34.電設のヒデオさん、帰りたい。
果たして、自分とは何者なのか。
哲学的な話ではない。
生物学的な話である。
元の世界においては、自分は普通の人間だった。
実は無自覚なロボットだったとか、人間そっくりに作られた無自覚な人造人間だったとか、普通の常識人の皮を被った無自覚な非常識人だったとか、そういう可能性を疑い出すとキリが無いので一旦脇に置いておく。
自分は普通の人間だった。間違い無く、普通の人間だった。普通の人間だったはずだ。
少なくとも召喚される前までは。
今の自分は本当に人間なのだろうか、という疑問がある。
勇者級の人間離れした身体能力を獲得した今の自分は、本当に人間という生物種の枠組に収まっているのか。
実はもう人間という生物種とは別種の生物に変わってしまっているのではないか。
そういう疑問がある。
一度考え始めると物凄く不安にかられる疑問だが、当面、この疑問に関しては棚上げする。
現状、益はあっても害は無い。害が出そうな気配も無い。
無視しても支障は無さそうな疑問なので、無視する。
もしも何らかの害が出た時は、その時に改めて考えれば良い。
自分は勇者として異世界に召喚された訳なのだが、自分が勇者だとか何だとか言う以前に、もっと根源的な問題として、人間と異世界人は同じ生物種なのだろうか、という疑問がある。
おそらく、元の世界と異世界とでは、種の起源も来歴も異なる。
異世界というだけあって、生物界の様態からして全く異なる。
その証拠の一つとして、魔族とかいう謎の人型生物種の存在が確認できている。
それなのに、こちらの世界において異世界人である自分は、こちらの世界において人間という生物種に該当していると言えるのだろうか。
例えるなら、こちらの世界の人間と魔族は似ていない兄弟で、異世界の人間は他人の空似ではないだろうか。
似ていない兄弟のケンカに、たまたま似ていると言うだけの理由で巻き込まれた赤の他人。それが今の自分ではないだろうか。
もしかしたら、こちらの世界における自分という存在は、外見的特徴や生態などに共通点が多いせいで人間という生物種だと誤認されているだけで、厳密には人間と似て非なる異生物であるのかもしれない。
そう考えると、むしろ自分は人間に肩入れしない方が自然だろう。だって異生物なのだから。
たまたま似ているというだけの理由で兄弟ケンカに巻き込んで来たクソ野郎に肩入れしてやる義理は無い。
逆に、クソ野郎にケンカを吹っ掛ける道理ならある。
よくも拉致ってくれやがったな、クソ野郎。無断欠勤で会社クビになったら、どうしてくれるんだ。
マジで早く帰らないとマズい。ケンカしてる場合じゃない。
クソ野郎なんかとケンカするための手間と時間が惜しい。自分の選択は逃げる一択だ。
異世界人である自分は、人間とも魔族ともケンカする気は無い。
個人的な人付き合いの上でなら、ケンカするかもしれない。
社会的な意味では、いずれの勢力とも敵対的にも友好的にもなる気が無い。
城から脱出する際、異世界の戦争には参加しないと決めた。
身体的には勇者級になったが、自分の精神性は平凡なサラリーマンのまま。
戦争は荷が重すぎる、精神的に。
自分の生まれた世界の戦争すら放って置いているのに、よその世界の戦争に首を突っ込む気など無い。
戦争への忌避感ほどではないが、その他の社会的な活動にも関わりたくない。
善行も悪行も、どちらも嫌だ。
今の自分にとっては、ボランティア活動も犯罪行為も等しく嫌だ。
わざわざ犯罪者に成り下がりたくないのは当然として、正義のヒーローになるつもりも無い。
今の自分であれば、本気で正義のヒーローになろうと思えば、能力的にはヒーローになれそうな気はする。だが、そもそも正義のヒーローになる意味を見出せない。
自分の生まれた世界の社会問題すら他人任せなのに、よその世界の社会問題を解決する正義のヒーローなんかやってる場合か。
とっとと元の世界に帰って、ペットボトルのキャップ回収でもしていた方が有意義だ。
念のため、自分の状況を再確認しておく。
黒夫、魅雪、ムチムチさんを助けたのは、社会的な善行では無い。
極めて個人的な都合によるエゴだ。社会とは全く関係が無い。
行きがかり上、見捨てると死にそうで、死んだら気分が悪くなりそうだから、助けるしかなかっただけだ。自分の気分を優先した結果なので、社会はおろか、当人達の意思すら関係無い。
