13.電設のヒデオさん、成長する。
人生楽ありゃ苦もあるさ。幸せな時間の後には、辛い現実が待っている。
「……掃除しなきゃなぁ……」
昨晩の後始末。血と泥の汚れを掃除しなければならなかった。
正直に言えば、朝食の余韻を抱いたまま二度寝したい。しかし、そういう訳にもいかない。今、この家には重傷者がいる。室内を清潔に保つ事は絶対に必要である。
ちなみに、外れた玄関のドアについては一旦保留。壊れた部品のスペアは無いし、手持ちの工具だけではどうしようもない。どうにかするのは、どうにかできる部分だけである。
どうにかできる部分くらいは、どうにかする。とりあえず掃除する。
凄く重たい腰を上げた。食べ終わった食器は片付け、お湯に漬けておく。
「おじちゃん、お掃除するの?」
「うん、そうだよ。汚れたままじゃ落ち着かないし、変な病気の元になっても困るし」
「ボクもお掃除するの」
「いや、別に無理しなくても、休んでていいよ」
「無理してないの。お掃除するの」
「昨日の今日で疲れてるだろうし、気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとう」
「疲れてないの。お掃除するの」
「い、いやでも、ホント昨日の今日で、あんまり子供に無理させるのは――」
「お掃除するの」
鬼の少女がグイグイくる。やたら圧が強い。
「お、おい、ニンゲン!オレはニンゲンの手伝いなんてしたくないぞ!……でも、ニンゲンがどうしてもって言うなら、特別に手伝ってやってもいいぞ!特別だぞ、特別だからな!」
「いいえ結構です」
面倒臭いので猫耳少年はスルー。
「本当に無理しなくていいんだよ。だから落ち着いて、足を離して欲しいんだけど……」
「お掃除、お手伝いするの」
「ニンゲンめ!手伝って欲しいって言え!」
右足に、鬼の少女がしがみついている。鬼の少女にしがみ付かれた右足が、万力に挟まれたように締め上げられていく。普通の人間なら関節が逆方向に曲がってしまいそうな怪力。勇者級の頑丈な身体だから耐えられるが、見事に関節が決まってしまっていて、外せない。
左足に、猫耳少年が噛み付いている。猫耳少年に噛み付かれ、爪を立てられている。勇者級の身体に傷は付かずとも、無理に引き剥がすとズボンが引き裂かれそうな気がする。根は悪くなさそうな子だとは思うのだが、どうにも面倒臭い。食事によって元気を取り戻したせいで、より一層面倒臭い。
おそらく、身体能力的には、人間の成人よりも立派な労働力になる。お風呂で体をキチンと洗えて拭けていた事から考えて、見た目以上にしっかりと仕事をしてくれそうな気はする。だが、見た目は完全にお子様なので、お家の簡単なお手伝いをさせるのにも少々躊躇いがある。まだ早い。
そもそも、普通の子供なら掃除の手伝いなど嫌がるはずなのに、何故かどちらも手伝う気満々。何故だ。
「……そんなに掃除したいのか?」
「うん。任せて、おじちゃん」
「お、オレが掃除をしたいんじゃないぞ!ニンゲンがオレに掃除をさせたがってるんだ!そうだろ!」
「……まあ、そうだな。それじゃあ、二人にも掃除を手伝ってもらおうかな」
「うん。お掃除するの」
「最初からそう言えばいいんだ!素直じゃないな、ニンゲンは!」
面倒臭いので、こちらが折れた。実際、人手は多い方が助かる。
バケツが無いので、代わりに城から持ってきた鍋を取り出し、お湯を張った。
布類は大量にあるので、適当な大きさに切って雑巾の代わりにした。
「二人には和室の掃除を頼むよ。ケガ人が寝てるから、うるさくしないように。わかったか?」
「うん。静かにお掃除するの」
「任せろ!」
返事をする声は、元気に満ち溢れていた。
子供達の担当は和室の掃除。
エルフの女性はまだ目を覚ましていない。目を覚ました時、近くに見慣れない男がいない方がいいだろう。
自分の担当は和室以外の汚れている個所全部。特に玄関から廊下にかけての汚れが酷い。
お湯を絞った雑巾で、血と泥を拭き取っていく。
「……汚れが目立つなぁ……」
なまじ新築で綺麗なだけに、汚れが際立つ。
