第十四声
夜七時を少し回った頃だった。
東堂家の呼び鈴が静かな屋敷に鳴り響いた。
玄関に立っていたのは、白髪混じりの警察官と、昼間に東堂家を訪れた消防団員の斎藤だった。
応対に出た志穂へ、年配の警察官がどこか申し訳なさそうに頭を下げる。
「こんばんは、志穂ちゃん。今日も夜からお籠もりなんだろう? 忙しい時に悪いんだが、少しだけ話を聞かせてもらえないかね。」
親しみのある呼び方だった。
この村で長く暮らしてきた人なのだろう。
「はい。どうぞ。」
志穂は静かに頷き、二人を応接間へ案内した。
座布団に腰を下ろすと、警察官は俺たちへ視線を向けた。
「君たちは志穂ちゃんのお友達かい?」
「友達は彼女の美織です。僕は付き添いみたいなものですね。」
そう答えると、警察官は美織の顔を見て目を丸くした。
「おや……美織ちゃんか。相馬さんのところの。」
「……はい。」
少し照れたように美織が笑う。
「いやあ、見違えたよ。すっかり綺麗になって。」
そして俺へ目を向けた。
「彼氏さんかな?」
「黒川朔弥です。」
軽く頭を下げる。
「黒川くんか。せっかく遊びに来てもらったのに、こんな騒がしいことになって申し訳ないね。本当なら、もっと静かな村なんだ。」
「いえ。それより……。」
俺は本題を切り出した。
「あの遺体の身元が分かったんですか?」
二人は一瞬だけ視線を交わした。
やがて杉山と名乗った警察官が、小さく息を吐く。
「山の入口近くで、遺体のものと思われる荷物が見つかってね。財布の中に免許証も入っていた。」
そこで言葉が止まる。
妙な間だった。
「免許証があったなら、身元は分かったんじゃないんですか?」
今度は斎藤が口を開いた。
「それが……何と言えばいいのかな。」
困ったように頬を掻く。
「免許証の顔写真と遺体は、確かによく似ているんです。でも……年齢が合わない。」
俺と美織は思わず目を見合わせた。
「……免許証のほうが若かったんですか。」
「え?」
斎藤が驚いた顔をする。
「なんで分かったんだい?」
美織が俺を一瞬見てから答えた。
「昨日、この家の門のところで男の人を見たんです。三十歳くらいに見えました。」
「……三十前後か。」
斎藤は腕を組む。
「惜しいな。」
「惜しい?」
「免許証では二十四歳だった。今年の十一月で二十五歳になる人だったんだ。」
二十五歳。
その数字が耳に入った瞬間、胸が嫌な音を立てた。
二十五歳になる前に死ぬ。
志穂が言っていた東堂家の呪い。
偶然とは思えなかった。
志穂が身を乗り出す。
「杉山さん、その人のお名前は? 住所はどちらなんですか?」
二人は少し驚いたようだったが、杉山が手帳を開いて答えた。
「森龍臣さん。住所は神奈川県になっている。」
「森……神奈川……。」
志穂は小さく繰り返したあと、ゆっくり首を横に振る。
「心当たりはありません。」
「そうか。」
杉山は残念そうに頷いた。
俺は別の疑問を口にした。
「でも、あの遺体はどう見ても五十代か六十代でしたよね。」
「ああ。」
杉山も深く頷く。
「第一発見者も『年配の男性が倒れている』と通報してきたくらいだからね。」
「免許証の写真は?」
「普通の青年だった。白髪もなければ皺もない。二十代そのものだよ。」
「免許証を盗まれた可能性は?」
「もちろん、それが一番考えられる。」
杉山は静かに続けた。
「ただね……。」
「はい。」
「写真が似過ぎているんだ。」
その言葉に、部屋の空気が重くなる。
「二十代の青年が、そのまま三十年、四十年と歳を重ねたら、こんな顔になるだろう——そう思えてしまうくらいにはね。」
「……僕も、そう思いました。」
昨日門に立っていた男。
あの男が、一夜で老いたようにしか思えなかった。
もちろん、そんなことが現実にあるはずはない。
だからこそ、不気味だった。
しばらく誰も口を開かなかった。
沈黙を破ったのは杉山だった。
「本当は、お母さんにも話を聞ければと思っていたんだが……。」
視線は奥の部屋へ向く。
志穂は申し訳なさそうに首を横へ振った。
「まだ……無理だと思います。」
「そうか。」
杉山は静かに息を吐いた。
俺は前から気になっていたことを尋ねた。
「杉山さんは、この村のご出身なんですか。」
「そうだよ。」
少し笑う。
「生まれてからずっとこの村だ。村の外で暮らしたこともない。嫁さんも村の者だしね。」
「そうですか。」
俺は少し言葉を選んだ。
「僕、この村に来て思ったんです。普通のお祭りとは、ずいぶん雰囲気が違うなって。」
「そうかい?」
杉山は肩をすくめた。
「私にはこれが当たり前だから、違いなんて考えたこともないな。」
「志穂ちゃんから聞きました。この祭りは『声隠し』の祭りなんですよね。」
「ああ。」
杉山は頷く。
「夜通し太鼓や囃子を鳴らして賑やかにする。それが昔からの決まりだ。」
俺は静かに尋ねた。
「その『声』って……何なんですか。」
「……。」
「どうして、隠さなきゃいけないんですか。」
その瞬間だった。
杉山の表情が、ぴたりと止まった。
まるで、触れてはいけないものに触れられたように。




