17.電設のヒデオさん、お話をする。
翌朝、午前5時、起床。
「……眠ぃ~……久々のデスクワークで時間配分ミスった……」
昨夜は集中しすぎて、作業の区切りを付け損ねた。夜更かししすぎて、ちょっと眠い。
「おはようございます。ますたー」
「うん、おはよう、フェア」
フェアは今日も朝から元気だ。そして可愛い。元気で可愛い姿を見ていると眠気が消えていく、気がする。
眠気覚ましに軽くストレッチをしながら、ムチムチさんの事を考えた。
「……そろそろ、真剣に話をしておかないとなぁ……」
なあなあで始まった共同生活は、すでに1週間を超えた。
重傷者に不安を与えては悪いと思い、今までは難しい話は避けてきたのだが、いつまでもこのままという訳にはいかない。
当人の自己申告によれば、体は完治しているらしい。少なくとも外傷は消えてた。見たので知ってる。
痩せ我慢して平気なフリをしている可能性を考えて、この1週間、様子を見てきたが、具合を悪くする様子は見られなかった。本当に完治していると判断していいだろう。
問題は、どこまで話をするのか、という事だ。
衣食住を提供している側としては、一から十まで全ての情報を詳らかにしておきたい所ではある。しかし、話したくない話まで無理矢理話させる気にはなれなかった。
たった1週間でも、ずっと衣食住を共にしていれば、相手の人となりは見える。
あの人は、嘘や隠し事が下手だ。それも、致命的なレベルで。
悪く言うなら、愚かな人だ。子供達の身の安全と生活がかかっている状況なのだから、嘘でもいいからお涙頂戴の事情をでっち上げて、こちらの同情を買っておくべきだった。嘘も方便。そうするのが正しい。それなのに、あの人にはそれができなかった。
真面目で、実直で、不器用な人だ。恩人に嘘を吐くのを良しとしない。隠し事をしている後ろめたさを隠せない。そういう人だ。
どんな事情を抱えているのかは知れないが、どうしても、あの人が悪人とはどうしても思えない。
ああいう人を、追い詰めたくはない。どこまで詰め寄ったものか、悩み所だ。
「……まあ、実際に話をしてみない事には、どうにもならないか……探り探り話をするのって、好きじゃないんだけど……」
予定は未定だが、いずれ自分は元の世界に帰る。そうなれば、今の生活は強制的に終了となる。その前に何らかの事情で終了になる可能性もある。
例えるなら、ここでの生活は、災害後の仮設住宅での避難生活みたいなもの。この家は仮設と呼ぶには快適で贅沢ではあるが、あくまでも一時的に生活するための家であり、永続的な居住を目的としていない。不測の事態の発生により、複数の世帯が一つの仮設住宅で共同生活している状況だが、この状況がいつまで続くか、わからない。また何か別の不測の事態が発生すれば、ここでの生活は放棄せざるを得ないかもしれない。もし何も不測の事態が起こらなかったとしても、ここでの生活はいずれ必ず終わりを迎える。一時的な避難生活は、いずれ必ず終わる事が最初から決定している。
今後の話は、絶対にしておく必要がある。必ず終わりが来るとわかっているのに、目を背けている訳にはいかない。
「ますたー。話をする必要があるのですか?」
「そりゃあ、しておかないとマズいよ」
「僭越ながら、わたしにはその必要性が検知できません。彼女らの事を気にし過ぎであるように見受けられます。ますたー」
「いや、そんな事は無いよ。誰でもこのくらいは気にするよ、一つ屋根の下で共同生活してるんだし」
「いいえ。彼女らと共に同じ生活はしていても、立場まで同じではありません。彼女らのこの家での生活の全ては、ますたーの慈悲によって成立しています。彼女らがこの家に居続ける限り、生殺与奪の権利は全て、ますたーにあります。何も気にする必要はありません。話は不要です。全ては思うがまま、為すがまま、何者にも左右されず、束縛されず、自由に為さりたいように為されれば宜しいのです。全ては、ますたーの御心のままに」
「……………………」
時々、フェアは怖い事を言う。自分に対して全面肯定すぎて怖い。可愛いけど怖い。そのギャップがまた可愛い。
「……フェアは、俺が好きにすればいいって言うんだね?」
「はい。好きにすればいいのです。ますたー」
「なら、やっぱり話をするよ。俺がムチムチさんと話をしたいと思ってるんだ。止めないよね、フェア?」
「はい。止めません。ますたー」
「……まあ、その前に、とりあえず朝飯の準備しないといけないけど。フェア、手伝ってくれる?」
「はい。手伝います。ますたー」
いつも通りニコニコと笑いながら、フェアは可愛く返事をした。
一人暮らしをしていた頃は、朝食を抜く事はよくあった。
こちらに来てからは、毎朝キチンと食べている。
子供がいると、こういう部分で手を抜けない。
