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38.電設のヒデオさん、街を出る。


街を出る直前、最後の最後で更に一悶着あった。



「義兄様、あっちが騒がしいぞ」



壁の穴のある方とは反対方向。スラムの入口の方を見て、黒夫が言った。



「騒がしい?逃げた連中が騒いでるのか?」


「そいつらとは別だ。まだ遠いけど、こっちに向かって来てる。大勢いるぞ」



夜中のスラムに団体さんが来ようとしているらしい。こんな場所、昼でも用は無いと思うが、誰が何のために来るのか。



「さっき逃げた奴らと揉めてる。マダム?ババア?とか言ってるぞ?」


「おい、それって、まさか……」



黒夫が、聞き取った単語を言う。嫌な推測が脳裏をよぎる。


裏社会を牛耳る三勢力の一角。力を頼りに荒くれ者どもをまとめていた頭が、よそ者に力で負けたら、その勢力はどうなるか。


ただでさえ他勢力からの切り崩し工作で弱っていたところに、頭の求心力の消失がダメ押しとなって、勢力そのものが消失しかねない。


出来上がるのは、管理者不在の空白の領域。


目の前にそんなものが発生したら、他の勢力が黙って指を咥えて見ているはずが無い。



「……どいつもこいつも働き者すぎだろ、こんな夜遅くに……」



それにしたって動きが早い。おそらく、裏切り、寝返り、スパイ等々による情報リークがあって動いているのだろう。


裏社会の構成人員の勤労精神が旺盛すぎる。街の衛兵に爪の垢を煎じて飲ませたい。



「黒夫、この辺はどうだ?誰か俺達を見てる奴はいるか?」


「ううん、もう誰もいないぞ。そこに寝転がってる奴だけだ」


「そうか。それなら、もう我慢もいらないか」



ここまでずっと人目を気にして、できるだけ目立たないように自重してきた。


自分なりに自重してきた。自分なりに。


それも、もう終わりでいいだろう。


目撃者がいないなら、遠慮はいらない。



「フェア。ライトアップ。ここから出口まで」


「はい。ライトアップします。ますたー」



スラムにLEDライトの灯りが灯る。


ドンの手下どものショボい灯りとは違う。深夜の高速道路のように、暗い夜道が明るくなる。



「やっぱり灯りと言ったら、こうでなくっちゃなぁ!」


「はい。灯りと言ったらこうですよね。ますたー」



テンション上がってきた。我慢なんぞクソ食らえだ。



「よぅし!とっとと走って帰るぞ!総員駆け足!」



辺境の街の裏社会の勢力争いなんかに興味は無い。巻き込まれる前に逃げる。


人目が無いなら、人目を気にしてノロノロ歩く必要も無い。全員で一斉に壁に向かって走り出す。


そしてムチムチさんが転んだ。



「きゃっ!」


「姉ちゃん、大丈夫か?」


「お姉ちゃん、大丈夫?」



バリアフリーの家でもよく転ぶ人には、管理放棄されたスラムの路面は過酷すぎた。



「しょうがない。失礼しますよ、ムチムチさん」


「ひ、ヒデオ殿!?」



転んだムチムチさんを抱え上げる。



「この体勢は酷くないか!?もう少し何かあるだろう!?」


「急ぎです。我慢してください」



