第二十九話: 池矢 創 ⑬
◆まえがき◆
現実から逃げるように日雇労働に出かけてしまった池矢。
この無気力モードはいつまで続くのでしょう?
では「池矢の章、第十三話」
お楽しみください!
※※※※※
その日に手配師からあてがわれた仕事は〝学校の解体作業の手伝い〟だった。
我々10名ほどの一団は、言われるがままにトラックの荷台に積まれ、到着したその現場で細かい作業分担の説明を受け、それぞれの持ち場に散っていく。
俺は見知らぬ初老のおじさんとペアを組まされ指定の場所へと向かったが、そこには既にどこからかやって来た十数名の一団が待機していた。
日雇い作業の場合、向かった現場が大きい時は大抵そうなのだが、複数の業者が何らかの方法で人を集め、それらが一堂に集まった後に現場で再分割され、各作業場で指示者の指図に従って働く、というのが通常の作業の進め方だった。加えて「互いに余計な話はしない事。特に賃金の話はしない」という暗黙のルールが存在しており、これを破って給料の話などしようものなら古株の先輩方にこっぴどく叱られる、という〝現場の状況や支給額がよそに漏れる事を極端に嫌う〟仕事でもあった。とは言え、たまたま現場に若い連中が集まったりすると
「これこれこういうルートであっせんされると割りが良い」
とか
「どこどこの手配師が持ってくる仕事は日給額が高い」
とか、そんな話題が飛び出す事はしょっちゅうで、どこからともなく罵声が聞こええてくるような事もしばしばあった。
今回、俺が現場で指示された作業は〝解体前の資材の運びだし〟という軽作業で、机や椅子、こまごました物など、とにかく部屋にあるものを指定された別の場所にひたすら移動させる、という簡単なものだった。
一人で運べる物は一人で運び、大きめの物を運ぶ時はペアになったおじさんに声をかけて協力して運ぶ…そんな単純作業を淡々と繰り返す内、気付けば時計の針は12時を指していた。
『食事は休憩場所で持参した物を適当に食べて、1時になったら現場に戻るように』
という指示のもと、各エリアに散った労働者たちは一斉に食事休憩に入る。
「横、構わない?」
俺はかぶりつこうとしたコンビニ握りを一旦口元から離して、声の方向を見る。声の主は今日ペアで組まされたおじさんだった。
「構いませんけど、俺、コレとお茶だけなんですぐに済んじゃいますが…」
「だいじょぶだいじょぶ。俺もたいしたもん持って来てないから」
男の言葉づかいとキビキビした動きから、初老と見えたその男の実年齢が40代位である事がわかる。連日の日雇い作業で日に焼けて黒ずんだ皮膚と、長いこと劣悪な環境に置かれて増していったのであろう深い皺が、その年齢を10歳ほど老けて見せていたのだ。
おじさんは俺の返答を最後まで聞かない内に俺の横にでんと陣取ると、自分が持って来たいかにも手作りっぽい大きな握り飯を大口で頬張りだした。
「兄さん一時見なかったけど、前は大体毎週来てたよね、公園…西戸山公園」
「あぁ、…はい。……手を怪我しちゃって」
俺はそう言って自分の右手の怪我を相手に見せる。
「うわ!こりゃ、えらく派手にやっちゃったね?……何か機械にでも挟んだかい?」
「いえ、機械じゃなくて…」
「ケンカ?」
「まさか!…喧嘩でこんなになるなら、もっとあちこちやられてますよ」
「なるほどね。……そりゃぁえらく大変だったね~」
おじさんは視線を前方に移し〝それ以上聞かまい〟という態度で、ニヤニヤしながら再び握り飯を口に運んだ。
「兄さん位若い人は珍しいからね。覚えちゃっててさ。……変な事聞くけど、その若さで何でこんな仕事するの?……たまに危ない現場も回ってくるでしょ?」
おじさんは前々から俺の事を見ていた様で、興味本位でいきなりプライベートな質問をぶん投げて来た。俺はウソをつく理由もないので、何となしに自分の状況を話して聞かせる。
「自活してるもんで、手っ取り早く金を稼ぎたい時は都合が良いんですよね……以前、しょっちゅうここに来てたのは学費を稼ぐ為で…」
俺の言葉の途中でおじさんは突然びっくりしたような顔になり、感嘆の声をあげる。
「学費!?日雇いで学費を稼いでたの?……そりゃすげぇな~。このバブル時代に、そんな若いのが居るんだな~」
おじさんは妙に感心した様子で、上体を少し引いて俺の全体図を品定めする様にまじまじと眺める。
「いえいえ、家に金が無いのに無理して大学に行こうとしてこうなっちゃっただけですから……特にすごい事やってる訳でもなくて…」
「いや~、すごい事だろ?……今時の兄さんくらいの若者は普通遊んでるだろ。ビリヤードとかディスコとかボディコンのネェちゃんとか…」
「夜の遊びばっかじゃないですか」
俺の切り返しに、おじさんは〝その通り〟とばかりに柏手を打って相槌ちする。