今日の朝食のメニューは、トーストとハムエッグ。
目玉焼きは黄身も白身も十二分に過熱して固めに仕上げる。個人的には半熟の方が好みだが、猫に健康被害が出ないよう、冒険はしない。
付け合わせには、ミニトマトと乱切りしたキュウリを添える。
「炊飯器には炊き立てのご飯が入っていて当然。同じように、トースターには焼き立てのパンが入っていて当然。そうだよね、フェア?」
「はい。当然です。ますたー」
当然のように、トースターから焼き立てのパンが出た。
これを普通の事だと感じ始めている自分の感性が不安になる。
普通の感性が壊れる前に、元の世界に帰れるのだろうか。
「「「「「いただきます」」」」」
全員揃って朝食を囲む。
元の世界では、朝は何かと忙しかったので、バラバラに食べた記憶しかない。
本当の家族より家族らしい事をしている気がする。
「……キュウリ……」
「少しでいいから、ちゃんと食べなさい」
皿の上のキュウリを、親の仇でも見るような目で魅雪が睨んでいた。昨日のプリン質が効いているのか、残したまま席を立つ気配は無い。
魅雪はキュウリが嫌い。鬼がキュウリを食べなくても健康に害は無いかもしれないが、今は自分が面倒を見ている子供なので、なるべく食べ物の好き嫌いは直そうと気を遣っている。
魅雪の皿だけ、ミニトマトを多めにして、キュウリは一欠片だけにしておいた。
「たった一つだけなんだから、パクッと口に入れたら終わりだよ。ほら、パクッと行くんだ、魅雪」
「うぅ……キュウリ……嫌なの……」
最初にキュウリを出した時には、嫌な顔をしながらも、ちゃんと食べていた。食べられない訳では無いのは、わかっている。
今の生活に慣れたせいか、こういう小さな我儘を言うようになった。
怒るべきなのかもしれないが、ちょっと嬉しい気もする。でも甘い顔はしない。それでは子供のためにならない。
キュウリを食べさせるために、説得の切り口を変えてみた。
「魅雪、ちょっと隣を見てみて」
「隣?」
「よく見るんだ、お姉ちゃんを。好き嫌いせずに何でも綺麗に食べてるよね。だからこんなに大きく育ったんだぞ」
「ど、どこを見て言っているのだ!?ヒデオ殿!?」
「もちろん、ムチムチさんの背の高さを見て言っています。女性にしては大きい方ですよね。それが何か?」
「そ、そうか……」
「いいか、魅雪。好き嫌いすると育ちが悪くなるんだぞ。豊かに育たなくてもいいのか?」
「ヒデオ殿!?豊かとはどういう意味だ!?」
「もちろん、豊かな精神を育むには好き嫌いしてはいけないという意味で言っています。それが何か?」
「そ、そうか……」
「とにかくだ、魅雪。色々な部分が立派に育った女性になりたいなら、好き嫌いせずに食べるんだ」
「ヒデオ殿!?」
さっきからムチムチさんが無駄に騒がしい。でも説得はうまく行った。
キュウリを親の仇のように睨みながらも、魅雪は箸を動かし、パクッと口に入れた。
「……んぐっ……キュウリ、苦いの……」
ほとんど咀嚼せずに丸呑みしたようだが、まあ良し。
「よく頑張ったね。偉いぞ、魅雪」
「……これで、お姉ちゃんみたいになれるの?」
「ああ、もちろんだ。きっとお姉ちゃんみたいになれるぞ」
「……おっきくなるの?」
「ああ、もちろんだ。きっとお姉ちゃんみたいに大きくなるぞ」
「どこを見ているのだ!?」
少々騒がしい朝食の時間は過ぎて行った。
朝食の後片付けをした後、いくつか野菜を棒状に切ってガラスコップに入れた。
「どうぞ。差し入れです」
「ああ、すまない、ヒデオ殿」
書類整理をしているムチムチさんに、野菜スティックを差し入れする。これ自体はいつもの事だ。何か食べさせないと、昼食前に異音が鳴り響く事になる。
差し入れする体を装い、さり気無く横に座った。
「お体の調子はどうですか?何か不調は?」
「ふふっ、貴殿は本当に心配性だな。毎朝同じ質問をする。私の回答も同じだ。何の問題も無い」
「……そうみたいですね。一時は死にかけていたのに、回復が早い気がしますけど」
「栄養が満たされているおかげだろう。貴殿には感謝している」
ポリポリとニンジンを齧りながら、ムチムチさんが言った。
間食の消費スピードが早い。後で追加を持ってこないと。
「まあ、それはそれとして……。ムチムチさん、今後の事について、少し話をしておきたいのですが――」
「どうした、ニンゲン?話って何だ?」
「おじちゃん、お話って何なの?」
話を切り出そうとしたら、黒夫と魅雪が首を突っ込んできた。
「お前達、あっちで遊んでたんじゃないのかよ」
「お姉ちゃんばっかり、おいしそうなの食べてるの。ズルいの」
「オレは肉の方がいいな。肉は無いのか?」
「間食に肉出すかよ。重いわ」
魅雪は大根、黒夫はキュウリを勝手に取って齧っていた。
「それで、話って何だ、ニンゲン?」
