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ふたりぼっち、異世界に  作者:
第一章:俺は世界を選ばない、私は世界を選ばない

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第09話:命の簒奪と、最初の晩餐

 分厚い石扉が、背後で重い音を立てて閉ざされた。


 再び訪れる闇。

 だが今度は、完全な漆黒ではなかった。


 壁のあちこちに埋め込まれた青白い光石が、冷えた石壁をぼんやりと照らしている。


 そして。

 陵の手に握られた折れた黒刀。


 どくん、どくん。


 刀身の亀裂から漏れる赤黒い光が、不気味な脈動を繰り返していた。

 二人は足音を殺しながら、手記の地図が示す水源へ向かって進む。


 青白い光は数歩先までしか届かない。その先には、底の見えない闇が広がっていた。


「……っ」


 美玲は荒い呼吸を押し殺す。

 喉が焼けるように痛い。唾を飲み込むたび、乾いた粘膜が擦れるような感覚があった。

 胃の奥も、空腹を通り越して熱を持っている。


 休んだはずなのに、身体は少しも軽くならない。

 一歩進むたびに足元がふらつき、意識が遠のきそうになる。


 そのたび、美玲は前を歩く陵の背中を見つめた。


 今の陵には、普段のような柔らかさがない。

 周囲の闇へ神経を張り巡らせ、音もなく進んでいく。まるで、こういう場所を歩くことに慣れているみたいに。


 ――その時だった。


 ちろちろ、と。

 暗闇の奥から、微かな音が聞こえた。


「……ぁ」


 美玲の喉が震える。


 水音。

 その瞬間、焼け付く喉が痛むほど脈打った。


 地図は正しかった。

 あそこへ行けば、水がある。


「水……っ」


 美玲が思わず前へ出ようとした瞬間。


「止まれ」


 低い声。

 同時に、強い力で肩を掴まれ、背後の壁へ押し戻された。


「っ……陵?」


 美玲が顔を上げる。陵は水音のする暗闇をじっと見据えていた。

 青白い光と、黒刀の赤黒い光。その二つが混ざり合い、陵の横顔へ不気味な影を落としている。


「……浮かれるな」


 低い声が落ちる。


「あそこには、先客がいる」


 美玲の呼吸が止まる。


 先客。


 その言葉を理解した瞬間、焼け付いていた喉の渇きが、一気に冷たい恐怖へ塗り潰された。


 陵は壁へ美玲を押し付けたまま、ゆっくりと黒刀を構える。


 どくん。


 赤黒い光が脈打つ。


 地下廊の奥。

 水音の向こう側にある闇を、陵は微動だにせず見据えていた。


「……何か、いるの……?」


 美玲が掠れた声で問う。


 陵はすぐには答えない。

 代わりに、僅かに顎を引いた。


 聞こえる。

 ちろちろという水音に混じって、もう一つ。


 ぴちゃ……。


 水を踏むような、粘ついた音。

 それが、不規則に響いていた。


「……生き物だ」


 陵が低く呟く。


「しかも、多分一匹じゃない」


 ぞわり、と。


 美玲の背筋を悪寒が走る。暗闇の奥を凝視する。


 だが、見えない。

 青白い光は途中で途切れ、その先は底なしの黒に沈んでいた。


 なのに。


 いる。


 確実に、何かが。


 ぴちゃ……。


 ぴちゃっ。


 音が近づく。


 ゆっくりと。


 水を踏みながら。


 どくん。


 その瞬間、黒刀の脈動が一際強く跳ねた。赤黒い光が、地下廊を鈍く照らし出す。


 そして。

 闇の奥に、それは現れた。


「――っ」


 美玲の喉が引き攣る。


 四足だった。


 いや。


 元は人間だったのかもしれない。

 異様に細長い四肢を折り曲げ、地面へ這いつくばるようにしてこちらを見ている。


 青黒く変色した皮膚。

 肋骨が浮き出るほど痩せ細った身体。

 口元は裂けるように大きく開き、その隙間から獣みたいな荒い呼吸が漏れていた。


 そして何より。


 眼がない。

 あるべき場所には、黒く窪んだ穴だけがぽっかりと空いていた。


 ぴちゃり。


 怪物の口から、濁った液体が垂れる。腐臭が流れてきた。


「……っぁ……」


 美玲の身体が震える。今まで見てきた怪物たちとは違う。


 もっと近い。

 人間だったものが壊れたみたいな、おぞましさ。


 だが。

 陵は一歩も引かなかった。


 黒刀を低く構えたまま、静かに呼吸を落とす。


「騒ぐな」


 低い声。


「まだ、気付かれてない」


 その瞬間。


 闇の奥で、もう一つ。


 ぴちゃっ――。


 別の音が響いた。


 陵は美玲を背後へ庇ったまま、音もなく一歩前へ出た。

 重心を低く落とす。床を滑るような足運び。闇の中へ溶け込むみたいに、陵の身体から気配が薄れていく。


 ぴちゃ……。


 怪物の湿った呼吸が響く。


 眼の潰れた顔が、不気味にこちらを向いていた。

 見えていないはずなのに。確かに、こちらを探っている。


 赤黒い光の届かない奥。

 そこでも、いくつもの影が蠢いていた。


「……陵、待って……」


 美玲が震える声で制服の裾を掴む。


 陵は振り返らない。


「ここにいろ。動くな」


 低い声。


 次の瞬間、陵は低く地を蹴った。


 ガァッ!!


