19.電設のヒデオさん、お話を終える。
「ぬおおおおっ!もったいねえ!超もったいねえ!」
思わず床の上をゴロゴロした。ゴロゴロせずにはいられなかった。
「余計な事を言わなけりゃ、あのまま行けたじゃねえか!どんだけアホなんだよ!もったいねえ!超もったいねえ!」
部屋の端から端まで10往復くらいゴロゴロした。
ひとしきりゴロゴロしたら、少しだけ頭が冷えた。
「いやいや待て待て落ち着け。冷静になれ。これで良かったんだ。うん。これで良かった。生活の保障を盾にして関係を強要するとか、どこの悪代官だよ。完全にアウトだろ。法的にも倫理的にもアウトだ、アウト。これで良かったんだ。うん」
「……………………」
「……いや、でもなぁ……ここ、無人の荒野のド真ん中だし、法律がどうとか倫理がどうとか、そう言うのとは無縁の土地だし、何やったって誰かに咎められる訳でもないし……」
「……………………」
「いやいやダメだ、この考え方はダメだぞ。完全に犯罪者の考え方になってる。人間、堕ちるのは一瞬でも、戻るのは一苦労だぞ。ここで堕ちたら終わりだ。帰った時に絶対に支障出るぞ。コンプライアンスは維持しないと」
「……………………」
「……いや、でもなぁ……帰るって言っても、全然目途も立ってないし、いつになったら帰れるかもわからないし、ここでの生活も長引きそうだし……乾燥した生活に、ちょっとくらい潤いを求めても、バチは当たらないよな……」
「……………………」
「いやいや待て待て落ち着け。潤いって何だよ。望んでいない相手に関係を強要する事には変わりねえじゃねえか。言い方を変えたってアウトはアウトだろ。ダメだダメだ」
「……………………」
「……要するにアレだな、関係を強要するからアウトなんであって、強要じゃなければセーフなんだよな。普通に口説いて、普通にそういう関係になる分には問題無い……」
「……………………」
「って、ダメだろこれ。状況的にアウトだよ、アウト。こっちに強要するつもりが無くても、あっちから見たら事実上の強要にしかならねえよ、どう考えても。俺の方から求めたら、断りたくても断れないよな、今の状況からして」
「……………………」
「……もし関係を強要したら……もう二度と、一緒に笑ってプリン食えないかもなぁ……それは、なんか嫌だな……」
「……………………」
ふと、元の世界の職場にいた、前部長の事を思い出した。
セクハラ、パワハラ、モラハラの3連コンボで裁判沙汰になり、いつの間にか会社を去っていた、クズ・オブ・クズ。
自分が会社に入社した年のお盆休み明けには見かけなくなっていたので、同じ職場にいた期間は短い。それでも、ハッキリと覚えている。
アレはまさに反面教師の鑑だった。
同期の佐藤と二人で『どんなに出世しても、あんな醜悪な生き物にだけは絶対に成り下がるまい』と固く誓い合ったものだ。
その佐藤の動向は知れないが、今はどうでもいい。
「……ここで手を出すのはクズすぎるよなぁ……うん、やっぱり無しだな……やめとこう……」
「……………………」
法律や倫理の話では無い。善悪の話では無い。良し悪しの話では無い。
そういうのとは似て非なるモノ。男としての、もっと根源的な生き様の話だ。
男とは、背中で生き様を語るもの。
前部長の背中は、とても雄弁に語っていた。あの背中は忘れられない。
ああいう背中になるのは断固拒否する。
「……あー……でもなぁ……俺の人生で、あんな美人と出会える機会なんて、もう二度と無い気がする……」
「……………………」
「もったいねえ!超もったいねえ!……超もったいねえけど、状況が悪すぎるなぁ……どう行っても強要にしかならないだろ、これ……」
「……………………」
「……そもそも今の状況だと、何かあっても責任取れないし……ここで無責任に手を出すのは、なんか違うよな……」
