11.電設のヒデオさん、名刺を渡す。
女性の全身の血を拭き取るには一回では足りず、和室とキッチンを何往復かする羽目になった。
お湯とタオルが汚れて体を拭けなくなったら、電気ポットを回収する。
熱湯消毒し、ぬるま湯と絞ったタオルを用意して、また子供達に渡す。
体を拭くのは交代制らしく、和室の入口では黒白が代わる代わる待っていた。
猫耳少年の時はこちらを憎々し気に睨みながら、鬼の少女の時は嬉しそうな笑顔を浮かべながら、電気ポットを受け取っていた。
電気ポットを渡したら、しばし時間が空く。できる事が無いなら無いなりに、何かしら役に立つ事をしないと落ち着かない。
通勤カバンの中に治療に使えそうなものが入ってないか探してみた。
「……ダメ元で漁って見たけど、本当に碌なモンが無いな、城の備品なのに……ポーションくらい無いのかよ……」
城から脱出する際に、目に付いたものは手当たり次第に放り込んで来たので、有用なアイテムがあるかと期待したのだが、期待外れだった。
回復ポーションや治療用の魔道具などは無かった。思い返せば、城での訓練中に騎士団員達はその手のアイテムを使っていなかった。本当に無いのか、あっても希少なのか、いずれにしても、お手軽に回復とはいかないらしい。
普通の消毒液や傷薬なども無かった。ハーブ類はあったが薬効がわからない。酒類はアルコール度数が低くて消毒用には使えない。酢は腐ったような変な臭いがする。塩は混ざりものが多いのか、黄ばんでいた。
ガーゼや包帯なども無かった。ベッドシーツやテーブルクロスなどの布類はあったが、医療用に使うには不潔すぎる。煮沸消毒すれば使えるかもしれないが、あまり使いたくない。
衣類は持って来なかった。一応、自分用に支給された騎士団員の制服などは持ってきたが、他人の服は置いてきた。当然ながら、女性用や子供用の服も下着も無い。
「……せめて清潔な服だけでも……できれば病院で入院患者に着せるようなのがいいけど、そこまで贅沢は言わない……新品か、洗い立ての服があれば……」
子供達にはしばらく我慢してもらうとしても、女性はそうはいかない。斬り刻まれ血塗れになったボロ布は、捨てるしかない。
「……いや、男物の服ならある……タンスに着替えが入っていたはず……いけるか……?」
ふと、主寝室のタンスの中身を思い出した。
2階に上がり、タンスを開ける。昨日確認した通り、今自分が着ているものと全く同じデザインの衣類が一通り揃っていた。
「……気休めでも、神様にお祈りするよりはマシかな……」
安物のワイシャツを手に取った。
部屋で着替えて、ワイシャツとズボンだけの少しラフな格好になった。
スーツはサラリーマンにとっての鎧である。自宅でいつまでもフル装備は気分的に窮屈で嫌だ。
女性のための着替えを持って、和室の入口まで近付いた。
「おーい、服持ってきたぞ。間に合わせだけどな」
「……ニンゲン」
猫耳少年が睨みながら出てきた。睨んではいたが、目にも声にも元気が無かった。
「体を拭き終わったら、これ、お前の姉ちゃんに着せといてくれ。男物だけど文句言わないでくれよ、他に無いんだから。下着も無いけど諦めてくれ。男の一人暮らしの家にそんなモン無いからな」
「……………………」
「それと、大事な事だから念のために言っておく。これは俺の服だ。お前の姉ちゃんに一時的に貸してやる。いいか、貸すだけだぞ。所有権は俺にあるままだ。後で必ず返してもらう。俺の服だからな。それを今から貸す」
「……………………」
「上着、ズボン、ワイシャツ、ネクタイだ。全部着せろよ。いいか、全部だぞ。ちゃんと身に着けさせるんだぞ」
「……………………」
「俺が着せる訳にはいかないからな。頼んだぞ」
「……………………」
「おい、黒いの、聞いてるか?さすがに疲れたか?」
「……………………」
「疲れたんなら代わってやってもいいぞ?俺が裸の姉ちゃんにこの服着せてやろうか?」
