第三声
しばらく車を走らせる。その間も、俺の耳には「声」が聞こえ続けていた。
やがて視界の先に、大きな鳥居が見えてくる。その下では数人の村人が何やら話し込んでいた。
「朔弥。ちょっと止めて。」
美織は鳥居の方へ視線を向けたまま言った。
「友達。ちょっと行ってきていい?」
美織が指差した先を見ると、鳥居の下に集まる村人たちの姿があった。おそらく、その中に友達を見つけたのだろう。
「おう。行ってこい。」
「ありがと。行ってくる!」
そう言うなり、美織はドアを開けて車を降りていった。
「志穂ーー! 久しぶり!!!」
「美織ちゃん!? いつ帰ってきたの?」
「たった今! お祭りの準備?」
「うん。やっとひと段落ついたところ。」
美織は若い女性と楽しそうに話している。
化粧っ気のない、どこか素朴な雰囲気の女性だった。
いつもカラコンにマツエク、ばっちりメイクの美織を見慣れているせいか、
(本来、女の顔ってのはあんな感じなんだよなぁ。)
と、どうでもいいことをぼんやり考えていた、その時だった。
───おかえり。
男とも女とも分からない、無機質な声だった。
思わず辺りを見回す。
この村に入ってから「声」は聞こえていたが、意味が分かる言葉として聞こえたのは初めてだった。
しかし、その声はすぐに意味を持つのか分からない無数の「声」に埋もれていく。
(おかえり? おかえりって誰が? 美織に言ってんのか?)
その時、不意に車のドアが開いた。
「ねえ、朔弥。志穂、車で送ってあげてほしいんだけど。」
美織の後ろで、志穂と呼ばれた女性が軽く会釈をする。
「ん? ああ。いいよ。乗って。」
「いいって! ほら、乗って乗って!!」
美織が後部座席のドアを開け、志穂の背中をそっと押した。
「すみません。お願いします。」
志穂は控えめな声で礼を言い、後部座席へ乗り込む。
美織も助手席へ戻った。
「あのね、この道をまっすぐ行くと、めちゃくちゃ長い塀があるの。その先の門が志穂の家の玄関。」
「へえ。志穂……ちゃん? お金持ちとか名家の娘なの?」
「い、いえ。そんな、大した家じゃ……。」
「なーーに言ってんのぉ! 朔弥、志穂の家はねぇ、ここら一帯の土地持ち大地主なの。」
「へえ。すごいじゃん。大地主の娘とか初めて見た。だから物静かでお淑やかなんだね。うちの美織とは大違い。」
「ちょっと、まるで私がうるさいみたいじゃん。」
「うるさいだろ。たまに”こいつは喋り続けないと死ぬんだろうか”って本気で思うことあるし。」
「朔弥が静かすぎるの! 朔弥が喋らないから私が喋ってるんだから!」
そんな俺たちのやり取りを、後部座席で志穂はにこにこと眺めていた。
しばらく進むと、美織の言った通り立派な塀が姿を現した。
「マジで塀、長いね……。」
「でしょ? 志穂の家は庭も屋敷もめちゃくちゃ広いの。蔵とか座敷牢とかあるんだから!」
「座敷牢!!!??」
現代では滅多に耳にしない言葉に、思わず大きな声が出た。
「も、もちろん、今は使われてませんよ。牢っていうか、窓がない部屋って感じなだけです。」
志穂が慌てて両手を振りながら否定する。
やがて塀の先に、立派な門が見えてきた。
「送っていただいて、ありがとうございました。美織ちゃん、また明日ね。」
そう言って志穂が車のドアをゆっくり開け、外へ降りた。
その瞬間だった。
「声」が一斉に俺の耳へ飛び込んでくる。
「もうすぐだ。」
「腹減ったなぁ。」
「憎い憎い。」
「わしは悪くない。」
無数の声。
だが今度は、どの声もはっきりと聞き取れる。
さっきまで聞こえていた「声」とは、別なのか?
俺は思わず片手で耳を塞いだ。
「朔弥? なに、どうかしたの?」
美織が怪訝そうな顔をし、志穂も不安そうに俺を見つめる。
「え、あー……いや、耳の近くに虫の羽音が聞こえてさ。逃したっぽい。」
「ちょっとぉ、素手で虫とか潰さないでよ? 気持ち悪いじゃん。」
美織が顔を引きつらせる。
「潰せてないから、大丈夫。」
俺は手のひらを広げて見せた。
ドアの外の声は、
まだ、聞こえ続けている。
志穂を降ろし、再び車を走らせる。
「声」が遠ざかる。
しかし、意味を持たない「声」はまだ聞こえたままだ。
(何なんだ、この村は。)
すると、不意に美織が口を開いた。
「志穂に会えるのは、今回で最後になるのかな………。」
不安が滲んだ声が、車内に落ちた。




