27.電設のヒデオさん、街に潜入する。
通称『絶望の荒野』が、まだそうとは呼ばれていなかった頃。
王国の南西部に都市を建設する計画が立案された。
いずれ無人の荒野が穀倉地帯へと変貌を遂げるだろう、という皮算用の下に立案された計画だった。
本来の順序で言えば、まずは無人の荒野の開拓に成功し、そこに生じる人や金の流れによって街が出来上がり、やがて発展して都市となる、というのが自然である。
そういう自然に出来上がった都市というのは、自然発生的であるが故に、色々と都合の悪い都市問題を自然に内包する。
都市問題解決のために後から都市を再編しようとすると、多大な労力がかかってしまうものだ。
それなら、先んじて計画的に都市を建設すれば良い。
まだ何も無い土地だが、だからこそ何のしがらみも無く、効率的に資金と労力を使って理想的な都市が作れる。
都市が完成すれば、そこを経由して必要な資材や人員を投入しやすくなるので、無人の荒野を開拓する足掛かりにもなる。
良いこと尽くめだ。
……という皮算用がなされた結果、王国南西部に計画都市は建設された。
当時の王国はイケイケドンドンな雰囲気で、誰も止められなかったらしい。
ちなみに、無人の荒野の開拓には失敗した。
植物の生育には向かない土地を穀倉地帯に変えるのは無理がある。植物も土地も、人間の都合に忖度してくれない。
本当は、無理だとわかった時点で諦めるべきだった。しかし、無理だとわかっていても、計画都市まで建設しておいてスパッと諦められるほど人間という生き物は潔くない。
以降、無人の荒野では数十年ごとに開拓が強行されては失敗するというサイクルが繰り返される事となる。
絶望一路の始まりだった。
「で、ここが本日の目的地です」
月明かりの下、自転車で不整地を進む事、約1時間。
辺境の街が見えてきた。
「これはまた何ともはや。話に聞いた時は何の冗談かと思っていたが、本当にこんな有様とは……。ここの領主は正気か?」
「仕方がありませんよ。壁を直そうにも、お金が無いんですから」
自分の自転車の後ろに乗っているムチムチさんが、呆れたような声を出した。
街を囲う壁には、幾つものヒビが入っていた。
王国南西端の街は、かつて輝かしい希望と共に建設された計画都市である。
今となっては希望の欠片も無いが、建設当時は希望があったので、ちゃんとした計画が立てられて都市が建設された。
街の南方には急峻な山脈があり、その南側は超巨大なヘビの魔物の縄張りで、更に南側が魔族の領域。
人間も魔族も実質行軍不可能な二重の国境線が引かれているが、地図上では魔族の領域に近い立地なので、街の周囲は防壁に囲われている。
計画通りである。
希望に満ち溢れていた当時、その希望を反映し、かなり立派な防壁が作られた。
これが良くなかった。
立派な設備というものは、メンテナンスに相応の資金と労力を必要とする。防壁も例外では無い。
たかが壁、されど壁。放置すれば老朽化し、最悪の場合は倒壊もあり得る。定期的なメンテナンスは必須であり、定期的に資金と労力を消費する。
地図上では魔族の領域に近い立地だが、実際に魔族に攻められた事は、都市建設以来、ただの一度も無い。
立派な防壁は、完全に無用の長物と化している。それでいて、メンテナンスに必要な資金と労力は大きい。十全な状態を維持しようとすれば、かなりの負担になる。
計画時、希望の輝かしさに目が眩んで見落とされた盲点である。
都市の経済規模は、辺境としては平凡な部類に入る。
この付近一帯では最も規模の大きい街であり、小さな町や村にとっては重要拠点だが、王国全体で見れば重要視するほどの規模は無い。
特にこれと言った特産品も無く、代替不可能な産業を抱えている訳でも無く、隣国との交易も無い。
王国がわざわざ優遇する理由は無い街なので、防壁のメンテ費用は街の運営費から捻出しなければならない。
必要経費は自腹でよろしくです。
経済規模や防衛上の必要性に対して、とにかく防壁が立派すぎたのが悪い。