その後も一緒に生活しているのは、ただの個人的な人付き合いの延長線上の事である。それ以上の意味を持たない。
社会的な善行をする気は無いが、個人的に縁のある相手に手を差し伸べるくらいの事はする。その方が、自分が気分良く日常生活を送れるからだ。
個人的な手助け。それくらいは別にいいだろう。
どんな社会であれ、相手が社会的にどのような立場であれ、縁は大切である。
「……言い訳臭いなぁ、我ながら……」
少年と別れ、しばらくワチャワチャした後。
ホンの少しだけ、炊き出しの様子が気になった。ホンの少しだけ。
全員に了承を取り、食事もお買い物も一旦後回しにして、まずは炊き出しの見学に行く。遠足の途中で、プチ社会科見学するようなものだ。
立て看板の矢印に沿って移動した先では、確かに炊き出しっぽい事をやっていた。
炊き出しだと思う、多分。元の世界と結構違うから、確信できないけど。
「ふむ。あの子はいないようだな」
「そりゃあ、まあ、そうでしょう。捕まるとか言ってましたし」
近付きすぎて騒ぎになると面倒なので、炊き出しの様子を遠目に眺める。
言いたくは無いが、箸にも棒にも掛からないような成人男性ばかりが群がっていた。
外見だけで判断するなら、頭脳労働にも肉体労働にも不向きそうな浮浪者の群れ。誰も彼も痩せこけ、顔に精気が無く、動きに精彩が無い。
思い返せば、少年はヒョロガリだったが、やたら活力に満ちていた。あの少年なら、躾次第では高く売れそうだ。
ここにいる大人達は、どうやっても売れそうに無い。むしろ引き取り料金の請求が来る。
「ところで、何ですかね、アレ。何を食べてるんでしょうか」
「見たところ、雑穀の類に野菜の切れ端でも混ぜて煮込んだものではないかと思うが……、さすがにアレは食欲をそそられないな」
「えっ、理緒でも!?」
「……私を何だと思っているのだ、義兄上……」
配られているのは、水で薄めた生コンクリートのような流動食。
浮浪者ですら微妙に嫌々食ってる感がある。
食事と言うより、義務的な燃料補給とでも言った感じだろうか。
「どんなにお腹を空かせた子供でも、アレは嫌がりそうに見えるんですけど」
「主催の老婆は金に汚いそうだから、費用を絞っているのではないか?」
「それで子供が釣れなくなるなら、本末転倒のような……」
物には限度と言うものがある。
「しっかし、見事に男ばっかりですね。女子供が見当たりません」
「やはりそれ目当てだったのか?」
「違います。……って、やはりって何ですか!?」
まだ誤解されてた。
公衆の面前で、小っ恥ずかしい想いをしてまで誤解を解いたはずなのに、まだ誤解してる。
割と酷い人である。
「ここに来たのは、ただの好奇心からですよ。もう行きましょう」
「……………………」
自分にとっては、王族は誘拐犯の主犯で、浮浪者は誘拐犯の一味の下っ端みたいなもの。恨む筋合いこそあれ、助ける義理は無い。
生コンもどきを食っている姿を見ると、恨みよりは同情心が湧いてくるが、やっぱり助けようという気にはならない。
浮浪者は、王国の国民。突き詰めて行けば、王国の国民を助ける責任があるのは王族だろう。
あいつらの怠慢の尻拭いを、どうして自分がしてやらなければならないのか。
老若男女は関係無い。もし仮に、この場に女子供がいたとしても同じだ。
自分の判断は変わらない。
自分は判断を変えない。
自分はここにいる人間を助けない。
「さあ、お買い物に行きますよ。いや、その前に食事ですね」
「……良いのか?」
「もちろん」
「……義兄上がそう言うのであれば、もうこれ以上は言うまい」
ムチムチさんはまだ何かを言いたげな様子だったが、何も言わなかった。
街歩きを再開した。
結論から言ってしまえば、散々だった。
「魅雪、どうする?もうちょっと、お買い物する?」
「……ううん。もう、いい」
「うん。そうか。じゃあ、もう宿の部屋に帰る?」
「……うん」
午後4時。早目のチェックインとなった。
案内役のいない状態で、手探りの街歩き。
まずは飲食店を探そうとしたのだが、うまく行かなかった。
時間帯が中途半端なせいか、あまり店がやってなかった。
一応開いている店もあったが、近付いた時点で黒夫からアウト判定が出た。
料理がサーブされる前からそれって、どんなヤバイ店だ。
この街の人達は利用して大丈夫なのか、その店。
先に食事をするのは取り止め、普通にお買い物をする事にした。
