第七声
東堂家の庭。
祭りの準備をしながら、朔弥が志穂に聞く。
「志穂ちゃんって、本当にあと二年で死ぬって思ってるの?」
志穂は少し笑う。
「思ってるっていうか……仕方ないかなって。」
「そんな簡単に受け入れられる?」
「だって、今まで誰も助からなかったから。」
「お兄さんも?」
「はい。」
志穂は遠くを見る。
「兄は二十四歳になってから、急に耳が悪くなったって言ってました。」
「耳が悪く?」
「違うかな……。」
少し考えてから首を振る。
「音が増えたって言ってました。」
朔弥の手が止まる。
「音?」
「時計の音が大きい。風がうるさい。お母さんがお茶を置く音が頭に響く。自分の心臓がうるさい。そんなことばっかり言うようになって。」
「それから?」
「声が聞こえるようになったって言ってました。」
「どんな?」
「最初は意味が分からなかったって。ぼそぼそ喋ってるだけ。でも日に日に、一つずつ言葉が分かるようになったと。」
「最後は?」
志穂は少し黙る。
「……兄は誰かが、毎日名前を呼ぶって言ってました。昼も夜も眠っていても目を覚ましても、ずっと。」
「返事したの?」
「分かりません。兄は最後まで『してない』って言ってました。でも……。」
志穂は小さく息を吐く。
「死ぬ前の日、兄、一人で部屋で喋ってたんです。」
「何て?」
「“分かった”って。次の日、兄は死んだんです。」
朔弥の背中を冷たい汗が流れる。
その時耳元で
──朔弥。
初めて、今世の名前で呼ばれた。
「志穂ちゃんは、今、声が聞こえたりは……?」
志穂は少しだけ考え、ゆっくりと首を横に振った。
「兄が聞いていたような『声』は、まだ聞こえていません。でも……さっき……。」
志穂は自分の足元を見つめた。
「自分でも分からないんです。何に対して『いいよ』って返事をしたのか……。」
やはり、あの声は聞こえていなかった。
なのに、返事だけをさせられた。
「なにか」に言わされたのか。
声が聞こえるかどうかは関係ない。
東堂の血を引く者なら、いずれ誰もが侵されるということなのか。
志穂が顔を上げ、恐る恐る尋ねた。
「あの……朔弥さん。」
「うん?」
「もしかして朔弥さんも……何か、聞こえたりしますか?」
心臓が大きく跳ねた。
聞こえる。
この屋敷へ入ってから、ずっと。
意味のない囁きも、意味のある言葉も。
それでも――。
「……聞こえない。」
できるだけ自然に答えた。
「俺には、何も聞こえないよ。」
嘘だった。
ここで「聞こえる」と口にした瞬間、何かに見つかる。
そんな気がしてならなかった。
聞こえていることを知られたくない。
あの「声」にも、この村にも、そして、東堂家にも。
もし、俺にも東堂家の人間と同じ現象が起きているのだとしたら。
返事をした瞬間、俺も――。
背中を冷たい汗が伝った。
蝉の鳴き声が、やけに耳に刺さる。
「志穂、今日は本当にここに泊まってもいいの!?」
不意に、美織が明るい声を上げた。
重苦しい空気が少しだけ和らぐ。
「え? あ、うん。もちろん。部屋はたくさん余ってるから、好きな部屋を使って。」
志穂はそう言って微笑んだ。
そして、ふと思い出したように屋敷の方を振り返る。
「じゃあ私、祭壇の蝋燭をつけに地下へ行ってくるね。」
「え?」
美織が首を傾げる。
「お籠もりは夜十二時からなんでしょ?」
「うん、そうなんだけど……。」
志穂は少し困ったように笑った。
「祭壇の蝋燭は、祭壇を設置したらいつ灯してもいいの。
兄がね……祭壇に蝋燭を灯している間だけは、『声』が聞こえなくなるって言ってたから。だから、少しでも長く灯しておこうと思って。」
その言葉には、祈るような響きがあった。
「じゃあ、私行ってくるね。二人は泊まる部屋を選んでて。」
そう言って志穂は、一人、屋敷の方へ歩いて行く。
その後ろ姿を、美織は何も言わず見つめていた。
「……美織。」
「ん?」
「大丈夫か?」
美織は小さく笑った。
「昔から志穂に話は聞いてたけどさ……。」
笑顔は、すぐに消えた。
「やっぱり、きついよ。」
「そうだよな。」
「訳の分からない呪いに、訳の分からない村のルール。」
少し間を置いて、美織はぽつりと呟く。
「そんなもののせいで、大切な友達が死ぬなんて……嫌だよ。」
俺は何も言えなかった。
その時だった。
頭の奥で、誰かが囁く。
──帰ってきたね。
──今日は、帰らなくていいよ。
──今度は、ずっと一緒だから。
──また、お話しよう。
甘く誘うような声。
耳ではない。
脳の奥へ直接染み込んでくる。
俺は奥歯を噛み締めた。
返事さえ、しなければいい。
そう自分に言い聞かせながら。




