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33.電設のヒデオさん、逃がさない。


焼き立ての串焼きをせっせと通勤カバンに収納していたら、中年女性が嫌そうな顔をした。



「あんた、せっかくの焼き立てをそんなもんに入れるんじゃあないよ」


「後でゆっくり食べようと思いまして」


「アツアツの焼き上がりを食うのが一番おいしいってのに、それを逃してどうすんだい……」


「このカバン、こう見えて凄く保温性高いんで大丈夫ですよ。すぐに仕舞えば、温かさもおいしさも逃がさない優れものです。それに、この量を冷める前に全部食べるのは無理ですし」


「そうは言ってもねぇ……。買い方から何から無茶苦茶だよ、まったく。次に来る時は、もっと上手な屋台の楽しみ方ってもんを誰かに教わってからおいで、世間知らずのお坊ちゃん」



嫌そうな顔はされたが、いい人そうだった。






山ほどの串焼きの入手に無事成功。緊急ミッション達成。


通勤カバンの中は時間停止しているので、いつでもどこでも焼き立ての串焼きを食べられる。


これでもうムチムチさんの腹の虫がいつ鳴り出すかと怯えなくても良い。


もう何も怖くない。



「お待たせしました――……、どうかしましたか?」



広場の端に腰かけていた四人と合流すると、何か少し様子がおかしかった。



「へいへいへぇーい!よぉーやく来たな、おっちゃん様ようようよぉーう!こっからビシッバシッ街を案内してやんぜぇーい!オイラに任せときなぁーよう!はっはっはぁーいっ!」



少年、ウザさ激増。


お肉を食ってテンション上がってるのだろうか。



「黒夫も魅雪も、どうした?」


「……何でも無いの」


「……何でも無いぞ」



それと反比例するかのように、黒夫と魅雪のテンションが低い。


特に魅雪のテンションの下降振りが顕著だ。


本当に何があったんだ、これ。


不思議に思っていると、ムチムチさんが傍に来て、耳元でそっと囁いた。



「実は、その……、案内してくれたあの子の手前もあるし、あまり大きな声では言えないのだが……、おいしくなかったようなのだ」



なんかゾクゾクする。


ムチムチさんの囁き声、破壊力がデカい。


鼓膜以外の何かが壊れそう。


永遠に囁かれ続けたい。



「あの、義兄上?聞いているか?」


「あ、はい。今日はいい天気ですね」


「何を言っているのだ……。義兄上が買ってくれた串焼きなのだが、その、あまり肉の質が良くなくてな。なまじ期待していた分、ミユキもクロオも酷く落ち込んでしまったようなのだ」


「えっ?肉が良くない、ですか?」


「誤解しないで欲しいのだが、悪くはないぞ。あの子の推薦は正しかったと言って良い。確かに、屋台で饗される肉としては、悪くないものだったのだ。……ただ、その、私達は日頃から、義兄上の料理を食しているから、それと比べてしまってな。そうなると、どうしてもな」


「……ああ、そういう事ですか」



言い辛そうにしながらも、ムチムチさんは正直に言う。


無理も無い話だった。




無人の荒野での食生活では、食材は全てフェアが冷蔵庫から創造している。


食材の品質は、どれも一級品。当然、謎肉も品質は一級品。ふるさと納税の返礼品で届いた上質な和牛の肉に勝るとも劣らない上質な謎肉である。


調理しているのは自分なので、素人料理にしてはうまいという程度の味に収まっているが、それでも頻繁に食べていれば、食事に期待する味の最低ラインが無意識に上がってしまうのは必然だった。


