4.電設のヒデオさん、気付く。
毎朝の日課に、電動シェーバーでのヒゲ剃りが加わった。
「……ああ、元の世界に帰りたい、切実に……」
「ますたー。帰りたいですか?」
「帰りたいよ。異世界の生活レベル、低すぎる……」
なまじ文明の利器に触れてしまったせいで、異世界生活が辛い。
普通なら家族や知人に会えない事が辛くなるのかもしれないが、そういう情緒的なホームシックにかかる余裕が無い。
「……明るい灯りの下で、うまい飯が食いたいなぁ……」
元の世界への郷愁が即物的だった。我ながらどうかと思う本音だった。
勇者召喚から2週間が経過した。以前よりもヒゲ剃りは快適になったが、それ以外は変化の小さい無難な日常を堅実に過ごしていた。
夜間の自主訓練は、以前のような地道なものに戻した。部屋の機密保持には成功したが、何度も危ない橋は渡りたくない。
昼間の勇者教育の方は、内容には大きな変化は無かった。ただ、教育外の事では一点だけ変化があった。お茶会に参加者が増えた。
午前と午後のお茶の時間。自分と第八王女殿下の他に、元第六王女殿下(人妻)が参加するようになった。第八王女殿下のフォローをするための人員と思われる。
王国の思惑としては、元第六王女殿下(人妻)を仲介役にして勇者と第八王女殿下の交流を活性化し、関係を深めさせたいのだと推測される。
……のだが、結果としては、第八王女殿下が元第六王女殿下(人妻)とだけ会話をするという状況になっていた。こちらに作り笑顔を向けなくなった分、以前よりも悪化している。
自分としては、凄く気楽になった。毎日天気の話をするのは地味にキツかったが、ようやく解放されたのである。代わりに元第六王女殿下(人妻)が対応に苦慮している様子だった。
とても美人な元第六王女殿下(人妻)が困ったような顔をしつつも妹を可愛がる姿は、本人には申し訳無いが、とても目の保養になる。
本日は特別に、お茶会の後、実戦訓練の様子を元第六王女殿下(人妻)が見学する事になった。
元第六王女殿下(人妻)は、他に小学生くらいの男の子と幼稚園児くらいの女の子も見学に連れて来ていた。どちらも金髪碧眼の美少年と美幼女だった。
「ほら、あなた達、お父様を応援してあげて」
「ちちうえ~!がんばれ~!」
「ちぃうえ~!がぁばれ~!」
「よ~し、お父さん頑張っちゃうぞ~!」
男の子が元気な声で、女の子が舌っ足らずの可愛い声で、必死に応援している。金髪碧眼のイケメンが、片手を上げて応えていた。
騎士団長閣下の御家族による心温まる光景だった。心臓の血が温まりすぎて死にたくなる。
「ぐふうっ……団長マジ勘弁してくれっ……これは辛すぎるっ……」
「憎いっ!この世の不公平が憎いっ!この世の不条理が憎いっ!この世の全てが憎いっ!」
「どうして俺には嫁さんがいないんだっ!俺も嫁さん欲しいよおおおおっ!」
「いや~、いつ見ても美人っスね、団長の奥さん。お子さん達も可愛いし、羨ましいっス。……馬から落ちて頭打たないっスかね」
外野の騎士団員達の半数が、流れ弾で轟沈していた。
騎士団長閣下が18歳の時に、二人は結婚したらしい。奥様は当時12歳。ここは異世界だからセーフらしい。
家同士の取り決めによる政略結婚だそうだが、二人は幼馴染で、まだ子供だった頃は『にいさま』と呼ばれていたとか。
今でも夜の夫婦の時間に感極まると『にいさま』と呼んでもらえるとか。
そんな感じの惚気話を聞いてもいないのに聞かされた。剣をビシバシ体に当てられながら。
当然の如く、こちらの剣は掠りもしなかった。怒りと悲しみで覚醒した勇者パワーは通用しなかった。
「ああっ、かっこいいです、にいさま……」
「ちちうえ、つよ~い!」
「ちぃうえ、つぉ~い!」
「はっはっはっ、そうだぞ~、お父さんは強いんだぞ~!」
地獄は、ここにあった。
極々平々凡々なサラリーマンにも、本気で人を殺したくなる時と言うものがある。今夜はそんな気分だった。
どうにか自室に帰るまでは自重した。部屋のドアを閉じた瞬間、心の底から湧き上がる衝動のままに叫んだ。
「リア充爆発しろ!」
「はい。リア充爆発です。ますたー」
爆弾が出た。頭から血の気が引いた。
