第二十八話: 池矢 創 ⑫
◆まえがき◆
全治一ヶ月半という大怪我を負った右手で、果たして制作なんぞができるのか?
注目の「池矢の章、第十二話」お楽しみください。
――コイツだけは完成させよう――
発作的に油絵を描く臨戦態勢に入った俺は、下描き状態で壁に立掛けたまま放置していた大作と対峙すると、体が命ずるまま脊髄反射の様に動き始める…
まずは、カンヴァスの上縁に添えた支え棒の上に右手首を慎重に乗せ、画面上でそっと筆を上下左右に動かしていく。
「いつつつっ……」
激痛の中、色々と試してみると〝指の腱が可動してしまう様な動き〟や〝拳側に圧がかかる様な動き〟さえしなければ、だましだまし描画できる程度の痛みで済む事がわかる。
要は、きっちり筆が手首に固定してあれば、あとは角度と力加減さえ気をつければ、一定時間であれば描画は不可能ではなかった。
そこからの一月はとにかく目の前のカンヴァスに向ってやれるだけの事をした。手の状態を確認し〝行ける〟と思った時はカンヴァスの前に立ち、痛みが限界になったら休憩をし、回復したらまた描く、という繰り返しの日々が続いた。
「決めたことを黙々と遂行する」のは、群馬の山籠もりですでに慣れていたから、制作作業自体は意外にも順調に進んで行った。
そして、月が変わったとある朝――
「できた。」
俺が初めて挑んだ100号の大作『樹』は完成した。
※※※※※※※※
「結局、その怪我の直後に完成させたって事ですか……その大作ってやつを。………なんともまた凄まじい話ですね」
氏家と名乗るその男はそう言って私の右手の傷をまじまじと凝視した。俺は目の前のブッカーズを一口喉に流し込み、一旦頭を冷やす。
初めて出会う赤の他人に自分の事をこんな風に話して聞かせるのは初めての事だった。この男の話、「ゲーム屋だが業界に入ってすぐに独房に入り、そこから復帰してディレクター職まで上り詰めた」という俄かには信じがたい奇妙な話にアテられたのか、その話を聞き終えた時点で俺は〝この相手なら自分の話をしても大丈夫だろう〟という気持になってしまっていた。それは一種の〝同類〟的な親近感から来るものでもあった。
「さっき芸大出身って話を先にされてましたけど……ひょっとしてこの話の結末って、怪我した手で受験して受かったとか、そういう話ですか?……天下の芸大ですよ??」
無遠慮に俺の記憶の底をひっかきまわす氏家の単刀直入な質問にさらされながら、この状況が全く不快にならない事に俺は正直驚いていた。その気分はまるで旧友の近田と会って話をしているような、そんな不思議な気分であった。
「まさか!……まともに動かない手で挑んで合格できるような甘い所じゃないですよ、あそこは。……ただ、受けはしたけんです。……自分にケリを付けたかったんでしょうね」
「……そうですよね~。そのまま合格したって話でしたら、ちょっと胡散草すぎますもん……で、ケリって言うのは?……」
「絵を辞める為の〝けじめ〟……みたいなもんでしょうか」
「辞める!?」
氏家の口に入ろうとしていたピーナッツが、入り口を外れてテーブルに転げる。
「辞めるって?……絵を辞めたって事ですか?……じゃぁ、芸大はどのタイミングで受かったんですか?…て言うか、大作はどうしたんですか、大作は?……ヤスイ展でしたっけ?狙っていた展覧会には出さなかったんですか、作品を」
「それが間抜けな話でね」
「?」
氏家は真夜中の梟のように目を見開いてこちらの言葉を待っている。その様子があまりにも滑稽で俺は思わずふいてしまう。
「まぁ、そうせっつかずに。…空ですよ。グラス……あと、ピーナッツ」
「おっと、これは失礼…」
氏家は、少しバツが悪そうにピーナッツを拾いながらテーブルの呼び鈴に手を伸ばした。
「で……間抜けな話とは?」
「あぁ、お話しした展覧会……『安井賞展』ですけど、もちろん出そうと思って主催団体に連絡したんです。応募要項とか、そういった事を諸々教えてもらうために」
「なるほど。それで?」
「そうしたら『安井賞展』っていう展覧会は、一般の公募展とは違って〝選抜展〟だったんです。つまり、どこかの美術展で大きな賞を獲ってその美術団体から推薦されるとか、有名な画廊から推薦されるとか、そういう一定基準を超えた肩書きがないと出せない展覧会だったんです」
「えーーっ!?そんな大事なこと……なぜ事前に調べなかったんですか?」
「要するに子供だったんですよ。私が……〝展覧会なんて誰でも出せるものだ〟と思い込んでたんです……でも折角描いた大作を無駄にしてしまうのは忍びなくて…」
「忍びなくて…どうしたんです?」
「直近でやっている割と有名な公募展があったんでそこに出品したんです」
「ほう!……そこで何か賞をいただいたとか…」
「落選でした」
「……え?」
「入賞どころか落選でした。……笑えるでしょ。安井賞展どころか格下の一般公募展でも展示すらさせてもらえず『THE・END』ですよ」
「…………」
