35.電設のヒデオさん、予定を変更する。
肩に誰かの手がかかった。
「義兄様、起きろ」
「お義兄ちゃん、起きて」
体を揺すられた。
「……んんっ……もう朝……?」
目を開ける。部屋が真っ暗で何も見えない。
「……フェア、灯りつけて」
「はい。灯りをつけました。ますたー」
ベッドサイドに置いておいたLEDランプに光が灯る。
黒夫と魅雪の姿が浮かび上がった。
「……フェア、目覚まし鳴った?」
「いいえ。目覚ましは鳴っていません。ますたー」
耳には、寝る前にセットした小型目覚まし時計がある。鳴った様子は無い。
時計を確認する。
現在時刻、午後8時。
こちらの世界の基準では、夜の遅い時間帯だ。
「どした、黒夫、魅雪。怖い夢でも見たか?」
人間の街で寝るのが怖くて目が覚めたのかと、最初はそう思った。
黒夫と魅雪は、表情が硬かった。
「宿の周りに誰かいるぞ」
「嫌な感じするの」
硬い声で、二人が言う。
「黒夫、誰かって誰だ?」
「わかんない。でも、いる。宿の表と裏に二人ずつだ。こいつら、ずっと同じ場所で動いてないぞ」
黒夫の言う事を聞く限りでは、見張りっぽい。
刑事ドラマの張り込みシーンが脳裏に浮かんだ。
「魅雪、嫌な感じって?」
「嫌な感じなの。角がピリピリする感じなの」
魅雪の言う事は感覚的すぎて、わかりにくい。
角がピリピリするって、どんな感じだろう。
会議室がピリピリしている感じだろうか。
「……俺を起こした方がいいって思ったんだな?」
「「うん」」
「……そうか。わかった」
黒夫と魅雪の感覚を信じる。
寝ぼけている自分の頭を叩き起こす。
詳細は不明だが、状況が悪化していると判断する。
問題は、どういう風に状況が悪化しているのか、という事だ。
この宿の玄関と裏口を見張っているらしき人がいるらしい。
もしも本当に見張りだとして、見張りの対象は何だ。
自分達が見張られているとは限らない。別の客か、宿の主人を見張っているのかもしれない。
楽観は危険だ。まずは自分達が見張られている可能性を考える。
見張られているのは自分達だと仮定して、どうして見張られているのか。
最悪なのは、自分達の正体が完全に王国にバレた可能性。
次に悪いのが、勇者か魔族か、どちらか片方の正体が王国にバレた可能性。
「……バレてるなら、見張りじゃ済まないか……」
もしも正体がバレているなら、宿に見張り四人というのは、対応がヌルい。
勇者がいるとバレているなら、即行で確保に来てもおかしくない。
魔族がいるとバレているなら、即行で討伐に来てもおかしくない。
増援が来るまでの見張りだとしても、すでに夜更け。動きが遅すぎる。
楽観は危険だが、正体がバレているにしては、対応がおかしい。
「……うぅんっ……ヒデオ殿ぉっ……そこぉっ……らめぇっ……」
考え込んでいたら、物凄く人聞きの悪い寝言が聞こえた。ただの寝言なのに、声が生々しく艶めかしい。
首から上を包帯でグルグル巻きにした不審人物が、その格好のままで寝ている。
部屋に誰かが急に入って来た時のための必要な措置とは言え、この格好でよく寝れるな、この人。
「……明らかに不審人物だよな……」
首から上を包帯でグルグル巻きにした不審人物を警戒して、衛兵が宿を見張っている可能性。
昼間に衛兵らしき人と何度かすれ違ったが、その時は目を逸らされ、見て見ぬフリをされている。複数人が皆一様に同じ対応という有様。
昼間には見逃していたのに、夜間に見張りを立ててまで警戒するのは、かなり不自然に感じる。その場で職務質問すれば片が付くのに、夜まで引っ張る意味がわからない。
そもそも夜に仕事するほど、この街の衛兵が仕事熱心とは思えない。
割と碌でも無い衛兵揃い。そのせいで街の治安が良くない。
「……いや、逆か……この街の治安を考えれば……」
夜盗に狙われている可能性。
見張っているのではなく、頃合いを見計らっているのかもしれない。
夜遅い時間帯だが、歓楽街の辺りなら、まだ人が起きている。