「……………………」
「……せめて、もうちょっとマシな状況で出会えてたらなぁ……はぁ……ついてねえ……」
「……………………」
深々と溜息を吐く。ひとしきり愚痴を垂れ流したら、大分落ち着いた。
落ち着きを取り戻し、視線を上げたら、目が合った。
「……………………えっ?」
気付いたら、部屋のドアが少しだけ開いていた。
「……あの、ヒデオ殿?もう入っても良いだろうか?」
何故かムチムチさんがいた。いつものスーツ姿で、ホンの少しだけ開けたドアの隙間から、こちらを覗いていた。
「な、なんでいるんですか!?部屋に戻ったんじゃないんですか!?」
「い、いや、その……、貴殿が先ほど、あの格好では落ち着いて話ができないと言っていたから、急いで着替えて戻って来たのだが……」
「あ、ああ、なるほど、着替えに戻っていただけですか。そうですか。着替えて戻って来たと。なるほど、なるほど。おかえりなさい」
「た、ただいま」
バツが悪そうな顔をして、ムチムチさんが部屋に入って来る。
少し躊躇したように視線を彷徨わせて、ベッドに腰かけた。
「……あえて聞きますけど、正気ですか?」
「し、しかたがないだろう。他に座る場所が無いではないか」
「いえ、そうではなく。あんな事があった後に、よく戻って来たなと思いまして」
「さ、先ほどは酷い醜態を晒してしまった。しかし、それを理由にして避けるべきではないと思ったから、こうして来たのだ。貴殿は今夜、今後の話をするつもりだったのだろう?」
「そりゃあ話はするつもりでしたけど……」
せめて、日を改めるなり何なり、もう少しマシな対応を思い付かなかったのだろうか、この人。
あんな遣り取りをした直後に、男の部屋に一人でノコノコやって来るとか、警戒心の欠片も無い人である。
無防備な美人というのは、その態度だけで、男の理性をゴリゴリ削る。ホント勘弁してもらいたい。
この人、いつも服装だけはキッチリしている。でも今は急いで着替えたせいなのか、いつものスーツ姿なのに、いつもと違ってあちこち隙だらけ。
胸元は、ボタンを掛け違えて谷間が覗いている。裾が半端にめくれて、おへそがチラチラ見えている。
正直もう辛抱タマランのですけれども。
眼福とか言ってる精神的余裕無いよ、こっちは。
「ええっと……。とにかく話をしましょう」
「あ、ああ、そうだな。話をしよう」
気を紛らわすため、強引に話を始めた。
「……今後の話をする前に、どうしても確認しておきたい事があるんですけど、いいですか?」
「確認?何だろうか」
「……いつから見てました?」
「な、何の事だ?わ、私は、その……、つ、ついさっき着替えて、も、戻って来たばかりだぞ?」
「……本当ですか?」
「ほ、本当だ。わ、私は何も見ていないし、き、聞いていない。ほ、本当だぞ。本当に何も、き、聞いていないのだ」
「……そうですか」
目が回るんじゃないかってくらい眼球ギュロンギュロンしてるんですけど。
視線が彷徨ってるってレベルじゃない。嘘下手クソにもほどがある。
いつから見られていたのかは不明だが、少なからず見られたのは間違いなさそうだ。
気を遣うなら遣うで、もう少し上手にやってくれないと、逆にこっちが気を遣うわ。
「まあ、とりあえず、それはいいとして……。もう一つ確認しておきたい事があるんですけど」
「こ、今度は何だ」
「『ムチムチさん』という名前、変える気はありませんか?」
「うん?今更だな。どうした」
「どうしたもこうしたも、やっぱり『ムチムチさん』という名前はちょっとどうかと思いまして」
「そうか?私は結構気に入っているぞ。生まれつき、この名だったのではと思うくらい、しっくりくる」
「……そうですか」
世が世ならセクハラで一発退場モノだと思うのだが、こういうのは相手の主観が100%なので、本人が良いならセーフだろう、多分。
