20.電設のヒデオさん、知らない事にする。
午前1時過ぎ。ムチムチさんが1階の和室へと戻った後。
「……フェア、いる?」
「はい。ますたー」
呼びかけると、エアコンの上からフェアが顔を出した。
「……隠れてたんだね」
「わたしは要請に応える者です。ますたー」
「……確かに、二人きりで話をするって言ったのは俺だけど、わざわざ隠れなくても良かったんじゃない?」
「情報を引き出すのに、わたしは姿を見せない方が良いと判断しました。ますたー」
「……情報、か……」
よくできた妖精である。自分には勿体無いほどに。今だけは、それが少々憎たらしい。
振り返ってみれば、もしフェアが姿を見せていたら、話し合いの内容が変わっていた可能性は高い。少なくとも、フェアの見ている前で、体云々などという話は出なかっただろう。
そして、無駄にゴタゴタして気が緩んだのか、ムチムチさんは重要そうな言葉をいくつか漏らしている。
異世界に来てから、言葉で不自由した事は少ない。日常会話はほぼ支障無し。ただ、固有名詞や専門用語など、一部の単語の意味や言い回しなどが理解できない事があった。
「『白蛇の御座』に『白蛇の霊峰』か……。フェア、これが何か、わかる?」
「いいえ。わかりません。ますたー」
「……そう」
「ですが、推測は可能です。状況からの推測により、この地の南方に位置する森林地帯、及び、その近辺を含む一帯に対する呼称であると推測されます。ますたー」
「……うん。ありがとう、フェア。教えてくれて」
いつもの笑顔を浮かべて、フェアが答えた。
「ますたー。彼女らをこの家より放逐するべきであると進言いたします」
いつもの笑顔のままで、フェアは非情な事を言った。
「……それは、あの三人が魔族だから、かな?」
「いいえ。彼女らが魔族であるとは確定していません。情報が不足しています。彼女らは魔族であると推定されます。ますたー」
「……………………」
「魔族であると推定される存在を身近に置くのは非常に危険です。御検討を宜しく御願いいたします。ますたー」
「……検討するまでも無いよ。さっきの話の通り、三人ともこの家に住んでもらうから」
「ますたー。本当に宜しいのですか?」
「……うん、いいんだよ、それで」
「承知いたしました。進言は撤回いたします。御耳汚し、大変失礼いたしました。ますたー」
いつもの笑顔のままで、フェアは慇懃に頭を下げた。
「……はぁ……知らないままでいたかったなぁ……」
思わず溜息が漏れた。
まだ城で勇者教育を受けていた頃、魔族に関する情報を集めた事がある。内容は支離滅裂だった。
極めて強大な力を有するが、人間の兵士が容易く討ち取れるほどに貧弱。
極めて狡猾にして狡賢いが、人間の策や罠に簡単に引っかかるマヌケ。
極めて醜く恐ろしい姿だが、人間を美しい容姿で誑かす淫靡で卑猥な者ども。
極めて残忍かつ好戦的だが、人間の兵士を見ると怯えて逃げ出す臆病者。
これが魔族である。
当初は、プロパガンダの類なのかと思っていた。それなら矛盾は珍しくない。
『敵は恐ろしい存在だ。殲滅せよ』
『敵は恐るるに足らず。殲滅せよ』
よくある話である。
しかし、王国内の情報や、諸外国の情報を集めた結果、別の推論に思い至った。
魔族に関する情報は、全て正しい。
間違えていたのは『魔族』という単語に対する認識の方だった。
いわゆる亜人種、エルフやドワーフなども、魔族。
人型モンスター、ゴブリンやオークなども、魔族。
こちらの世界の人間は、人間以外の全ての異種族を十把一絡げに『魔族』と呼んでいる。
エルフとゴブリンを同族扱いするような、雑な分類である。
例えるなら、ネズミもクジラもコウモリも全て哺乳類と呼び、人間だけは人間と呼んで別格扱いしているような状態。
哺乳類という生物は、小型の陸生生物で、大型の海洋生物で、飛翔する生物、という事になる。情報としては正しい。
ちなみに、城では『エルフ』や『ゴブリン』などの個別の種族を言い表す単語を、一度も聞かなかったし、一度も目にしなかった。
王国を含め、人間の国家群には人間しか住んでいない。いわゆる亜人種も、人型モンスターも、いない。人間という単一の人型生物種のみを国民としている国家群である。
魔族は全て、魔族の領域に住んでいる。そちらに人間がいるのかどうかは、情報が無かった。
人間と魔族との戦争は、戦争と言う名の外交交渉ではなく、生物の生存競争の様相を呈している。敵を捕虜や奴隷として捕えたりはしない。
表向きはそうなっている。裏側ではどうなっているのかは知らない。
王国の城内においては、魔族は魔族としか呼んでいなかった。小分類が無い。わかり難すぎる。