街が完全に寝静まるまで待ってから犯行に及ぶつもりかもしれない。
「……そう言えば、何か言われたな……何だっけ……?」
塩の老人の忠告を思い出した。
目立ちすぎるとヤバイのに目を付けられてヤバイ、とか言うような感じの事を言ってたような気がする。
目を付けるにしたって、どうして自分達に目を付けるのか。普通は外すだろう。もしも自分が夜盗の立場だったら、絶対に外す。
首から上を包帯でグルグル巻きにした不審人物のいるグループに盗みを仕掛けるとか、ある意味、勇者よりも勇敢な夜盗である。
そんな勇敢な夜盗、あまりいるとは思えないのだが、案外そうでも無いのだろうか。見て見ぬフリしていた衛兵よりも、よっぽど仕事熱心である。
衛兵に狙われるよりはマシだが、夜盗に狙われるのも面倒だ。
夜盗に対して、こちらはどう動くべきか。
即行で潰すか。
相手はたった四人の夜盗。まさか騎士団員より強いという事は無いだろう。戦力的には余裕で潰せる。
カウンターで潰すか。
この部屋に侵入して来るのを待てば、追う手間が省けて、更に楽に潰せる。
「黒夫、魅雪、予定変更だ。すぐ街を出るよ。いいね?」
「「うん!」」
「急いでお片付けして。それと理緒を起こしといて」
全て無視して逃げる事にした。
なんで夜盗なんぞ潰さなければならないんだ。それは衛兵の仕事だろう。税金泥棒どもの怠慢の尻拭いをしてやる義理は無い。
夜盗を全員潰せれば良いが、誰か一人でも取り逃がして騒がれると厄介な事になる。
夜盗を潰せたとしても、その後の対処が問題になる。こちらは身バレ厳禁なので、衛兵に突き出す訳にもいかない。事情聴取されたら困る。
そもそも、現時点では、いずれも可能性の域を出ない。
夜盗の狙いが、別の客や、宿の金の可能性もある。
夜間デート中のカップルが、たまたま宿の玄関と裏口が見える位置でイチャついている可能性もある。
あるいは、感覚の鋭すぎる黒夫と魅雪が、幽霊の存在を察知している可能性もある。勇者のスキルの妖精(仮)であるフェアが見えるくらいだから、幽霊くらい見えても、おかしくない。
相手が何者であろうと、下手に刺激するより、何もせずに離れた方が良い。
衛兵。夜盗。カップル。幽霊。正体が何であれ、街を出れば関係無い。
このままリスクを抱えて明日を待つより、今すぐ動いた方がマシだ、多分。
「ええっと、忘れ物は無いよな……?」
LEDランプ他、荷物を通勤カバンに仕舞う。40秒もかからない。
「……あっ、道わからない……!?」
重大なミスに気付いた。帰り道がわからない。
街に潜入する時に使った穴から、街を脱出する。それはいいとして、問題は、穴までの経路だ。
街に潜入すると同時に少年に会い、そのまま道案内され、入りくねった猫の散歩道を通り、スラムを抜けた。
夜盗に出入口で待ち伏せされる危険を考えると、あの道は使えない。
そうでなくても、もうあの狭すぎる道は使いたくない。
穴の位置は、おおよそ覚えているが、明確には覚えていない。
土地勘が無く、道もわからず、穴の漠然とした位置と方角だけを頼りに夜の街を進むのは、かなり気が進まない。
「……この街の地図があればなぁ……」
「はい。地図です。ますたー」
地図が出た。
「……………………えっ?」
薄い半透明の電子ペーパーに、地図が表示されていた。
「何これ!?地図だけど地図じゃなくない!?」
「最新式は伊達ではないのです。ますたー」
「最新式の地図ってこうなの!?」
「はい。そうです。ますたー」
フェアがそう言うなら、きっとそうなのだろう、多分。
パッと見は、小型の巻物のような形状。筒状の部分から電子ペーパーを引き出したり、収納したりできる。便利。
地図に重なるように、靴の発信機の位置情報も表示されている。現在地点に光点が4点、名前付きで個別表示される親切仕様。
「……紙の地図を開くなんて久しぶりだな……厳密には紙じゃないけど……」
思い返せば、最後に紙の地図を開いたのは小学生くらいだった気がする。
