112.銀の魔女、探す。
婚約破棄モノのヒロインを筆頭に、美女と喪女の属性は両立し得る。
共にある時間が長くなるほど、共にあるのが恐ろしくなる。
共にいられる道を探しながら、共にいられない理由を探していた。
彼は私に何も求めない。ただ手を差し伸べるだけで、その手は何も奪わない。何も。何一つ。
こちらから身を差し出そうとした時にさえ、彼は手を出さなかった。
『ただここにいてくれるだけでいい』などというような事を言われた事もある。そんな甘やかしを一時でも嬉しく思ってしまったのは、痛恨事だ。
気が付けば、彼我の立場は確定し、覆しようがなくなっていた。
与える者と、与えられる者。それが、彼と私の立場。
私は、ただ与えられるだけの存在へと堕した。かつて魔王の座にまで就いた身で、何たる体たらくか。
少しでも立場の差を埋めようと焦るあまり、自らの戒めを破り、忌まわしき魔眼まで使った。そうまでしたのに、いとも易々といなされ、許されてしまった。
この身に宿る力と業を知って尚、彼は私に何も求めず、避けず、ただ共にあった。
彼はそれを平然と行い、さも当然と言わんばかりの顔をする。
そんな彼の傍は、とても居心地が良かった。
その居心地の良さが、怖くて、恐ろしくて、いつも落ち着かなかった。
居心地が良いと感じているのに、恐ろしいとも感じる。
恐ろしいと感じているのに、何を恐ろしいと感じているか、わからない。
私には、本当に、わからなかったのだ。
居心地が良いのに恐ろしい、という未知の感覚。私なりに原因を探したが、見当も付かず、それは私を酷く混乱させた。
彼との別離を目前に控え、離れ難いと思いながらも、不思議な安堵があった。
私は、かつての私に戻るのだ。彼と出会う前の私に。
私の前世に当たる私にとっては、信頼できる人物は母だけだった。わずかにでも交流があるのは変わり者の古老だけで、集落にいる他の者達とは、挨拶の言葉一つ交わさなかった。
集落を出てからは、魔眼で従えた者か、敵対する者か、二つに一つだった。魔王の座に就く前も、就いた後も、だ。
今世の私にとっては、世界の全てが潜在的な敵だった。例外は、私と同じ宿命を負った、私よりも幼い二人だけだ。
頼れるのは、己が身一つ。何者にも頼らずに、立つ。そんな私に戻るのだ。
異なる世界よりの来訪者。異例中の異例の存在がいなくなれば、私はまた、かつての私に戻れる。これでもう、心を乱される事は無い。
これで良い。これで良いのだ。そう思っていた。
本気でそう思って、見送ろうと思っていたのに。
「ニンゲン!」
「おじぢゃん!」
私と同じ宿命を負っているはずの二人は、さも当然のように、彼と共にあり続ける未来を思い描いていた。疑いの一片すらも抱かずに。
思い描いた未来を手にすべく、二人は手を伸ばしていた。
気が付けば、私も二人につられていた。
伸ばすつもりのなかった手は、彼に向って伸ばされていた。
「ヒデオ殿ぶへしっ!?」
そして転んだ。鼻が痛い。
「ひでおどのぉ!」
ああ、何たる醜態か。
かつての私が今の私を見たら、果たして、何と言っただろう。
それでも構わず伸ばした手は、虚しく空を切り、そして――……
「「「うぐっ!?」」」
世界に穴が穿たれる瞬間を目撃した。
世界が歪み、音無き轟音に魂が軋む。
「ぐはっ……な、なんなのだ……こんな事が……人為で成せる事か……!?」
衝撃で身動きが取れない。
幸か不幸か、転んだおかげで距離は離れていた。
距離が離れていたにもかかわらず、地に伏し呻く事しかできなような有様だった。
距離が離れていてすら、こうなのだ。もしも震源地の中心にいたとしたら、どうなってしまっただろうか。
あんな超常現象に巻き込まれて、果たして、無事で済むものなのか。
「……ニンゲン……」
「……おじぢゃん……」
私だけではなく、ミユキとクロオも苦しそうだった。
先程までは有り余るほど元気に動いていたが、今はグッタリして動きが鈍い。
「まったく。随分と派手な出立であったな」
「然り」
水蛇様だけは、さして衝撃を受けていないかのように平然としていた。
