30.電設のヒデオさん、見誤る。
通勤カバンは今、自分と共に部屋の外にある。
体を拭くのに必要な全てが部屋の外にあり、部屋の中には無い。
「理緒、開けてください。体を拭こうにも、何も無くては無理でしょう」
「それは無用な心配だ、義兄上。全て私に任せてくれ」
ドアの向こうから、やたら自信満々なムチムチさんの声が聞こえる。
嫌な予感がする。
「心配なので、開けてください」
「……前々から思っていた事ではあるのだが、どうにも義兄上は私を見くびっているきらいがあるな」
「見くびっていません。正当に評価しています。だから開けてください」
「そういうところだぞ、義兄上」
見くびってなどいない。
見くびっていられるはずがない。
火の気の無いIHコンロから火柱を上げるような人を見くびっていたら、命がいくつあっても足りない。
「ここらで一つ、私がデキる女であるというところを見せつけ、汚名挽回して見せようではないか!義兄上は何も心配せず、ただそこで待っていれば良いのだ!」
部屋の外に追い出されているので、見たくても見れない。
自分の見ていないところで変な事をやらかしそうで、死ぬほど心配だ。
「さあ、始めるとしよう。私に身をゆだね、気を楽にしたまえ」
「う、うん……」
「ふふっ、固くなっているな。緊張しているのか?可愛い子だ」
「か、可愛いだなんて……そんな……」
「なに、心配はいらない。怖がる事など何も無いのだぞ?」
ドアの向こうでは、すでに何かが始まっている。
心配だ。
心配だから聞き耳を立てる。他意は無い。
「ではゆくぞ。『水よ。我が意に従え』」
「ごぽぽっ!?」
ボチャンッ。
池に岩でも投げ込んだような水音が聞こえた。
「次だ。『風よ。我が意に従え』」
「ぶわあっ!?」
ブオーンッ。
ドライヤーの強風を吹き付けるような風音が聞こえた。
「仕上げだ。『光よ。我が意に従え』」
「まぶしっ!?」
ピカッ。
ドアの隙間からカメラのフラッシュのような閃光が漏れた。
「……ふむ。櫛くらいは用意しておくべきだったか。手抜かりだったな。これでは髪を整えられないか」
「い、いいよ別に、髪とかどーでも。こーしてテキトーにしときゃいいんだ」
「無頓着だな。惜しい事だ。もっと伸ばしてはどうだ?似合うと思うが?」
「えー、ヤだよ。掴まれやすくなるし、引っ張られたら痛いし」
「そのような理由で……なんとも寂しい理由だな……」
所要時間5分弱。本当にすぐ済み、ドアが開いた。
小奇麗になった少年が、せっせと手櫛で髪を整えようとしていた。
ちなみに、少年の髪は雑多に伸びたセミロング。至極どうでもいい情報。
「……これ、使います?」
「おお、さすがは義兄上だ。こういうところは抜かり無いな」
通勤カバンから、くし付きドライヤーを取り出す。ゴツイが一応くし代わりに使えなくはない。
「い、いいって。ホントいいって、そーいうの」
「ふふっ、恥ずかしがらなくても良いではないか」
ムチムチさんは嬉々として受け取り、少年の髪を梳き始めた。
「いてっ!?引っかかってる!?髪引っかかってるから!?」
「あ、あれ?こ、こうか?」
「いたいいたいいたい!?」
「……私がやります。貸してください」
ムチムチさんに代わり、少年の髪を梳く。
「……うん、臭わないな」
「嗅がないで!?」
たった5分弱で、少年は本当に無臭になっていた。
「どうだ、義兄上。自画自賛になるが、見事なものだろう?」
「そうですね。お見逸れしました」
「ふっ、ふふっ、ふふふふふふふふっ!」
ムチムチさんが不気味な美声で笑っている。
包帯の下でドヤ顔の気配がする。
「……それはそれとして、このビシャビシャの床、どうすんですか?」
「……放って置けば良かろう、こんなもの。きっと夜までには乾く」
部屋の床が水浸しだった。
何やったんだろう、この人。
気になるけど、聞くと疲れそうなので、やめておいた。
小奇麗になった少年を連れて、再び表通りに出る。
先程までと何も変わらず、とても歩きやすい。