「……………………」
「……お前、本当に大丈夫か?」
「……………………」
無言のまま、猫耳少年が睨み続ける。泣くのを我慢しているように見えた。
後ろから、鬼の少女がこちらに来た。
「おじちゃん。どうしたの?」
「ああ、いや、その……、着替えを持って来たんだ。これ、お姉ちゃんに着せておいてくれないか。体を拭き終わった後でいいから」
「もうキレイにしたの。この服を着せればいいの?」
「そうだよ。いいかい、全部着せるんだよ。上着、ズボン、ワイシャツ、ネクタイ、必ず全部だよ。いいね?」
「うん、わかったの」
血で汚れた電気ポットを置き、代わりに着替えを持って鬼の少女が戻っていった。
「……これでようやく一段落か……凄ぇ疲れたなぁ……」
ケガ人の血を拭いて服を着せる。ただそれだけの事に、気力を根こそぎ持っていかれた気がする。
実際に作業したのは子供達で、自分は裏方だったのに。
一息付いたら周囲の惨状が気になった。
「……しょうがなかったとは言え、酷いな……後片付けしなきゃなぁ……」
玄関のドアは破壊され、廊下や壁には血と泥がこびり付いている。
キッチンのシンクは深紅に染まり、赤い点々がそこかしこに散っていた。
新築なのに酷い荒れ様である。
和室の内部も酷い有様だろう事は、子供達を見れば想像が付く。手も顔も貫頭衣も血で赤く汚れていた。女性の体を綺麗にする時に付いたものだろう。
できる事なら、今すぐ子供達を風呂に入れ、体を洗い、着替えさせ、掃除をするべきだ。頭では、わかっている。しかし、億劫すぎてやる気が出ない。正真正銘、完全にガス欠だ。もう無理。
「……明日でいいか……今日はもう寝よう……」
明日の事は、明日の自分に任せれば良いのだ。同じ部署の鈴木先輩がよくそう言っていた。そう言ってよく酷い目に会っていたが、懲りずに何度も言っていた。今なら気持ちがよくわかる。
「黒いのも、とりあえず、お疲れさん。今日やるべき事はもうやったし、残りは明日だ。何をするにしても明日だ、明日。今日はもう寝るぞ、黒いの」
「……………………」
「他にも色々やらなきゃいけない気がするけど、今日はもう知らん。明日だ。一応お前達の分の着替えも用意するつもりだけど、それも明日だ。全部明日だ、明日」
「……………………」
「今日は和室で寝てくれ。俺はすぐそこのイスで寝るから、姉ちゃんに何かあったら起こしてくれたらいい。まあ、大した事はできないけど、できるだけの事はするから」
「……………………」
「じゃあ、お休み、黒いの」
「……………………」
猫耳少年から離れようとしたら、ガシッと足にしがみ付かれた。
「どうした?まだ何かあるのか?」
「……………………」
「何だよ。何も無いなら離せって」
「……ニンゲンのクセに……ニンゲンなんかのクセに……」
「いや人間ってだけで罵倒されても困るんだけど」
「……うぅっ……うぅぅっ……」
「お、おい、本当にどうしたんだよ。泣くなよ」
「……うぅぅぅぅぅぅぅぅっ……」
猫耳少年が泣いていた。足にしがみ付き、顔を押し付けて泣いていた。猫が唸るような泣き声を聞けば、どんな表情をしているのか、見なくてもわかる気がした。
「……オレ、全然ダメだったぁ……」
無力な自分が嫌なのは、大人も子供も同じらしい。
「お前はよくやったよ。偉い偉い」
「……うぅぅぅぅぅぅぅぅっ……」
黒い髪に手を乗せて、優しく頭を撫でた。猫耳に触りたい衝動は抑えた。
「俺よりよっぽど役に立ってたな。偉いよ、お前は」
「……嘘だ……やっぱりニンゲンは嘘吐きだ……」
「嘘じゃないよ。がんばって姉ちゃんの体を綺麗にしたんだろ。偉い偉い」
「……あんなの……オレじゃなくてもできる……」
「そんなの関係あるかよ。できるかどうかは重要じゃない。やったかどうかが重要なんだ。やったのは、お前だ」
「……っ……」