こんな適当な情報管理がまかり通っているのは、おそらく、長すぎる戦争の弊害だろう。千年以上も戦争が続いているせいで、悪い意味で慣れすぎているのだ。
最前線の現場にいる人達であれば、詳細な情報を知っているかもしれないが、最前線の現場から遠く離れた王都の中枢にいる人達は、詳細な情報を知らない。
そもそも興味があるかどうかも怪しい。
中央に居座るお偉いさん達が興味を持つのは、魔族との戦争によって生じる損害と出費だけ。
部下に向かって何とかしろと命令し、実際に何とかするのは部下の部下のそのまた部下の、地方勤務の担当者。
ただ命令するだけの人達には、詳細な情報は不要である。
不要なはずは無いのだが、お偉いさん方が不要だと判断したら、それは不要な情報になる。
城内における魔族関連の情報不足。その悪影響をモロに食らったのが、こちらの世界の情報を全く知らない、異世界より召喚されし勇者。つまり、自分である。
「三人とも魔族の領域からこっちに来てるみたいだし、ほぼ確定だよなぁ……」
「いいえ。推定です。情報が不足しています。確定できません。ますたー」
「……まあ、確定よりも推定の方がいいか。あの時は半信半疑だったけど、もし魔族だって確信できてたら、きっとビビッて見殺しにしてただろうし……これで良かったのかな……」
「僭越ながら、その認識には是正が必要であると進言いたします。確定情報の有無によらず、高確率で結果に変化は無かったものと推測されます。ますたー」
「……そんな事まで推測しなくていいよ、フェア」
黒猫の獣人も、白髪双角の白鬼も、エルフらしからぬムッチムチな体付きのエルフも、全て魔族(推定)である。
魔族に関する概要情報しか持っていないので、魔族か否か、現時点では推定の域を出ない。
「あっちは打ち明ける気が無さそうだし、このまま知らぬ存ぜぬで通すか……」
「ますたー。本当に宜しいのですか?」
「いいんだよ。推理小説じゃあるまいし、真実を知ってもいい事なんて無いよ。フェアも、何も知らないって事にしておいてね」
「……わたしは知りませんよ。ますたー」
知らぬが仏。昔の人の言い付けにならい、知らないままでいる事にした。
ムチムチさんとの話し合いの翌朝。思ったよりも早く目が覚めてしまった。
「……知らない事にするのって、結構ストレスなんだよな……」
ふと、元の世界の会社にいた、調達部の宇野さんを思い出した。
数字の誤入力という凡ミスで資材が一桁多く届いたのに『知りません』の一点張りで最後まで押し通す、どこまでも強気な人だった。あれほど堂々とした態度を貫くのはなかなか難しいが、今だけは見習いたい。今だけは。
地味に痛む胃を抱えたまま、1階に下りる。
顔を洗おうと洗面所に向かう廊下の途中で、進路を塞がれた。
「……ニンゲン」
「おお、黒夫か。おはよう」
黒夫がいた。いつもの時間よりも起きるのが早い。
いつもは朝の挨拶をすると返してくれるのに、今朝は返って来なかった。
唐突に、腰にしがみ付かれた。
「……っ……」
「どうした、黒夫?怖い夢でも見たのか?」
軽く頭を撫でながら聞く。ギュウッと腰にしがみ付く力が強くなった。
「黒夫?なあ、本当にどうした――」
「姉ちゃんの匂いがする」
ギュウッと腰にしがみ付いたまま、黒夫が言った。
「ニンゲンから、姉ちゃんの匂いがする」
「……それがどうかしたのか?一つ屋根の下で暮らしてるんだ。匂いがするのは普通だろ」
昨夜のアレか。
思わず抱き寄せた時のアレのせいか。
内心でバクバクしながらも、知らないフリをした。
「ニンゲンから、凄い姉ちゃんの匂いがする」
「いやだからな、一つ屋根の下で暮らしてるんだから、別に不思議じゃないだろ。それがどうしたんだよ」
スンスンと鼻を鳴らしながら、黒夫が芋ジャーの匂いを嗅いでいた。
まるで、夫のワイシャツに付いている香水の残り香から浮気を疑う妻のよう。
いつもと違う落ち着いた声音が怖い。
なんでこんな事になってるんだ。
「匂い、昨日は無かった」
「いや、そんな事は無いだろ」
「発情の匂い、昨日は無かった」
「は、発情?人を盛りの付いたオスみたいに言うなよ」
「違う。発情の匂いしてたのは姉ちゃん。匂いが凄くて目が覚めた」
目が覚めるほどの強烈な発情の匂いってなんだよ。どんだけなの、あの人。
「昨日の姉ちゃん、寝る前にもちょっと変だったけど、そんなに匂い強くなかった。でも、今朝は凄かった」
「なんてこと言うんだ、お前は。臭いが凄いとか女性に言ったら怒られるぞ」
「でも、凄かった。その匂い、ニンゲンにも付いてる。昨日は付いてなかったのに」
「気のせいじゃないか?」