最初の内こそ物珍しさが勝ち、魅雪は楽しそうに露店巡りなどしていたが、それも最初の内だけだった。
どの店に行っても、商品の品質が低い。品揃えに乏しい。あちこち見て回ったのだが、質も量も足りない店ばかり。
見る間にテンションは下がり、最後の方には見ていて辛くなるほどの意気消沈っぷりだった。
お買い物に対する理想と現実のギャップが大きすぎたらしい。
昼時が近くなると開店する飲食店は増えたが、黒夫の嗅覚による合否判定をパスできる店は無かった。
どの店も、串焼きの屋台より匂いが良くなかったらしい。それでは入店する価値が無い。
焼き立ての串焼きが通勤カバンに大量に入っているのに、それ以下の味だと推測される料理を食べる気にはならなかった。
昼過ぎも街歩きは続行したが、状況は好転の兆しを一向に見せぬまま、気付けば夕方になっていた。
そこで街歩きを終了し、何も買わずに宿に戻った。
ちなみに、街を見て回った雑感は、以下の通り。
肉屋は論外。陳列されている肉は、自分の鈍い鼻でもわかるほど鮮度が悪い。
八百屋も論外。見るからに野菜が痩せて萎びている。果実は無い。
魚屋は見付からなかった。海魚も、川魚も、乾物すらも売ってない。
穀物、油、調味料、酒類など、他の食料品も軒並み質が低い。
歓楽街の方にも寄って見たが、時間が早すぎたせいか、ガランとしていた。
衣服などは、既製品が売ってない。注文品か中古品の二択。今日一日しか街にいない自分達にとっては、実質、中古一択。
古着屋をのぞいてみたが、大半はウエスにするしかないようなボロい服。一応着れそうな服は数点あるにはあったが、買いたいと思える服は無かった。
布や糸などの材料を売っていた。自作する人向け。うちには不要。
貴金属類や宝石類などは見付からなかった。
装飾品などは一応売っていた。良く言えば、とても素朴な品が多い。
手の込んだ品もあるにはあったが、装飾の持つ意味の方向性が思ってたのと違う。なんか動物の骨を加工した厳つい髪留めっぽい品とか、お呪いの掛かったお守りのような雰囲気だった。
オシャレな小物などは見付からなかった。
道具類などは、城から無断拝借してきた品より低質。うちには不要。
武具類なども、城から無断拝借してきた品より低質。うちには不要。
娯楽用品などは見付からなかった。オモチャもゲームも無かった。カードやボードゲーム系のアナログ的な異世界の商品を少し期待していたのだが、無かった。
謎の置物が売っていた。多頭多腕の邪神っぽい像。キモかった。
謎の剥製も売っていた。ハトに四本脚が生えてた。キモかった。
図らずも、案内役の少年の案内っぷりを感心する事になった。
品揃えの豊富さなら、江戸切子を売った老人の店。
品質の高さなら、塩の老人の店。
食事の味なら、串焼きの屋台。
庶民向けの店に関して言えば、少年に案内された店が優良店だった。
今回の街歩きでは、庶民が生活に利用する区画を中心に回った。
富裕層が住んでいそうな区画には立ち入っていない。
富裕層向けの高級店であれば、もう少し期待できたかもしれない。
しかし、富裕層向けの区画は警戒度が高く、身バレの危険が高かった。
危険を冒してまで踏み入るほどの価値があるとは思えなかったため、諦めてもらった。
物凄く今更の話なのだが、期待する方がどうかしていた。
辺境の街のお買い物で、そんなに良い商品を買えるはずが無かった。
無人の荒野で生活している内に、すっかり忘れていた。
自分は、こちらの世界における生活水準の最上位をすでに知っている。
こちらの世界に召喚されてから3週間、勇者として遇されながら城で生活し、すでに思い知らされている。
おそらく、王国中をどれほど探しても、城内より上の生活は期待できない。
戦争、戦争、ひたすら戦争続きで、豊かな生活など存在しない。
どれだけお金を積んでも、存在しないものは手に入らない。
ふと、想像する。
仮定の話。あくまでも仮定の話だが、あのまま城に残り、こちらの世界で生きる決意を固めていたとしたら、どうなっていたのだろうか。
勇者としての活躍次第では、もしかしたら、王国内の誰よりも素晴らしい生活を手に入れられたかもしれない。
魔族を殺して、敵となる人間も殺して、味方以外は殺して殺して殺しまくって、この手を血で汚し尽くした果てに、王様すらも凌駕するような豪華絢爛で贅沢三昧な酒池肉林の生活を手中に収められたかもしれない。
