第19話:変わる脅威、変わらぬ絶望
ギィ、と。
嫌な音を立てて、傾いた木の扉が開かれた。
騎士たちは何も言わない。
ただ、顎で「中へ入れ」と促すだけだった。
陵が無言のまま足を踏み入れる。
美玲も、それに続いた。
二人が小屋へ入った瞬間、背後でバタン、と乱暴に扉が閉められる。
続けて、外から何か重いものを立て掛けるような鈍い音が響いた。
「……閉じ込められた?」
美玲は扉へ手を伸ばす。
だが、押しても引いても、びくともしない。
「……ぽいな」
陵は目を細めた。
外から聞こえていた金属の擦れる足音は、少しずつ遠ざかっていく。
「監禁、された……な」
周囲を見回しながら、陵は小さく呟いた。
二人は、薄暗い空間の中で立ち尽くしていた。
窓と呼べるようなものはない。壁板の隙間から、外の淀んだ光が細く差し込んでいるだけだった。
足元は湿った土が剥き出しになっている。
部屋の隅には、いつから放置されているのかも分からない、黒ずみカビ臭い藁が積まれていた。
それ以外には何もない。
家具ひとつ存在しない。ただ、隙間だらけの板で囲われただけの空っぽの箱だった。
あの白い少女は、確かに「保護する」と言った。
けれど、与えられたのはこの掃き溜めみたいな空間だった。吹き込む風が、外のドブの臭いを絶え間なく運んできた。
壁の外の地獄からは、確かに逃れられた。
魔物に怯える必要も、野盗に殺される恐怖もない。
だが、ここも同じだ。
巨大な城塞都市の、一番底。
価値のない人間を押し込み、見えない場所へ追いやるためのゴミ溜め。
分厚い城壁の向こう側の喧騒は、もう遠かった。
このみすぼらしい小屋の中には、重苦しい静寂だけが淀んでいる。
「……陵」
美玲は、不安を振り払うように声をかけた。
振り向いた先の暗闇で、ずっと張り詰めていた何かが、ふつりと切れる。
ガラン、と。
鈍い音が足元で響いた。
陵の両手から、二本の武器が零れ落ちたのだ。
湿った土の上へ、黒剣と折れた黒刀が投げ出される。
そして。
陵の身体が、ぐらりと傾いた。
膝から力が抜け、隙間だらけの木壁へ背中を預ける。
そのまま、糸の切れた操り人形みたいに、ずるずると土の床へ崩れ落ちた。
「陵……っ!?」
美玲は弾かれたように駆け寄った。
泥だらけの床へ座り込んだ陵は、ぐったりと項垂れたまま動かない。
慌てて抱き起こそうと背中へ腕を差し入れると、
「……流石に、ちょっと、限界……」
掠れた、消え入りそうな声だった。
美玲の腕の中で、彼はわずかに顔を上げる。
そして、ふっと悪戯っ子みたいな笑みを浮かべた。
張り詰めた冷徹な戦士の顔でもない。感情を失った怪物の顔でもない。
そんな顔を見たのは、中学生の頃以来かもしれない。
「そうだよね……。ずっと、守ってくれて、ありがとう」
涙声になりながら、美玲は彼の身体をきつく抱きしめ返す。
「……どういたし……まして」
微かな返事とともに、陵の身体から力が抜けた。
今にも意識が落ちそうだと、その顔を見れば分かる。
それでも。
美玲の胸の奥を支配していた、あの冷たい恐怖は、いつの間にか消えていた。
美玲の腕の中で、陵は静かな寝息を立て始める。
気を失ったというより、限界を超えた肉体が強制的に機能を止め、深い眠りへ落ちたようだった。
美玲は彼を抱えたまま、ゆっくりと土の床へ座り込む。怖い、という感情はもうなかった。
ただ、彼の穏やかな寝顔を見ていると、不思議なほど頭が冴えていくのを感じた。
(休ませてあげなきゃ……)