「気のせいじゃない。匂う。……それに、姉ちゃんからもニンゲンの匂いがした」
「お、俺の臭い?」
「いつものニンゲンの匂いだったけど、いつもより濃い匂いだった。姉ちゃんの全身に、凄く濃いニンゲンの匂いが付いてた」
黒夫はそう言いながら、グリグリと頭を押し付けてきた。マーキングされてる気分になる。
率直に言って、臭いとか言われても、自分ではわからない。勇者級の身体能力を持っていても、嗅覚は凡人並みである。
試しに自分の腕の臭いを嗅いでみたが、やっぱりわからなかった。
「気のせいだろ」
「気のせいじゃない」
「二人とも、何してるの?」
黒夫と二人で臭いを嗅いでたら、魅雪が起きてきた。
「ああ、魅雪か。おはよう」
「ミユキ、おはよ」
「うん、おはようなの、クロオ、おじちゃん」
魅雪が腰にしがみ付いてきた。
黒夫と魅雪に左右から挟まれ、逃げるに逃げられない体勢に追い込まれた。
ここで下手に慌てては墓穴に落ちる。
平静を保つ事に全力を注ぐ。
「何の遊びなの?」
「いや、遊んでるんじゃなくて、俺の体から何か臭いがするらしいんだけど、魅雪はわかる?」
「匂い?」
魅雪はスンスンと鼻を鳴らして臭いを嗅ぐと、首を傾げた。
「よくわからないの」
「だよね。俺にもわからん」
どうやら鬼の嗅覚は人間並みのようだ。助かった。
「ほら、黒夫、やっぱり気のせいだって」
「気のせいじゃない。絶対に匂いする」
「だからそれは、一緒に生活してれば自然に付くだろ。今だって、黒夫に俺の臭いが付いてるんじゃないか?それと同じだよ」
知らないフリをする。
全力で知らないフリを続ける。
特別隠さなければいけないほど疚しい事はしていないが、それはそれ、これはこれ。
夜更けに自室で二人きりで話をしていたと知られたら、絶対に面倒臭い事になる確信がある。
「匂いしないの」
「気のせいだって」
「匂う……と思うのに」
2対1の状況に押されて、黒夫が少し弱気になった。
後一息。このまま行けば、雰囲気で押し切れる。
……という絶好のタイミングで、最後の当事者が現れた。
「……ふわぁあぁぁ~……ねみゅぃいぃ~……」
大口開けてあくびをしながら、ムチムチさんがこちらにやって来た。
色気の欠片も無い様子が、むしろ生来の色気を強調する。
芋ジャー姿なのに扇情的とか、ほとんど反則である。
「おはようございます。ムチムチさん」
「お姉ちゃん、おはようなの」
「姉ちゃん、おはよ」
「……ぁあ~……ぉはよぅ~……」
こちらのプチ修羅場など気にもせず、ムチムチさんは気楽に挨拶をしながら近付いてきた。
黒夫の目が鋭くなった。
「やっぱり気のせいじゃない。姉ちゃんからニンゲンの匂いがする」
「……ふぇぁ~……?」
黒夫が確信の籠った声で言った。
その声に釣られるように、寝惚け眼のムチムチさんがブリっ子ポーズで臭いを嗅いだ。
「……におぃ~……するかぁ~……?」
どうやらエルフの嗅覚も人間並みのようだ。助かった。
……と思ったのは甘かった。
「……ふへへぇ~……昨晩のアレのせいかなぁ~……?」
「「「……………………」」」
何言ってくれちゃってんの、この人。
「ニンゲン」
「おじちゃん」
両側から万力の如き圧迫。割と本気で生命の危機を感じる。
「昨晩のアレって何なの?」
「昨晩のアレって何だ?」
「知らん!俺は何も知らんぞ!」
モツ出そう。腹部の圧迫が洒落にならない。
勇者級の頑丈な肉体に危機感を覚えさせるとは、子供達の成長が著しい。
まったく嬉しくない。
「……私も交ざるぅ~……」
「ややこしくなるから止めてくれません!?」
寝惚け半分のムチムチさんが抱き着いてきた。
ふにゅっとした。
至上の感触が上半身に当たる。嬉しいけど嬉しくない。
「……ヒデオ殿ぉ~……」
「ニンゲン」
「おじちゃん」
「せめて朝飯の後にしてくれ!メシ抜きにすんぞ!」
メシ抜き宣言のおかげで、辛うじて解放された。
朝食後、洗いざらい吐かされた。ムチムチさんが。
「姉ちゃん」
「お姉ちゃん」
「は、話をしただけだ!ほ、本当だ!そ、それ以上の事など、し、していない!本当にしていないぞ!ちょっとしか!」
「その内容、詳しく」
「ちょっと何したの?」
子供達から根掘り葉掘り聞かれて、結局全部ゲロっていた。
「ニンゲン」
「おじちゃん」
「で、なんで責められてんの、俺。俺悪くないだろ」
とばっちりは全て自分が被る羽目になった。
圧迫骨折寸前の腰骨が痛い。理不尽すぎる。
「ますたー。マッサージチェアはいつでも起動可能です」
「マッサージチェアが必要な事態になる前に止めてくんない?」
「いいえ。それは無理です。ますたー」
味方はいなかった。




