↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/23

第十二声

志穂の母親を東堂家へ連れ帰ってきたものの、あれほどの絶叫は止んだ代わりに、今度は誰にも聞き取れないほど小さな声で、何かをぶつぶつと呟き続けていた。


呼びかけても反応は薄い。


焦点の合わない目で宙を見つめ、何かを繰り返し口にしている。


まるで、心のどこかが壊れてしまったかのようだった。


「……志穂。」


美織が遠慮がちに声を掛ける。


「おばさん……どうしちゃったの? 身元不明の遺体を見て、急にああなっちゃったんだよね?」


「うん……。」


志穂は母の姿を見つめたまま、小さく頷いた。


「私も分からない。あの人のことは知らないし、お母さんも何も話してくれないから……。」


「でも、ただの知り合いって反応じゃなかったよな。」


思わず口をついて出た。


志穂の母は遺体を見た瞬間、


『私からあの子を離さないで』


と叫んでいた。


あの遺体は、どう見ても五十代か六十代。


一方、志穂の母は四十代後半ほどにしか見えない。


年上の男性を「あの子」と呼ぶには、あまりにも不自然だった。


「私も変だとは思うんです。でも、お母さんに今そのことを聞くのは……。」


志穂は言葉を濁し、静かに首を振った。


今の母親に問い詰めることなど、到底できる状態ではない。


重苦しい沈黙が部屋を包む。


「朔弥。」


美織が小さく袖を引いた。


「今日、東京へ帰る予定だったけど……もう一泊してもいいかな。」


その言葉は、俺も考えていたことだった。


「もちろん。」


頷く。


「もともと残りの休みは家でゆっくりするだけだったし。それに志穂ちゃん、今夜も地下へ籠るんだろ?」


「うん。」


美織は志穂へ向き直った。


「志穂、今日も泊まらせてもらっていい?」


一瞬きょとんとした志穂の顔が、すぐにほころぶ。


「もちろん! むしろ、本当にありがとう。」


そう言って、美織の手を両手で包み込むように握った。


「お母さんも心配だし……二人がいてくれるだけで心強い。」


その声は震えていた。


昨夜まで必死に平静を装っていた志穂も、限界だったのだろう。


俺は少し離れた場所に座る志穂の母へ目を向けた。


東堂家の呪いと、この人の異変。


無関係とは思えない。


だが、志穂の話では、母親は村の外から東堂家へ嫁いできた人だ。


東堂の血を引いているわけでもない。


それなのに、なぜあれほど取り乱したのか。


理由は分からない。


けれど、一つだけ考えてしまうことがあった。


この人は、この先も生き続ける。


夫を見送り、子を見送り、孫を見送る。


東堂の血を引かない自分だけが歳を重ね、そのたびに血を継ぐ者たちは、二十五歳を迎える前に死んでいく。


愛した人も。


命を懸けて産んだ子も。


やがて生まれてくるかもしれない孫も。


みな、自分より先にいなくなる。


そんな人生を、正気のまま受け入れられる人間がいるだろうか。


胸の奥が、鈍く痛んだ。


その時だった。


雑多な囁きの中から、ひときわ鮮明な声が耳の奥へ滑り込んできた。


 ──ダメだったね。


 ──見つかっちゃったね。


はっとして顔を上げる。


だが、その声はすぐに無数の囁きへ溶け込み、判別できなくなった。


何が、ダメだった。


何に、見つかった。


あの身元不明の遺体のことなのか。


志穂の母のことなのか。


 それとも――


俺のことなのか。


朝、そして消防団の詰所で聞いた、あの耳障りな笑い声が脳裏をよぎる。


あれは誰を嘲っていたのだろう。


分からない。


分からないことばかりだ。


それでも、一つだけ確かなことがある。


この村に満ちている”何か”は、決して人を歓迎してはいない。


東堂家だけが呪われているのではない。


この村そのものが、何か得体の知れないものに静かに蝕まれている。


そんな気がしてならなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。