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ふたりぼっち、異世界に  作者:
第一章:俺は世界を選ばない、私は世界を選ばない

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第13話:砕ける刃と、最後の牙

 拮抗は、ほんの一瞬だった。

 どれだけ陵の身体能力が常軌を逸していようと、根本的な質量の差はどうにもならない。


 メキメキと。

 陵の足元の石床が、さらに深く砕けていく。


 圧倒的な力で巨腕が陵を押し潰そうとした、その直前。

 陵は黒刀の角度をわずかにずらし、巨腕の軌道を強引に横へ逸らした。


 轟音。

 怪物の拳が床へ激突し、祭壇の間そのものが揺れる。


 砕け散る石片を背中で受けながら、陵は弾かれるように美玲へ手を伸ばした。


「っ……」


 腕を掴まれる。


 次の瞬間。

 先ほどまで二人がいた空間を、怪物の尾が横薙ぎに叩き潰す。

 空気を裂く風圧だけで、美玲の頬が浅く切れる。熱い血が伝った。


 陵は美玲を抱えたまま床を蹴り、へし折れた石柱の陰へ滑り込む。そして無言のまま、美玲の肩を強く押した。

 ここから動くな。そう言われた気がした。


 直後。

 陵は息をつく間もなく、再び暴風の中へ飛び出していく。


 ——ズドォォォォンッ!!


 破壊が止まらない。

 怪物の暴威が、広大な祭壇の間を理不尽に蹂躙していく。


 掠っただけで死ぬ。

 直撃すれば、身体ごと消し飛ぶ。


 そんな暴力の嵐の中を、陵は紙一重で躱し、黒刀で受け流していた。


 だが。

 美玲の目から見ても、状況が悪いことは明らかだった。


(……私の、せいだ)


 陵は速い。

 彼ひとりなら、あの巨体の攻撃範囲から逃げ回ることはできたはずだ。


 なのに。


 ガァァァァンッ!!


 鈍く重い衝突音。

 陵は避けられたはずの攻撃を、正面から受け止めていた。


 その背後には。

 石柱の陰で震えている、美玲がいる。

 陵は、美玲のいる方向へ向かう攻撃だけを、自分の身体で止めていた。


 ズルリ、と。

 陵の足が後方へ滑る。


 殺しきれなかった衝撃が身体を貫き、陵の口元から血がこぼれ落ちた。


「——っ」


 胸の奥を、冷たい手で掴まれたみたいに苦しくなる。


 私がいるから。

 彼は逃げられない。


 私がいるから。

 彼は傷ついている。


 何もできない。

 守られているだけだ。


 自分の無力さが、怪物への恐怖よりもずっと重く、美玲の胸へ沈んでいく。


 激しく明滅していた『折れた黒刀』の光が、不規則に揺れ始めていた。


 限界が近い。


 ピキリ、と。

 硬い音が響く。


 陵の握る黒刀。

 その刀身に走っていた亀裂が、さらに大きく広がった。


 赤黒い光が、痙攣みたいに明滅している。


 次は、防げない。

 美玲にも、それが分かってしまった。


「……」


 その時だった。

 陵が、一気に前へ踏み込む。


「っ……!」


 どこへ——。


 声にならない。

 陵が向かったのは、安全地帯ではない。


 怪物の正面。

 暴力の渦中だった。


 怪物の胸。

 そこに突き立ったままの、漆黒の剣。


(……抜く気なの……!?)


 怪物が咆哮する。

 丸太みたいな巨腕が、陵へ向かって振り下ろされた。


 避けられない。


 そう思った瞬間、陵は地面を蹴った。


 轟音。

 背後で石床が粉砕される。

 だが、陵は潰されていなかった。


 怪物の腕。

 その上へ、自ら飛び乗っていたのだ。


 そのまま巨腕を駆け上がる。

 常識なんて存在しないみたいな動きだった。


 さらに跳躍。

 宙を舞いながら、陵が左手を伸ばす。


 怪物が次の攻撃へ移る、その前に。


 ガシッ、と。


 陵の左手が、黒剣の柄を掴んだ。


 ズチュ、ズズズズズ……ッ!!


 嫌な音を立てながら、刃が引き抜かれる。


 ——その瞬間。


 ドクンッ!!


