第二十一声
「美乃さんが、昔聞いたことがあるという話について、一度整理させてください。」
俺は額に手を当てながら、ゆっくりと言葉を並べた。
「奥の村の『姿が見えない相手には返事をしてはいけない』というルールを破ると、山に住む何かに殺されたり、攫われたりする。そう聞いたんですね?」
「ええ。」
美乃さんは頷いた。
「そして、そのルールを破った者が殺されたり攫われたりする代わりに、別の誰かが身代わりになる。だから、その一族は短命だと……。」
「そう聞いたわ。」
志穂が小さく呟いた。
「じゃあ……東堂家は、山のモノに直接呪われているっていうわけじゃない……ってこと?」
「いや。まだ、そうとは言い切れないよ。」
俺は首を横に振った。
「身代わりになることそのものが、呪いなのかもしれない。」
そう言いながら、ふと引っかかった。
「……でも」
俺は志穂を見る。
「東堂家では、先祖が周囲の人たちに酷いことをして土地や財産を奪い、大地主になった。そのせいで恨みを買い、呪いをかけられた――そう伝わっているんだよね?」
「はい。」
志穂が頷く。
「それなら、東堂家を直接呪うんじゃないのか?」
俺は考えながら続けた。
「山に住む何かが、東堂家の先祖を恨んでいるのなら、どうして『姿の見えない相手に返事をした者』が対象になるんだ?」
「……。」
誰も答えられない。
「村人だろうと、東堂家の人間だろうと、ルールを破れば対象になる。それが本当なら、東堂家を恨んでいる者が山に住む何かだという話とは、少し噛み合わない気がする。」
志穂は黙ったまま考え込んでいた。
すると、美乃さんが戸惑うように口を開いた。
「私がだいぶ小さい頃に聞いた話だから……今の話とどう繋がるのかは、私にもよく分からないんだけどねぇ。」
「どんな話ですか?」
「もう六十年以上前になるのかしらねぇ。」
美乃さんは遠い記憶を辿るように、ゆっくりと話し始めた。
「昔、奥の村から中年くらいの男の人が一人、こちらへやって来たことがあったの。」
「こちらへ?」
「ええ。この辺りに来ても、ずっと空き地にある丸太に座っていてね。」
美乃さんは少し笑った。
「私はまだ幼かったから、どうしたんだろうって思ってね。何をしているのか聞いたのよ。」
俺も、美織も、志穂も、黙って美乃さんの言葉を待った。
「そうしたらね……確か、こんなことを言ってたと思う。」
美乃さんは記憶を確かめるように、ゆっくりと口にした。
「『身代わりの一族には、謝っても許してもらえねぇことをしてんだ、儂らは』って。」
「……謝っても許してもらえない?」
志穂が呟いた。
美乃さんは小さく頷いた。
「空き地の丸太に座っては、毎日毎日、『すまねぇ、すまねぇ』って言ってた気がするんだよ。」
「……。」
部屋に沈黙が落ちた。
志穂の顔が強張っている。
「朔弥さん……。」
「うん。」
「私……何が何だか、分からなくなってきました。」
「俺もだよ。」
正直に答えた。
奥の村で聞いてきた話よりも、今の美乃さんの話の方が、ずっと具体的だった。
そして何より、美乃さんは何かを濁したり、話を逸らしたりしているようには見えない。
警察官の杉山。
消防団員の斎藤。
二人とも、この村について何かを知っているようだった。
それなのに、俺が踏み込もうとすると、言葉を濁して話を終わらせようとした。
もちろん、ただ村の古い風習だから詳しく知らないという可能性もある。
けれど――。
もし本当に何かを隠しているのだとしたら。
美乃さんの話は、それを裏付けるものになる。
俺は今まで、東堂家の中に答えがあると思っていた。
東堂家は呪われている。
東堂家の血を引く者は、二十五歳までに死ぬ。
そして、その原因は先祖が犯した罪にある。
それが、この家で語り継がれてきた話だった。
けれど――。
東堂家の当主は、代々入れ替わりが激しい。
今、東堂家に住んでいる成人の多くは、他の土地から嫁いできたり、婿入りしてきたりした人間だ。
そんな人たちが、東堂家に何百年も伝わる歴史を正確に受け継いでいけるだろうか。
むしろ――。
この村で代々暮らしてきた人間たちの方が、古い話を知っているのではないか。
山に住む何かのことも。
東堂家の呪いのことも。
そして――。
東堂家自身が知らされていない、何かのことも。
「……もしかして。」
俺は小さく呟いた。
「この村の人たちは、東堂家に何かを隠しているんじゃないか?」
その考えが、頭から離れなかった。