たかが壁のためにばかりお金をかけていられないので、必然的にメンテナンスは手抜きされるようになった。そうしないと街が回らないのだから、仕方が無い。
仕方が無い、なんて言葉で片付けていい話では無い。でも、仕方が無いものは仕方が無いのだ。だって仕方が無いのだから。
人目に付きやすい門の付近などは面子もあるので完璧に仕上げているが、それ以外の部分は放置気味となっている。
そして、街の南端部、防壁のせいで日陰に覆われる区画は半ばスラム化し、嫌悪の対象になっていて、半ば放棄されている。
都市問題、普通に発生中。仕方が無い。
近年、防壁の一部が限界を迎え、ついに穴が開いてしまった。
……という噂がある。
あくまでも噂である。
噂という事になっている。
それは絶対に噂でなければならない。
いかに無用の長物とは言え、防壁は防壁である。
もしも本当に防壁に穴が開いていたら、重大な責任問題になってしまう。
だから、あくまでも、どこまでも、防壁の穴の存在はただの噂である。
噂である必要がある。
くどい様だが、念を押す。穴が開いているというのは、根も葉も無い噂である。
もっと言えば、公的な記録上では、防壁のメンテナンスは十全に行われている事になっているので、ヒビすら入っていない事になっている。
ヒビすら入っていないはずの防壁に、ましてや穴が開いているなどと、そんなタチの悪い噂が王都のお偉いさん方の耳にまで届くほど流布されているとは、大変嘆かわしい事である。
ああ、実に嘆かわしい。
「……やはりここの領主は正気を失っているのではないか?」
「領主が悪いんじゃないんです。貧乏が悪いんです」
「それはつまり、街を豊かにできない領主が悪いという事ではないのか?」
「……………………」
正論は残酷である。
街の外周に沿って南側へと進むと、壁のヒビが増えていく。そしてゴミも増えていく。
この街の南側には門が設置されていない。本来なら人の往来は無いはずなので、生活感があるのはおかしい。おそらく、スラムの住人が穴から抜け出して捨てたものだろう。
穴の正確な位置は不明。管理を半ば放棄され、衛兵の巡回路からも外され、組織ぐるみで見て見ぬフリだけは徹底されているため、詳しい情報が無い。
自分一人なら、勇者級の脚力で壁を跳び越えれば済む。
フェアは普通に飛べるので、問題無い。
黒夫も脚力は人間離れしているので、跳び越えられるはずだ。
でも魅雪には無理だろう。鬼の力は強いが、あまり高くは跳べそうにない。
ムチムチさんも無理だろう。人間の女性と身体能力があまり変わらない。
全員で壁を越えるためには、入口を見付ける必要がある。
「自転車はここまでですね。ここからは歩いて入口を探しましょう」
「ああ、わかった」
折り畳み式の電動アシスト付き自転車から降りる。
ハンドルの真ん中にあるボタンを押した。
「ポチッとな」
ウィーンッ。ガシャコーンッ。
メカメカしい駆動音と共に、自転車が自動でコンパクトに折り畳まれていく。
実にメカメカしくて、見ていてちょっと楽しい。
「……折り畳み自転車って、こういうのだったっけ?」
「最新式は伊達ではないのです。ますたー」
「そっかー、最新式だからかぁ……」
フェアがそう言うのなら、きっとそうなのだろう、多分。
元の世界では普通の折り畳まない自転車しか買った事が無いので、よく知らんけど。
「ついに来たの!お買い物!入口はどこなの!?」
「オレが一番に見付けるぞ!」
「こらこら待て待て。街ではまとまって行動するって言っただろ。離れんな」
コンパクトになった自転車を通勤カバンに仕舞い、ここからは徒歩で移動する。
もうすでに日の出が近いので、早々に穴を見付けて街に入らないとマズい。
スラムの住人と鉢合わせてトラブルになるのは避けたい。
だが、焦りは禁物だ。ここで焦ってバラけたら迷子になりかねない。
慌てず騒がず、こういう時こそ冷静に。
壁沿いを全員一塊になって歩く。
南へと進むほどゴミが増え、嫌な臭いがキツくなってくる。