テレビとかで、最近の小学生が使う教材は凄い進化していてオールド世代がビックリ、みたいな話を聞いた事があるような気がする。
きっと紙の地図にも技術革新の波が訪れていたに違いない。
電子ペーパーの地図、凄い。
「踏破した範囲内の情報は記録済です。情報の無い未踏破領域については表示できません。ますたー」
「はははっ、十分!さすがフェア!頼りになる!」
「えへへー」
オートマッピング機能を標準搭載の地図である。
勇者よりも遥かに使える。
勇者が使えなさすぎるとも言う。
都市内スニークミッションでは、勇者級の身体能力は役に立たない。
若干凹む。
改めて地図を確認する。
全体的には、ゲームのマップ画面に似ている。歩いた場所とその周辺部分は明示され、行った事の無い部分は灰色表示で詳細が見えない。
猫の散歩道の周辺部分が明示されているので、スラム内の情報は結構表示されている。
表示が欠けている部分も多いが、別に街の全域の情報はいらない。宿から穴までの経路がわかれば事足りる。
「……そう言えば、ドンの縄張りとか言ってたな……」
少年との出会い頭の会話を思い出した。
よそ者がドンの縄張りに入ると迷惑だ、とか何とか言ってた気がする。
宿から穴までの経路は複数あるが、普通の幅の道を通ろうとすれば、少年が立ち入りを阻止した範囲を避けて通れない。
自分達がドンの縄張りを通り抜けるという行為が、今後この街のスラムにどんな影響を与えるのか、想像が付かない。
「……優先順位を間違えてどうすんだ……」
少年が嘘を吐いていたとは思わない。
おそらく、自分達がスラムを通り抜ければ、少なからず悪影響が出る。
それを承知の上で、少年の発言を無視すると決める。
最優先は、自分自身の生活。
次点で優先するのが、黒夫、魅雪、ムチムチさんの身の安全。
それ以外は、それ以下。
少年も、少年の仲間も、他の街の人達も、全て優先順位が低い。
優先順位を間違えたら、守れるものも守れない。
勇者級の身体能力があっても、守れるものには量的限界がある。
自分の精神性は平凡なサラリーマンのまま。何でもかんでも背負い込んだら、精神的に潰れる自信がある。
精々、三人の居候を抱えるくらいが、自分の許容限界だ。
地図を見ながら、経路を決める。
スラム内でも幅の広い道を通る事にする。道幅が広ければ、出入口を塞がれにくく、行動の自由度が高い。
この経路にはこの経路で問題がある。ドンと手下の動向がわからない。
普通に夜に寝ているなら、カチ合わずに抜けられるかもしれない。
起きていても、案外すんなり通れるかもしれない。
もしも自分がドンの立場だったら、何もせずに通す。
首から上を包帯でグルグル巻きにした不審人物のいるグループに、余計な手は出さないし、出させない。
スラムのドンに普通のサラリーマンのような常識的対応を求めるのは無謀だ。
無謀にも向こうから余計な手出しをしてきた時の事を考えておく必要がある。
「黒夫、魅雪、ちょっと話がある。大事な話だ」
「なんだ、義兄様?」
「どうしたの、お義兄ちゃん?」
「この部屋を出た後の事だけど……、人間に手出ししないでくれ。今日の朝みたいなのは無しだ」
「な、なんでだ!?アレはオレ悪くないぞ!」
「ボク悪くないの!あの人達が悪い事してたんだよ!」
「わかってるよ。それはわかってるけど、それでもダメだ。どんな理由があっても、次は絶対にやめてくれ。どうしても手出しする必要がある時は俺が何とかするから、何があっても絶対に人間に手を出さないでくれ」
むずかる黒夫と魅雪に、何度も言い聞かせる。この件だけは絶対に納得してもらう必要がある。
今朝のトラブルの時は、本当に不幸中の幸いだった。あの幸運を次も期待するのは危険だ。
少年に大人の男達が暴力を振るい、それを見た黒夫と魅雪が背後から急襲して、男達を一発KOした。
男達は何が起こったのかも気付いていないはず。
目撃者は少年ただ一人。
こんな出来過ぎた状況は、何度も期待できない。
一歩間違えれば、あの一件だけで、黒夫と魅雪が魔族だとバレていた。
