第三十話: 池矢 創 ⑭
◆まえがき◆
飲み屋の喧騒の中で我に返った池矢。
果たしてこの後はどんな展開になる?
では「池矢の章、第十四話」
お楽しみください!
※※※※※
錆びついて軋むアパートの鉄階段を駆け上がり、2階奥の木製のドアを乱暴に押し開け、薄暗い台所に飛び込むなりチラシ屑だらけのゴミ箱を漁る。
「これ捨ててどうすんだって………間抜けヤロウが」
俺は紙屑の中から拾い上げた手紙とそれが入っていた封筒を手に、部屋の隅に無造作に置かれたパイプ椅子に腰掛ける。封筒の上部の消印を確認すると手紙が10日ほど前に投函された事がわかる。
「秋の展覧会って書いてあるし……まだ大丈夫だよな」
ふと壁の方に目をやる。時間はまだ9時前だ。
止まっていた脳細胞がいきなり動き始めたかのように、頭が高速に回転しだす。
――確か、手つかずのカンヴァスが何枚か残ってたはず…――
俺は隣の和室に駆け込むと、押入れの端に段ボールで作ったカンヴァス置き場を探る。
「あった」
記憶は正しく、試し描きで潰した何枚かの作品の中にまだ何も描かれていない数枚のカンヴァスを発見する。俺はそこから一番大きなF15号を引き出した。
「70×50くらいあるからな。……このサイズなら十分だろ」
台所に戻った俺は、トイレ横に立掛けて放置されていた大型イーゼルを組み経るとそれを部屋の中央に設置し、15号カンヴァスの上部にフックを噛ませる。
――ふぅ…――
暫く無地のカンヴァスを見つめた後、俺は右手の指を一本一本ゆっくりと動かしていき、それぞれの曲がり具合と痛みの状態を慎重に確認していく…
「痛っ」
動かせる範囲は怪我の前の半分足らず、未だ痛みが走る動きも若干残ってはいるものの、絵筆を操作できないほど後遺症が残っている訳では無い事が判る。否、実は判ってはいたが、あえてそれらを拒絶していただけだった。
「……とりあえずベースだけでも作ってしまうか」
俺は久しぶりに引っ張り出した画材箱をかき分けて、中から必要な素材を取り出すといつものように画面を漆黒で塗りつぶしていった…
※※※※※
―次の月。(九月・新宿KENYA画廊)―
『銀の河』と命名したその絵は〝巨大なバラの谷間に座して銀色の大河を指し示す男〟を描いた幻想画だった。
展覧会に出品したその作品に買い手がつく事は無かったが、この一連の出来事は、自暴自棄になり半年間も腐っていた俺を叩き起こす起爆剤になってくれたばかりか、俺の気持ちを大きく変化させる重要なきっかけをくれた。
展覧会最終日、作品搬出で画廊に到着した俺の心は久々に晴れ晴れしていた。
「また何かあったらお声かけしますね」
「ありがとうございます。……手紙……本当に感謝してます」
「手紙……ああ、あの手紙。ぶしつけですみませんでした…………また、大きいのにもチャレンジしてくださいね」
画廊を後にし、新宿からJRに乗った俺の足は自宅ではなく浅草方面へと向かっていた。
――まだやれる――
気が付くと俺は、高校時代に少しの間「石膏デッサンの勉強」で通わせてもらった浅草にある激安絵画教室の門を再び叩いていた。
「え?また芸大受けるの?……池谷君、今2浪って言ってたよね……いや~芸大か~、ウチは芸大コースとかそういうのは無いけど、それでいいの?」
「また少しの間、デッサンの勉強できれば……それだけで十分なんで……」
〝後悔が残らないよう何もかも出しきろう〟
そこから先、受験が終わるまで俺を突き動かしたのはその一念だけだった。
合格とか不合格とかそんな事はもうどうでも良かった。
その時は、そんな悠長な事を考えている余裕がないほどの強烈な力が俺の背中を押していたのだ。
※※※※※※※※※※※※※※※
「その浅草の絵画教室ってのは?…」
お前は一体どの時点で試験に合格したんだ?という気持ちがあからさまに態度に出てしまっている氏家は、食いつき気味に前のめり状態で俺の話を急き立てる。
「高校の美術教師に教えてもらったんですが、当時、破格で通える絵画教室があったんです。毎週末、週一で通って、たしか月謝が2万円しなかったような……」
「え!?確かに安い!……というか、安すぎじゃないですか?それって?」
「ええ。……本当に苦学生達が集まって頑張ってるって感じの教室でしたね……決してキレイとは言えない小さいガレージの中に石膏を並べて、それを皆で描くって感じの不思議な場所でした。……懐かしいな」
「なるほど。そこで鍛えて再受験したって事ですね。…で、3回目の受験で合格した………って事ですか?」
氏家は若干不安そうに上目使いで問いただす。
「はい。そこでやっとこ受かりました」
「受かった…いやー、やりましたね!…良かった良かった。池矢さんの話の流れだと一生受かんないんじゃないかって、……内心ハラハラしましたよ」
俺の返答を聞いて氏家の表情は一気に綻び、満足気な様子でお代わりしたギムレットにやっと口をつける。
「あの~……変な事聞いてイイですか?」
氏家は傾けたグラスを直ぐに口元から離すと、再び真顔で尋ね始めた。
「どうぞ」
「試験に受かった後のお金はどうしたんですか?……さっき、3回目の受験の時は金の事は何も考えてなかったって言ってましたけど…」