キッチンの排水溝と洗濯前のシャツの臭いを超濃縮ブレンドしたような臭い。かなり気持ち悪い。
ふと、気になった。黒夫の方を見た。
「……なあ、黒夫。お前、大丈夫か?」
普通の人間の鼻でも臭いのに、黒夫の鋭い嗅覚にこれは大丈夫なのだろうか。
「ん?何がだ、義兄様?」
「この臭いだよ。お前、鼻いいし、キツくないか?」
「何言ってるんだ?こんなの普通だろ?」
こちらの心配をよそに、黒夫は平気そうな顔をしていた。
「……この臭い、お前には普通なのか?」
「普通だろ?そりゃちょっとは臭いなって思うけど」
無理に我慢しているのかと思ったが、そんな風には見えない。本気でこの悪臭を普通だと思っている顔だった。
生物の五感は、生活環境次第で、特定の刺激に対して鈍化する事がある。
夏のセミの鳴き声と似たようなものだ。慣れていないと煩わしいが、慣れれば気にならなくなる。
おそらく、この悪臭はスラムの臭いだ。壁の穴から外へ漏れ出ているのだろう。
これを黒夫は普通だと言った。本当に当たり前のように、普通だと言った。悪臭だと認識していながら、悪臭を気にしていない。
「……………………」
うちに来る前の黒夫は、どんな環境で生きてきたのだろうか。
「あったの!」
黒夫の過去の生活環境に気を取られた、一瞬の出来事だった。
魅雪が消えた。
「……………………えっ?」
魅雪がいない。
慌てて周囲を見渡す。
いない。
どこだ。
前にはいない。
後ろか。
振り向く。
後ろにもいない。
「あっ、見付けたぞ!」
前に向き直る。
黒夫がいない。
黒夫も消えた。
どこだ。
「街に着いて早々迷子は勘弁してくれっ!?」
そんなに遠くには行っていないはず。すぐ近くの壁を探す。
ゴミが盛られて陰になっている所に、小さな穴が開いていた。
子供でも屈まないと入れない程度の穴だ。
二人とも、この穴から壁を越えて街に入ったのか。
臭くて狭い穴。子供達は気にせず通り抜けたようだが、ここを今から自分が通り抜けるのかと思うと躊躇した。
躊躇している間に、穴の向こうから何かが聞こえた。
「ひでぶっ」
「あべしっ」
ガッシ。ボカッ。
物凄く嫌な予感をさせる音だった。
「ためらうヒマもくれねえのかよっ!?」
四つん這いになって、小さな穴を潜り抜ける。
体をあちこち掠ったが、ギリギリ通れた。
穴の向こう側では、すでに問題が起こった後だった。
「黒夫、魅雪、何やったんだ!?」
スラムの住人らしき男達が二人、うつぶせに倒れていた。
「ち、違うの!ボク悪くないの!この人達が悪いの!」
「お、オレが悪いんじゃないぞ!こいつらが悪いんだ!」
ダメだこいつ、早く何とかしないと。
「……まあ、アレだな、アレ。まだ早朝だし、人が寝てるのは普通だな。うん。寝てるのは普通だし、起こしちゃ悪いし、このままにしとこう」
よし。見なかった事にしよう。そうしよう。
実際、決定的な瞬間は見ていない。たまたま地べたで寝ている人がいる所に偶然出くわしてしまっただけかもしれない。きっとそうに違いない。そういう事にしておく。
小学生くらいの子供に、大の大人が昏倒させられるなんて事、あるはずがない。そんな話、聞いても誰も信じないだろう、常識的に考えて。
大の大人の方にしても、子供に昏倒させられたなんて事、恥ずかしくて誰にも話せないはずだ。つまり、被害報告はなされない。
誰にも犯罪の存在を認知されないのなら、その犯罪は存在しないのと同じ。
完全犯罪ですら無い。完全無欠の無罪だ。
つまりセーフ。多分セーフ。きっとセーフ。そう信じる。
そうと決まれば、さっさと移動しよう。
「二人とも、とりあえず場所を移――」
「あ、あんたら、なんて事してくれたんだ!ドンの手下に手ぇ出すなんて!」
移動しようとしたら、誰かが声を上げた。
ゴミに埋もれるようにして、一人の少年がそこにいた。
「ええっと……。どちら様ですか?」