さすがの氏家も返す言葉が無い、といった様子で苦い顔で黙り込む。
「『安井賞展』もダメ、『芸大』もダメ、身を切る思いで完成させた大作は一般公募展にすらカスりもしない……もう、やれる事は全てやり切ったって状態でした。……で、もーいいだろって…絵を完全に辞める踏ん切りがついたんです」
「そこまで落ちたってことですか………そしてそこからですか………ふぅぅむ」
それまで苦虫をすり潰した様な顔で話を聞いていた氏家は、背もたれに一度深く背中を押し付けた後、ゆっくりとこちらに顔を近づけた。悪戯小僧のように目を細めるその顔には不気味な笑みが浮かんでいる。
「でもまた受けた………そしてあなたは受かった」
目の前にぬっと突き出された奇妙な表情につられ、こちらの頬の筋肉も思わず緩む。氏家はその様子を横目でちらりと確認し一瞬ホッとした顔を見せるが、すぐさま眉を八の字にして問いかけてくる。
「しかし解せませんね……一旦そこまで気持ちの整理をつけた後に、どうしてまた苦行みたいな芸大受験に挑む気になれたんです?……全く話がつながらないですよね」
「そうですよね。……自分でも実はよくわかってないんです。なぜあの状態でそんな気になれたのか……ただ、3度目のチャレンジの時は『何がなんでも受かりたい』とか、そういう熱い思いが全然なかったんです。……実際、金の準備すらまともにしてない状態でしたから苦行とかでもなくて………何と言えば良いんしょう?ただ『もう一度受けなければ』って一念に突き動かされて、気付いたら願書を出してたっていう感じだった訳で…」
「それ!そこですよ。そこが知りたいんです。大敗退して『受かりたい』って気さえ失せた人間がどうしてまた『受けなきゃ』って気持ちになれたのか?が謎なんです」
「きっかけがあったんです。……すごく大きなきっかけが」
「?」
「手紙が届いたんです」
「手紙?」
※※※※※※※※
「………なんだ、まだ6時前かよ……」
接触不良の扇風機はいつの間にか止まっており、余りの蒸し暑さに変な時間に目が覚めてしまった俺は、無駄とわかりつつその老いぼれを数回小突いてみる。
目をしばつかせながらもう一度時計の方に眼をやると、その下の四角い物体が何かを主張する様にひらりと手招きしてくる。パチンコ屋でもらった日めくりカレンダーは1週間前から指に掠められる事すら無いまま7月の終わりで時を止めていた。
「久しぶりに日雇いでも出るか……」
拳の怪我の塩梅はそれなりに良くなってきていたから、簡単なバイトは既に再開していた。俺は右手をグーパーしながら昨晩郵便受けからごっそり持ってきた郵便物の束を確認する。
「?………KENYA画廊?」
俺は机の上に広げたどうでもよいチラシたちを脇に除け、その怪しい手書きの郵便を慎重に右手で開封する。中から出てきたのは一通の手紙だった。
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池矢 創 様
はじめまして。
私、新宿の小さな画廊につとめております清野と申します。
突然のお便りで大変失礼いたします。
実は春に行われた世紀展の選考会に関わっており、その際に貴殿の作品を拝見させていただきました。世紀展の方では残念ながら選考から外れてしまわれましたが、この秋、私どもの画廊主催で若手作家を集めた〝人物画展〟という小さな展覧会を開催します。
よろしければ是非そちらに出品して頂きたく思い、ぶしつけではございますがお便りさせていただいた次第です。
もしご興味ありましたらご連絡ください。
電話: 975-○○○○
新宿KENYA画廊 清野澄代
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その予想だにできない内容と、あまりに突然な申し入れに一瞬頭が真っ白になるが、状況を飲み込んだ俺は、高まっていく鼓動を強引に抑え込みながら自分に言い聞かせていた。
「何だってんだ……今さら」
指の角度と力の入れ具合によっては未だに鋭い痛みが走る、いわば『ガラクタ』と化してしまった右手をじっと見つめ、俺はしばらく途方に暮れてしまう。
――もう全て終わっただろ――
どこにもぶつけようのない怒りにも似た感情が湧き上がってくる。
俺は未練がましい自分の意識を断ち切るように手紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てた。そして、その勢いのままに慌ただしくジャージに着替え、軍手や手ぬぐい、タオルなどの〝肉体労働グッズ一式〟をスポーツバッグにねじ込むと、逃げるように家を後にした。
(つづく)
◆あとがき◆
日曜日に急な要件が入ってしまい、まる3日ほど執筆作業ができませんでした。
今週末の土、日曜は、丸々時間が空いているので話を進める大チャンス!
がんばるぞー! (^v^)
(何とかもう一話、今日の夜中に追加しておきたいな~…)