「まぁ、昼だってさ~映画行ったりテニスしたり……あ、ローラースケート!…知ってる?今、TVで光ゲンジがすいすい滑って大騒ぎになってんの?」
「いえあんまり……TVほとんど観ないですから」
「TV見ないの!?……兄さん変わってるね~。……いやでも、たまにはTV見て情報入れて遊んだ方がイイよ。周りと話題合わなくなるよ」
おじさんの言葉にハッとする。言われてみれば最後に楽しくTVなぞ見てくつろいだのは一体いつ頃だったろう?中学生時代にはもう家はかなり無茶苦茶な状態になっていたし、高校時代はバイトに明け暮れる毎日だった。思えば最後に楽しくTVを見た記憶は小学生の時分まで遡らないと浮かんで来ない…。
我ながら〝酷い子供時代だったな〟と自分を気の毒に思ったが、同時にそれが今でも続いているという現実に軽い衝撃を受ける。
―自分位の年端の連中が今何をやっていて何が流行っているか全くわからない―
冷静に考えてみると、そんな時代が5~6年は続いている状況だった。
「で、兄さん今は?……大学生?」
おじさんのぶっきらぼうな質問が再開し、俺は我に返る。
「受験はしたんですが、大学は落ちちゃいまして…」
「ありゃ!……ごめんごめん、ずかずか変な事きいちゃって」
「別に大丈夫ですよ。もう半年前の事ですし」
俺は苦笑いで話をやり過ごそうとしたが、相手側は何か思い当たる節がある様子で、とつとつと話を続けた。
「今、大変だよね~大学行くのも。俺の知り合いの子供に小さい頃から絵が上手い子がいてさ、その子が〝デザイン系の仕事につきたい〟って言ったから親父が頑張ってそういう学校に入れたワケ。……でも授業料払っていくのが相当キツイって言っててさ……正直、今時どうなの?絵とかそういうので食べて行けるのかね?」
不意に、今一番答えたくないジャンルの質問が飛んでくる。俺は考えなしに反射的に即答してしまう。
「無理でしょ」
「え?……やっぱり無理なの?」
感情的になって思わずいいかげんな返答をした事が恥ずかしくなり、俺は慌てて前言を修正する。
「いえ、…デザイン関係ならいくらでも仕事はあるんじゃないですかね?……絵で食べていくっていうのとはちょっと違いますけど……俺も諦めた口ですから」
「俺も?……兄さんも絵の学校を狙ってたの?…こりゃ奇遇な話だ!」
無意識にぽろっと出てしまった我が身の話に、おじさんがすかさず食いついてくる。
「自分で金稼いでそういう学校に行くって言うからには、さぞかし腕に自信があるんだろうね~…やっぱり上手いの?絵?……いや、自分でウマいとは言わないか」
おじさんはなぜか突然上機嫌になって、会話のテンションを高める。俺はそれに歯止めをかけるべく無情に流れをぶち切った。
「もう諦めましたから。絵は」
流石のおじさんも、それ以上この件には触れなかった。
そこから後は少し他愛のない話をし、我々はそそくさと現場に戻った。
※※※※※
作業は予定よりも1時間以上早く終わった。
新宿戻りのトラックを運転する手配師が慌てた感じで現場にやってきて各々に日給を配りながら、声かけをしている。
「じゃあここで解散ね。あぁ、四谷の方で5時~9時の作業でまだ5~6人空きがあるんだけど、誰か行く?6000円だすよ」
即座に何人かがそれに反応する。おじさんもちゃっかり手を挙げており、コチラに目配せしてニヤッと笑いながら何か言っている。
「おいしい、おいしい」
俺は苦笑いで右手を顏の所に持っていき、それを左右に動かして〝遠慮しときます〟のサインを送る。おじさんは残念そうな顔で視線を外した。
トラックは一旦新宿駅まで引き返すのでそれに同乗し、俺は新宿で一団と別れた。
時間はまだ夕方の早い時間だったが俺の足は家には向かわず、そのまま西口の高架沿いを進み、路地裏に巣食う飲み屋エリア〝ションベン横丁〟に当たり前のように自然に吸い込まれていった…。
いつ来ても独特の臭気が漂う小さな飲み屋が密集する高架下の一区画。戦後闇市の面影を色濃く残すこのエリアは、この辺りが焼野原だった時にどこかのテキヤの親分が立ち上げたものらしいが、ヤクザ稼業が大嫌いで家を飛び出した小僧が知ってか知らずか失意の果てに辿り着いている場所が〝大昔にテキヤ様のこしらえた憩いの場〟とは何とも笑える話だ。
俺は過去に数度来たことのあるモツ焼き屋の暖簾をくぐり、生ビールと串を注文する。
「ハイ、お待たせ!」
威勢の良い決まり文句と一緒に、注文して1分足らずで目の前に酒が運ばれる。俺はその最初の一杯をテンポよく1分足らずで飲み干す。
「おっ、イイ飲みっぷりだね~お客さん!生お代わり、行きます?」
「いえ、チューハイください」
「チューハイね。かしこまりましたー」
再び1分足らずで二杯目の酒が運ばれてくる…。