「な、なんなんだよ、あんたら!あんたら、よそ者か!なんでこんなトコいんだよ!しかも余計なマネして!こんなのバレたらドンに何されるか!タダじゃ済まされねーぞ!どーすんだよコレ!どーしてくれんだよコレ!オイラまでドンに目ぇ付けられたらどーしてくれんだ!」
少年は一方的にまくし立てていた。
ボロい衣服に身を包んだ、痩せた少年。手足は細く、頬がこけている。その割には元気だ。
元気すぎて、こっちの話を聞いてくれそうにない。
うるさい少年の事は一旦放って置いて、黒夫と魅雪に向き直る。
「で、何があったんだ?」
「ボク悪くないの!」
「オレは悪くないぞ!」
「落ち着け。ちゃんと話聞くから」
こっちはこっちで興奮していて、話はあまり要領を得なかった。
それでも根気良く聞き出す。
状況と合わせてよく聞けば、大体何が起こったのかはわかった。
スラムの住人らしき男達は、二人がかりで一人の少年に暴力を振るっていたらしい。
黒夫と魅雪は、穴を抜けてすぐのタイミングで、その現場を目撃。ついカッとなって男達を強襲し、背後からの一撃で殴り倒したらしい。
「……こいつらの後ろから攻撃したんだな?その時、顔は見られたか?」
「ううん、見られてないよ。バチーンってしたらね、そのままバターンってなったの」
「……そうか」
よし。見られてないならセーフ。このままトンズラしよう。
「二人とも、とりあえず場所を移――」
「あ、あんたら、どこ行く気だ!?」
とっとと移動しようとしたら、少年が立ち塞がった。
「あの、私達は用事がありますので、この辺で失礼させていただきます」
「なに勝手にどっか行こうとしてんだよ!あんたらがどっか行っちまったら、オイラがドンの手下に何かしたみてーになるじゃねーか!あんたらのせいなんだぞ!何とかしろよ!」
「そこの人達、一発で倒されたみたいですし、何が起こったのか気付いてないんじゃないですか?下手に騒ぐより、このまま何事も無かった事にして立ち去った方がいいと思いますよ、お互い」
「そ、そー言われりゃ、そーかも……。い、いや、でも、もしそーじゃなかったら、どーすんだよ。オイラがこいつら倒したと思われるかもしれねーだろ」
「その時は、まあ、そっちでどうにかしてください。一応、襲われていたところを助けた訳ですし、これ以上はちょっと」
「助けれくれなんて頼んでねーよ。どーせ、いつもの事だったんだ。ほっといてくれればすぐ収まったのに。あんたらのせいでドンと揉めたらどーしてくれんだよ。あんたらのせいだぞ。何かあったら、あんたらのせいだかんな」
相変わらず、少年はまくし立てていた。面倒臭い。放って置こう。
率直に言って、関わり合いになりたくない。
少年が何歳かは知らないが、黒夫や魅雪よりも背が高く、中学生くらいに見える。
中学生くらいの少年が、年下の子供達に助けてもらっておいて、文句ばかり言っている。
印象最悪である。
後から遅れてノコノコやって来ただけの自分に対してなら、まあ別に何を言ってもいい。だが、仮にも助けてもらっておいて、黒夫と魅雪にまで文句しか言わず、ありがとうの一言も言わないようなのを相手にするのは御免被る。
「私達は先を急ぎますので。それでは」
「ま、待てって」
「ま、待ってくれ」
少年を押しのけて先に進もうとしたら、背後から待ったがかかった。
振り返ると、首から上を包帯でグルグル巻きにした不審人物の上半身が壁から生えていた。
「きゃあっ!?おおおオバケ!?」
「……何してるんですか、理緒?」
ムチムチさんだった。迷子に気を取られすぎて、素で忘れてた。
「早く入って来てください。騒ぎが大きくなる前に、ここを離れますよ」
「そうしたいのは山々なのだが、その……、引っ掛かって抜けないのだ……」
「……………………」
穴に詰まってた。やっぱりお留守番させた方が良かった気がする。
「お買い物が待ってるの!早く、早く、早く!」
「まったく、何やってるんだ、姉ちゃんは。しょうがないな」
「す、すまない、ミユキ、クロオ」
黒夫と魅雪に引っ張り出されていた。
街に潜入早々、この有様である。前途が不安すぎる。