後悔しても、もう遅い。だが、やはり昨晩の内に掃除しておくべきだったかもしれない。一晩置いたせいで、汚れが落ち難い。
血と泥の汚れを甘く見ていた。思っていたよりも掃除は大変で、地味に腰が辛い。
新築の広い廊下を一人で拭き掃除しながら、ふと、テレビ番組で紹介されていたロボット掃除機を思い出した。
とても便利そうだった。実機に触れた事は無いけど。
「はぁ、ロボット掃除機に丸投げできたら楽なんだけど……」
「はい。ロボット掃除機です。ますたー」
ロボット掃除機が出た。銀色のメタリックボディを輝かせた円盤状の機械が、汚れた廊下を自走する。通り過ぎた軌跡は、新築の真新しい美しさを取り戻していた。
「お、おお、凄い……これが噂のロボット掃除機……。見る見る汚れが落ちていくな……。俺より遥かに掃除能力高いぞ、これ……」
「最新式は伊達ではないのです。ますたー」
「お、おお、床だけじゃなく、壁の掃除までこなしてる……。これが最新式の実力……。さすがはロボット掃除機……ぱねぇ……」
ミニチュア四輪駆動のオモチャのように高速で廊下を往復。あっと言う間に廊下の掃除完了。そこで終わりかと思いきや、ロボット掃除機は止まらなかった。続けて蜘蛛のように壁面に張り付き走行し、壁の汚れも落としていく。某モップ会社の清掃員よりも仕事が早いのではないだろうか。
「いかがですか。ますたー」
「楽ってレベルじゃないな。仕上がりも完璧だし、言う事無いよ」
瞬く間に綺麗になった。廊下も壁も新品同様に美しい。細かい傷まで消えてる。
「……………………えっ?」
気付いたら、妖精さんがいた。
「よ、妖精さん、いつの間に!?……って、そうか、あれから24時間経過したのか……」
一時休養から復帰した妖精さんは、以前と同じニコニコと楽しそうな表情を浮かべていた。
「おかえり、妖精さん」
「ただいま戻りました。ますたー」
相変わらず妖精さんは頼もしい。頼もしいが、この笑顔に胡坐をかいてはいけない。失敗は繰り返せない。
「ごめんね、妖精さん。働かせすぎでお休みしてたのに、戻ってきて早々に仕事させちゃって」
「わたしは要請に応える者です。ますたー」
「うん、知ってるよ。頼りにしてるし、これからも色々と頼むつもりだけど、無理はしなくていいからね」
「はい。無理はしません。ますたー」
「俺も頼みすぎないよう気を付けるよ」
妖精さんと久しぶりに話していると、和室の方がドタバタと騒がしくなった。
「にゃああああああああっ!?」
「なんなの!?これなんなの!?」
ふすまを勢い良く開け放ち、子供達が飛び出してきた。
「ニンゲン!なんか変なの出た!丸くて変な奴!」
「ギラギラでギュインギュインしてたの!」
いつの間にか、ロボット掃除機は和室にまで掃除しに行っていたらしい。ふすまは閉まっていたはずだが、一体どうやって侵入したのか。最新式のロボット掃除機の掃除能力、ぱねぇ。
「にゃあっ!?こっちにも変なのいる!?ちっちゃいのが浮いてる!?」
「ヒラヒラでフワフワでキラキラなの!変な虫なの!?」
「落ち着け」
妖精さんを見て、子供達が大騒ぎしていた。
「……って、おいちょっと待て。お前達、妖精さんが見えてるのか?」
「「「ようせいさん?」」」
小首を傾げながらも、子供達の視線は妖精さんに釘付けだった。子供達の真似をして、妖精さんも小首を傾げていた。可愛い。可愛いが、それどころでは無い。
「な、なんで見えてるんだ?妖精さんは誰にも見えないはずなのに……」
妖精さんの姿は、他人には見えないはずだ。少なくとも城にいた時は、見えた人はいなかった。
時に猫は、人間に見えないものを見ているという話を聞いた事がある。猫の獣人にも、人間に見えないものが見えるのだろうか。
元の世界では、鬼はあの世の獄卒という言い伝えがある。鬼の目には、生きている人間に見えないものが見えるのだろうか。
猫と鬼だから、人間には見えない妖精さんが猫耳少年と鬼の少女には見えているのだろうか。
あるいは、子供だから妖精さんが見えているのだろうか。
おとぎ話の中には、心の汚れてしまった大人には見えない、清らかな心を持った子供にだけ見えるお友達が登場する話がある。