「こっちの話だよ。お前達には関係無い――……事も無いかもしれないけど、大して面白い話でも無いし、聞いてても退屈なだけだぞ。いいから、あっちで遊んでな。フェア、黒夫と魅雪の遊び相手をお願い」
「……畏まりました。ますたー」
フェアに頼んで、子供達を遠ざけた。
「……あの子達を遠ざけたのか。どうしてわざわざ」
「話をするのに子供達は邪魔ですから」
「今後についての話、だったか」
「ええ。ここまで、なし崩しで来てしまいましたが、一度キチンとしておかないといけないと思いまして。色々あるでしょう。生活の事についてですとか、子供達の事についてですとか、そういう事について、話を――……」
「……ヒデオ殿?どうした?」
「……………………」
話を続けようとして、思い留まった。今更ながら、ここで話をするのは軽率すぎるように思えた。
居候の三人は、何かしらの事情があって、この地に逃げて来た。詳しい事情に関して、子供達は何も知らない。知っているのは、ムチムチさんだけだ。
今後の事に関する話がメインのつもりだが、内容如何によっては、子供達の知らない事情に言及する事になるかもしれない。それが子供達には聞かせられないような酷い事情である可能性は否定できない。
「ムチムチさん、できれば二人きりで話がしたいので、私の部屋に行きませんか。そこなら邪魔も入りませんし」
「……んん?ふ、ふたりきり?」
「あ、いや、今すぐでは無い方がいいですね。今夜、子供達が寝入った頃を見計らって、私の部屋に来てください。待ってますから」
「……こ、こんや、だと?」
気にしすぎかもしれないが、万が一と言う事もある。
黒夫の猫耳であれば、人間の耳よりも聴力が優れていそうだ。こちらが内緒話をしているつもりでも、話の内容が筒抜けになってしまう可能性がある。
子供達に話を聞かせないつもりなら、念には念を入れるべきだろう。
「ひ、ヒデオ殿、そ、それは、つまり、その……、話をすると言うのは、つまり『そう言う事』なのか?」
「そう言う事とは?」
「だ、だから、その……、今後の生活や、あの子達の事で……、今夜、貴殿の部屋で『お話』をしなければならないと言うのか?」
「ええ、そのつもりですが、それが何か?」
「……っ……」
何故か、ムチムチさんが挙動不審になった。何故だ。
「……い、いや、わかっていた……ああ、わかっていたとも……いずれは『そう言う事』を要求されるのでは無いかと……覚悟はしていたのだ……っ……」
「ムチムチさん?どうしました?」
「いいだろう!今後の生活のため、あの子達のため、貴殿と『お話』をしようではないか!」
「あ、はい。さっきからそう言ってますけど」
ムチムチさんが大声で言った。興奮して血が昇っているのか、顔が赤くなっている。
やたらと気合が入っているのは何故だ。
……と思ったが、よく考えたら、いつもの事だった。
割と頻繁にやる気が空回りするのよね、この人。今日も元気良く、やる気が空回っているのだろう、多分。
悪い人では無いけど、地味に面倒臭い。
真正面から相手をすると疲れるので、適当に流しておこう。
「まあまあ。気負いすぎですよ、ムチムチさん。まだ朝ですし、そんなにやる気満々にならなくても」
「ヤる気満々だと!?ち、違っ……、わ、私は別に、き、貴殿と、そ、そんな……、私はそんなにヤる気になどなっていない!」
「はいはい。落ち着いてください。そんな調子だと、すぐにバテて長くは持ちませんよ」
「すぐにバテる!?長くは持たない!?私に何をする気だ!?」
「いや別に何もしませんけど」
適当に流してクールダウンさせるつもりだったのに、何故か更にヒートアップした。何故だ。
「どうした、姉ちゃん。何かあったのか?」
「お姉ちゃん、どうしたの?」
ムチムチさんが無駄に騒いだせいで、また子供達が寄ってきた。
「こっちの話だよ。大人同士の話だ。子供は気にしなくていい」
「ボク子供じゃないの!」
「オレはもう大人だ!」
「子供はみんなそう言うんだよ。そんなに大人扱いして欲しいなら――」
「っ、ダメだ、ヒデオ殿!その子達を『大人扱い』などと!貴殿の相手なら私がする!それで十分だろう!?」
「あ、はい。それで十分です」
子供達に『大人扱いして欲しいなら、食べ物の好き嫌いするな』と言おうとしたのだが、ムチムチさんに妨害された。
今日のムチムチさん、いつも以上にやる気が空回っている。これはもう完全に処置無しだ。自然にクールダウンするまで放って置こう。
「あー、その、あれです。私は部屋で仕事しますので。それではまた後ほど」
私生活で面倒事があったら、仕事に逃げる。それが男の生きる道。
「実に素晴らしい対応です。感服いたします。ますたー」
「……………………」
2階に逃げる自分に、フェアはいつも通りのニコニコ笑顔だった。