家庭料理とは別に、屋台飯には屋台飯の良さがある。それに、屋台飯というだけで、なんか雰囲気的においしい気分になる。しかし、雰囲気補正にも限界はある。


今回は、肉質の絶対的な差を埋めるには足りなかったようだ。



「とりあえず、串焼きは緊急避難的な食べ方をしましょう。理緒、お腹は大丈夫ですか?」


「できればもう少し食べておきたいところだ」


「はい、どうぞ。……理緒は味に不満はありませんか?」


「いつもの義兄上の料理には劣るな。強いて言えば、それが不満だ」


「そりゃどうも」


「だが、これはこれで悪くない。あの板よりは遥かに上等であるし、私としては文句は無いな」



猫より鬼より雑食なエルフに串焼きを渡すと、普通においしそうに食べていた。


妙に扇情的だ。美人さんの食事風景は、それだけで男心の変な部分を刺激する。


首から上が包帯でグルグル巻きの中、マスクを外し、口唇だけが露出している。唯一露出している口唇が、串焼き肉の脂で艶やかに輝いている。この絵だけでご飯3杯イケる。



「……どうしたもんかな……」



ムチムチさんは、まあ良いとして。やはり黒夫と魅雪のテンションの下がりっぷりはどうにかしたい。


元気すぎるのは困りものだが、今の二人は元気が無さすぎる。本当にどうしたらいいのか。


お買い物の前に、食事を済ませるべきだろうか。


屋台の中年女性はいい人そうだったが、それと串焼きの味の良し悪しは、また別の話。屋台での食事ではなく、ちゃんとした飲食店でちゃんとした食事をすれば、気分が持ち直すかもしれない。


