。体温37.3℃。
「……うん、風邪ですね、これ」
風邪だった。それなのに、肌は白い。むしろ、いつもより青白い。
よく考えたら、うちで身体能力が一番低いのは、この人だ。真っ先に体調を心配するべきだった。
「体調が悪いなら、ちゃんと言ってくださいよ」
「そんな事はどうでも良かろう。触ってくれ。そして触らせてくれ」
「はいはい。寝ましょうね、ムチムチさん」
俵担ぎ。熱に浮かされたように変な事を口走る病人を、ベッドに放り込む。
「こ、このまま触るのか?つ、ついに……!いいぞ、さあ来い!」
「触りません。いいから大人しく寝てください」
病人が相手では、さすがに外道すぎて萎える。変な気分は霧散した。
三人を和室に置いて、リビングに戻った。
「……はぁ……物凄く惜しい事をしたような……超もったいねえ……」
変な気分は霧散しても、こびり付いた思考が脳内から消えてくれない。
熱に浮かされている内に、好きなだけ触れてしまえばいい。脳内の悪魔が囁く。
「おしいこと?それはなんですか?それはなんですか?それはなんですか?」
「……いや、何でも無いよ、うん」
眼前のフェアにガンガン問い詰められて、正気に戻った。
念のため、自分の体温も測定。
ピッと言う電子音。体温36.9℃。
「うーん……これまた微妙な熱だなぁ……でも、まあ、今日は休んだ方がいいかな、一応……」
「はい。お休みしましょう。ますたー」
無理をしなければいけないほど切羽詰まった状況でも無い。無理せず休養する事に決めた。
丸一日、食事の準備以外、何も仕事はしなかった。
その日の主寝室にて。
「……あの、フェア?」
「何でしょうか。ますたー」
「……いや、何でも無いよ、うん」
寝ている間中、ずっとフェアに触られ続けた。
止めようかとも思ったけど、そのままにしておいた。
日がな一日、耳に触ったり触られたりしながら過ごす。ただそれだけのお話。




