109 電設のヒデオさん、おにぎりを食べる。
夕飯の席で、最終予定日を通達した。
「明日、出発しようと思う」
リアクションは三者三葉だった。
「はい。明日出発します。ますたー」
フェアは、いつも通り、可愛い。
数ヶ月失踪していた社会への帰還。期待よりも不安の方が大きいが、フェアの変わらぬ笑顔を見ていると癒される。
「ようやくなのか?遅すぎだぞ、ニンゲン」
「ホントそうなの。おじちゃん、のんびりしすぎなの」
黒夫と魅雪は、いつも通り、小生意気で小憎たらしい。
気難しいお年頃の二人だが、こう見えて結構気遣い屋さんな所もある。二人とも、お別れが湿っぽくならないよう、あえていつも通りに振舞ってくれているのかもしれない。
……という事にしておこう。そうじゃないと寂しすぎる。
「そなたの去就なんぞ、知った事では無いわ。勝手にするが良い」
「ぷい~っ」
十本首は、いつも通り、夕飯のおかずを肴に酒飲んでる。
ちょっとご機嫌斜めっぽい雰囲気ある気がするけど、上機嫌でも不機嫌でも飲酒量が変わらないので、よくわからない。
本当に肝臓大丈夫なんだろうか。自分が帰ったら、休肝日を守る気がしない。
「……明日……ついに、明日……仕掛けるなら、今宵が最後の機会……っ……」
「ムチムチさん?どうかしましたか?」
「……繋ぎ止めるためには……やはり、繋がるしか……っ……」
「あの、ムチムチさん?聞いてます?」
「……いや、しかし、そんな動機で最終手段を行使するなど……本当に良いのか、それで……っ……」
「あの、聞こえてます?ムチムチさん?ムチムチさーん?」
「……手をこまねいている場合では無いが……これでは、あまりにも……っ……」
ムチムチさんは、いつも通り、ご飯おかわりしてる。
ご飯モリモリ食べながら深刻そうな顔して何かブツブツ言ってる気がしないでもないけど、またいつものように何か無駄に思い詰めて空回りしてるのだろうか。
食欲は相変わらず旺盛なので、食って寝れば復活するだろう、多分。
放置。
「……これが最後の晩餐、か……」
ちなみに今日の夕飯は、魅雪特製の野菜炒めでした。
片栗粉でトロみチョイ足しされててウマい。
きっと魅雪はいいお嫁さんになるね。間違い無い。
夕飯後、片付けは皆に任せ、明日の準備があると言って早々に引き上げた。
準備する事なんて、何も無いのに。
「……………………」
食事が終わり、皆の顔をボーッと見ながらお茶を飲んで、ホッと一息吐いた瞬間、酷い吐き気に似た何かに襲われてダメになった。
あのままリビングには、いられなかった。
あのままリビングにいたら、何か変な事を口から吐いてしまいそうで怖かった。
逃げるように――……いや、逃げるために、誰もいない寝室に引っ込んだ。
「……この期に及んで逃げるとか……何やってんだ、俺は……」
我ながら情けないとは思うが、最後まで一緒に過ごす勇気が出ない。
出ないものは出ない。
出そうと思って出るなら苦労は無い。
「……いよいよ、本当に帰るんだよな……」
自分の事に関して言えば、最初から準備する事なんて無い。
ほとんど身一つで召喚された。
帰りも、ほとんど身一つだ。
通勤カバンを忘れないように注意するだけでいい。
「……………………」
まだ寝るには早いが、もう本当にする事が無い。ベッドに寝転がる。
「……持って帰りたいな、このベッド……いや、置く場所無いか……」
異世界で過ごす最後の夜。そう思うと、感慨深い。
寝室もベッドも異世界感皆無な現代仕様だけど、それはそれ、これはこれ。
「……元の部屋より広くて快適なんだよなぁ……」
キャンピングカー、居住性優先モード。実家より敷地面積も延床面積も広い。