エルフの感性が独特なのか、ムチムチさんの感性だけが独特なのか、少し気になる。
「最後にもう一つだけ、事前に確認しておきたい事があるんですけど」
「まだあるのか。何だ?」
「……三人とも、本当はどこに行くつもりだったんですか?」
「うん?どこに行く、とはどういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ。私がここに家を建てたのは、つい最近の事ですし、ここに家を建てようと思ったのは、単なる思い付きです。本来、ここには家も何も無かったはずなんです」
「……何も無かった、か……」
「三人とも、この家を目的地にして逃げてきたはずがありません。今ここに家があるのは偶然なんですから」
「……偶然……」
「今でこそ普通に生活してますけど、本来、この土地は人が住むにはあまりにも不適切です。とても逃げ場所に選ぶような場所ではありません。どこか別の場所に向かう途中だったはずです」
「……………………」
「それで、三人とも、本当はどこに行くつもりだったんですか?」
今後についての真面目な話を始める上で、どうしても、ある程度は事情を聞いておかなければいけない。前二つの質問とは違い、こちらは本当に真面目な質問だ。
居候三人の当初の目的地次第では、今後の身の振り方が大きく変わる。
場合によっては、今すぐにでも共同生活を終わらせて、三人を送り出した方が良いかもしれない。
確認しておかないと、話にならない。
こちらの問いに、ムチムチさんは小さく頭を横に振った。
「目的地など、無い」
「……そうですか。まあ、言いたくないのなら、無理には聞きませんけど」
言いたくないなら、それでもいい。確認したかったのは、この家よりもマシな当てがあるのか、という事だ。言いたくないほど嫌な当てなら、別に無理して聞く必要は無い。
自分とて、この地に好き好んで住んでいる訳では無い。消去法で選んだ内の一つが、この地だったというだけ。もしもこの地に逃げてくる途中に、もっとマシな潜伏場所に行き当っていたら、普通にそっちに住んでいただろう。
「違う……違うのだ、ヒデオ殿。そうではない。……無いのだ、本当に。目的地も何も無い。……何も無かったのだ、私達には」
「無いって、そんなはず――」
「無いのだよ。生きたいという意志以外、何も無かった。瞬き一つ分でも長く生きたいと願い、瞬き一つ分でも長く生きられそうな方に流されてきただけだ。その果てに何も無いとわかっていても、そうするより他に無かった」
「……………………」
「どうしても、生きたかった。本当に、ただそれだけなのだ。白蛇の御座に踏み入り、白蛇の霊峰を越えて、人間の領域へとやって来たのは、ただそうするより他に無かったからだ」
「……………………」
「貴殿は先ほど、ここに家があるのは偶然だと言ったな。私もそうだよ。こうして生きているのは、ただの偶然だ。白蛇の御座に入ったのに生き永らえたのも偶然。白蛇の霊峰から滑落せずに生き延びたのも偶然。そして、ここで貴殿に命を拾われたのも偶然。全て、偶然だ。偶然なのだ」
金の瞳を曇らせて、ムチムチさんが立ち上がった。
「……ヒデオ殿。貴殿から見て、私の体はどうだろうか?」
「な、何ですか、いきなり」
ゆっくりと、ムチムチさんが近付いてくる。
「先ほどは、私の自意識過剰さがあまりにも恥ずかしくて、つい、貴殿の前から逃げるように寝所に戻ってしまったが……。貴殿は私のような大きな女になど興味が無いにもかかわらず、求められているなどと思い込んで……。貴殿があの子達の事を大層気に入っているのは知っていたというのに……」
「なんか凄い不本意な勘違いされてる気がするんですけど」
人をロリコンやショタコンみたいに扱わないで欲しい。
自分の好みはムッチムチのバインバインである。