少年が無臭になっても、状況は焼け石に水だった。
「……それで、塩を売っているお店に心当たりはありますか?値段は高くてもいいので、なるべく品質重視のお店がいいのですが」
「塩は高くてもいいのか?それならロック爺ちゃんトコかな。その筋ではケッコー評判いいんだぜ、ロック爺ちゃんトコで売ってるモン。ロック爺ちゃんの評判はスゲー悪いけど」
「その筋ってどの筋だよ……。まあ、とりあえず、そこで」
「いいぜ、こっちだ」
評判が良いのか悪いのか、よくわからない店に行く事になった。
表通りの終点付近。大きな建物と建物に挟まれるようにして、その店はあった。
まるでビルとビルの間に挟まれた駄菓子屋のような、周囲の雰囲気から浮いた店だった。
場違い感が酷い。
「ここだぜ」
「……なんでこうも変な店ばっかりなんだ……」
やっぱり案内役は解雇した方が良かった気がする。
こちらの後悔など、少年は気にも留めない。一種独特の雰囲気を放つ店へとズカズカ乗り込んで行った。
「ロック爺ちゃーん、死んだかー?」
開口一番、死亡確認してる。本当に大丈夫なのか、これ。
「ほっほっ、元気な声がしますねぇ」
朗らかな笑顔の老人が出た。大黒様を思わせる、ふくよかな好々爺だった。
見るからに人の良さそうな老人だ。店構えはアレな感じだったし、前の店や宿より酷い人物が出てくる可能性も危惧していたのだが、良い意味で裏切られた。
「おやおや、おひさしぶりですねぇ。ついに私と契約する気になりましたかねぇ。お友達ともども、歓迎いたしますよ」
「盗みはやらねーし、やらせるのもゴメンだって何度も言ったじゃん。……って、そーじゃねーんだよ、爺ちゃん。今日は客を連れて来てやったぜ」
「ほぉ?お客様を?」
「客連れて来てやったんだ。カネくれ」
なんか不穏な言葉が聞こえたような気がしたが、気のせいだろうか。
きっと気のせいだろう、多分。
いかにも人が良さそうで、不穏さとは無縁そうな老人だ。
お駄賃を要求する少年に、銅貨を数枚握らせている。気前も悪くなさそう。
この街で出会った人物の中でも、ダントツで第一印象が良い。
ふくよかな笑みを浮かべたまま、老人はこちらを向いた。
「ほっほっ、これはこれは、このようなむさ苦しい所までご足労いただきまして、誠に恐縮でございますな」
この老人、首から上を包帯でグルグル巻きにした不審人物を連れているのを見ても、嫌な顔一つしなかった。
客の外見の悪さに囚われて粗略な態度になったりはしないようだ。
これだ。これこそが客商売のあるべき姿だ。客を普通に客扱いしてくれる普通の商人に、ついに巡り合えた。
この老人からなら、安心して塩を買えるだろう。店構えは少々アレな雰囲気だったが、この店に来て良かった。
店に入る前の変な緊張感はスッカリほぐれ、気楽な心で挨拶した。
「はじめまして。塩を買うのに良いお店は無いかと尋ねましたら、こちらのお店を紹介されたのですが」
「ほぅほぅ、塩をお求めですか。それはそれは丁度良い時に来られましたな。少しばかり前に、新しく塩を仕入れたばかりだったのですよ。いやはや、お客様は時の巡りに恵まれていらっしゃいますな」
なんかよくわからないが、タイミングが良かったらしい。
今までの悪い流れから一転、ここに来て良い流れが来ているのを感じる。
この店に来て本当に良かった。
「こちらの品などは、いかがですかな?」
老人はすぐ後ろにあった棚から、湯呑みくらいのサイズの入れ物を取り出すと、カウンターに置いて蓋を開けた。
中には純白の美しい塩が入っていた。
「さあ、どうですかな。この白さ、透明感、きめ細やかな粒子。品質は一目でわかっていただけるかと存じます」
「そうですね――」
「ただ、物が物ですからな。見た目だけで購入を決めるのは難しいでしょう。見た目も大事ですが、それよりも味が大事なのは言うまでも無い事でございますな。ささ、お客様、どうぞこの塩、味見してみてください」
「味見ですか?それは――」