この部屋に慣れた後、単身者向け安アパートの狭い部屋に戻るのかと思うと、それだけで憂鬱になる。
社会復帰のためのアレコレを思うと更に憂鬱になる。
「……あー……帰りたくねぇ……めっちゃ帰りたくねぇ……」
例えるなら、お盆休み終了間際、自宅に帰る時の気分。
帰りたくない。
本気で帰りたくない。
「……けど、帰らない訳にもいかんよなぁ、やっぱり……」
それでも、帰る。
異世界に召喚され、城から脱出したばかりの頃は、被災地で避難生活でもしているような気分だった。
避難生活の長期化により、こちらでの生活にも馴染み、あたかも日常生活の中にいるような気分に変わった。
気分は変わっても、実情は変わらない。
仮初の日常感を得ようとも、非日常は非日常のままだ。
振り返ってみれば、何だかんだ問題ありつつも、良い非日常だったように思える。だが、それはそれ、これはこれ。
どんなに良い非日常であっても、日常の代替にはならない。
いずれ必ず非日常を終わらせて、日常に帰らなければならない時が来る。
「……いずれって、いつだよ……」
いずれは、明日だ。
そう決めた。
もう決めたのだ。
これ以上は延ばさない。
「よし。とっとと寝るか。おやすみ、フェア」
「……はい。おやすみなさいませ。ますたー」
フェアの声を聞きながら、目をつむる。
意識は静かに沈んでいった。
で、翌日。
「……ぅあぁぁぁぁ……めっちゃよく寝たわぁ……」
ブラック生産体制が終了し、久しぶりに真っ当な安眠だった。
心身共に壮健である。
「おはようございます。ますたー」
「あ、うん。おはよう、フェア」
フェアから朝の挨拶をもらう。今日も朝から元気で可愛い。
「ますたー。今すぐ出発しますか?今すぐ出発できます。今すぐ出発しましょう」
「いやさすがに早いから。出る前に朝飯くらいは食べていこうよ」
「……はい。ますたーの故郷へ向けて出発するのは、朝飯くらい食べてからにします。ますたー」
元気すぎて、羽をブルブル震わせ燐光をまき散らしていた。落ち着きが無い。
フェアにとっては、元の世界へ行くのは初めての事。生まれて初めて海外旅行に行くような気分なのかもしれない。
逸る気持ちはわかるが、そんなに急いでもしょうがない。
とりあえず、朝の身支度。洗面所で顔を洗う。
「……うーん……まだちょっと色が残ってんだよなぁ……どうするかな、髪……」
鏡を見ていて、ふと、気になった。予定が差し迫るほど些細な事が気にかかる。
もうずいぶん前の事になるが、身バレ対策のために髪を脱色した。あれから大分髪が伸び、黒髪に戻ってきているが、毛先の辺りにはまだ茶色が残っている。
普通なら気にするほどの事では無いのかもしれないが、数ヶ月失踪からの社会復帰を考えれば、周囲の気に障りそうな部分は極力減らしておきたい。
「おはよ!ニンゲン!」
「ん。はよ、黒夫」
髪をどうするか悩んでいたら、黒夫が来た。いつにも増して元気だ。
「なんだなんだ!寝ぼけたツラしてるな、ニンゲン!」
「そりゃまあ寝起きだし……」
「まったく、そんなんじゃダメだぞ!ふるさとに帰るのに、そんなツラじゃ笑われるぞ!にゃははははっ!」
「なにわろてんねん」
いつも元気溌剌な猫ではあるが、今朝はいつも以上に元気と言うか、朝っぱらから妙にテンション高くてウザい。
なんでこんなテンション高いのよ、こいつ。
まあそれはそれとして。
「人のこと笑ってる場合かよ。寝ぐせ、跳ねてるぞ」
「へっ?寝ぐせ?どこ?」
「後ろだ。直してやるから、ちょっとこっち来い」
鏡では見えないようだが、後ろ髪がグシャッてる。
手招きすると、すんなり寄ってきた。
水で軽く濡らし、撫で付ける。
「……………………」