普段の酒浸りな様子から、ついつい忘れがちになってしまうが、水蛇様は水蛇様なのだ。さすがと言うべきか。
ミユキとクロオを地面に下ろすと、十本の首をうねらせ、震源地の中心に近付いて行った。
「あやつらめ、こんなものを残しよってからに」
「あなぽこ~?」
震源地の中心には、視認可能なほどの歪みが残っている。十本の首が取り囲むようにして、歪みの様子を見ていた。
世界には修復力が働き、歪みは修復される。だが、直ちに全ての歪みを完全修復できるほどの即応性は無い。
歪みは小さくなって行っているが、完全な修復までには時間差がある。
「あなのむこうは~、どうなってるのかな~?」
歪みに、赤い首の一本が突っ込んだ。根元までズッポリと。
そして歪みが閉じた。
「「「「「「「「「いたたたたっ」」」」」」」」」
首が千切れた。
「「「うわぁっ!?」」」
十本だった首が、九本になった。
「われ、ふっか~つ」
「我、新生である!」
そして11本になった。
「にゃんだぁ!?頭が生えたぞ!?」
「ニョキニョキってなったよ!?」
「な、何と言う……尋常ならざる生命力だな……」
無茶苦茶だ。あまりにも無茶苦茶すぎる。
首が落ちたはずなのに、むしろ増えている。水蛇様の身体は一体全体どうなっているのか。
思い返せば、そもそも本来の御姿は、見上げるほどの巨体だ。その巨体を、ただただ酒を楽しみたいが一心だけで縮ませている。
通常の生物の在り様とは、根本から異なるのだ。あまり気にしても仕方が無い。
「「「……………………」」」
歪みの消えた場所を見た。もう目視では痕跡を確認できない。わずかに肌で揺れを感じる程度にまで収まっている。
こうなっては、もう追いかけるのは無理だ。
「……いなくなっぢゃっだね……」
「……ニンゲンも、フェアも、いない……」
「……そう、だな……」
消えてしまった。
もう、いない。
もう、いないのだ。
「「「……………………」」」
冷えすぎた氷にヒビが入るかのように、心が砕けそうな痛みに苛まれる。
こんな感覚を、私は知らない。
「ふぅむ?これは……。あやつら、どうやら帰り損ねたようであるな」
「「「……………………えっ?」」」
水蛇様が、首の本数よりも気になる事を言った。
心の痛みとか、そんな下らないものは後回しだ。
「帰っでないの?でも、おじぢゃんいないよ?」
「近くに音も匂いも無いぞ?」
「それはそうであろうよ。どこか遠くに跳んだようであるからな」
11本に増えた首が何かを探るように、歪みのあった場所を取り囲んでいた。
「跳ぶ寸前まで、制御不能だの、少しでもマシにするだの、何やら喚いていたようであるし、帰るよりも身の安全を優先したのであろう。上に跳ぶのは危険と判断して、やめたようであるな」
「上に跳んでない?」
「そういうの、わかるの?」
「まあ、そのくらいなら、我にもわかるのである」
「確か、ヒデオ殿の故郷は、この世界の上に位置していると言っていたか……。上に跳んでいないのなら、どこに?」
「そこまでは、わからぬ。我はこの手の事象にあまり通じていないのである」
「……そう……」
「美鹿毛の奴であれば、造詣が深いのであるがなぁ……。いらぬ騒ぎばかり引き寄せてくる癖に、こういう時には居らぬな、あの女は」
空馬様は私的な事情で居所を隠している。今ここにいないのが悔やまれる。
「詳しい行く先はわからぬが、跳んだ跡から見て、上下に移動していないのは間違い無かろう。大方、この世界のどこかにでも転がっているのであろうよ」
「「「……っ……」」」
水蛇様が、更に気になる事を言った。
「ヒデオ殿は、まだこの世界にいると言うのか!?……い、いや、しかし、あんな事があった後で、果たして無事なのか……?」
「だいじょ~ぶかな~?」
「無事であるかは知らぬが、生きてはいよう。あれでなかなか頑丈であるし、この程度でくたばるタマとは思えぬ」
「うん!おじぢゃん、ボクがギュギューッでじでも壊れないぐらい頑丈なの!」
「ニンゲンはしぶといからな!きっと大丈夫だぞ!」