「さあさあ、どうぞどうぞ、幾らでも味見を――……とは、さすがに言えませんかな。味見だけで全て食べ尽くされてしまっては、大赤字になってしまいますからな。ほっほっ」
「い、いや、味見だけでそこまでは――」
「味見はちょびっとだけでお願いいたしますよ。当店が赤字にならない程度に、ちょびっとだけ、味を確かめてみてください」
笑顔でグイグイ来る老人に促されて、小指の先に少しだけ塩を付けて舐めた。
「……塩ですね」
「ええ、勿論でございます」
塩だった。
塩辛かった。
一応、変なエグみなどは感じないので、悪い塩では無さそうだ。
ただ、自分の舌は平凡なサラリーマン相当なので、これがどれだけ良い塩なのかは、正直よくわからなかった。
「……………………」
横目にチラリと黒夫の様子をうかがう。
黒夫は少し眉をひそめていたが、特に何も言っては来なかった。
問題無いらしい。
「……いい塩ですね」
「ええ、ええ、勿論でございますとも。良質な塩でございます。これは私の商売人としての持論でございますが、お客様が商品を望まれるように、商品もまた買われるに相応しいお客様を待ち望んでいるに違いないと、私はそう信じております。この品がここでお客様と巡り合わせたのは、まさに時の巡り合わせ。当方といたしましては、この品、是非ともお客様にお買い上げいただきたく存じますが、いかがでございましょうか?」
「そうですね。では――」
「ダメなの」
グイッと服の裾を強く引かれた。
「これ、お塩ちょびっとしか入ってないよ。上のホンのちょびっとだけなの」
「……魅雪、それ本当?」
「うん」
魅雪は塩の入った容器をジッと見詰めていた。
老人は変わらず好々爺然とした笑顔を浮かべ続けていた。
「……どういう事でしょうか?」
「ほっほっ、これはこれは大変失礼いたしましたねぇ。どうやらお客様にお出しすべき品を間違えてしまったようでございますねぇ。いやはや、このような間違いをやらかしてしまうとは、大変申し訳ございませんでした」
「……間違い、ですか?」
「ええ、ええ、間違いでございます。どうにもいけませんねぇ。お客様にお出しすべき品を見誤るなど、商いを生業とする者としては大失態。商売人の名折れでございます。まったくもって、お恥ずかしい限りで。実を申せばここ最近、このような間違いをする事がめっきり増えましてねぇ。いやはや、私ももう老いぼれと呼んで差し支えない歳となってしまいましたからでしょうかねぇ。いやはや、まったくまったく、歳は取りたくないものですねぇ」
「……………………」
「さてさて、真にお客様に相応しい品をお持ちいたしましょうかねぇ。少しばかり席を外させていただきますよ」
老人は特に焦った様子も見せず、ゆるりと立ち上がり、塩の入れ物を置きっぱなしにして、店の奥へと消えて行った。
好々爺然としたまま、笑顔は微塵も揺らがず、余裕のある態度は微塵も崩れなかった。
「……魅雪、よくわかったね。でも、どうしてわかったの?」
「んーっとね……、女の勘なの!」
「そ、そうなのか。うん。凄いね」
あら怖い子だわ、この子。
何の根拠も無いのに、妙な説得力がある。頼もしくも、おっかない。
絶対に敵にならないように細心の注意を払おう。敵になる予定なんか無いけど。
「……なあ、黒夫」
「塩、本物だった。それに、あいつ嘘は言ってなかった……と思う」
「……そうか」
「ほ、ホントだぞ!あいつ、ちょっと嫌な臭いしたから警戒してたんだ!何かあったらニンゲンに教えなきゃって、だから、だから凄くがんばって見張ってたのに……なのに……なのに……っ……」
「わかってるって」
黒夫と老人、どちらを信じるかと言えば、当然、黒夫を信じる。
きっと黒夫が言う通り、老人は嘘を吐いていないのだろう。
先程の遣り取りの中で、老人は本心だけを語っていたのだろう。
ただし、それが老人の誠実さを示す訳では無い。
正しい情報だけを語り騙るなど、営業マンにとっての基本スキルと言ってもいいくらい、世に有り触れた手練手管の一つだ。