言ったら完全にセクハラなので、言えないけど。
「だが、もし……、私の自意識過剰ではなく……、貴殿の目から見て、その……、私の体に価値があるのならば……」
イスに座る自分の前に、ムチムチさんが跪き、上目遣いでこちらを見つめた。
いつもは綺麗な金の瞳が、嫌にドロリと濁って見えた。
「私は、偶然ではなく、必然が欲しい。私が、いや私達が、この家に住まう代価として、この身を貴殿の好きなように扱って――」
「ムチムチさん」
ムチムチさんの肩を掴み、無理矢理立たせて、ベッドに腰かけさせる。
恐怖か、緊張か、固く目を閉じたムチムチさんから離れて、自分のイスに座り直した。
「……ヒデオ殿?」
「どこにも行く当てが無いなら、今後も、この家にいてください。お代は結構です」
自分の言葉に、ムチムチさんは絶望の表情を浮かべた。
「わ、私の体では不満なのか!やはり、あの子達でなければ満足できないと言うのか!?」
「違います」
「だ、だが、あの子達は!頼む、ヒデオ殿!どうか私だけで勘弁してくれないか!頼む!」
「違うっつってんでしょうが。人の話ちゃんと聞いてください」
本当に、やる気が無駄に空回りする人である。面倒臭い。
「お代なら、もう払ってもらってますから、それでいいですよ」
「な、何の事だ?」
「面倒な書類整理をしてもらっているでしょう。生活費はそれと相殺って事で」
「ただの書類整理で相殺だと?無茶苦茶だ!」
「そうですか?私が渡しておいて言うのもどうかと思いますけど、理不尽なくらい量ありますよね、あれ。住み込みで働いてもらっているようなものですし、あれだけ大変な量の仕事を頼んでしまって、むしろ申し訳無いくらいですけど」
「それは、まあ、確かに量は多いが……」
「じゃあ、そう言う事で」
「ま、待ってくれ!た、確かに量は多いが……、しかし、それで相殺と言われも、納得など、できるはずがないではないか!」
ムチムチさんは、やたらと鼻息が荒かった。そんな姿も扇情的だった。本当に、理性に悪い人である。
「さっきから何なんですか。何が嫌なんですか。要するに、今のままでいいって言ってるんですよ?」
「嫌ではない。嫌なはずがない。だが……無理だ」
「無理?何がですか?」
「……こんなの、受け入れられるはずがない。こんな、こんなの……っ……」
「嫌じゃないなら、普通に受け入れて欲しいんですけど」
「無理だ……。無理だよ、こんなのを受け入れるなど、私には……。こんなのは信じられない……、どうしたら信じられるというのだ……っ……」
ムチムチさんの言葉を聞いて、改めて、状況を客観視してみた。
犯罪者すら逃げ込まないと謳われる無人の荒野のド真ん中に、わざわざ家を建てて住み着いている、独り身の男。
見ず知らずの女子供を匿い、素性を詮索せず、無償で衣食住を提供し、見返りらしい見返りを求めない。
体目当てであれば、まだしも納得できたかもしれないが、それすら求めない。
そんなのが目の前にいたとしたら、どう見えるだろうか。
うん。これは酷い。胡散臭さを絵に描いたような男である。自分の事である。
泣きたい。
「まあ、我ながら胡散臭いとは思いますけど。逆の立場なら、こんな胡散臭い男、私は絶対に信じないでしょうし」
一体どんな裏があるんだと戦々恐々したくなる気持ちは、わからなくはない。
わからなくはないが、本当に裏なんて無いんだから、他にどうしようもない。
三人をこの家に匿ったのは、完全に成り行き。それ以上でもそれ以下でも無い。
素性を詮索しないのは、半分は気遣いだが、もう半分は厄介事を避けるため。好奇心が猫を殺すような事態は避けたい。
自分の生活が苦しくならない範囲内で、困っている人に衣食住を提供するのは、災害大国で生まれ育った人間の性質みたいなもの。ただし、あくまでも自分の生活が苦しくならない範囲内で、だけど。