美玲はそっと彼の身体を横たえると、再び立ち上がった。
部屋の隅に積まれていた古い藁をかき集める。
少しでも冷たい土の床から遠ざけられるよう、即席の寝床を作った。
そこへ陵を丁寧に寝かせ、ほつれた制服のブレザーを毛布代わりに掛けた。
やるべきことは、やれることは、いくらでもあった。
彼が目を覚ました時、次にどうやって生き延びるか。
それくらいは、自分にだって考えられる。
小学校でも、中学校でも、高校でも。
美玲は昔から、周囲より頭が良い方だった。
美玲は暗い小屋の中で、今の自分たちが持つ「全財産」を整理し始めた。
まずは、無造作に転がっている武器。
陵が手放した『黒剣』と『折れた黒刀』。
美玲は土にまみれた折れた黒刀を静かに拾い上げた。
「……っ」
触れた瞬間、ぞわり、と何かが身体の奥を走った。
地下遺跡の祭壇で、初めてこれを拾い上げた時と同じ感覚。
指先から腕へ。そして背骨へ。
冷たさとも熱さとも違う刺激が、一気に駆け抜ける。
身体が軽くなるような。力が満ちてくるような。奇妙な高揚感が脳を掠めた。
(やっぱり、気味が悪い)
美玲は静かに黒刀を手放し、陵の手が届く位置へそっと置いた。
指を離した瞬間、高揚感は嘘みたいに消え去る。
代わりに、ぞっとするような悪寒が背筋を這い上がってくる。
無意識に自分の腕を抱きそうになるのを、美玲は理性で押し留めた。
呼吸を整えて、黒剣に手を伸ばした。
折れた黒刀とは違い、とても綺麗な剣先だった。
泥に汚れた自身の顔が、鈍く反射して映っている。
柄を握った瞬間、ずしり、と腕が沈んだ。
細身の剣とは思えない重さに、美玲は思わず眉をひそめる。
(私が触っても、これは何も起こらない……)
この剣が、陵の手にある時だけ異様な挙動を見せていたことを、美玲は知っている。
だからこそ、自分が触れても何も起こらないことに、少し不思議な感覚を覚えた。
黒剣をそっと足元へ置く。
(……そう言えば、どっちも光ってない)
地下では、折れた黒刀の赤い点滅が足元を照らしていた。
黒剣もまた、陵が握っている時は脈動していたはずだ。
だが今は、そのどちらにも光る気配がない。
(今は、それについて考えるのは後かな)
美玲は思考を切り替え、地下で拾った袋を引き寄せた。
中から水袋を取り出し、軽く振る。
ちゃぷん、と頼りない音が鳴る。
(……少な)
喉の奥が冷たくなった。
干からびた肉と硬いパンは、まだ少しだけ残っている。だが、水はもう一晩持つかどうかも怪しかった。
この密室へ閉じ込められたままでは、数日以内に確実に脱水で死ぬだろう。
(水の確保は必要……他には、何があったっけ)
次に制服のポケットを探る。
出てきたのは、元の世界から持ち込んだスマートフォンだけだ。
当然、画面には圏外の表示。バッテリーも残りわずかしかない。
一瞬の明かりか、時計の代わりにしかならない。
元の世界との繋がりを示すだけの、今は役に立たない黒い板だった。
ここから先の敵は、もう化け物じゃない。
「飢え」と「渇き」。そして、見知らぬ「人間社会」だ。
美玲は隙間だらけの壁から、外の路地を覗き見た。
言葉も通じないスラムの住人たちから、どうやって水を手に入れるか。
あるいは、自分たちをここへ閉じ込めた『リーナ』という少女と、どう交渉の糸口を掴むか。
美玲の中にある冷静な思考が、静かに、そして確実に組み上がり始めていた。
薄暗い掃き溜めの底で、美玲は生き抜くための覚悟を決めた。