朝食には遅すぎるし、昼食には早すぎる中途半端な時間帯ではあるが、いつもより少しガッツリ目の間食と言う事にでもしておこう。



「お買い物より先に、食事にしようか。魅雪はどう思う?お買い物の先に食事は嫌かな?」


「……ううん、どっちでもいいよ」


「うん。そうか。それじゃあ先に食事にしようね」



そうと決まれば、次の目的地は食事処だ。


少年に案内してもらおうと思った、その矢先の事だった。



「げぇっ!?あいつら、なんでもう動き出してんだっ!?」



少年が汚い声を上げた。


視線の先を見ると、立て看板のような物を設置している人達がいる。


看板だと思うが、矢印しか描いてない。何の看板なのか不明だ。



「どうしました?アレが何か?」


「炊き出しが始まる合図なんだよ!いつもはもっと遅いのに!」



矢印だけの立て看板。


おそらく、矢印の方向に進めば炊き出しを食べられるという事だろう。


下手に文字で伝えようとするよりシンプルでわかりやすい。



「ええっと……。行きたいんですか?」


「違う!逆だ!行きたくねーんだよ!」


「行きたくない?炊き出しに?」


「ババーの手下どもがやってんだよ!ガキが行ったら捕まっちまうんだ!」



猫の散歩道を通り抜けるまでの雑談で聞いた話を思い出す。


この街の裏社会を牛耳る三人の大物の内の一人。救貧院を隠れ蓑にして、阿漕な金儲けに勤しむ老婆。


取り扱っている商品の一つが、子供だったはずだ。



「大人は捕まらないんですか?」


「炊き出しに群がる大人なんか捕まえてどーすんだよ!誰も買わねーし、売れねーよ、そんなもん!」


「……そうですか」



評価が酷い。


一瞬納得してしまったけど、きっと売り方次第では売れるよ、多分。


売るための手間と儲けが釣り合うかは知らんけど。



「子供が行ったら捕まるとわかってるなら、行かなければいいだけでは?」


「わかってるガキは行かねーよ!でも、小さいのはダメなんだ!腹を空かせてると、大人に釣られて行っちまうんだよ!」



大人は囮として利用されているようだ。


大人が安全に炊き出しを食べているのを見れば、安心してしまう子供もいるだろう。そして捕まる。撒き餌に誘われ釣られる魚のように。



「止めに帰らねーと!……ってダメじゃん!今オイラ仕事中だー!?」


「……………………」


「くそっ、ババーの手下どもめ!いつもと時間ズラしやがって!あーもー!どーしよ!?どーする!?」


「……………………」



ストリートチルドレン達のリーダー格(自称)の少年が切羽詰まっていた。


おそらく、いつも小さい子供達を心配して止めているのだろう。


いつもと同じ時間に炊き出しが始まっていれば、いつもと同じように止めに帰っていたはずだ。


時間がズレたのは何らかの事情による偶発的なものなのか。それとも、意図的になされたものなのか。


時間がズレた理由など、今の少年にとってはどうでもいい事だ。案内役を務めているせいで止めに帰れないという事実が問題だ。



「……案内を頼む前に言いましたけど、私達はこの街に塩を買いに来たんです。その目的は無事に果たされました」



通勤カバンから、洗濯済の清潔な布を取り出す。


続けて、肉の串焼きを取り出す。包めるだけ限界いっぱいまで包んだ。


そして、焦っている少年の手に持たせた。



「なぁっ!?おっちゃん様!?」


「それは成功報酬です。受け取ってください」


「せーこーほーしゅー!?」


「的確な案内のおかげで、驚くほど速やかに塩の買い出しは終わりました。優れた仕事にはキチンと対価を払わなければ」


「カネなら先にもらったぜ!?忘れたのかよ!?」


「言ったでしょう。それは成功報酬です。前金とは別ですよ」


「いくら何でもデブっ腹すぎねーか!?」



慌てる少年に、軽く頭を下げる。



「ここまで案内してくれて、ありがとうございました。もう案内は終わりでいいですよ」


「で、でも!」


「この街に来た目的は達成しましたし、ここから先はただの暇潰しみたいなものです。もう案内は無くても困らないんですよ。街を適当にぶらつくだけですから」


「で、でも、でもっ!」


「……いいから、早く行け。一度捕まったら逃げられないんだろ。間に合わなくなっても知らんぞ」


「……っ……」



わずかに逡巡していたが、少年は包みを抱えて走り出した。



「あばよー、おっちゃん様ー!タッシャでなー!」



ヒョロガリな見た目の割に足が速い。


少年はあっという間に見えなくなった。



「……………………」



率直に言って、印象の良い少年では無かった。


第一印象は最悪だったし、なんか胡散臭いし、体臭も臭いし、うるさいし、鬱陶しいし、変な店にばかり案内されるし、ほとんど良い所が無かった。


最初から最後まで印象を下げる要素が多くて、上げる要素に乏しかった。


だが、それより何より、何故か自分以外には妙に受けが良いのが面白くない少年だった。


中学生くらいの少年を相手に嫉妬するなど、社会人として器が小さすぎるとは思う。でも、これが本音なのだから、しょうがない。


とっとと離れたいと思っていた。なのに、いざ去られると、少し寂しい気持ちになる。ホンの少しだけ。



「……義兄上」



ムチムチさんに、咎めるようなジト目で見られた。


勝手に案内役を解雇したのはマズかったかもしれない。


まさか、肉の串焼きを渡しすぎて怒ってる、と言う事では無いだろう。まだ食べきれないほど余ってる。肉の串焼きを渡した事を怒ってるのでは無いはずだ。そのはずだ、多分。



「すみません。相談も無く、勝手に行かせてしまって」


「いや、それは別に構わない。元より案内料を支払っていたのは義兄上なのだし、相談も何も、横から口を挟む筋合いは無いのだからな。……そうでは無くてだな。本当にあの子を行かせてしまっても良かったのか?」


「あんな様子なのに、縛り付けておく訳にもいかないでしょう。こっちはもう後はただの観光みたいなものですし。それに、あのまま案内を続けさせても、上の空で碌に案内できなかったと思いますよ」


「違う。そうではない。私が言いたいのは、その……、つまり、だから、その……」


「どうかしましたか?何かあるんですか、理緒?」


「あー、うー、その……、私が言いたいのは、だな。つまり、その……」



ムチムチさんは何か酷く言い辛そうにしていた。


お腹が空いたと白状する時よりも言い辛そうにしていた。


なんか壮絶に嫌な予感がする。


この人がこういう態度の時、大体この人は碌な事を言わない。経験則だ。この人は、そういう人だ。



「言いたくないなら別に無理して言わなくてもいいですけど」


「いや、その……。私はてっきり、義兄上は……、あの子を家に連れて帰るつもりなのではないのかと、そう思っていたのだが……」


「……はい?何ですか、それ?」



全く想像もしていなかった方向性の話が出た。


急にどうしたんだ、この人。



「なんで連れ帰るなんて話になってるんですか?そんな態度、取ってましたっけ?」


「それは、その、何と言えば良いのか……。義兄上はあの子の事、気に入っていただろう?」


「えっ、別に気に入ってませんけど?」


「そ、そうなのか?」


「ええ、まあ、別にそんなには」


「だ、だが、金貨を渡していたではないか」


「そりゃ渡しましたけども」



ムチムチさんに言われて、少し自分の行動を振り返ってみる。


ただの案内役の少年に金貨を渡す行為は、見ようによっては、度を越した厚遇に見えたかもしれない。その態度が、少年を家に連れ帰るために心象を良くしようと画策していると取られたのかもしれない。