それを知っていながら油断した自分のミスだ。黒夫は悪くない。
それでも黒夫は悔しそうな顔をしていた。
「お前なぁ……。なんて顔してんだよ」
フードの上から押さえつけるようにして、頭をグリグリと乱暴に撫でる。
「んにゃっ!?何するんだ、ニンゲン!?」
「落ち込んでる場合じゃねえぞ。隙は見せるなよ。あとニンゲン呼びやめろ」
「あー!クロオばっかりズルいの!ボクも!」
「はいはい」
黒夫と魅雪の頭をグリグリ撫で回しながら、意識を切り替える。
今日一、ヤバイ気配がする。
冷静になってよく考えてみたら、首から上を包帯でグルグル巻きにした不審人物を連れて来たのに、あの老人、本当に微塵も嫌な顔をしなかった。わずかに眉をひそめる事すらしなかった。
絶対に普通の老人じゃない。第一印象が良いとか言ってる場合じゃなかった。
ストリートチルドレン達のリーダー格(自称)から評判の悪い老人だと事前に聞かされていたのに、完全に見誤った。完全に自分のミスだ。
塩の買い出しでは黒夫の嗅覚を頼るつもりではあったが、それにしたって、自分が油断していい理由にはならない。
「あー、ごほっ、ごほんっ。……何か忘れてはいないかな、義兄上?」
「……あの、理緒、さすがにここで撫でるのはちょっと」
「な、何故だ!何故私だけ!?」
「いや何故って、大の大人が何を言ってるんですか。公共の場ではダメでしょう、普通に」
「個人経営の店舗の内部は、果たして公共の場と言えるのか?……否っ!」
「そういう問題じゃありません」
否、じゃないよ。否が否だよ。
黒夫と魅雪とフェアの頭を順番に撫でつつ、荒ぶるムチムチさんをなだめる。
自分はここで一体何をやっているのだろうか。
おかげで適度に肩の力は抜けた。
「ほっほっ、お待たせいたしましたねぇ。……あの、何をしておいでで?」
「お気になさらず」
「ほっほっ、そうですか」
好々爺の顔が一瞬崩れた。そして一瞬で立て直した。
この老人、デキる。
戻って来た老人は、何事も無かったような顔をして、手に持っていたものをカウンターに置いた。
先ほどの塩の入れ物と、傍目にはほぼ同じ物に見える。果たして、中身はどうだろうか。
「はてさて、今度の品は気に入っていただけますかねぇ?」
老人が入れ物の蓋を開ける。
中にはピンク色の粒が詰まっていた。ピンク色の金平糖を粗めに砕いたような、半透明で不揃いな粒だった。
「……あの、私は塩を買いに来たのですが?」
「ええ、存じておりますよ」
どう見ても、塩に見えない。
なんだこれ。どういうつもりで出してきたんだ。
こちらが戸惑っているのに、老人は相変わらずの様子だった。
いかにも好々爺と言った風情は一切揺るがず、笑顔で細まった目でジィッとこちらを見ている。
「……………………」
違う。違った。
老人が見ているのは、魅雪だ。
「お客様になら、この品はお気に召していただけるものと私は確信しておりますよ。さてさて、いかがでしょうかねぇ?」
ギュゥッと手を握られた。
「……魅雪?どうした?」
「わかんない。知らない。これ、知らないの。知らないのに知ってるの」
「これを知ってる?塩じゃないみたいだけど、何なんだ?」
「……ううん、これ、お塩だよ」
「塩?これが?どう見ても塩じゃないんだけど……」
「……っ……知らない……ボク、知らないのに……」
「み、魅雪?大丈夫?」
握り潰すほど強く、魅雪が手を握ってくる。
顔から血の気が引いている。
「……御老体。尋ねたい事がある」
魅雪をかばうように、ムチムチさんが前に出た。
嫌な予感がする。
「理緒」
「すまない、義兄上。少し黙っていてくれないか。すぐに済む」
物凄く嫌な予感がする。
止めたいが、有無を言わさぬ雰囲気に圧されて、二の句が継げない。
「はて、いかがなされましたかな?」
「御老体。これはどこで手に入れた?いや、どうやって手に入れた?」