「お前はよくやったよ。お前のおかげで、姉ちゃんは綺麗な体でゆっくり休めるんだ。お疲れさん。よくがんばったな。大変だったろう」
「……大変じゃなかった……全然大した事じゃない……」
「そんな事言うなよ。それを言ったら俺なんかどうなるんだ。お湯を取り換えてただけだぞ?」
「……………………」
「自分で言っててショボくて凹むわ。お湯を用意するだけって、大人としてどうよ」
「……………………」
「正直に言うとな、俺は血が嫌だったから、嫌な作業をお前に押し付けたんだよ。血を拭き取るなんて気持ち悪いからな」
「……………………」
「お前はそれをやり遂げたんだ。大したモンだよ。よくがんばったな。立派だったよ。偉い偉い」
「……………………」
頭を撫で、背中をポンポンと軽く叩いて落ち着かせる。
足から静かな寝息が聞こえてきた。
「……さすがにもう限界か。ここに来るまでに何があったんだか……」
こんな所に家を建てた自分だから、嫌と言うほどよくわかっている。こんな所に来るような奴は訳アリだ。絶対に普通ではない事情を抱えているに決まっている。
どこから、どうして、どうやって来たのか知らないが、碌でも無い道中だった事は想像に難くない。そうして辿り着いた先で、唯一の信頼できる大人の女性は死にかけ、それを助けるために必死になって今まで踏ん張っていたのだろう。
子供離れした身体能力を持っていようとも、子供は子供。よく今まで起きていられたものだ。
猫耳少年を足から引き離していると、鬼の少女がこちらに戻ってきた。
「おじちゃん。お姉ちゃんに服着せたの」
「そうか。ありがとう。ちゃんと全部着せられたか?」
「うん」
「それじゃあ、今日はもうこれで作業は終わりだよ。他にも色々あるけど、今日はもう寝よう。細かい事は全部明日だ、明日」
寝ている猫耳少年を鬼の少女に預け、通勤カバンから毛布を出して渡した。
「悪いけど、今日は二人とも和室で寝てもらえるか。お姉ちゃんの容体が急に悪くなるかもしれないし、念のためな」
「おじちゃんは?一緒じゃないの?」
「すぐそこのイスで寝るよ。何かあったら呼んでくれ」
寝ようとして、今更ながら自己紹介していない事に気付いた。
「そう言えば、まだ名前も言ってなかったな。俺は白木英雄だ。お嬢ちゃん、お名前は?」
「無いの」
「……それは、名前を教えられないって意味かな?」
「ううん、ボクの名前、無いの」
「……お嬢ちゃん、名前無いのか?」
「うん」
鬼の少女は平素な顔で、何でも無い事のように言った。
「そっちの黒いのは?名前あるのか?」
「わかんない」
「お姉ちゃんの方は?」
「わかんない」
「……そうか」
名前の無い子供。お互いの名前すら知らない三人組。本当に、どんな事情を抱えているのだろうか。家に上げたのは軽率だったかもしれない。
では、もしもあの時、警告音を無視して放置していたらどうなっていたのか。今頃は庭先に死体の転がる事故物件の出来上がりだった。そんな家には住みたくない。
結局、どちらに転んでも詰んでいた気がする。気にしてもしょうがない。
疲れすぎて思考がうまく回らない。こういう時は考えても無駄だ。
「まあいいや、細かい事は。とにかくお休み」
「おやすみなさい、おじちゃん」
鬼の少女の頭を一撫でして別れた。
「……タオルもポットも、もう使えないな……使えても使いたくない……」
血で汚れたタオルと電気ポットとか、扱いに困る。ゴミ捨て場が無いので、通勤カバンに封印。
水回りだけでもと思い、シンクの血だけは綺麗に洗い流した。
リビングのマッサージチェアに横になると、気を失うように眠りに付いた。
肩に誰かの手がかかった。
「おい、起きろ」
体を揺すられた。眠い。勘弁して欲しい。
「聞こえないのか。おい、起きろ」
「……後5時間……寝かせて……ぐぅ~……」
「長いわ。待てるか」
目を開けるのが辛い。薄目を開けて窓を見た。山稜が薄っすら明るくなりかけていた。