いわゆる俵担ぎ。運搬性重視である。


右肩に、やわらかい幸せを感じる。運搬性重視である。他意は無い。


ムチムチさんの文句は封殺。そのまま走って5分もかからず、壁には着いた。だが、穴が見付からない。



「あ、あれ?穴って、この辺に無かったっけ?」


「潜入時に通過した防壁の欠損部でしたら、前方1時の方向です。ますたー」



穴があるべき場所は、ゴミが積み上げられて塞がれていた。



「なんで穴が埋まってんだ?誰だよ、こんな余計な真似したのは」


「……初めから、無事に逃がすつもりは無かった、という事だろう。ただの乱暴者かと思いきや、なかなかに用意周到なものではないか」



この街の裏社会には、本当に働き者が多いらしい。


有害な働き者。人の嫌がる事をやってくれる。実に的確。ある意味有能。


最悪である。



「ねえ、おじちゃん。穴があればいいの?」


「えっ?ああ、まあ、うん。そうだけど」


「うん。わかったの」


「えっ?わかった?わかったって、何が――」


「えーいっ」



魅雪、鬼タックル。一撃必壊。



「穴開いたよ、おじちゃん」



ドゴンッという音と共に、壁に穴が開いた。



「……ああ、うん、助かったよ。ありがとう、魅雪」



ムチムチさんを俵担ぎしたままでも余裕で通れるくらいの大穴。通り抜けに便利。便利だから良し。もうこの際、細かい事はどうでも良い。


ムチムチさんが穴に詰まるよりマシだ。だからセーフ。


人間に手出ししないよう言うだけでなく、壁にも手出ししないよう言うべきだった気がするが、もう遅い。気にしてもしょうがない。



「あいつら、全然止まらないぞ。あっちからドンドン近付いてきてる」


「休憩の一つも取ればいいのに。どんだけ働き者なんだよ……」



黒夫から追加の近況報告が入る。大穴が開いた事を気にする暇も無い。気にする暇があったら逃げる。



「魅雪、ちょっとゴメンね」


「うわぁっ!」



魅雪の小柄な身体を小脇に抱える。魅雪はパワー型で、足はそんなに速くない。この方が速い。



「やぁんっ……変なところに当たって……おじちゃん、大胆なの……」


「が、我慢して」



小さくとも女の子らしい柔らかさを感じる。具体的にどこがどうとは言わない。



「ニンゲン、オレも!」


「無茶言うな。見ての通り手一杯だよ」



黒夫が騒いだ。でも物理的に無理がある。


右肩にムチムチさん。左脇に魅雪。左肩にフェア。もうスペースが無い。



「なんでだ!?なんでオレだけダメなんだよ、ニンゲン!」


「いやだから手一杯なんだよ。大体、お前は足速いだろ。自力で走れよ」



壁の大穴を抜け、街の外に出た。



「……まだ1日も経ってないはずなのに、なんだか2週間ぶりくらいな気がする……」


「いいえ。それは気のせいです。ますたー」



気のせいらしい。フェアがそう言うのだから、きっと間違いない。




ここから無人の荒野の家までは一直線。ただ走るだけ。


行きでは自転車を使ったが、今は急いでいるので、逆に使えない。不整地では小さな窪みなどにタイヤを取られやすいので、自転車ではあまりスピードが出せない。無理にスピードを出すと、かなり危険だ。