――本当に、言われてみればつまんない人生だよな――
現場でおじさんに言われた「周りと話題合わなくなるよ」というセリフを思い返し、そもそも同世代との付き合いなんか、中学以来殆どなかったな。と、今更ながらに自分には巷で言う所の〝眩い青春時代〟みたいなものが完全に欠落している事に気付いて肩を落とす。
「ハイ、白2、ハツ2ね」
注文した串を頬張りながら俺は、中学、高校、そして現在に至るまでに自分がして来た事を振り返る…
「飲み屋の皿洗い、喫茶連のウエイター、コンビニ店員、ダンスホールの楽器運び、飲食店のホール、カラオケ屋のボーイ、銭湯の清掃係、ビルの清掃員、スナックのなんちゃってバーテンダー、デパートの子供ショーの着ぐるみ要員、いかがわしい学習カセットの販売員……バイト、バイト、バイト、バイト………まるで、バイトサイボーグだな」
俺は2本目の串を一気に頬張り、それを酒で流す様にチューハイをあおった。
「いやー、兄ちゃんイイカンジに飲むね~」
隣りで飲んでいた赤ら顔の禿げ上がった中年男が馴れ馴れしく声をかけてくる。
「最初だけですよ。最初だけ…」
「いやー、いいねいいね~。オレも若い頃はそんなカンジで飲んでたけどさぁ~、歳とってくるとやっぱりチビチビになっちゃうんだよな~がははは」
〝コの字〟形のカウンターに配置された椅子は間隔が狭く、客同士がいつもギュウギュウで座るスタイルのこの店は、独りで静かに飲むには全くもって相応しく無い店だったが、喧騒にまみれて煩わしい事を忘れるにはもってこいの店だった。俺は隣りの男に適当に話を合わせながら、しばし串の味を楽しむ事に集中した。
「日雇いか~。オレもやってた事あるよ昔、少しだけ」
「え?そうなんですか」
「金ない時は手っ取り早いからな~日雇いは……でも嫌な事多いだろ、あれって」
「?……嫌な事というと?」
「現場の若いヤツにあーだこーだ指図されて、何でもハイハイ言う事きいて働くのって嫌じゃないか?」
「……はぁ。……でもそういう仕事ですよね。日雇いは」
「あっちはその日限りの付き合いだから言いたい放題言いやがってさ。で、何か気にくわない事されるとすげー上から叱りつけてくるだろ。それでもこっちは、ごめんなさい、すいません、気を付けます~ってな感じでやんなきゃなんない……やっぱり嫌だったよな~あーいう仕事は。金無い時にしかやりたくねーよな」
言わんとする事はわかるが、実際それをやってる相手にそういう話をするか?と、少し複雑な気持ちになる。俺はその空気を全く読もうともしない無神経な男に付き合いながら2口、3口とチューハイを喉に流し込んでいく…
ふと時計の針をみると7時を回っていた。
俺の横の男は少し目が据わって呂律が怪しくなってきている。
「だから、今のオレも兄ちゃんとそんなに変わんないってこと!…あっちでペコぺコこっちでペコぺコ……世の中好景気好景気って騒いでるけどよぉ~末端のいち労働者にわさぁ~……そんなの関係ないんだって!悲しい事に!」
「おじさん、酒、落としますよグラス…そんな端っこに置くと」
「大丈夫だっての!……兄ちゃん!人の話はちゃんと聞けって!……だからさ~オレらにはなぁ~んにも無いの。なぁ~んにも」
既に男は相当出来上がっているらしく、完全に自分の愚痴モードに入ってしまっていた。だが、一歩距離を引いてそれを聞いている自分も男が言う様に彼と大して変わらない、ただ人よりちょっと絵が上手く描けるだけのつまらない人間の様に思えてきて憂鬱になっていた。男の姿が自分に重なり、他人と殆ど関わりを持たずにひたすらもがいていた6年間が、本当に無駄だった様に感じていた。
「必要とされてないの!誰からもっ!俺ら底辺労働者はっ!」
男の隣りで飲んでいた別の50歳位のオヤジが突然会話に加わって来た。
「そー!オレらはただ働いてクソして寝る!……そんで、酒飲んで楽しく生きてりゃいーんだってなーっ!がはははははは!」
隣りの男は乱入者と肩を組み、楽しそうに歌謡曲を歌い始めた。
「オレらには何も無い。か…」
二人の中年男の自分達を卑下する馬鹿騒ぎが続く中、無意識に独り言がこぼれる…
〝そりゃそうだ〟と頬が緩みかけたその時、ぼんやりと頭の中に今朝方ゴミ箱に捨てた手紙の記憶が蘇った。
――手紙来てたっけ……画廊から……―
何かが俺の心臓を激しくもみしだき、喘息の発作のように急激に鼓動が高まった。
「馬鹿か俺は」
胸の中で何かが弾け、俺はいてもたっても居られなくなり、慌てて会計をすますと新宿駅へとがむしゃらに走った。
(つづく)
◆あとがき◆
気持ちを切り替えた池矢はこの後どんな行動をとって行くのか?
次話は本日、日曜中にUP予定です。
(今度こそ予定通り作業進めたい…)(^v^)