「……いや、本気じゃないから」
「ますたー。本気じゃないですか?」
「うん。勿論本気じゃないよ。本気のはず無いじゃないか、はははっ」
ついさっきまで本気で人を殺したい気分になっていたとか、もちろん冗談である。冗談以外の何物でも無いのである。平凡なサラリーマンは人を殺さないのである。
それはそれとして、目の前に出現した爆弾を観察する。
「これは本物……なのか?現物を見た事無いし、わからん……それっぽくはあるけど……」
ドラマや映画で見た事があるような、複数本の細長い円柱を束にした爆弾本体に、デジタル表示の時計が付いた時限爆弾だった。まだスイッチは入っていないので、すぐに爆発する心配は無さそうである。
「時計の部分が電気で動くから、時限爆弾も電気設備って事か……いやいや、さすがにこれはどうなんだ。設備を壊す側だろ、これ……」
「ますたー。ダメでしたか?」
「あっ、いや、妖精さんはダメじゃないよ。うん、見事な爆弾だね。さすが妖精さん。……でも、よくこんなの出せたね」
「わたしは要請に応える者です。ますたー」
「……そうか、俺の要請に応えて出したのが、これなのか……こんな代物まで出せるのか、妖精さんは……」
その時、脳裏を悪魔の閃きが走った。
「……まさか、電気で動くなら、武器も電気設備として出せるのか……?」
自分のスキルは戦闘向きではない。しかし、スキルによって戦闘を有利に進める武器が出せるなら、戦闘向きのスキル以上の有用性を示せるかもしれない。
「は、はははっ、一発逆転のチャンス来た!チャンバラやってる連中相手に電気の武器で無双してやるぞ!」
「はい。電気の武器です。ますたー」
興奮して思わず右手を突き上げた。スタンガンを握り締めていた。
「……いや、まあ、電気の武器で真っ先に思い浮かぶの、これだけど……これで無双は無理だろ……」
少しだけ想像してみた。スタンガンを片手に騎士団長閣下に戦いを挑む自分の末路は、剣の時より悲惨だった。
全力で剣を振っても掠りもしないのに、それより間合いの短いスタンガンが当たるはずが無い。
「とにかく間合いの広い武器だ。マシンガンとか」
「ますたー?」
マシンガンを思い浮かべた。マシンガンは出なかった。
「……あれ?妖精さん?マシンガンだよ、マシンガン。マシンガンを出して欲しいんだけど」
「ましんがん、わからないです。ましんがん、出せないです。ますたー」
妖精さんは不思議そうに首をかしげていた。可愛い。思考が乱れた。
気を取り直して、マシンガンを出す事に集中する。
「マシンガンのイメージが足りないのか?でも、これ以上のイメージなんて、どうすれば……本物なんて触った事も無いし、これ以上の記憶なんて無いぞ……」
「ますたー?」
自分なりに、いつもより強く意識してマシンガンを思い浮かべた。やっぱりマシンガンは出なかった。
「な、なんで出ないんだ?武器だからか?……いや、それならスタンガンや時限爆弾も出ないはずだし……」
「はい。スタンガンと時限爆弾です。ますたー」
「あ、うん。今はこれじゃなくてね、マシンガンが欲しいんだけど。妖精さん、マシンガンだよ、マシンガン」
「ますたー?」
何度マシンガンを思い浮かべてみても、マシンガンが出ない。出ないったら出ない。どうやっても出ない。出ない。
「……もしかして、マシンガンって電気で動いてるんじゃないのか?だから出せないのか?」
スタンガンが出せたのに、マシンガンが出せなかった理由は、他に思い付かなかった。
「マシンガンの動力が電気じゃないなら、どうやって動いてるんだ?知らないぞ、マシンガンの詳しい仕組みなんて……」
改めて考えてみれば、マシンガンに限った事では無い。そもそも自分は武器に関する知識など持っていない。身近に武器があるような生活は送ってこなかったし、ミリタリーマニアでも無いし、特に興味も無かった。
「普通のサラリーマンに武器の知識があるかよ……電気で動く工具なら色々思い浮かぶけど……」
ふと、初めて電動ドリルを使ってケガをした時の事を思い出した。
「はい。電気で動く工具です。ますたー」
「……相変わらず、電気で動くものに関しては反応早いね、妖精さん」