小さい子供が大の男を一発KOなんて、普通は不可能だ。たとえ背後から急襲しようと、人間の子供に人間の大人は倒せない。
しかもあの時、黒夫も魅雪も素手だった。子供が素手で大人を倒すなんて、あまりにも不自然すぎる。
見る人が見れば、人間業では無いと気付かれていた。
もし次に同じような事が起こったら、今度は多数の人間に目撃されてしまうかもしれない。
誰かに正体を気付かれて、人間の街中に魔族がいた、なんて話が広がったら絶対にマズい。
自分達が街を脱出した後にも悪影響が尾を引く。
最悪の場合、王国が調査に乗り出し、無人の荒野も調べられる危険がある。
大人が大人を倒す分には、それほど問題は大きくならない。少しは目立つかもしれないが、子供が大人を倒すよりは遥かに目立たない。
もしもスラムでドンと手下が襲い掛かって来た時は、自分が対処する。黒夫にも魅雪にも、手出しはさせない。
黒夫と魅雪なら、たかがスラムでお山の大将やってる程度の連中なら簡単に倒せてしまうと思うが、だからこそ絶対に手出しはさせない。
手出しさせたら、即行でバレる気しかしない。
「この街の中だけでいいんだ。それだけでいいから。人間に手出ししないで」
「……お義兄ちゃんがそう言うなら、うん、いいよ」
少しむずかっていたが、魅雪はすぐに納得してくれた。良かった。
「なあ、頼むよ。本当に今回だけ。今回だけでいいから。街の中では何があっても人間に手を出さないでくれ」
「嫌だ!オレは悪い奴を倒すのに我慢なんかしないぞ!」
「そう言わずに、頼む。家に帰ったら我慢しなくていいから。本当に頼む」
「ふんっ。オレはオレのやりたいようにやるぞ。……でも、義兄様がどうしてもって言うなら」
「どうしても、だ。頼む。その代わり、何があっても俺が代わりに何とかするから。もし黒夫が襲われそうになっても、ちゃんと守るから」
「っ、ホントか!?」
「あ、ああ、本当だ。だから頼む。何があっても人間に手を出さないでくれ」
「ふ、ふんっ!し、しょうがないなぁ!義兄様がそんなにオレを守りたいって言うんなら、守られてやってもいいぞ!特別だぞ!特別だからな!」
「そ、そうか。まあ、うん。ちゃんと守るから、ホント頼むよ、黒夫」
「にゃははっ!しょうがにゃい!しょうがにゃいにゃあ!守られてやるぞ!」
かなりむずかっていたが、黒夫も最後は納得してくれた。良かった良かった。
「お義兄ちゃん」
良かったと思っていたら、肩をガシィッと掴まれた。
「ねえ、お義兄ちゃん?」
魅雪が満面の笑みを浮かべていた。
笑顔の魅雪の背後に、何故か般若の幻影が見える気がする。何故だ。
いや本当に何故だ。
「ど、どうしたの、魅雪?」
「ボク、ガマンするよ?」
「うん。ありがとう」
「……ボク、ガマンするんだよ?」
「ああ、うん。本当にありがとうね、魅雪」
「……ボク、ガマンするよ?襲われてもガマンするよ?お義兄ちゃん?」
「手出しするの我慢してもらえると助かるよ。くれぐれもお願いね、魅雪」
「……………………」
あら何故かしら。肩肉もげそう。痛い。
「……クロオばっかりズルい」
「えっ、何が?」
「……ズルい。ボク、やめる。ガマンしない。手出しするの」
「ちょっ、なんで!?」
納得してくれたはずの魅雪が、再びむずかりだす。
子供の感情の動きは謎だ。
「……ふわぁあぁぁ~……ぉはよぅ……ヒデオ殿ぉ……」
「あ、はい。おはようございます、理緒」
「……あさごはん……たべたい……」
「今、夜です。予定変更しました。すぐに街を出ますよ。準備してください」
「……よるごはん……たべたい……」
「あの、今ちょっと立て込んでますので、そういうのは後で」
「……えぇ~……やだぁ~……すぐにごはん~……」
「あの、ホントちょっと待って。すぐ済むんで。先に準備してて」
むずかる魅雪。
やたら上機嫌な黒夫。
いつも通り寝ぼけるムチムチさん。
三人の相手をするのに手間取り、やけに疲れた。まだ出発前なのに。