でもそれ、冷静に考えたら物凄く酷い大人である。


金貨を渡して喜ばせておいて、金貨を使えない無人の荒野に連れ帰るとか、上げて落とすのお手本のような展開。ここで更に、生活費の徴収と称して少年から金貨を巻き上げれば、まさに絵に描いたような悪役。心象が一気にマイナスへと振り切れること請け合いである。


やらないけど、そんな事。



「改めて言います。連れ帰るつもりはありませんでした。……まさかとは思いますけど、理緒は連れ帰りたいと思ってたんですか?」


「いや、別に私はそう思っていないぞ。ただ、義兄上があの子を家に連れて帰るのなら、それも止む無しとは思っていたが」


「止む無さないでくださいよ。そこは断固反対するところですよ。……街の人間なんて連れ帰ったら、最悪、うちの生活は破綻しますよ」



できるだけ声を小さくして言った。あまり他人に聞かれたい話では無い。




ムチムチさんの危機感、相変わらず低すぎる。


魔族と同居中の家に、人間の少年を連れ帰れるはずが無い。


一時的に一緒に街歩きするくらいならともかく、ひとつ屋根の下で共同生活していれば、正体を隠し通すなど絶対に不可能だ。


バレたらどうするつもりなんだ。


自分はあまり隔意無く受け入れられたが、それは自分がこちらの世界の人間ではないから、と言う部分が大きい。


自分の正体を明かしていないので、ムチムチさんは知らない。だから、変に勘違いさせてしまっているのかもしれない。




王国の人間である少年が、魔族を受け入れられるかどうかは、ほとんどギャンブルに近い。


案外あっさり受け入れるかもしれない。


生活のために我慢して受け入れるかもしれない。


生活のためであっても受け入れるのは無理かもしれない。


どうなるかは、蓋を開けて見るまでわからない。


受け入れるのが無理だった場合、わかった時点で手遅れになる。


いかに生活のためであっても、生理的に受け付けないものはある。そういうものは、誰しもあるものだ。それは否定できないし、否定しても意味が無い。そういうものは、そういうものなのだから。



「正体がバレて騒がれでもしたら一大事でしょう。その時は口封じでもするつもりだったんですか?そんなの御免ですよ、私は」


「……私は、追い出されるのも止む無しと思っていた」


「はい?追い出される、ですか?追い出す、ではなく?」


「ああ、出て行くのは私の方――……いや、私達の方だな。仮定の話だが」


「ええっと……。どういう事です?」


「あくまでも仮定の話だ。義兄上があの子を家に連れて帰り、あの子が私達と共に生活するのを拒むようなら、私はミユキとクロオを連れて出て行くつもりだった」



全く想像もしていなかった重い決意まで出た。


ホント急にどうした、この人。



「あの、本気で言っている意味がわからないんですけど……。追い出すような態度、取ってなかったと思いますけど。変な誤解をさせたのなら、すみませんでした」


「ち、違う。そうではない。そうではないのだ。義兄上は過分なほど良くしてくれている。ただ、ただ、その……」



ムチムチさんは更に言い辛そうにしていた。


これまで以上に碌でも無い事を言う気か、この人。



「何と言うべきか、その……。義兄上は無類の子供好きだろう?だから私はてっきり、あの子について行って、そこにいるであろう小さな子供達もまとめて一緒に連れて帰るつもりなのではないかと思ったのだが……」


「……………………」



ここでまさかのロリコン疑惑再燃。ナメとんのか。


自分の好みはムッチムチのバインバインである。言うとセクハラになるから言わないようにしてきたが、正直に言った方がいいんだろうか。


それとも、もういっその事、身をもって理解してもらった方がいいんだろうか、これ。



「それに、その……、私の立場では言い難い事なのだが……」


「まだ何かあるんですか!?」



ロリコン疑惑より更に碌でも無い事を言う気か、この人。底無しか。


慄く自分の方に身を寄せると、ムチムチさんは耳元で囁いた。



「人間ではない私達を助けるよりも……、人間を助ける方を優先するのが当然だろう?」


「……………………」



本当に、碌でも無い事を言われた。



「私達はもう十分に助けられた。だから、その……、ここでヒデオ殿の家にいられなくなっても構わない。もう十分に、十二分に助けられたのだ。後は助けが無くとも、私達だけで何とかしてみせよう」