そうして、一見すると凄そうな生活を得たとする。
しかして、その実態は、平凡なサラリーマンよりも生活水準が下である。
平凡なサラリーマンが食べているより、うまくない食事。
平凡なサラリーマンが着ているより、着心地の悪い服。
平凡なサラリーマンが寝ているより、寝心地の悪い寝具。
そして悪臭漂う汚い便所。会社のトイレが天国に見えるレベル。
惨めな生活である。
なまじ傍目には凄そうになれば凄そうになった分だけ、余計に惨めさを感じずにはいられない生活である。
美女を侍らせ、金銀財宝に囲まれ、ジャンクフード以下のエサで腹を満たす。そんな生活、ぞっとしない。
結局、人間は食ってクソして寝る生き物なのだ。
食わなきゃ死ぬ。クソしなきゃ死ぬ。寝なきゃ死ぬ。ついでに服着ないと寒くて死にそうになる。
生きる上で必要不可欠な衣食住の水準が許容値を下回っていると、ただ普通に生活しているだけでもストレスが溜まってしょうがない。
城での3週間の生活で、それを思い知らされた。
ソロキャンパーなどの上級者であれば、異世界生活を楽しめるかもしれない。
自分のような極々平々凡々なサラリーマンには、元の世界の方が向いている。
元の世界なら、こちらの世界の王様よりも良い生活が、割と簡単に手に入る。
当然ながら、平凡なサラリーマンは手を血で汚さずに、それを手に入れる。
土汚れや油汚れで手を汚す事はある。
「……ああ……早く帰りたい……」
一人暮らしの安アパートの狭い部屋が、今は無性に懐かしい。
特にこれと言った特別な思い出の無い、良い思い出も無い、悪い思い出も無い、極々平々凡々な、普通の部屋。
今頃、あの部屋はどうなっているだろうか。
会社クビになったら、家賃も払えなくなる。
下手すると解約されて、荷物が処分されかねない。
早く帰りたい、切実に。
一刻も早く帰らないと、パソコンの中身が見られかねない。切実。真面目に。
「ボクも。ボクも早く帰りたいよ、お義兄ちゃん」
「ふんっ。オレはそうでもないぞ。……でも、義兄様が早く帰りたいって言うなら、しょうがないから早く帰ってやってもいいぞ」
なんか勘違いした黒夫と魅雪に、左右から挟まれた。
「私としても、帰還の予定を早めるのに吝かでは無いぞ、義兄上」
なんか勘違いしたムチムチさんが乗り気だ。
「……いえ、予定は変えません。ここまでは予定通りに来ています。このまま予定通りに進めましょう」
「「「ええっ!そんなぁっ!?」」」
「文句言わない。今から焦って帰るより、その方が安全です」
一瞬、心は揺れた。
宿の部屋に置いてあるベッドは、家にあるものより質が低い。ベッド本体は木製。マットレスは固い。掛布団はやけにズシリと重い。
しかもこの部屋、床がジットリ生乾きで、雨に濡れた犬みたいな変な臭いがする。誰のせいかな。まあいいけど。
さっさと無人の荒野の家に帰りたい気持ちはある。でもここは安全を重視した方が良いだろう。
何もここで3週間生活する訳では無い。今夜一晩、たったそれだけの辛抱だ。
「予定をおさらいします。今夜はこの部屋で寝て、明日の明け方、日が昇る前に街を出ます。すでに宿代は支払いが終わってるので、静かに出発しますよ」
「「「……………………」」」
「はいそこ、不満そうな顔しない。安全第一ですよ、安全第一。家に帰るまでが塩の買い出しです」
通勤カバンから串焼きを取り出す。なんか不満そうな顔してる三人に渡した。
「ほら、今日はもうこれ食って寝ますよ。お返事は?」
「「「……はーい……」」」
自分も串焼きを食べる。
妙な期待をせず、こういうものだと思って食べれば、なかなかおいしいと言えるような気がするくらいには、まあまあ良い串焼きである。
肉に塩をかけて焼いただけのシンプルな串焼きだが、塩加減も焼き加減も良い。
屋台を長く営んでいるだけあって、純粋な調理の腕前で言えば、自分よりも屋台の中年女性の方が遥かに上だろう。
肉が筋張ってて硬いし、旨味も脂も乏しいが、こればっかりは調理技術だけではどうにもならない。
「……ねえ、フェア。フェアも食べる?」
「いいえ。その御心遣いだけで、わたしの胸はいっぱいです。はち切れんばかりの想いに溢れていますので、大丈夫です。ますたー」
「……ああ、そう」
フェアにも勧めてみた。
いらないと遠回しに言われた。
ちなみに、串焼きの肉は鶏肉っぽい感じの肉である。
何の肉なのかは聞きそびれた。
きっとニワトリだと信じている。