水蛇様の言葉を聞いて、ミユキとクロオが元気を取り戻した。
ヒビ割れかけていた私の心に、得も言われぬ暖かい何かが流れ込んでくる。
こんな感覚を、私は知らない。
恐ろしい。
恐ろしいほどに暖かく、心地良い。
「まあ、あやつは大概アレである。無事どころか、ピンピンしていても驚かぬよ、我は」
「うん!ぎっどぞうなの!おじぢゃんビンビンなの!」
「ニンゲンなら、きっとそうだ!」
「今頃は新しい土地で、早速、どこぞの女でも引っかけているやもしれぬな」
「びんびんなのは~、どこかな~?」
「「「っ!?」」」
暖まりかけていた心が、再び冷たくなっていく。温度差でヒビ割れが増えるような心地がする。
こんな感覚を、私は知らない。
「……私達という実例がある……あの時の二の舞を演じる可能性……あり得るぞ、ヒデオ殿ならば……っ……」
心の表面がヒビ割れて剥がれ落ちていくような心地がする。
私すらも知らなかった、秘めたる私が露わになっていくような。
恐ろしさは無い。むしろ不思議と良く馴染む。
「ここで手をこまねいては女が廃るというものだ!この世界のどこかにいると言うならば、迎えに行くまでの事!」
ああ、私は何に怯えていたのか。
共にあるのが恐ろしい、なんて寝言を言っている場合では無かった。
気が付いた時には遅きに失していた、なんて間抜けな事態を二度も引き起こしてなるものか。
そのためにも、今は一刻も早く、見付け出さなければならない。
世界の果てであろうと探し出し、首に縄をかけてでも引きずり戻すのだ。
「ふふっ、我ながら良い案を思い付いてしまったぞ!」
そうだ。それが良い。
首に縄だ。あるいは手足に縄でも可。
縛り上げるのだ。縛り付けるのだ。決して離れられないようにするのだ。
最初から、そうしていれば良かったのに。こんな素晴らしい考えを、どうして今まで思い付かなかったのだろう。
今までの私はどうかしていたのだ。
「大至急なの!他の女に獲られたら大変なの!」
「変な匂いが付けられる前に、取っ捕まえてやる!」
つい先刻まで悠長に寝言を言っていた私ですら、覚悟を決めたのだ。
言うまでも無く、二人の覚悟はすでに決まっていた。
「幸い、準備ならもう整っている!早速行くぞ!」
「「うん!」」
家屋のすぐ横には、軽量級の小型ゴーレム車が用意されている。
今日の昼食は、ミユキが用意した携帯食がある。
移動手段も食料もあるので、今すぐ探索に出発可能だ。
「元気であるなぁ……。ここを空にするのも不味かろう。我は居残りで良いぞ」
「るすばん~」
水蛇様は、何やら殊勝に聞こえる事を言っていた。地面のシミを舐めながら。
居残り希望の主たる理由が何なのか、丸わかりだ。
相変わらずだが、だからこそ安心して留守を任せられる。
無尽蔵に酒の湧く魔道具がある限り、きっと何が何でも守り通してくれるだろう。
「精々気を付ける事であるな」
「みんな~、いってらっしゃ~い」
「イッテラッシャイマセー」
「「「いってきます!」」」
水蛇様と高性能ゴーレムに見送られながら、私達は即座に出発した。
「ふっ、ふふっ、ふふふふふふふふっ!」
今度こそ。
今度こそは、手放さない。
どんな手を使ってでも、繋ぎ止めてみせる。
どんな手を使ってでも、だ。
「――で、どっちに行けば良いのだ?」
「「わかんない!」」
生い立ちのせいで碌な交友関係を築けない強制コミュ障人生を二度も送る羽目になり、紆余曲折の末に二度の人生で初めての『親しい男性』という未知の存在ができるも、あまりにも未知すぎて訳もわからないまま怖くなり、恐怖のあまり離れようとしたけどやっぱり離れるのは嫌だと思い直した時には時すでに遅く、失って初めて本当は手放したくなかった事に気付き、後悔してももう遅いと思っていたら実はまだ完全には失っていない事に気付いてテンション爆上がりするも、ウカウカしてる内に横から掻っ攫われる危険性を認識し、他からは狙われていないモブ男への杞憂を募らせてテンパり、暴走状態に移行して盛大に空回り中の、美喪女の図。