「……んっ……にゃぁっ……」
短くも手触りの良い猫っ毛。これに触れられるのも、今日が最後だ。
猫耳ピコピコしてる。
触りたい。
触って触って触り倒したい。
「……ほれ、直しといたぞ」
ここで触ったが最後、帰れなくなる気がした。
触りたいけど、我慢。
「ふんっ。直してなんて、頼んでないぞ。……でも、ありがと、ニンゲン」
「いいから、とっとと顔洗え」
黒夫を残し、洗面所を退散する。
あのまま一緒にいたら、猫耳の誘惑に負ける気しかしない。
朝食の準備をしようとキッチンに行ったら、先客がいた。
「タコやろーにー♪ジュジュジューッとー♪こんじょー焼き入れーるのー♪」
妙なオリジナルソングを歌いながら、魅雪が卵を焼いていた。
「あっ!おじちゃん!おはよー!」
「うん。おはよう、魅雪」
咆哮の如き挨拶。音圧で食器棚がビリビリ震えた。元気ってレベルじゃない。
「いつもより早いね、魅雪。今日はどうして?」
「あのね!目がパチッてなっちゃったの!だからね!お昼作ってるの!」
「……お昼?朝ご飯じゃなくて?」
「お昼なの!」
なんかよくわからないけど、目がパチッとなって、お昼を作ってるらしい。大皿には俵型のおにぎりが山盛り積まれていた。
食料生成装置からは食材を生成し、料理自体は手作りしているようだ。
こだわりを感じる。
「もうすぐできるよ!ちょっと待っててね!」
緑と黒のチェック柄のエプロンをフリフリしながら、キッチン内をテキパキ動く。
宣言通り、すぐに完成した。
「はいこれ!おじちゃんの分ね!」
「ああ、うん。ありがとう、魅雪」
手渡されたそれを受け取る。
大きな笹の葉に包まれたお弁当だった。
「……………………」
笹の葉を通じて、出来立ての温かさがジンワリ伝わってくる。
「どうしたの、おじちゃん?」
「……いや、何でもないよ。おいしそうだなって思って。大事に食べるね」
「うん!」
通勤カバンに永久保存したい。でも、魅雪の想いに応えるなら、ちゃんと味わって食べた方が良いだろう。
お昼になったら、心を鬼にして食べよう。
密かに決意を固めていたら、黒夫がやって来た。
「おっ?なんだ、うまそうだな?」
言いながら、黒夫の手が大皿のおにぎりに伸びる。
「ダメなの」
「にゃっ!?」
そして魅雪に叩き落とされた。
「何すんだよ、ミユキ!」
「これはお昼なの。つまみ食いはダメなの」
「いいじゃん、こんなにたくさんあるんだし!」
「ちゃんと頭数の分なの。足りなくなるからダメなの」
「ケチ!ミユキのケチんぼ!」
「ち、違うもん!ケチじゃないもん!クロオがいやしんぼなの!」
「ケチ!ケーチ!ケチー!」
「ケチじゃないもん!いやしんぼー!」
気付いたら、ケンカになってた。
つまみ食いでケンカとか子供か。子供だった。
身なりは子供でも、身体スペックは元魔王様。おにぎりを巡って地味に激しい攻防してる。交差する腕の動きが早すぎて、残像が見える。
ケンカのレベルは地味に高いけど、おにぎりが原因だと思うと、やるせない。
「下らない事で揉めるなよ、朝っぱらから」
「「くだらなくない!」」
一声かけたら、ケンカは一瞬で収まった。
「んもう!おじちゃんはホントこういう時ダメダメなの!」
「そうだぞ!ニンゲンはそういう所がダメなんだぞ!」
「ええっ……仲良しだね、二人とも……」
そして何故か自分が責められていた。何故だ。
責められる自分を尻目に、子供達の背後で赤い影が蠢く。
「ふぅむ。いつもの三角の物とはまた違うが、これはこれで良い肴である」
「然り」
「にぎりたて~、うま~」
おにぎり食べながら酒飲んでる、酔っ払いのオッサン。
首が十本もあるので、消費が早い。山が見る見る削り取られていく。