 限界を迎えていた『折れた黒刀』が、再び大きく脈打つ。

 赤黒い光が爆発みたいに膨れ上がり、陵の腕を伝って、引き抜かれた黒剣へ流れ込んでいく。


 違う。

 二つの刃が、呼応していた。


 強烈な瘴気の風が吹き荒れる。

 陵が、静かに着地した。


「……陵?」


 その背中を見た瞬間。

 美玲の背筋を、これまで感じたことのない悪寒が駆け抜けた。


(……なに、あれ)


 本能が悲鳴を上げていた。

 陵を包む空気が、変わっている。


 痛みも。

 迷いも。

 感情すらも、全部どこかへ置き去りにしてきたみたいに。


 ただ、静かだった。

 静かすぎて、恐ろしかった。


 怪物が、咆哮を上げる。

 だが、その声にはさっきまでとは違う色が混ざっていた。


 怯え。

 目の前の存在を、本能で恐れている。


 怪物が両腕を振り上げる。

 空間ごと叩き潰すみたいな暴力。


 それでも。

 陵は、ただ静かに一歩を踏み出した。


 右手の折れた刃。


 左手の漆黒の刃。


 二つの軌跡が、交差する。


 閃光。


 いや。

 それは、光すら呑み込むみたいな黒い斬撃だった。


 音が、消えた。

 吹き荒れていた風すら、一瞬だけ止まる。


「え……?」


 美玲の口から、掠れた声が漏れる。


 怪物の両腕が。その奥の巨大な胴体が。斜めに、滑るみたいに崩れていく。


 ドッパァァァァァンッ!!!


 一拍遅れて、暴風と血飛沫が吹き荒れた。

 巨大な怪物が、たった一撃で両断されていた。


 轟音を立てて、巨大な死骸が崩れ落ちる。

 咆哮も。破壊も。全部、止んでいた。静寂だけがこの空間に取り残された。


 舞い上がる塵と瘴気の向こう。返り血を浴びたまま、陵が立っていた。


 右手には、完全に沈黙した『折れた黒刀』。


 左手には、静かに黒い輝きを放つ剣。


「……ぁ」


 助かった。

 そのはずなのに。

 美玲の喉は、凍りついたみたいに動かなかった。


(……誰)


 怪物の死骸の向こうに立つその背中は、もう、美玲の知っている「幼馴染」とは別の何かに見えた。


 圧倒的だった。

 恐ろしいほどに。

 数日前まで、同じ教室で過ごしていたはずなのに。


 今、目の前にいる存在は。

 もっと別の。

 人じゃない何かに見える。


 陵が、ゆっくりと振り返る。


 返り血に濡れた横顔。

 その瞳は、凍るみたいに冷たかった。


「っ……」


 美玲の肩が震える。


 怖い。


 逃げたい。


 本能が、そう叫んでいた。


 なのに。

 美玲は、目を逸らせなかった。


 この世界で。

 彼がいなくなったら、自分はもう立っていられない。

 恐ろしくても、壊れてしまいそうでも、この人からだけは離れられない。


 トクン、トクン、と。


 うるさいくらい心臓が鳴っている。

 安堵なのか、恐怖なのか、分からなかった。


「陵っ!」


 気づけば、美玲は叫んでいた。

 逃げたくなかった。この人を、ひとりにしたくなかった。


(怖いとか、もうどうだっていい)


 美玲は、一歩を踏み出す。

 返り血に濡れた陵の背中へ、震える腕を伸ばした。


「……!」


 びくり、と。

 陵の肩がわずかに揺れる。

 それでも美玲は、そのまま彼を抱きしめた。


「守ってくれて、ありがとう」


 場違いなのかもしれない。


 それでも。

 今は、こうするべきだと、美玲は思った。


 陵の身体は、氷みたいに冷たかった。

 脈打つ音すら聞こえないほど、限界まで張り詰めている。


 だが。

 美玲の腕が回された背中から、ゆっくりと、その異常な緊張が解けていくのが分かった。

 陵の右手から、完全に限界を迎えていた『折れた黒刀』が滑り落ちる。左手に握られた漆黒の剣も、先ほどのすべてを喰らうような禍々しさを潜め、ただの静かな刃へと戻っていく。


「……美玲」


 ぽつりと。

 ひどく掠れた、いつもの陵の声だった。


 さっきまでの、人間ではない別の何かじゃない。

 ただの、不器用な幼馴染の声。


「怪我は」


 自分のことなんて、何も気にしていない。

 あれだけの死闘を終えた直後で、彼が最初に紡いだのは、背中にすがる美玲への気遣いだった。


 その、どうしようもない不器用さが、泣きたくなるほど嬉しかった。


「ないよ。……どこも、痛くない」


 震える声で答えながら、美玲はさらに強く陵の背中へ顔を押し当てる。


(ああ、そうか)


 美玲は、自分の奥底で何かが決定的に変わってしまったことを自覚する。


 彼が怪物になっても構わない。

 彼が普通の人間じゃなくなってしまっても、それでもいい。


 私が、彼を繋ぎ止める。

 彼が私を守ってくれるなら、私はその歪さを全部受け入れて、彼に寄りかかって生きていく。


 それは、決して美しい「絆」なんてものじゃない。

 正気じゃない。まともじゃない。

 暗く、重く、もう二度と引き返せない共依存の泥濘ぬかるみだ。


 それでも。

 すべてが死に絶えた冷たい地下の底で。


 美玲は、たったひとつの熱を放つその背中から、もう絶対に手を離さないと決めた。

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