自分と黒夫の脚力なら、自前の脚の方が速い。体力の消耗には目をつむる。



「なんでオレばっかり!そんなの許さないぞ!」


「メンドくさっ……。それじゃあ、アレだ。競争でもするか、競争」


「ん?競争?オレとニンゲンがか?」


「家に早く着いた方が勝ちな。俺に勝てたらご褒美やるよ」


「ごほうび!ホントか!」


「でも負けたら罰ゲームな」


「ば、バツゲーム!?なんだバツゲームって!?」


「と言う訳で、よーいどん」



文句のうるさい黒夫を置いて、さっさと走り出す。



「なっ!?卑怯だぞ、ニンゲンめ!ニンゲンは卑怯だ!」


「ふははははっ!何とでもほざけ!勝てば良かろうなのだあ!」


「くっ!ニンゲンには負けないぞ!」



あらチョロい猫だわ、相変わらず。


黒夫は簡単に乗せられて走り出した。後はこのまま家まで走り続けるだけだ。


普通の人間なら体力が持たないかもしれないが、自分も黒夫も体力が普通ではないので問題無い。



「わーい!おじちゃん、火竜よりはやーい!」



なんか魅雪が喜んでる。でも火竜って何だ。この世界、そんなのいるのか。



「ま、待て、ヒデオ殿!壁の破壊痕をそのままにする気か!?あれを放置しては私達の存在が露見しかねないぞ!」


「んなこと言ったって、どうしようもないでしょう。とっとと帰りますよ」


「い、いや、私になら手がある!」


「必要ありません」



俵担ぎのムチムチさんが何か言ってる。


嫌な予感がする。


待たずにそのまま走る。



「このような格好だが、致し方無い!『土よ。我が意に従っひゅぶ』!?」


「舌かみますよ。口閉じててください」


「かみゅ前に言ってくへ!」



最後まで慌ただしいまま、帰路についた。






可能な限り主観を排し、今回の塩の買い出しを客観的に評価してみようと思う。


事前に設定した目標は『身バレせずに塩を買って帰る』という事である。これが果たされているなら、今回の塩の買い出しは成功と言える。


つまり、成功である。


まずは、塩の購入に関して。これは完璧に目標達成している。一般家庭が百年かかっても使い切れなさそうなほど大量の塩を手に入れた。ついでに塩味の串焼きも山ほど手に入れた。文句無しである。


その他のお買い物に関しては不発だったが、そっちはあくまでもオマケなので、成否の評価対象外とする。


次に、自分達が勇者や魔族である事がバレていないか、という点に関して。これはギリギリセーフである。バレていない。きっとバレていないはずだ、多分。ギリギリセーフのはずだ。


つまり、成功である。




身バレに関しては、個別に詳しく見ていこう。


一人目、黒夫。ほぼ確実にバレていない。


街への潜入時に、実力の一端を案内役の少年に見られたようだが、それくらいなら問題無い。


それ以外では、身バレするような行動は取っていない。


つまり、ほぼ白。




二人目、魅雪。少しバレているが、ほぼバレていない。


塩を購入する際、老人に目を付けられてしまったが、目を付けられたのは老人一人だけ。商人の矜持にかけて、あの老人は客の正体を他者に漏らさないだろうから、バレた内に数えなくても良いだろう。


それ以外では、身バレするような行動は取っていない。


つまり、ギリギリ白。




三人目、ムチムチさん。おそらくバレていない。


首から上を包帯でグルグル巻きにした不審人物の格好なので、かなり悪目立ちしたはずだが、それと身バレとは話が違う。


街中では、誰からも誰何されなかった。もしも問題のある不審人物と見なされていたら、誰何されたはず。誰何されなかったのだから、不審人物は不審人物でも、見逃しても問題無い程度の不審人物と見なされたと考えて良いだろう。


魔族が包帯で顔を隠していると疑われていたら、さすがに誰何されないとは考え難い。


つまり、まあまあ白。




四人目、フェア。まずバレていない。


自分はフェアが実体を得ている事に気付いていなかったが、フェアの方には自覚があったようで、街中ではほとんど身動ぎせず、言葉も発していない。他人の目が無い部屋の中や、帰り際などに少し話していた程度である。


元の世界と同じく、こちらの世界でも妖精はUMAに近い不確かな存在のようなので、普通の人には可愛いお人形さんにしか見えなかっただろう。まさか勇者のスキルの妖精(仮)だとは誰も思わなかったはずである。


目撃者は多いが、妖精がいたと言い触らすような人はいない。もしもそんな事を言う人がいたら、それは元の世界で妖精の実存を本気で信じて吹聴する人と同レベルでアレな人と認識される。マトモな人なら耳を貸さない。


つまり、まずまず白。




五人目、自分こと白木英雄。絶対にバレていない。


肩にお人形さんを乗せて街を練り歩く変態として、クソ悪目立ちしていた事は確実だが、それと身バレとは話が違う。


表通りでは多くの人から二度見されたが、だからこそ確信を持って断言できる。どこの世界に『青い瞳に茶色い髪の、肩にお人形さんを乗せた変態』と『逃亡潜伏中の黒目黒髪の勇者』を同一視するような奴がいるだろうか。そんな奴、いるはずが無い。


