第十八声
「……っ、ふ……」
静まり返った居間に、小さく息を詰まらせるような声が漏れた。
見ると、志穂が肩を震わせていた。
「志穂?」
美織がそっと声を掛ける。
志穂は俯いたまま唇を噛み、やがて堪えていたものが切れたように美織の肩へ額を預けた。
「……美織ちゃん、ごめん……。」
震える声だった。
「私……大丈夫だって思ってた。」
美織は何も言わず、ただ志穂の背中に手を添える。
「小さい頃から、二十五までしか生きられないって言われて育ってきたから……。だから、覚悟はできてるつもりだった。」
志穂は苦しそうに息を吸った。
「でも……。」
肩がまた震える。
「さっきの足音を聞いたら……急に怖くなっちゃった。」
涙がぽたりと畳へ落ちた。
「もしかして……あれが私を迎えに来たのかなって……。」
かすれた声が続く。
「東堂家に来たってことは……私、本当に、もう死ぬのかなって……。」
その言葉を最後まで言い切ることはできなかった。
志穂は子どものように顔を覆い、静かに泣き崩れた。
「嫌だよ……。」
美織は強く志穂を抱きしめた。
「そんなこと言わないで。」
声まで震えている。
「志穂はまだ死なない。絶対に死なない。」
「でも……。」
「死なせないから。」
美織は泣きながら首を振った。
「私の親友なんだから。呪いなんかに負けるわけない。」
二人の姿を見つめながら、俺はさっきの出来事を思い返していた。
あの足音。
姿は見えなかった。
けれど、最後に聞こえた言葉だけは、今も耳の奥に鮮明に残っている。
――弥一郎様。
――山のアレに見つかる前に、お逃げください。
あの声は俺に逃げろと言った。
もし本当にあれが東堂家の者を害する存在なら、わざわざ警告などするだろうか。
もちろん断言はできない。
だが少なくとも、俺にはあの足音の主が志穂を殺しに来たようには思えなかった。
「……志穂ちゃん。」
志穂は涙を拭いながら顔を上げた。
「はい……。」
「俺も志穂ちゃんに死んでほしくない。」
その言葉に志穂は目を伏せた。
「美織だってそうだ。」
「もちろん。」
美織は力強く頷く。
俺は二人を見渡してから、静かに言った。
「志穂ちゃんは、自分の運命を受け入れようとしてきたんだと思う。」
志穂は小さく頷いた。
「でも、本当は怖かったんだよな。」
しばらく沈黙が続いたあと、志穂は震える声で答えた。
「……怖いです。」
「だったら。」
俺はゆっくりと言葉を続けた。
「最後まで抗ってみよう。」
志穂が顔を上げる。
「呪いのこと。この村のこと。東堂家のこと。まだ分からないことばかりだ。」
「……。」
「だったら全部調べよう。必ずどこかに、この呪いを終わらせる手掛かりがあるはずだ。」
美織もすぐに頷いた。
「そうだよ、志穂。」
志穂の両手を握る。
「二十五までなんて決めつけられて終わるなんて嫌だ。」
「……。」
「私も一緒に調べる。朔弥もいる。三人なら絶対何か見つけられる。」
志穂は何度も涙を拭った。
その瞳には、まだ恐怖が残っている。
けれど、それだけではなかった。
「……私。」
ゆっくりと息を吸い込む。
「もっと生きたい。」
その一言が、美織の涙をまた溢れさせた。
「もっと美織ちゃんと遊びたい。」
震える声で続ける。
「もっと、お母さんと一緒にいたい。」
そして、小さく、それでもはっきりと言った。
「死にたくない。」
その言葉は、この村で生まれ育ち、運命を受け入れるしかないと思い続けてきた志穂が、初めて自分自身の意思で口にした願いだった。
俺は静かに頷いた。
「だったら、終わらせよう。」
志穂はゆっくりと顔を上げる。
「この呪いを。」
ボーン、ボーン、ボーン――。
古びた柱時計が、重く時を告げた。
気づけば夜九時を回っている。
志穂が地下へ籠るまで、あと三時間。
誰も口を開かなかった。
先ほどまで交わしていた言葉の余韻が、まだ部屋の中に残っていたからだ。
やがて、美織が静かに顔を上げた。
「ねえ、志穂。」
「うん?」
「……今日も、やっぱり地下へ行かなきゃ駄目なの?」
志穂は少し考え、ゆっくりと頷いた。
「怖いけど……地下にいる間だけは、声も聞こえないって言われてるから。」
「でも……。」
美織は納得できないように俯く。
そこで俺は口を開いた。
「地下の部屋って、家族以外は入っちゃいけない場所なの?」
「いえ、そんな決まりはありません。」
「だったら、今日は俺も一緒に行く。」
「えっ?」
志穂も美織も同時にこちらを見た。
「一人で籠る必要はないだろ。」
美織は慌てて身を乗り出した。
「朔弥一人だけ行かせるなんて嫌だからね。」
「無理しなくていいぞ。」
「一人で屋敷に残る方が怖いもん。」
その言葉に、志穂が思わず吹き出した。
「……ふふっ。」
ほんの少しだけ、部屋の空気が和らぐ。
俺も笑ってしまった。
「じゃあ三人だな。」
実際のところ、俺には別の目的もあった。
あの地下室は、おそらく前世で弥一郎として暮らしていた場所だ。
あそこへ行けば、失われた記憶の続きを思い出せるかもしれない。
それに――。
あの声は、また俺に何かを伝えてくる気がしていた。
その時だった。
「そうだ。」
美織が何かを思いついたように立ち上がる。
「今のうちにコンビニ行こう。」
「コンビニ?」
「来る時に寄ったでしょ。」
「あのおばあちゃんがやってる店?」
「そう。」
「あそこ、ここから四十分くらいあったよな。」
「だから今のうちなの。」
「もう閉まってるんじゃないか?」
「まだ大丈夫。十一時までは開いてるから。」
俺は思わず苦笑した。
「二十四時間営業じゃないコンビニって、やっぱり田舎だな。」
「もう、その言い方!」
美織は頬を膨らませる。
「田舎で悪かったですね。」
「いや、悪いとは言ってない。」
「だったら早く車出して。」
「はいはい。」
二人のやり取りを見ていた志穂が、小さく笑った。
その笑顔は、今日一日で初めて見せた、少しだけ肩の力が抜けた笑顔だった。