電動ドリルが出た。形だけ見れば武器っぽい。スイッチを入れるとウィィィィィィィィンッというお馴染みの駆動音がした。
「ドリルも一応、武器として使おうと思えば使えなくはなさそうだけど……、これも超近接専用武器だな」
「ますたー。ドリル、ダメでしたか?」
「いや、見事な電動ドリルだよ、妖精さん。他にも工具出せる?」
「わたしは要請に応える者です。ますたー」
「とりあえず工具でいいから、せめてもう少し間合いと破壊力のありそうな工具が欲しいな。ええっと、例えば……チェーンソーとか?」
「ちぇーんそー?それはなんですか?」
「歯が回転して対象を削り切る工具だよ」
「はい。歯が回転して対象を削り切る工具です。ますたー」
丸ノコが出た。ホームセンターのDIY体験イベントで一度だけ使った事がある。
ドリルが点攻撃なのに対して、丸ノコは線攻撃。ドリルよりは破壊力がありそうだが、いずれにしても間合いは短い。
「妖精さん、これはチェーンソーじゃないよ。チェーンソーを出して欲しいんだけど」
「ますたー。ちぇーんそー、わからないです」
「ええっと、なんて説明すれば……いや、言葉で説明しなくても、イメージすればいいのか……」
妖精さんにイメージを伝えるために思い浮かべたのは、古き良きB級ゾンビ映画で活躍する最強武器の姿。
恐ろし気なドゥルルルルルルルルンッという重低音と共に振り回されるそれは、剣よりも遥かに強そうだった。使った事が無いので、実用性は知らないが。
「ますたー。ちぇーんそー、出せないです」
「……あれ?これでも出せないって事は、もしかしてチェーンソーも電気で動いてるんじゃないのか?」
「わからないです。ますたー」
チェーンソーは出なかった。妖精さんは困ったような顔をしていた。笑顔も可愛いが、困り顔も可愛いかった。思考が乱れた。
気を取り直して、工具に意識を集中する。
「でも、他に武器になりそうな工具なんて知らないぞ……いや待て、思考がおかしな方に流れてるな。俺が欲しいのは武器だ。工具じゃない。普通に武器を考えろ、武器を」
「ますたー?」
拳銃。ライフル。マシンガン。ショットガン。手榴弾。バズーカ砲。自分なりに色々と武器を思い浮かべてみたが、武器は出なかった。
「ますたー。わからないです。ますたー」
「で、出ない……電気で動く武器って何だよ……武器の知識なんて持ってねえよ……」
今までは出すぎる事に難儀してきたのに、武器に関しては、出て欲しいものが出ない。電気設備がわからない。
気落ちして視線を落とすと、ついさっき出したばかりのスタンガンが目に映った。
「……俺はスタンガンの知識なんて、ほとんど持ってない……それでもスタンガンは出たんだよな……」
スタンガンを握り、スイッチを入れる。電極の間を青白い光が走り、バヂヂッと痛そうな音が響いた。スタンガンは正常に稼働している。
「……詳しい知識が無くても、細かい部分は妖精さんが補完してくれる……難しく考える必要は無い……」
視線を上げる。部屋に散在する家電の中で、一際異彩を放つ温水便座と便器が見えた。
「……本体がオマケで、オマケが本体……どっちがどっちでも、妖精さんには関係無い……」
視線を横に逸らす。冷蔵庫が見えた。
「……条件を満たせば、肉すら出る……妖精さんに限界は無い……限界を決めているのは、俺だ……!」
目を閉じて、意識を集中する。
思い浮かべたのは、某家出少女が訓練で使っていそうなスナイパーライフル。電気で動くレーザーポインター装着済。
「いでよ、ライフル!」
「はい。ライフルです。ますたー」
「よっしゃぁ、出たぁ!」
レーザーポインター装着済スナイパーライフルが出た。ようやく出せた武器らしい武器に、思わず喝采を上げた。
「はははっ、これでいける、いけるぞぉ!こいつで敵の脳天ブチまけてやる!」
「のうてんぶちまけ?それはなんですか?」
妖精さんの、無邪気な声。それを聞いて、頭の芯が一瞬で凍り付いた。喜びは消し飛んでいた。
「……脳天ブチまけるってのは、妖精さんが知らなくてもいい事だよ」
「ますたー。知らなくていいですか?」
「……ああ、妖精さんは知らなくていい。俺も知るつもりは無い」