「あー!食べちゃダメなの!」
「我が何を食べようと、我の勝手である。何人たりとて邪魔は許さぬ」
「ダメったらダメなの!それお昼なの!」
「朝も昼も大差無かろう。いつ食べようと、行く先は等しく我の腹の中である」
「然り」
「そういう問題じゃないの!いつ食べるかも大事だけど、どこで食べるかも大事なの!それは今ここで食べちゃダメなの!」
「へへっ、隙アリぃ!」
「あー!クロオまで!もう、もう、もう!ダメって言ってるのに!」
「うまうま~」
全力で守勢に回る白鬼。
手数ならぬ首数で攻勢をかける赤蛇。
隙を付いて漁夫の利を狙う黒猫。
争いの中心は、おにぎりの山。
三大勢力による三つ巴の資源争奪戦。
「……今日くらい、もうちょっとこう、静かに行けないもんかなぁ……」
「いいえ。それは無理です。ますたー」
「……そっかー、無理かぁ……」
妖精さん(仮)に笑顔でバッサリされて途方に暮れるサラリーマンがここにいた。
「……ふふっ……皆、活気があって何よりだ……」
「うわっ!?」
背後に、闇の瘴気を身に纏う灰色の美女が一人。いつの間にかいた。
「……ふふふふふふふふっ……」
静かにって言っても、こういう方向性は求めてないんですけど。
なまじ美女なだけに、背後から忍び寄られるとホラーだ。
「お、おはようございます、ムチムチさん」
「……ああ、おはよう、ヒデオ殿……」
「あ、あの、大丈夫ですか?な、なんか、顔色が悪いですよ?」
瘴気も気になるが、それよりも顔が気になる。
目の下のクマが凄い事になってた。
「……ふっ……ふふっ……私如きの顔がどうかしたのかな……?」
「いやどうもこうも。凄い事になってますよホントに」
目の下のクマが凄い事になってるのに、何故か美人度が減らない。むしろ妖しげな魅力が増して凄い事になってた。
いつも以上に理性に悪い、妖艶の美。
押し倒したい。
いやそんな事を考えてる場合じゃない。
「……昨晩は、我欲と良心の葛藤に収拾を付けるだけで、時間と精神力を使い切ってしまってな……気が付いた時には、もう夜が明けていたのだ……」
「は、はぁ、なるほど?要するに、徹夜明けですか?それは、その、お疲れ様ですね?」
「……貴殿にそう言われるのは、何とも釈然としないのだが……」
話をしていたら、グゴゴゴゴゴゴゴゴッという異音が鳴り響いた。
「活力に満ちた、いい音ですね」
「そ、そこは言及しないでくれないか!?」
少しだけ、頬に血色が戻った。
この異音も、今日が聞き納めだ。そう思うと、感慨深い気がしなくもない。
「とりあえず、腹ごしらえします?タップリ作り置きありますよ?」
食べ物ならある。山ほど。
「おじちゃんまで何言ってるのー!これはお昼なのー!」
「まあまあ、魅雪、そう言わずに。減った分は、俺も作るの手伝うから」
「……えっ?ホント?おじちゃん、ボクと一緒におむすび作るの?」
「うん。出かける前に、それくらいの時間はあるよ」
「ホントなの?ウソじゃない?」
「魅雪に嘘なんか言わないよ。お昼の分は、後で作るの手伝うから、これは朝ご飯にしようよ。せっかくの出来立てだし」
「んーっと……。おじちゃんがそう言うなら、これ朝ご飯にしても、いいよ?」
「我は最初からそのつもりであったぞ。これぞ先見の明であるな」
「オレも!最初からわかってたぞ!」
「いや単につまみ食いしてただけだろ。何でそんな堂々としてんだよ、お前達は」
資源争奪戦、あっさり終戦。
おにぎりの山は、みんなで分け合って朝食になった。
ちなみに具材は、鮭、筋子、塩むすびの3種類でした。
とてもおいしかったです。
また食べたいなと思いました。