「……………………」


「なに、これでも実力はあるのだ。貴殿は見くびっているようだがな」


「……………………」


「貴殿は思うまま、貴殿が助けたいと思う者を助ければ良い。その思いに救われた私達が、それで貴殿を恨む事は無い。感謝こそすれ、な」


「……………………」



アホだ。アホだった。アホすぎる。アホさ加減に呆れるしかない。


いくら機微に疎いとは言っても限度がある。


ホンの少し考えれば、わかりそうなものだったのに。




無人の荒野のド真ん中であれば、種族の違いなんて気にする機会は無い。


しかし、ここは人間の街だ。今、自分達は、人間だらけの人間の街の中にいる。


魔族から見れば、敵対勢力の支配地域のド真ん中。そこに紛れ込んで、何も気にしないなんて不可能だ。


四面楚歌。周りが敵だらけという不安の中では、どんなに強い心の持ち主でも、心が弱る。


弱った心では、どんなに気にしないようにしても、否が応にも、気にせざるを得なくなる。


人間と魔族は違うという事実を気にして、いつもなら考えないような事を考えてしまうようになる。




人間が魔族を助けるのは不自然だと。


人間が魔族を助けるために人間を後回しにするのは不自然だと。


そういう、つまらない考えに囚われる。




人間が人間を助けるのは自然だと。


人間が人間を助けるために魔族を捨てるのは自然だと。


そういう、くだらない考えに囚われる。




一度でも考えに囚われたら最後、もう自力では逃げられない。自縄自縛だ。



「……はぁ……アホだな……ホント……」


「……っ……」



今更それに気付くなんて、あまりに遅い。


自分のアホさが嫌になる。



「改めて言うまでも無い事ですが!」



自分の右肩に添えられたムチムチさんの手が、かすかに震えている。


自分のせいで震えさせているかと思うと、情けなさすぎる。



「絶対に!」



自分のあまりのアホさに泣きたくなる。


泣いてる場合では無い。



「追い出しません!」


「……っ……」



ムチムチさんの体を抱きしめながら、耳元で言った。


街中で人目が少々気になったが無視する。緊急事態だ。しょうがない。



「絶対に、何があろうと、私の方から追い出すような真似はしません。絶対です。もし次にそんな事を言ったら本気で怒りますよ」


「……っ……」


「それと、ついでに言っときますけど、変な気を回して勝手に出て行ったりとか、やめてくださいよ。そういうの、許しませんからね。もし勝手に出てったりしたら、本気で許しません。追いかけてって捕まえて家に引きずり戻します。そのつもりでいてください」


「……っ……」


「ああ、念のために忠告しときますけど、こっそり出て行こうとしても無駄ですよ。見逃しません。万が一見逃したとしても、どこまで行こうと必ず追いついて捕まえます。詳しくは秘密ですが、居場所がわかりますから。どこに逃げようが隠れようが、必ず見付け出します。必ずです」


「……っ……」


「そういう訳ですので、もしも家を出て行きたくなったら、その時はちゃんと私に一言、言ってから出てってください。絶対に言ってくださいね。黙って出て行ったりしたら逃げたと見なします。たとえ地の果てだろうと追いかけてって必ず家に連れ戻します」