関係を強要しないのは、ただの男の痩せ我慢。そういう意味では苦しい生活だが、それは一旦脇に置いておく。
「ち、違っ……。貴殿の事を悪く思っているのではない!そうではないのだ!……そうではない、そうではないのだ……」
「じゃあ何ですか」
「……こんなの、おかしいだろう。あり得ないだろう。こんな、こんなの……信じるなんて、私には無理だ……っ……」
赤い顔をしたムチムチさんは、子供のようにポロポロと涙をこぼしていた。
「な、なんで泣くんですか。そんなに嫌だったんですか?」
「……嫌ではないと言っている……何度も言わせないでくれ……」
唇を噛み締め、声を押し殺すようにして、静かに涙を流し続けている。
そのままにしておけなくて、少しだけ躊躇したが、ムチムチさんを抱き寄せた。
「……………………」
セクハラで訴えられたら、どうしよう。そんな事を、現実逃避気味に考える。
ムチムチさんの体は、やわらかくて、抱き心地が良すぎて、凄く困る。
泣く子をあやすように、背中を軽く叩いて落ち着かせる。
空気に甘い香りが混じり、嗅覚が刺激される。
同じシャンプー使ってるはずなのに、なんでこんなに違うんだろう。困る。
「……この私が……こんな幸せを享受するなど……あり得ない……っ……」
胸の中で絞り出された言葉は、酷く後ろ向きだった。
「大袈裟ですよ。幸せって言うほど、この家の生活、良くないでしょう。悪くもないとは思いますが」
「……大袈裟なものか。私はあの日、息絶えるはずだった……そのはずだったのに、貴殿に助けられて、息絶えずに済んだのだ……」
「いや、一度息の根、止まってますけど。しかもトドメを刺したの、うちの電気柵なんですけど」
「……このような上等な服を着せられて……」
「それ元々は安物ですよ。私の故郷では庶民向けの服として売られてて、お金持ちが着てたら陰で笑われたりする品質の服なんですけど」
「……食事も毎食豪華で……」
「あー……、確かに豪華と言えば豪華ですね。食材は最高級ですから。食材だけは。肝心の料理の腕がショボいんで、台無し気味ですけど」
「……甘味まで毎日食べさせてもらって……」
「あのプリン、格安ですよ。企業努力の結晶ですから、安くてもおいしいですけど。でも努力したのは私じゃありませんし……」
「……貴殿は、さっきから……もうっ……」
子供がむずがるように、ムチムチさんが頭をグリグリ押し付けて来る。
抱き着く力が弱々しい。見た目相応の、か弱い女性である事を強く意識させられる。押し倒そうと思えば簡単に押し倒せてしまえそうなくらい、力が弱い。
子供達の方は子供離れした身体能力の持ち主なのに、どうして、この人だけこんなに力弱いんだ。女性らしすぎて、困る。
「ええっと……。端的に要約すると、幸せすぎて怖い的な感じの事が言いたいんですかね?」
「……そう要約されるのは釈然としないが、まあ、そうだな」
「私の事はどうですか?」
「……貴殿には感謝している」
「感謝はしていても、信じるには足りないですか?」
「……信じたいと思っている」
「つまり、まだ信じてないって事ですね。わかります」
「そ、そうではない。本当に、感謝しているし、信じたいと思っているのだ」
「はいはい、わかってますよ」
「わかってない。貴殿は、わかっていないのだ。私がどれだけ貴殿の事を信じたいと思っているのか。こんなにも信じたい、信じたいと思っているのに……っ……」
「別に無理しなくていいですよ。たったの1週間やそこらで信じろって言うのは無茶な話ですし、しょうがありませんよ」
「違う、違うのだ、そうではない……貴殿は、わかっていない、私がどれだけ……私にとって貴殿が……」
ムチムチさんが弱々しく腕を突っ張って来たので、逆らわずに体を離した。
涙に塗れた金の瞳は、いつもより綺麗だった。