妖精さんに憑かれている自分は例外として、清らかな精神の持ち主であれば、誰でも妖精さんは見えるのだろうか。
どうして妖精さんが見えるのか。悩んでいると、和室から誰かが出てきた。
「随分と騒がしいようだが……何かあったのか……?」
スーツ姿の美女がいた。今の騒ぎで、エルフの女性が目を覚ましたようだった。
こうして日が昇ってから見ると、改めて思う。凄まじい美女だ。
元の世界のアイドルがジャガイモに思えるほどの美貌。魅惑の曲線を描く肢体。人型なのに、およそ人間離れした美の女神のよう。
男物のスーツとワイシャツが身体にあまり合っていないようだが、それがまた妙な色気を放っている。窮屈そうに押し込まれた豊満な肢体は、かえって妖艶さが強調されていた。
胸元はキッチリ閉じられているが、ボタンは限界ギリギリでパッツンパッツン。
ズボンの裾丈やウェストには余裕がありそうなのに、腰回りが少し張っている。いわゆる安産型の体型だからだろうか。
ただそこに立っているだけで扇情的。それとは裏腹に、無防備に緩んだ表情はあどけない。女神の寝起き姿を盗み見てしまったような気分になる。
艶の無い灰色の髪は、うなじの辺りで一つにまとめられていた。何故かネクタイが髪紐のように巻かれている。それだけが惜しい。実に惜しい。ネクタイが首に巻かれていたらパーフェクトだったのに。
しかし、これはこれで悪くない。
「姉ちゃん!起きたのか!」
「お姉ちゃん、おはようなの」
「ああ、おはよう……二人とも……」
気怠げな顔で、女性が子供達に声をかけていた。視線が緩慢に動き、美しい金色の瞳がこちらを向く。目が合った。瞬間、心臓がドキリと跳ねた。
「ヒデオ殿も、おはよう……」
「あ、はい。おはようございます」
挨拶されて、反射的に挨拶を返した。挨拶を返してから、強烈な違和感に襲われた。
この人、当たり前のように名前を呼んだ。
どうして自分の名前を知っているのだろうか。
思考を読む魔法でも使われたのだろうか。
異世界のエルフであれば、精神に何かしらの作用をもたらす魔法が使えても不思議では無い。
美しさに心を奪われて隙を見せるのは危険かもしれない。
「……今更か……」
そこまで考えて、馬鹿馬鹿しくなった。
危険性を考えるなら、最初から家に上げなければ良かったのだ。今更危険を感じても、もう遅い。
今はそんな事よりも、もっと気にしなければいけない事がある。
「お体の調子はどうですか?あまり無理はなさらないでくださいね」
「ああ、大丈夫だ。問題無い」
昨晩は全身切り傷だらけで血塗れの上に、電気ショックで自発呼吸が一度止まっている。昨日の今日で立ち上がるのは、体への負担がかなり大きいはずだ。一見すると問題無いように見えるが、とにかく今は休ませた方がいい。
そう思っていると、グゴゴゴゴゴゴゴゴッと異音がした。
「な、何だ、この音!?」
「……っ……」
重低音だった。昨晩の警告音に負けず劣らずの大音量だったが、昨晩の高く鋭い警告音とは全く違う。まるで地底から恐怖の大魔王が這いずり上がって来るかの如き、不吉な響きの音だった。
「な、何の音だったんだ……って、またか!?」
「……っ……」
再び、重低音。この世の終わりが近付いて来るような凄い音だった。心なしか、さっきより音が大きい。
「また!?一体何の音なんだ!?しかも大きくなってる!?」
「……っ……」
三度、重低音。勘違いではなく、明らかにさっきよりも音が大きい。
「本当に何の音なんだ、この音……、まさか地震の前触れ……!?」
「……っ……」
繰り返し異音が鳴り響く。周囲を警戒していたら、エルフの女性がその場にへたり込んだ。
「だ、大丈夫ですか?やっぱりお体の調子が?」
「す、すまない、ヒデオ殿。実は、その……、大丈夫では無いのだ……」
女座りした美女が恥ずかし気な表情を浮べ、上目遣いでこちらを見上げて来る。ドえらい破壊力。理性壊れそう。異音で警戒心が上がってなかったら壊れてた。
異音が鳴り響く中、女性はエルフ耳を萎らせ、両手でお腹を押さえた。
「そ、その……、非常に図々しい申し出である事は重々承知しているのだが……、何か食べ物を分けてくれないだろうか?」