「その質問にはお答えいたしかねますな。当方といたしましては、お客様のご要望には可能な限りお応えしたく思っておりますが、さりとて、それは商売上での話でございます。仕入れ筋を易々と明かしてしまっては、商売が成り立たなくなってしまいますからな。さる特別な伝手を通じて手に入れた、とだけ言っておきましょうか」
「……私の知る限りにおいては、これが採れる場所は極めて限られる。とある孤島にある特定の岩窟でのみ採掘される特殊な岩塩だったはずだ。それに相違無いか、御老体」
「ほぅほぅ、この塩の事、よく御存じのようですな。まさしくお客様のおっしゃる通りの品でございますが……。ああ、ああ、そうでございましたか。いやはや、本当に耄碌したものですねぇ。こう何度もお客様を見誤るようでは、いよいよもって本格的に隠居を考えねばなりませんかねぇ」
「御老体。このようなものを出してきて、どういうつもりか。返答次第では、老人相手とて容赦はしかねるが」
「勘違いなさらないでいただきたいですねぇ。私はあくまでも商売をしたいだけでございます。世間では、ただ物を右から左に流すだけで金儲けをする卑賎な所業などと咎められる事も多い仕事でございますが、それはとんでもない誤解というもの。ああ、いえいえ、確かにそのような事を言われても仕方の無いような悪辣な輩も少なからずおりますかねぇ。ですがですが、皆が皆そうだと思われては甚だ心外というものでございます。商売人には商売人の矜持がございます。あるべき品を、それを手にするに相応しいお客様の手へと送り届ける事、それこそが商売人の本懐であると存じます。あくまでもお客様あってこその商売でございますれば、私からお客様に何らかの危害を加えようなどという意図は一切ございません。どうかその事だけは、どうかご理解いただきたいものですねぇ。まったくもって、お客様に危害を加える気など毛頭ございません。ただただ商売をしたいだけでございます」
「……いいだろう。この場はそれで納得しよう」
「ほっほっ、お客様にご納得いただけたようで、何よりでございますねぇ」
「だが、少しでも不審な動きを見せれば、その限りではないぞ、御老体」
「ほっほっ、それはそれは、なかなかに厳しいものでございますねぇ。私のような者は、ただ笑っているだけでも不審がられる事もあるほどでございます。少しの不審でも許されないとなりますと、息をするのも難しくなってしまいますねぇ。どうかどうか、多少の御目溢しはいただきたいものですねぇ」
「……善処しよう」
好々爺には似合わない苦笑いを浮かべると、老人は自分の方に視線を向けた。
「そちらのお客様は、どうですかな。この塩の産地にお心当たりは?」
「……いえ、まったく」
「そうでございますか。……これは商売上、本来であれば秘さねばならぬ事なのですが、お客様には特別にお教えいたしましょう。この塩の産地は、南方にございます」
「……南、ですか?」
「ええ、ええ、そうなのでございますよ、お客様。ここより遥か南方の果ての果てより長い旅路を経て、当店へと辿り着いた品なのでございます。それはもう本当に特別な品なのでございますよ。たとえ王侯貴族であろうとも、相応しくないお客様には決してお出ししない品なのですが、この度は特別でございます。遥か南方の地より届いたこの品は、お客様方にこそ相応しい。そう思えばこそ、こうしてお出ししている次第でございます。……この意味、ご理解いただけますかな?」
「……っ……」
マズい。非常にマズい。冷や汗が止まらない。
この街は、王国南西端の街。人間の領土の南の端。その遥か南方という事は、つまり、この塩の産地は。
「店主の目には、魅雪が――……いえ、この子にこの品が相応しく見えるのですか?」
「左様でございます」
マズい。マズい。マズい。
バレてる。
「さて、お客様。当方といたしましては、この品、是非ともお客様にお買い上げいただきたく存じますが、いかがでございましょう?」
大黒様のような笑顔を浮かべる老人が、まるで黒いセールスマンに見えた。