ズシリッと重たい感触。冷たい鉄の手触り。初めて持ったライフルは、ただ持っているだけで恐ろしい。
「……アホか俺は。妖精さんに、こんなモン出させて……何する気だったんだよ……」
手の中のそれは、非現実的なまでに現実味があった。
勇者として召喚されてから2週間、毎日剣を振ってきた。それはまるで、とてもよくできた一人称視点の映画を見ているようだった。
剣を振る自分。剣を振る騎士団員達。剣を振る騎士団長閣下。とてもよくできた、しかしどこか現実味の無い、スクリーンの向こう側の世界のような非現実感があった。
自分は武器に詳しくない。剣もライフルも、自分にとっては縁遠い。どちらも現実味が無い。しかし、剣とライフルを比べれば、ホンの少しだけライフルの方が現実味がある。そのホンの少しのわずかな差が、非現実感を引き裂いた。
映画のような世界が現実に変わった。今、自分の手の中にあるのは人を殺すための道具なのだという、恐ろしい実感があった。
ライフルから発射された弾丸が人を殺す様子を想像して、吐き気がした。
「……何が勇者だ。その気になって、アホか俺は。普通のサラリーマンが、そんなモンになれる訳ねえだろ……」
体は、召喚の副次効果により強化されている。
技は、付け焼刃ながらも特訓のおかげで身に付いて来ている。
では、心はどうか。無理だ。どうにもならない。
勇者は魔族との戦争に勝つために召喚された。戦争で魔族を殺すのが勇者の仕事だ。その覚悟を持たない者は勇者になどなれない。
そもそも自分は、魔族が本当はどういう存在なのかすら、よく知らない。よく知りもしない者達を殺す覚悟など、できるはずが無い。
「……なんで今更、こんな事……もっと早く気付けよ、アホか俺は……」
凄まじい自己嫌悪で吐き気がした。
「ますたー。ますたー。豆電球です。ますたー」
「……妖精さん?何、突然?」
気が付けば、豆電球の回路があった。こんなものを出して欲しいなんて考えた覚えは無い。
こちらの困惑をよそに、妖精さんは回路に取り付いて腕を突っ張っていた。
「ますたー。スイッチ入れます。んっしょ。豆電球が光りました。ますたー」
「ああ、うん、光ったね、豆電球」
「ますたー。豆電球が明るいです。眩しいです。ますたー」
「いや、別にそこまで明るくないと思うけど……」
「ますたー。明るいです。眩しいです。豆電球、もっと出しますか?」
妖精さんが、豆電球の周りをクルクルと踊るように回っていた。
妖精さんはいつも自由だが、何だかいつもの自由さとは少し違う気がした。
「ええっと……。もしかして妖精さん、心配してくれてる?」
「しんぱい?それはなんですか?」
「……悪いね、心配させるような情けないマスターで。でも、何も心配しなくていいよ」
「ますたー?」
気合を入れ直さなければならない。
ライフルを強く握り締め、銃身を全力で頭に打ち付ける。
ゴンッといい音がした。
「ますたー。頭大丈夫ですか?」
「どうかな。正直、自信は無いけど……目は覚めたよ、多分ね」
勇者級の馬鹿力で打ち付けたせいで、ライフルの銃身はひしゃげてしまった。どうせ使う予定は無いから、これでいい。
勇者級の頑丈さを得てからと言うもの、まともに痛みを感じた事も無かったが、今のはさすがに痛かった。おでこがジンジンする。目覚ましには丁度良い。
「自己嫌悪している場合じゃないな。もっと他に考える事がある。そっちが先だろ」
自分で自分に言い聞かせ、思考を乱す自己嫌悪を無理矢理頭から振り払った。
状況に流されるまま戦場に行き、状況に流されるまま魔族と戦い、状況に流されるまま殺せば、もう二度と後には引けなくなる。
逆に言えば、その手前なら引き返せる。今はまだ、手前だ。
「落ち着け。冷静になれ。後悔している時間も惜しい。気付くのが遅れたとは考えるな。まだ取り返しが付く内に気付けて良かったと考えろ。まだ終わってない。始まってもいない。ここからが本番だ。ここからどうする。どう動く。何をすればいい。逸るな。焦るな。落ち着いて冷静に考えろ、俺」
その日は夜明けの直前まで、これからの事を考え続けた。
「ますたー。豆電球、明るいです。ますたー」
妖精さんはずっとクルクル踊り続けていた。可愛かった。