「ヒデオ殿。貴殿を信じさせて欲しい」
「そう言われましても……。どうすれば信じてもらえますか?」
「そ、それは、だから、その……、わ、私の体を――」
「ここで女に手を出すような男、本当に信じられるんですか?」
「……ああ、信じられる。貴殿が私の体に価値を見出している間は、この家から放り出される心配はしなくても良くなる」
「それのどこが信じてるんですか。全然信じてないでしょう、それ」
「し、しかし、これが一番信じられるのだ」
「いやそれ全然信じてない相手にする対処法ですよね。信じてないから目先の利益をチラつかせて行動を縛るって話でしょう、それ。そう言うんじゃなくて、もっとこう、他に何か無いんですか?今なら出血大サービスで、大抵の事はしますよ?」
「そう言われてもな……。すでに貴殿は、これまでにも随分良くしてくれている。これ以上となると、後はもう、ステータスを見せてくれとでも言うより他には無いぞ……」
「……はい?ステータス?」
久しぶりに、ステータスの事を意識した。
久しぶりに、空中ディスプレイが勝手に表示された。
【名前:白木英雄】
【職業:電設の新人】
【スキル:電気設備】
久しぶりなのに、代わり映えしなかった。
「ええっと、一応これが私のステータスですけど」
「……っ……」
情報量が少なくて、何度見てもショボい。意味あるのか、これ。
自分のステータスを見ていたら、ムチムチさんの様子が急激に変わった。
「貴殿、正気か!?ステータスを見せるなどと!?」
「ええっ……見せろって言ったの、ムチムチさんなのに……」
「言葉の綾に決まっているではないか!見せろと言われて見せる奴がどこにいるのだ!」
「ここにいますけど」
「無防備すぎる!どれだけ警戒心が無いのだ、貴殿は!そんなんで良いとでも思っているのか!まったく、貴殿という男は!」
全力で怒られた。
ステータスを見せた事で、ムチムチさんから懇々とお説教されてしまった。
その内容を自分なりに解釈すると、こちらの世界の人達にとってのステータスを見せるという行為は、裸を見せる行為に近いらしい。
見せたからと言って、何も変わらない。見せる前後で変化は無く、何かが減りも増えもせず、損も得も無い。それでも、何となく他人には見せたくない。他人に見せるのは恥ずかしい。一般人は、そう思っている。
公的に、どうしても他人に見せなければいけない場面というのは、ある。貴人との面会や、重要施設への立ち入りなどに際して、事前に正規の手順を踏み、警備の担当者に見せ、危険人物ではない事を証明する。
逆に言えば、そういう特殊な場面以外では、他人に軽々しく見せてはいけない。
個人的に見せる場合は、相当に親密で信頼している相手に限られる。出会って間も無い相手に見せるようなものではない。世間一般では、それが常識とされている。
翻って、先ほどまでの自分とムチムチさんとの遣り取りを、元の世界の常識に合わせて意訳し要約すると、以下のようになる。
男A:『俺の事、どうすれば信じてくれる?』
女B:『ボディチェックさせてくれたら。なんてね』
男A:『ほいきた(モロ出し)』
女B:『きゃーっ!?』
うん。これは酷い。完全に露出狂の変態である。そりゃお説教されるわ。
「なるほど、ステータスを人目に晒すのは良くない事だったんですね。知りませんでした」
「知らないって……、そんなはずがあるか。常識だろうに」
「私の生まれ故郷には、そういう常識がありませんでしたので」
「そんなはず無かろう」
「いえ本当に。ステータスの表示に関する常識全般が存在しなかったんですよ。私だけではなく、誰もそういう事を気にしない所でして」
「なんだそれは。どんな田舎だ」
「一応、それなりに発展した都市部で生まれ育ったんですけど」
「そんな都があってたまるか。変な見栄を張るな」
