第六声
祭壇を運び終えたあとも、供物や提灯、祭具など細かな荷物を何度か運び、ようやく準備が一段落した。
俺たちは庭に面した広い和室へ通され、昼食をご馳走になっていた。
外では祭りの準備をする村人たちの声が聞こえる。
笑い声。
太鼓を試し打ちする音。
子どもたちのはしゃぐ声。
にぎやかなはずなのに、その音の隙間からは相変わらず、あの「声」が漏れ聞こえてくる。
世間話がひと段落したところで、俺は遠慮がちに口を開いた。
「あのさ……答えづらかったら無理に答えなくていいんだけど。」
志穂が顔を上げる。
「この祭りとか、東堂家の儀式って……どういう意味があるの?」
美織と志穂は顔を見合わせた。
少し迷ったような沈黙のあと、静かに口を開いたのは志穂だった。
「東堂家は……昔から呪われていると言われています。」
「呪い……?」
「東堂家の直系の人間は、二十五歳を迎える前に亡くなるんです。」
思わず箸を置いた。
「二十五歳までに……?」
「はい。」
志穂は淡々と頷く。
「私は今年、二十三歳です。」
その一言だけで十分だった。
あと二年。
そういう意味なのだと理解する。
「そんな……。」
言葉が続かなかった。
「何とかならないの? 回避する方法とか……。」
志穂は小さく首を振った。
「今まで、一人もいません。」
静かな声だった。
諦めきった人の声だった。
隣で美織が俯いている。
この話を何度も聞いてきたのだろう。
「じゃあ……。」
俺は地下の部屋を思い出した。
「あの儀式は?」
「東堂家の人間は、亡くなる前になると『声』が聞こえ始めるそうなんです。」
「声?」
「はい。」
志穂は頷く。
「誰もいない場所から聞こえる声です。」
「何て言うの?」
「……分かりません。」
「え?」
「兄は、『声が多すぎて聞き取れない』と言っていました。」
その言葉に、心臓が強く脈打つ。
声が多すぎる。
聞き取れない。
どこかで聞いたことがある。
いや。
知っている。
「だから、この祭りがあるんです。」
志穂は庭へ視線を向けた。
太鼓の音が響く。
笛が鳴る。
子どもたちが笑う。
「昔は、この祭りを『音隠し』と呼んでいたそうです。」
「音隠し……。」
「村中で音を鳴らし続けるんです。」
「どうして?」
「静かになると、『声』が近付くから。」
部屋の空気が一瞬、重くなった。
「だから太鼓を叩いて、笛を吹いて、お酒を飲んで、大声で笑って。」
志穂は寂しそうに笑う。
「賑やかなお祭りじゃないんです。『声』を隠すためのお祭りなんです。」
思わず鳥肌が立った。
祭りは祝うためのものだと思っていた。
違う。この村では。
恐怖をごまかすために、人は笑っている。
「じゃあ……。」
俺は地下の祭壇を思い出す。
「あの部屋へ籠もるのは?」
「あの祭壇の真ん中に、大きな木箱がありましたよね。」
「ああ。」
「あの箱だけは、絶対に開けてはいけないと代々言われています。」
「中身は?」
「誰も知りません。」
「え?」
「歴代の当主も知らないそうです。」
ぞくりとした。
「箱の中には、何百年も前、常に『声』を聞いていたというご先祖様の遺品が納められている、とだけ伝わっています。そのご先祖様が……。
私の代わりに、『声』を聞いてくださるように。」
志穂は静かに俯いた。
「少しでも私に『声』が届かないように。少しでも、生きられるように。」
その言葉に、誰も返事ができなかった。
庭では太鼓が鳴り続けている。
その音の向こうから。
ぼそり、と。
誰かが俺の耳元で囁いた。
──まだ、開けるな。
その時だった。
東堂家の外――。
はるか山の方から、子どもの声が聞こえた。
──そっちへ行っていいかなぁ。
俺は思わず顔を上げる。
祭りの準備をしている子どもが、山の向こうから誰かを呼んでいる。
そう思えるほど、ごく自然な声だった。
──ねぇ。
──そっちへ行ってもいい?
声だけが、妙にはっきり聞こえる。
姿は見えない。
それでも、まるですぐ近くで話しかけられているようだった。
──いいよねぇ?
美織も志穂も、何事もないように話を続けている。
聞こえていないのか。
それとも、この村で生まれ育った人間は、「姿が見えない者の声には返事をしない」という決まりが、もう呼吸のように身に染みついているのか。
その時だった。
志穂が、ぴたりと話すのをやめた。
「志穂?」
美織が不思議そうに顔を覗き込む。
志穂はどこも見ていない。
虚空を見つめたまま、小さく口を開いた。
「……いいよ。」
ぞくり、と背筋が冷えた。
今のは――。
まさか。
その声に、返事をしたのか。
「え? 何が?」
美織だけが状況を理解していない。
その瞬間。
ダッ。
山の方から、何かが駆け出した。
ダダッ
ダダダダダ……
音だけが、一直線にこちらへ向かってくる。
速い。
異常な速さだった。
木も、斜面も、道も関係ない。
一直線に。
真っ直ぐ。
東堂家へ。
ダダダダダダダダダダ――ッ!!
来る。
身体が勝手に強張る。
頭の中は真っ白だった。
だが、次の瞬間には口が動いていた。
「あ、ありがとうございます! じゃあ、お言葉に甘えて今日は泊まらせてもらいます!」
自分でも驚くほど大きな声だった。
志穂が「いいよ」と言ったのは、その返事だった。
そういう流れに、無理やりでも変える。
効く保証なんてない。
それでも、そうするしかなかった。
ジャジャジャジャジャジャジャッ!!
庭の玉砂利を、何かが猛烈な勢いで踏みしめる音が響く。
近い。
近い。
もう目の前だ。
あと一歩。
あと半歩。
――止まった。
ぴたり、と。
世界から音が消えた。
次の瞬間。
──チッ。
耳元で、誰かが舌打ちをした。
全身の毛穴が一斉に開く。
冷たい汗が背中を伝った。
やがて、
ジャリ……
ジャリ……
ジャリ……
今度はゆっくりと、玉砂利を踏む音だけが庭の向こうへ遠ざかっていく。
それも、やがて聞こえなくなった。
重苦しい静寂だけが残る。
「え……?」
志穂がゆっくりと瞬きをした。
焦点の合っていなかった瞳に、少しずつ光が戻る。
「あ……ああ。もちろんです。泊まっていってください。」
どこか戸惑ったように言う。
「え?」
今度は美織が首を傾げた。
「ちょっと待って。何その流れ。泊まる話なんてしてた?」
俺は乾いた笑みを浮かべた。
「いや……なんとなく。」
「なんとなくって何よ。」
美織は呆れたように笑う。
志穂も、小さく笑った。
その笑い声だけが、妙にぎこちなかった。
俺は笑えなかった。
耳の奥ではまだ、さっきの舌打ちだけが、いつまでも残響のように響いていた。