「……っ……」


「もう一度言います。家を出て行くなら、絶対に言ってください。でないと許しません。勝手に出て行こうとしても、見逃しませんから」


「……っ……」


「絶対ですよ?いいですね?」


「……っ……」


「理緒、お返事は?」


「ふぁいっ」



なんか変な声が出た。大丈夫か、この人。


元々この人、変に思い込みやすく、思い悩んだ末に暴走する悪癖がある。以前にも方向性は違うが、暴走して面倒な事になった。


このまま放って置いたら、また何かやらかしそうで怖い。だからここで徹底的に釘を刺しておく。


とりあえず、暴走したまま黙って家を出て行ったりする事だけは防ぎたい。家を出る前に何か言ってくれれば、暴走して最悪の事態になる事だけは防げる。


絶対に言って欲しいと、これだけ念押ししておけば、家を出て行く前には、絶対に何か言ってくれるはずだ。


何か言ってくれれば、暴走して勝手に家出するのを防げる。


何か正当な理由があって家を出て行くにしても、餞別を渡す事ができるだろう。


絶対に、事前に言ってくれるはずだ、多分。



「……絶対、逃がさないって……こんなに力強く抱えられて、絶対に逃がさないって言われたら……こんなの、まるで……っ……」


「あの、理緒?大丈夫ですか?」


「っ、だ、大丈夫だ!問題無い!」


「そうですか」



小声でブツブツと何か言っていて、全然大丈夫そうには見えない。


でも一応、返事は返って来たので、ムチムチさんの体を放した。


ふと、服の裾に違和感を感じた。


視線を下げると、いつの間にか、黒夫と魅雪が服の裾を掴んでいた。


引っ張るでも無く、いつものように腰にしがみ付いて力強く圧迫してくるでも無く、ただ力無く掴んでいるだけだった。



「……こっちはこっちでこれかよ……」



フードの上から押さえつけるようにして、子供達の頭をグリグリ撫でる。



「ショボくれてんじゃねえよ、チビどもが。子供は子供らしく馬鹿みたいに笑ってりゃいいんだよ、馬鹿」


「っ、オレを子供扱いするな!オレはもう大人だ!」


「っ、ボク、バカじゃないモン!バカって言う方がバカなんだよ!」


「はいはい。そうね。馬鹿って言う俺が馬鹿ですよー」



やはり人目が気になるが無視する。緊急事態だ。しょうがない。



「……はぁ……ホントしょうもない……」



黒夫と魅雪とフェアの頭を順番に撫でながら、思わず溜息を吐いた。


子供達にまで不要な不安を抱かせるなど、仮にも大人として不甲斐無い。


こんな不甲斐無い状態になった原因には、一応、心当たりはある。


人生初、異世界の街へのお出掛けで浮かれていたからだ。


自分自身で自覚しているよりも遥かに深刻に、今の自分は浮かれているらしい。


ただでさえ人の機微に疎いのに、浮かれて完全に見落とした。




自分にとっては、緊張感がありつつも楽しいお出掛けにすぎない。人間である自分にとっては、比重が楽しい寄りなのだ。


最悪、勇者だと身バレしても、ただちに生命の危険は無い。ある種の保険がかかっているような感覚がある。


魔族が人間の街に潜入するのに比べれば、比べるのも失礼になるほど、お気楽なものだ。




気を引き締め直さなければならない。


改めて現在時刻を確認する。まだ午前10時にもなってない。まだ半日以上も残っている。気を緩めている場合では無い。


いや、そもそもの話、最初から最後まで気を緩めてはいけないのだ、本当は。


塩の買い出しは、家に帰るまでが塩の買い出し。出発前に自分で言っておいて、忘れてどうする。浮かれすぎだ。



「あー、ごほっ、ごほんっ。……何か忘れてはいないかな、義兄上?」


「……あの、理緒、さすがにここで撫でるのはちょっと」


「な、何故だ!何故私だけ!?」


「いや何故って、大の大人が何を言ってるんですか。公共の場ではダメでしょう、普通に」


「先程の抱擁と比べれば、控える理由などあろうか?……否っ!」


「そういう問題じゃありません」



否、じゃないよ。否が否だよ。


黒夫と魅雪とフェアの頭を順番に撫でつつ、荒ぶるムチムチさんをなだめる。




自分は何のために、この街までやって来たのか。


塩を買うためだ。


塩を買って帰って、あの家での生活を続けるためだ。


あの家での生活を続けるために、この街まで塩を買いに来たのだ。


あの家で、みんなで生活するのが目的だと言う事を絶対に忘れてはいけない。




いずれ元の世界に帰る、その日までの生活。


期限付きの、束の間の、仮初の、今だけの生活。


被災時の一時的な避難生活のようなもの。いずれ必ず終わりが来る。


期間は未定でも、いずれ終了する事だけは最初から予定として決定している。


それでも、この生活には守るだけの価値がある。そう信じる。


自分は、そう信じている。



「んにゃぁ~……」


「くふふっ……」


「やはり義兄上は子供にしか興味が無いのか!?そうなのか!?」


「全然違います」



どうにか少しだけ元気を取り戻した三人を見て、自分の目的を再確認する。


左肩に座るフェアだけは、いつもと変わらずにいた。


絶対に逃がさない、なんて言ってません。思い込みです。

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