「鋭い質問ですね。実は、そこが一番大変でした。一応、奨学金は借りれて入学はできたんですが、奨学金とバイト代だけじゃ直ぐにうまく回せなくなりまして……そのせいで、割と早い時期から学校に行く目的が〝絵の勉強の為〟じゃなく〝単位を落とさない為〟に代わってしまったんです」
「なるほど。……でも得るものもあったでしょう?なんせ天下の芸大なんですから」
「普通は…普通は皆そう思いますよね」
今度は俺の方が口ごもる。氏家は真剣な眼差しで俺の次の言葉を待った。
「4年で卒業できたんで、一応〝芸大卒〟って言う聞こえの良い肩書は付きましたけど、正直なところあそこで得たものは殆ど無かったというか……いや、逆にマイナスだったかな」
「マイナス!?」
氏家はギョッとした様子で目を丸くする。
「変な話、語学とか体育とか、…そういうのも卒業するための必修科目だったんですが、その単位を取るのが厳しくて苦労しました」
「体育!?……芸大でもそんなのに厳しいんですか?」
「はい。出欠日数で言うなら体育が一番厳しかったですね。…少なくとも私の時代はそうでした」
「へー。なんかちょっと意外です。…芸大でもそんな感じなんだ……」
「もちろん、ちゃんとした専門知識の講義もありましたけど、必修科目に入っているのは、その中の基本的なごく一部だけなんです。専門知識はあくまでも学生主体で自分で選んで決めて受講するって形でした」
「なら全然良いじゃないですか。…空いてる時間でそういう講義を受けられたんですよね?つまりは」
「確かに進級や卒業を考えなければ可能でしたよ。……ただ、必修授業の量が結構ある上に、進級する為の最低限の制作課題もありましたからね。私の場合『生活費』を稼ぎながらでしたから、『進級してちゃんと卒業する』ってだけでも相当な至難の業だったんです」
「つまり、受けたい講義もろくに受けられなかったと?……時間は4年間もあったのに??」
「全部自分のせいではあるんですが、正直最低な4年間でした。……折角苦労して芸大に入ったってのに、最先端の講義を受けながら楽しそうに学生ライフをエンジョイしてる同期生たちを横目に『金』に奔走する毎日を過ごさなきゃならん訳ですから…」
「……そりゃ確かに、酷ですね」
動揺した素振りを見せる氏家をよそに、俺は堰が切れたように話しを続けた。
「そうそう、芸大には“古美術研究旅行”っていう必修授業がありましてね、合宿形
式で京都とか奈良の古い仏閣を見学して廻るんですが、その費用は授業料に関係なく
徴収されるんです。その時なんかはホントに悲惨でしたよ……色々訳あって途中で一団から外れて東京に戻って、皆が一番盛り上がってるだろう最終日は、新宿でビル掃除をしてましたから」
「ビル掃除!?」
話を聞いていた氏家はそう絶句すると、視線をグラスに移し、その姿勢のまましばし置物の様に固まった。俺はなんだか氏家が気の毒になり、慌てて話題を切り替える。
「まぁ、ちょっとした良い事もありましたよ。……芸大って、道路を挟んで〝美術〟を学ぶ『美校』と〝音楽〟を学ぶ『音校』に分かれてるんですけど、双方の校舎への行き来は完全に自由なんです。それで、授業に空き時間ができたりするとよく音校の方にフラッと遊びに行って上質の演奏をタダで聞いたりして……無駄に優雅な雰囲気だけは味わえてました」
「……はぁ……いやぁ、なんですかねぇその状況は、うーーーん……」
氏家の表情から悲壮感が抜け、だんだんと呆れ顔に変わっていく。
その何とも気の抜けたような表情に、俺は少し笑ってしまう。
「何笑ってるんですか………ちっとも笑える話じゃないでしょ、あなたの話は」
こちらにつられたのか、氏家の頬の緊張も一気に緩む。
「ああ、……そう言えば〝高瀬次朗〟が同じ時期に芸大に通ってましたよ。よく美校の汚い学食の方に遊びに来てたんですけど、彼が何かの時にいきなり椅子の上に飛び乗って凄い演奏を始めた時はたまげましたね~……『うわ、天才だ』って」
「え!?……高瀬ってあのバイオリニストの?……クリストファー・カントリーの高瀬次朗ですか?」
「そう、それです……学年的には向こうが一個上だったかな?…とにかく、校内のあっちこっちで鼻歌うたうみたいに軽快にバイオリン弾いてましたよ。……彼、当時はすごくスレンダーだったんです」
「え?痩せてたんですか?……高瀬が?」
「ええ。バイオリンも当時のが軽やかでしたっけ……何というか、モーツアルトとかを連想させるキャラクターでしたね」
「ほ~。……つまり当時は芸術家の卵たちに囲まれてはいた訳ですねぇ………ですがう~ん、何と言いますか………」
「なんです?」
「なんとももったいない話ですよ………ほんとに」
そう言って氏家は自分の頭をくしゃくしゃっと数回掻きしだいた。
氏家の納得いかない様子をよそ目に、俺はぼそっと吐き捨てた。
「芸大受験自体が間違ったチョイスだったのかもしれませんね……私の場合は」
(つづく)
◆あとがき◆
今回の表紙は、遥か昔、私が大学に提出した手製の『解剖学ノート』で作成してみました。
(出てきたので載せちゃいました…(^_^;)汗)
次回は27日くらいにUP予定です。
お楽しみに!(^v^)