「あ、はい」
腹の虫だった。照れて赤くなる女性は、破壊力が凄まじかった。
炊飯器には、まだご飯が残っている。多くはないが、体の弱っている人に食べさせるには十分な量があるはずだった。
「よし。おかゆ作るか」
「はい。おかゆです。ますたー」
炊飯器を開けたら、おかゆが入っていた。卵粥だった。どっから出た、卵。
「……そう言えば、炊飯器にはおかゆを作る機能もあるんだよな、使った事無いけど……いやでも、これはアリなのか……?」
「アリです。ますたー」
アリらしい。
「まあ、妖精さんのやる事にいちいち驚いてもしょうがないか……」
「わたしは要請に応える者です。ますたー」
ちょっと誇らしげな顔で、妖精さんが胸を張っていた。ちょっと大きくなっていた。
「……うん?もしかして妖精さん、成長してる?」
気が付けば、以前は手乗りサイズだったはずの妖精さんが、手乗りサイズと呼ぶにはちょっと無理がある大きさになっていた。某ロボットプラモデルのHGモデルからMGモデルにスケールアップしたくらいの変化である。
「お休みの間にこそ成長を図るのは紳士淑女の嗜みですよ。ますたー」
「いや、そういう意味で言ったんじゃないんだけど……」
意識高い系の人みたいな事を言っていた。精神面も少し成長したのだろうか。
よくよく見れば、妖精さんはただ体が大きくなっただけではなく、全体的に大人っぽくなったような気がする。
背や手足はスラリと伸びて、胸部や臀部はスレンダーながらも女性らしい丸みを帯びている。
背中に生えている蝶のような羽は、モンシロチョウのような可愛い形から、アゲハチョウのような綺麗な形へと変化していた。繊細なガラス細工のように薄く透き通り、以前よりも美しく輝いている。
「気付いて見れば、結構変わってるね。たった一日休んだだけで成長しすぎじゃない?」
「一日前の自分よりも一歩先へと進むのです。日々の積み重ねの上にこそ、未来への大きな飛躍があるのです。それが成長なのです。スキルアップなのです。ますたー」
「ああ、そう……」
何が言いたいのか、わかるような、わからないような。可愛いけど、ちょっとウザい。ウザ可愛い。
「スキルアップです。スキルアップしたんですよ。ますたー」
「うんうん、そうなんだね。まあ、何はともあれ、良かったね、成長できて」
適当に相槌を打ちながら、卵粥をダイニングへと運ぶ。
テーブルには、三人がお行儀良く座っていた。エルフの女性を真ん中に、左右を子供達が挟んでいる。
「「ごはん!」」
「いや、お前達はさっき食べただろ。なんで一緒に食う気になってんだよ」
炊飯器の釜ごとテーブルに置き、お玉、取り皿、スプーンを女性の前に置く。ここまで来て、肝心な事を聞いていない事に気付いた。
一般的なエルフと言えば、植物性の食べ物しか食べないというのがお約束。もしもガチ菜食主義者であれば、動物性タンパク質の入った卵粥を出すのはマズいかもしれない。そういうのにうるさい人は、そういうのに本当にうるさい。
そもそも卵粥に入っている卵が本当に卵かどうかという問題もあるが、それを言い出すと収拾が付かなそうなので、謎卵の正体については今は考えない。
妖精さんの卵は安全。安全だから食べても平気だ、多分。
「あの、聞き忘れてましたけど、食べられない物や苦手な物はありますか?これ、卵が入ってるんですけど、食べられますか?」
「ああ、大丈夫だ。私に食べ物の好き嫌いは無い。その手の気遣いは無用だ」
「そうですか」
キリッとした目をして、女性が答えた。目はキリッとしていたが、口元からはよだれが垂れそうになっていた。よほど空腹らしい。
「どうぞ、召し上がれ」
「ありがたく、いただこう」
気もそぞろに礼を言うと、女性はお玉を手に取り、釜から直接ガッついた。
「あっつっっつっっっっ、はふっ、はふっ、熱っ、はふっ、うまぁいぃっ!」
見た目によらず食べ方がワイルドだった。
「ふぐっ、ぐっ、ぐぅっ!?」
「……お水どうぞ」
「んぐっ、んぐっ、んぐっ、んぐっ、ぷはぁっ!」
「……あの、もっとゆっくり食べた方がいいですよ?」
「ゆっくりだな、わかった。はふっ、はふっ、はふっ、はふっ、はふっ!」