「……なんだよ……まだ夜明け前じゃねえか……」
「何がどうなっている。私のこの格好は何だ。あの子達に何をした。答えろ」
「……話なら後にしてくれ……マジで疲れてるんだよ……ぐぅ~……」
「寝るな」
頬に何か押し付けられた。眠い。鬱陶しい。
「どういうつもりだ。何故、私を助けた。何を企んでいる」
「……知らんわ、そんなん……」
「あの子達におかしな事をするつもりであれば容赦はしない。事と次第によってはただでは済まさんぞ。正直に言え。さもなくば――」
「……うるさいなぁ……」
適当に腕を振る。パキンッと何かの折れる音がした。眠い。どうでもいい。
「ば、馬鹿なっ!?ミスリルの短剣がこうも容易く!?」
鬱陶しいものが無くなった。これでゆっくり眠れる。
「な、何なのだ、この男は……私達を屋敷に入れておきながら拘束もせず、どうしてここまで無防備でいられる……自らが害されるとは思わないのか……?」
また肩に手がかかる。体を揺すられた。眠い。
「一体何なのだ。どういうつもりなのだ。答えろ」
「……なんなんだよ、本当に……ってか誰だよ……?」
薄目を開けて見た。スーツ姿の美女がいた。
はち切れんばかり豊かに膨らんだ胸が目に眩しい。ワイシャツの胸元のボタンは外されて、白い谷間が惜し気も無く晒されていた。
「……凄ぇ……美人だなぁ……」
「な、何を言っているのだ!?」
スーツ姿の美女が慌てていた。金色の美しい瞳が落ち着き無く彷徨い、人間よりも長い耳がピコピコと可愛く動いている。身動ぎすると豊かな胸が揺れた。
いつまでも見ていたい。でも眠い。目を開け続けるのが辛い。眠い。
「……美人だけど、惜しいなぁ……おっぱいネクタイじゃない……」
「おっぱいねくたい!?本当に何を言っているのだ!?」
首元には何も無い。うなじの辺りで灰色の長髪がまとめられ、髪紐の代わりにネクタイが巻かれていた。
ネクタイの着け方は間違えているが、一応、身に着けてはいる。有効だろう。
「……でもまあ……これはこれで眼福……ぐぅ~……」
「ね、寝るな、寝ないでくれ」
「……無理……話なら後にして……マジ眠い……」
眠い。どうしても眠い。気力が回復していない。眠い。
「何なのだ、貴様は……。貴様は一体何者なのだ?」
美女に問われて、無意識に自分の胸ポケットを探った。何も無かった。
この世界に召喚された直後、渡そうとしたら無駄に警戒されて受け取ってもらえなかった名刺。胸ポケットに仕舞ったはずなのだが、一体どこに消えたのだろうか。
「……ああ、そう言えば着替えたんだった……そっちの胸ポケットに入ってるから、それ見て……」
「うん?胸元に?……確かに何か入っているな。これの事か?紙でできているようだが、この紙片は何だ?」
「……俺の名刺……それあげる……」
「自己紹介用の文言を紙片に書いてあるのか。しかし、知らない単語ばかりだな。ほとんど意味がわからないぞ」
「……ぐぅ~……」
「寝ないでくれないか。頼む、せめて名だけでも教えて欲しい」
「……名前……白木英雄……」
「シラキ・ヒデオ、それが貴様の名か」
「……………………」
眠い。もう限界。寝る。
「……本当にどういう男なのだ。幾ら何でも警戒心が無さすぎる。よほどの大物なのか、大馬鹿なのか、判断しかねるな……」
美女の呆れたような美声を聞きながら、意識は再び沈んでいった。
「よもや、ただのお人好しという事もあるまいが……、この様子ならば過度に危険視せずとも良さそうか。警戒は必要だが、今しばらくは、この身を癒す事に専念するとしよう」
本編に出す機会の無さそうなアイテム情報。
【両手武器:英雄の名刺】
【特性:絶対貫通、自動追尾、自動回収、自動修復、自動洗浄】
サラリーマンに必須の携帯武器。刺突属性。
手裏剣みたいに投げると大変ヤバイ。相手は死ぬ。
他人に渡すのが前提のアイテムなので、譲渡可能です。