元の世界の基準で言えば、今の自分は『裸を見られても恥ずかしがらない未開地の原住民』みたいに思われているのかもしれない。
田舎という呼び方は、温情がある方だろうか。露出狂と思われるよりかは大分マシだろうか。
「しかし、そうか。貴殿は想像を絶するほどの田舎の出身だったのだな。それならば、貴殿の世間知らずさや、底抜けのお人好しさにも納得がいく」
「その納得のされ方は釈然としないんですけど」
やんわり抗議すると、微妙な笑顔を返された。
裸ならぬステータスを見せた衝撃は、思いがけず良い方向に作用したようで、その後の話し合いはスムーズに進んだ。
当面の生活に関しては、現状維持。こちらから衣食住を提供する代わりに、継続して書類整理をしてもらう事になった。
「貴殿に恩を返すにはまだまだ不足だ。他にも仕事があれば、いつでも遠慮無く言ってくれ。何でもするぞ。昼でも、その、夜でも」
「あ、はい。仕事があったらお願いしますね」
ムチムチさんは、やたらと仕事をしたがっていた。
昼夜を問わず仕事させるつもりなど微塵も無いが、適当に聞き入れたフリをしておいた。
仕事を任せると、逆に仕事が増えそうな気がするので、その予定は無い。
自分がいなくなった後の事に関しては、自力で生活基盤を整えるから心配無用と言われてしまった。
「ここに来たばかりの頃とは違うのだ。身体的に万全な状態であれば、何も問題は無い」
「自信満々に言われると、かえって心配になるんですけど」
自分が消えても、この家は残る。家財一式も残していく。再出発のための下地くらいにはなるだろう。
ペテン師に一切合切巻き上げられでもしない限りは、きっと何とかなるはずだ、多分。
子供達の教育に関しては、一切不要と言われた。
「あの子達なら大丈夫だ。生きるのに必要な知識や技術を改めて教える必要は無い。身体が成長しきる頃には、何も問題は無くなるようになっている」
「……そう言えば、黒夫も魅雪も、体の成長が異常に早い気がするんですけど」
「っ、そ、そうか?き、気にしすぎではないか?子供の成長というものは、あんなものだろう?そうだろう?」
「……そうですか」
超挙動不審。本当に大丈夫なんだろうか。不安になる。
三人の事情と素性に関しては、秘密のまま。
ムチムチさんは、どうしても打ち明ける気は無いらしい。
「……すまない、ヒデオ殿」
「いえ、言いたくないなら別にいいですよ。最初から言ってますけど、無理に聞く気はありませんので。……まあ、話す気になったら聞きますけど」
「……すまない、本当に……」
普段の無防備ぶりとは一転して、個人情報に対するガードが固い。
この件に関しては、どこまでも頑なだった。
逆に、自分の事情や素性を色々聞かれた。
異世界から召喚された勇者だったという事は秘密にしたが、それ以外は一通り話しておいた。
「なに、落ち込む事は無いぞ、ヒデオ殿。能力の多寡の問題ではなく、合う合わないの問題だ。貴殿のような者には、そもそも都暮らしは合っていない。己が身を立てるためならば平然と他者を踏み付けにできるような者しかやっていけないのが、都というものだからな」
「……そうですか」
要点をボカした話し方が悪かったのか、なんか変な風に解釈されたらしい。
どうやら『田舎者が一旗上げるべく上京するも夢破れた』とでも思われているようだ。
身バレしない範囲内で訂正はしたのだが、生暖かい笑みで流された。
総じて言えば、大した話はしなかったように思う。これでいいのか、甚だ疑問である。
「……これで全て合点が行った……人間であるにもかかわらず、私達を受け入れているのは……知らないから、だったのだな……」
話し合いが終わった後。少しだけ、ムチムチさんは寂しそうな顔をしていた。
「ムチムチさん?どうかしましたか?」
「……いや、何でも無い。気にしないでくれ」