 異形が裂けた口を開き、飛びかかる。

 細長い腕。鉤爪みたいに伸びた指先。


 それが陵の喉元へ迫る。


 だが。


 陵は半歩だけ身体をずらした。

 それだけで、爪が空を切る。


 すれ違いざま、黒刀が閃いた。


 ――ズシュッ。


 鈍い音。怪物の首が半ばまで裂け、そのまま崩れ落ちる。


 どくん。


 黒刀が強く脈打った。返り血が、赤黒い刃を濡らしていく。


 陵は止まらない。

 倒れた死骸を踏み台にするように、次の影へ踏み込む。


 短い刃。

 本来なら不利な間合い。


 だが陵は、相手の懐へ躊躇なく飛び込んでいた。


 回避、踏み込み、一閃。


 それだけ。


 あまりにも速く。


 あまりにも無駄がなかった。


 怪物の腕が落ちる、喉が裂ける、頭蓋が砕ける。


 その度に、黒刀がどくん、どくんと脈打った。


「……ぁ……」


 美玲は息を呑む。


 陵が強いことは知っていた。幼馴染だから。


 ――けれど、

 暗闇の中で怪物を解体していく今の姿は、美玲の知る「幼馴染」からあまりにも遠かった。


 赤黒い光に照らされた横顔。静かな目。返り血を浴びても、一切揺れない呼吸。

 暗闇の中にいる今の陵は、道場にいた頃より、ずっと自然に見えた。


 最後の一匹の頭蓋を黒刀が叩き割る。嫌な破砕音が響き、地下廊へ静寂が戻った。

 血の匂いだけが、重く淀んでいる。


 どくん、どくん。


 陵の手の中で、黒刀が静かに脈打っていた。


 足元に転がった肉塊が、ぴく、と最後の痙攣を起こして静止する。


 陵は黒刀を軽く振り、刃についたどす黒い血を払った。

 そして、そのまま闇の奥へ視線を向ける。


 ちろちろ、と。

 微かな水音が響いていた。


「……終わった」


 低い声。

 美玲は震える足で死骸の間を縫うように歩き、陵の背中へ近づいた。

 床には血が広がっている。生臭い臭気が鼻を刺した。


 陵は振り返らない。

 返り血の残る背中は、いつもの陵と同じ形をしている。


 なのに、美玲は声をかけられなかった。


 二人はそのまま、水音のする部屋へ足を踏み入れる。


 そこには石造りの水汲み場があった。

 天井の裂け目から落ちる雫が、小さな水槽を静かに満たしている。青白い光石の光が水面へ揺れ、冷たく反射していた。


「……っ」


 美玲は息を呑む。

 次の瞬間には、水場へ駆け寄っていた。


 両手で水を掬う。


 冷たい。


 焼け付いていた喉へ流し込んだ瞬間、全身から力が抜けそうになった。


「……ぁ……っ」


 何度も水を飲む。


 喉の痛みが、ようやく和らいでいく。


 隣では、陵も静かに水を口へ含んでいた。


 だが、最低限だけ喉を潤すと、すぐに立ち上がる。

 そのまま地図にあった隣の部屋――備蓄庫へ向かった。


 美玲も重い身体を引きずるように後を追う。

 備蓄庫には、古い木樽がいくつも並んでいた。


 陵はその一つへ黒刀の柄を叩き込み、無理やり蓋を割る。

 中には、干からびた肉と、石みたいに硬い保存パンが詰まっていた。


「……食べられる?」

「腐ってはないと思う」


 陵が短く答える。

 美玲は震える手で保存パンを受け取った。


 一口、噛む。


 硬い。


 ぱさぱさの欠片が喉へ引っ掛かる。


 味もしない。


 それでも、水で流し込みながら無理やり飲み下した。


 空っぽだった胃へ、ようやく何かが落ちていく。


「……」


 隣では、陵が残った干し肉と保存食を布へ包んでいた。

 無駄のない手つき。まるで、次に動くことが最初から決まっているみたいだった。


「……陵。少し休まなくていいの?」


 美玲が小さく問う。


 陵は手を止めない。


「水と食料は確保した」


 どくん。


 黒刀が脈打つ。


「あとは、”武器”を手に入れるだけだ」


 低い声。迷いはなかった。


 美玲は黙って陵を見る。


 返り血の残る制服。赤黒い光に照らされた横顔。

 水と食料を見つけた今でさえ、陵の視線はもう次の闇へ向いている。


 頼もしい、と思う。


 けれどその姿は、少しだけ遠く感じた。

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