第二声
八月十一日。
俺と美織は有給を使って、一足早い盆休みに入った。
十三日まで美織の実家で過ごし、残りの休みは自宅でゆっくりする予定だ。
「あっ、朔弥! そこのコンビニ寄って!」
助手席の美織が慌てたように叫んだ。
「びっくりした。急に大声出すなよ。」
「ごめん。でも、このコンビニ逃すと実家までコンビニないんだもん。トイレ行きたい。」
「そんな田舎なのかよ。」
「そうなの。」
「じゃあ、俺はコーヒーでも買ってくる。美織は?」
「私はいい。またトイレ行きたくなったら困るし。」
そう言って美織は小走りで店へ向かった。
「……暑っ。」
車を降りると、湿気を含んだ熱気が肌にまとわりつく。
全国チェーンのコンビニではあるものの、建物はかなり小さい。
自動ドアには、
『クレジットカード・電子決済使えません。現金のみ』
と手書きの紙が貼られていた。
「ここでも十分田舎だろ……。」
店内には俺と美織だけ。
外を見ても車はほとんど走っていない。
「静かだな。」
独り言を漏らしながら店に入る。
「いらっしゃいませ。」
レジでは真っ白な髪のお婆さんが、年季の入った制服姿で会釈した。
冷蔵庫からブラックコーヒーを一本取り、レジへ向かう。
「お兄さん、さっきトイレ入った子の彼氏さん?」
「ええ。」
「この先の村の人かい?」
「いや。彼女の実家がこの先なんです。俺は付き添いで。」
「ああ、そうかい。」
お婆さんはにこりと笑った。
「最近は若い人なんてほとんど来ないからねぇ。嬉しくてつい話しかけちゃった。」
「朔弥、お待たせ。」
美織が戻ってきた。
「お婆さん、ありがとうございました。」
「気を付けて行くんだよ。」
店を出ると、また湿った空気が全身を包む。
二人で慌てて車へ乗り込んだ。
「暑いねぇ。」
「美織の村まであとどれくらい?」
「村までは四十分くらいかな。家までは一時間。」
「二十分も違うの?」
「村自体が広いの。集落は一番奥だから。」
「『ようこそ○○村へ』って看板から二十分?」
「そうそう。」
エアコンの風に髪を揺らしながら、美織は笑った。
◇
四十分後。
山道を走っていると、二股に分かれた道が現れた。
「美織、どっち?」
「右ー。」
ウィンカーを出す。
カチ、カチ、カチ……
「……?」
思わず手元を見る。
「どうしたの?」
「いや……。」
カチ、カチ、カチ……
「ウィンカーの音……こんなに大きかったっけ。」
「え?」
「いや、何でもない。」
美織は首を傾げる。
「いつもと同じじゃない?」
「……そうか。」
気のせいか。
そう思い、右へハンドルを切る。
タイヤが路面を転がる。
ザリ……
「……。」
もう一度。
ザリ……
「何だ?」
舗装されたアスファルトだ。
砂利道じゃない。
それなのに、タイヤが砂利を踏むような音が耳に残る。
さらにアクセルを踏む。
ザリザリザリ……
思わずブレーキへ足が伸びた。
「きゃっ!」
車が減速する。
「もう、びっくりしたぁ!」
美織が髪を整えながら笑う。
「急にどうしたの?」
「今……道路。」
「道路?」
「砂利道かと思った。」
美織は窓の外を見た。
「ちゃんと舗装されてるよ?」
俺も見る。
確かに黒いアスファルトが続いている。
「田舎だからって馬鹿にしてる?」
「違う違う。」
苦笑しながら首を振る。
「何て言うんだろ……音だけ砂利道だった。」
「静かだからじゃない?」
「静か?」
「街って色んな音があるでしょ? ここは静かだから、一つ一つの音が目立つんじゃない?」
違う。
そういう聞こえ方じゃない。
けれど、説明できる言葉が見つからなかった。
「……そうかもな。」
車をゆっくり走らせる。
エンジンの低い振動。
タイヤが路面を撫でる音。
エアコンの風。
シートベルトが衣服を擦る音。
美織が前髪を耳へ掛ける音。
今まで気にも留めなかった音が、一つ、また一つと耳へ入り始める。
その中に混じっていた。
誰かが話している。
男か女かも分からない。
何を言っているのかも分からない。
ただ、小さく。
ぼそぼそと。
耳の奥で囁いている。
気のせいだ。
そう思っても、車を走らせるほど、その声は増えていく。
一人。
また一人。
また一人。
俺は無意識にハンドルを握る手へ力を込めた。
この音を。
この”うるささ”を。
俺は知っている。