つまり、純白。




無論、全く問題が無かった訳では無い。


取り分けマズい問題行動が二つ。スラム内でドンを倒した事と、壁に大穴を開けた事。かなりの痛恨事である。しかし、どちらも身バレに繋がる可能性は低いと思われる。




一つ目、ドンを倒した事に関して。


ドンの手下が逃げる際に見せた様子からして、自分は『変態が変な技を使った』と思われている。


もしもあの場面で、殴る蹴るなどの直接的な暴力行為によってドンを倒していたら、自分は『正体不明の謎の実力者』という風に思われていたかもしれない。そうなれば『正体不明の謎の実力者』と『逃亡潜伏中の黒目黒髪の勇者』を結び付けて考える者が出たかもしれない。しかし、そうはならなかった。金貨を使った間接的な攻撃のおかげで『変態が変な技を使った』という印象が強くなり、結果として難を逃れた。


実を言えば、ただ単に『ばっちい、触りたくない』という生理的嫌悪感から選択したのが、もう使い道の無い金貨による投擲攻撃だった。


結果的にうまく行ったのだから、まあ良しとしよう。


自分の手は清潔さを保ちつつ、ついでに少年への餞別にもなった。一石二鳥。




二つ目、壁の大穴に関して。


厳密に言えば『壁に大穴を開けた』のではなく『最初から開いていた穴を大きくした』と言うのが正しい。この違いは重要である。


元々、あの場所には小さいながらも穴が開いていた。あの場所にあった穴の存在は、スラムの存在ごと見て見ぬフリをされていたので、実態を正確に把握している者は少ない。正確な証言ができるのはスラムの住人くらいだろう。そんな状況下で、今更、穴が少しばかり大きくなった事が大きな問題になるとは考え難い。


問題と言うなら、スラムの存在そのものが問題であり、かつ、防壁に小さい穴が開いている時点で大問題である。


あの場所には最初から問題しかない。本当に今更なのである。




以上の事を踏まえた上で、今回の塩の買い出しの総合評価を下す。


つまり、成功である。ただし、異論は認める。



「……まあ、いざって時は引っ越しすればいいしな。面倒臭いけど」


「ますたー。引っ越すのですか?」


「いや今はしないよ。いざって時の話ね」



最初の最初から言ってしまえば、無人の荒野の家は、元の世界に帰るまでの仮宿である。この地にどうしても居続けなければいけない理由など無い。もしも身バレして問題が起こっても、引っ越しすれば済む。面倒臭い事は面倒臭いので、嫌ではあるけど。



「それにしても……異世界の街、ショボかったなぁ。あれなら、もう行かなくてもいいかな……」


「ますたー。もう行かなくてもいいのですか?」


「うーん、まあ、そうだね。飯も寝床もアレな感じだったし、街の雰囲気もアレだったし、次からは魅雪も行きたがらないだろうし……。正直、もう二度とゴメンだよ……」



実はちょっとだけ期待していた。その分、落差で失望感が大きい。


今回の塩の買い出しでは、こちらの世界の生活水準の低さや、治安の悪さなどを再確認した。再確認させられた。ある意味、それが最大の収穫だったと言っても良い。


城での3週間の生活で実感していた事を、一般的な街でも改めて実感した。おそらく、他の街でも状況は似たり寄ったり、あるいはそれ以下だと推測できる。




もう二度と塩を買わなくても良いくらい大量に塩がある。


もう異世界の街は用済みである。


もう行く必要は無い。


もう行きたいとも思わない。



「……つくづく向いてないなぁ……我ながらハズレだわ、これ……」



自分のような平凡なサラリーマンには、異世界の暮らしは合わない。


異世界で普通に暮らしているだけでストレスを溜め込む勇者とか、魔族と戦う戦わない以前の問題である。


つくづく、勇者に向いてない。つくづく、そう思った。


塩の買い出し編、終了

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