「……………………」
喉を詰まらせた女性に水を差し出すと、凄い勢いで飲み干した。そしてまた釜からガッついていた。
誰にも取られまいとするかのように慌てて卵粥を掻き込んでいく姿は、欠食児童さながら。
女性が卵粥を食べているだけなのに、何故か見てはいけないものを見ている気分になる。
あっと言う間に釜は空になった。
「ああ……、もう無くなってしまった……」
「あまり一度にたくさん食べすぎると、お腹壊しますよ。体が弱っている時は特に。今はそれくらいで我慢してください」
「あ、ああ、そ、そうだな。き、貴殿の言う通りにするべきだな。うん」
首を縦に振りながらも、女性は物欲しそうな目で空の釜を見ていた。両サイドの子供達も、似たような目で空の釜を見ていた。
この家に来るまで、どんな食生活を送ってきたのだろうか。
「……はぁ……しょうがないな……」
胃腸の状態や、消化吸収の事を考えれば、数時間は何も食べさせない方がいいだろう。理屈で言えば、それが正しい。正しいはずだ。
でも、ここで我慢させるのは正しくない。そんな気がした。
少しくらいなら、甘い顔をしてもいいだろう。
「おい、黒いの。お前、甘い物は食べられるか?」
「甘い物?食べられるぞ?それがどうかしたのか?」
普通に質問したら、普通に返事が返ってきた。どうやら黒猫の獣人の舌では、甘さを感じる事ができるらしい。
味覚は生物の食性と密接に関連し、身体に必要な栄養素を美味と感じるようにできている。本来、猫の舌にある味蕾では甘味を感じられないはずなのだが、普通の猫と黒猫の獣人では食性が違うのだろう。
普通の猫に人間の甘い食べ物を与えるのは絶対厳禁。しかし、舌で甘さを感じられる獣人なら、きっと食べさせても大丈夫なはずだ、多分。
キッチンの冷蔵庫の前に立ち、扉を開く。中は空だった。扉を閉める。
扉に手を付き、目をつむる。頭の中で、冷蔵庫の中の状態を思い描く。
妖精さんの創造力を生かすも殺すも、全ては自分の想像力にかかっている。
「冷蔵庫の中には食べ物が入っているのが当然。プリンが入っていてもおかしくない。そうだよね、妖精さん」
「はい。プリンが入っていてもおかしくありません。ますたー」
冷蔵庫の扉を開けると、プリンが入っていた。昔ながらの3個1パック。プッチンするプリンだった。
某食品メーカーの広報によれば、プリンが3個1パックになっている理由は、母親と子供二人で食べる事を想定しているからだそうだ。ナチュラルにお父さんハブられてる悲しき仕様である。
せっかくのプッチンだが、見た事の無い人達に初めてやらせると失敗する可能性が高そうなので、今回はキッチンでプッチンして小皿に盛り付けてからダイニングに戻った。
「デザートのプリン持ってきたぞ」
「「「わぁっ!」」」
超キラキラした目で見られた。親鳥の餌を待つ雛鳥のよう。
三人の前にプッチンしたプリンと小さいスプーンを置いた。
「どうぞ、召し上がれ」
合図と同時に、三人がプリンを掬い、口に入れる。
「「「あまぁいっ!」」」
プリンを食べる三人は、とても幸せそうな顔をしていた。
対面で三人の食べる様子を見ていると、個人差がよくわかる。
猫耳少年は、一口一口じっくり確かめるように味わいながら食べている。油断しきっている様子なのに、行動は慎重だ。
鬼の少女は、時々皿を揺らしてプリンが震えるのを見て楽しみながら食べている。猫よりも好奇心が強そう。
エルフの女性は、食べるのが早い。一心不乱に食べている姿は鬼気迫るものがある。美人ではあるが、かなりアレだ。
水を飲みながら三人を見ていたら、猫耳少年がプリンから視線を外して、こちらを見た。
「……ニンゲンは食べないのか?」
「俺の分は無いよ。それ、3個1パックだし」
「……っ……」
甘い物は好きでも嫌いでも無い。あれば食べるが、無くても特に問題無い。
自分はそう思っているのだが、猫耳少年はそう思わなかったようだった。
半分ほど食べたプリンをジッと見詰めると、こちらに小皿を差し出してきた。
「お、オレはもうお腹いっぱいになった!も、もういらない!残りはニンゲンにやるぞ!」
「いや何言ってんだ、お前。俺の事はいいから、気にせず食えって」
「き、気にしてなんかないぞ!お腹がいっぱいになっただけだ!」
「……泣きベソかきながら言っても説得力無いぞ」
「な、泣いてなんかないぞ!でたらめ言うな、ニンゲンめ!」
半ベソだった。面倒臭い。猫が面倒臭い。心底、面倒臭くて面倒臭くて、もう本当にしょうがない猫である。
「おじちゃん、これ無いの?ボクの半分食べる?」
「本当にそういうのいいから。全部食べていいよ」
「でも……」
鬼の目にまで涙が少し浮かんでいた。猫の面倒臭さが伝染している。
「す、すまない、ヒデオ殿。もう全部食べてしまったのだが……」
「あ、はい。別にいいですよ」
一人だけプリン完食済だった。申し訳無さそうな顔をしつつ、ギラギラした目で子供達のプリンを見ていた。美人だけどアレである。
自分としては本当にプリンを食べなくても別にいいのだが、このままだと子供達が気にしそうなので、自分の分も出す事にした。
再び冷蔵庫の扉に手を付き、中身を想像する。
「妖精さん、おかわり」
「はい。おかわりです。ますたー」
冷蔵庫の扉を開けると、プリンが入っていた。やっぱり3個1パックだった。その内の1個を小皿の上にプッチンする。
すぐ傍で妖精さんが興味深そうに見ていた。
「ええっと……、もしかして妖精さんもプリン食べたいの?」
「はい。宜しければ是非とも御相伴にあずからせてください。ますたー」
「まあ、元々妖精さんに出してもらったものだから、それはいいんだけど……、妖精さん、食べられるの?」
「勿論です。今日のわたしを昨日までのわたしと同じだとは思わないでいただきたいものです。ますたー」
「ああ、そう……」
仲間外れは可哀想なので、妖精さんの分も小皿の上にプッチンした。
「わたしの分はわたしが運びます。御手は煩わせません。ますたー」
「あら意外と力持ち……って、物を持てるようになったのか、妖精さん」
「成長したのです。スキルアップを果たした今、この程度の事は造作も無い事なのです。ますたー」
比率で言えば人間のバケツプリン並みの大きさがあるプリンと、スコップ並みの大きさがあるスプーンが乗った小皿を、妖精さんは軽々と持ち上げ、飛び上がった。
妖精さんはよろける事も無く、安定した飛行でダイニングまで飛んでいく。それを後ろで見守りながら、自分も後に続いた。
テーブルに着くと、猫耳少年に睨まれた。
「ニンゲンめ!あるなら最初から出せ!」
「悪かったよ、変に気を遣わせて。今度からは気を付けるよ」
「ふんっ!わかればいいんだ!」
人数分のプリンがあるとわかると、子供達は手元に小皿を引き寄せ、再び幸せそうにプリンを食べ始めた。
自分もプリンを食べる。
「……あまいなぁ……」
スプーンで掬って口に入れると、昔懐かしい甘みが口に広がった。特別美味というほどでは無いはずなのに、無性においしい。
妖精さんは小さい体で山を切り崩すようにしてモリモリ食べていた。食べたプリンが小さな体のどこに入っているのかは謎である。
「……念のために言っておきますけど、あげませんよ?」
「わ、わかっている」
一人だけプリン完食済の人が、熱視線を向けていた。心情的にはあげたいのだが、一人だけ依怙贔屓は良くない。
程無く、全員無事にプリンを完食した。
「ごちそうさまでした。ますたー」
「くっ、また油断した!?……でも、おいしかった。ありがと、ニンゲン」
「ありがとう、おじちゃん」
「食事だけでなく甘味まで馳走になってしまったな。感謝する」
「どういたしまして」
久しぶりに食べたプッチンなプリンは、幸せの味だった。
プリンの最後の1個を巡り、少しだけ揉めた。
「遠慮の塊を残してしまうのはマナーに反すると心得ています。ますたー」
「余らせるくらいなら、オレが食べてやるぞ!」
「ボクまだ食べられるの。まだまだ入るの。全然平気なの」
「小さな体に物を入れすぎては良く無かろう。ここは私が適任だ」
みんな何故か食う気満々だった。
「今日の分はもう食ったろ。これは明日の分だ」
「「「ええっ!そんなぁっ!?」」」
「……わかりました。ますたー」
妖精さんまで不満げだった。




