『落とし穴』と『バネ床』
湿ったコンクリートの匂いが鼻を突く。
悠太は壁に背を預け、周囲に誰もいないことを確認してから、自身の『ステータス』を呼び出した。
【名前:甘露寺悠太】
【魔素量:100 / 100】
表示されているのは、名前とこのダンジョン内での生命線となる『魔素』の数値。最初は誰もが100から始まり、消費と回復を繰り返すことで最大値と回復量が増えていく。
視線をその下、スキル欄へと移すと
【固有スキル:罠〈トラップメイキング〉】
■使用可能リスト
『落とし穴』
効果:特殊な穴の生成
レベル1
対象個体数:1
最大設置数:2
設置時間:1分
特殊効果:なし
『バネ床』
効果:接触により対象を跳ね飛ばす
レベル1
対象個体数:1
最大設置数:2
設置時間:1分
特殊効果:角度調節可能
(……本当に、これだけか?)
あまりのシンプルさに、悠太の背中に冷たい汗が流れた。
「神の目」だの「超解析」だのといった強力な補正を少し期待していただけに、悠太はガクリと肩を落とす。
試しに設置してみるも、目の前の『落とし穴』は文字通りただの穴。深さも大きさも変えられない子供のいたずらレベルの代物に見えた。
ステータスボードを見ると、魔力が90に減っている。
「消費魔素は10……ということは連続で出せるのは10個まで」
不安が頭をもたげる。
だが、立ち止まっていても魔石は手に入らない。
悠太は周囲を慎重に見渡し、通路の隅に転がっていた使い古された剣を拾い上げた。かつて誰かが刃こぼれしたために捨てていったゴミ。だが、今の悠太にはこれすらも貴重な道具だった。
「マナーが悪い人も多いんだな。でも、ありがたい。……ふぅ、よし、行くぞ」
剣を杖代わりに、薄暗い地下通路を奥へと進む。
数十メートル先、角を曲がった開けた空間に、彼が探していた獲物の姿があった。
「いた……」
そこには、二匹の『スライム』がゆっくりと跳ねている。
Fランクダンジョンの最下級モンスター。半透明の青い粘液の塊だが、中心には核となる魔石が鈍く光っていた。
(二匹か。一匹ならなんとかなるかもしれないのに、二匹同時に来られたら……)
剣を握る指に力が入る。
スライムは知能こそ低いが、物理的な打撃が効きにくい。素人が古びた剣で斬りかかっても、核を正確に射抜かなければ倒すことは難しい。
脳内に、再びあの青白いグリッドが浮かび上がった。
悠太の視界の中で、通路の幅、天井の高さ、スライムの移動速度がデータとして算出されていく。
(ただの落とし穴でも使い道はあるはずだ)
悠太は壁際に身を潜め、スライムの索敵範囲外で膝をついた。
右手の先から魔素が糸のように紡ぎ出され、床のタイルへと吸い込まれていく。
「スキル発動……『落とし穴』」
【魔素消費:10】
【設置開始:残り60秒】
長い。一分という時間は、実戦では致命的だ。
心臓の鼓動が耳の奥でうるさく響く。
もし、この一分の間にスライムに気づかれたら、消費した魔素も待機時間も無駄に終わる。
50秒、40秒……。
一匹のスライムが不規則な動きで悠太の方を向いた気がした。
悠太は息を止め、石像のように固まる。
10秒、5秒……。
『設置完了』
パチリ、と床の空気が弾けるような音がした。
「よし。次はバネ床だ。さすがに知能の低いスライムでも得体の知れない穴に自ら飛び込んでくれるはずがない。最初から二つ使えるのはそういうことだよね?」
落とし穴の数歩手前に、二つ目の魔法陣を描く。消費魔素は同じく10。
角度を斜め前方、先ほど作った初めての罠『落とし穴』に向けて固定する。
一分後。悠太の額には脂汗が浮かんでいた。
二つの罠を仕掛けるだけで、精神的な消耗が激しい。だが、準備は整った。
「おーい、こっちだぞー!」
悠太は拾った剣で、壁を力いっぱい叩いた。
カァン、という鋭い金属音が静寂な通路に反響する。
スライムたちが一斉に震え、プルプルと音を立てながら、その巨体を悠太へと向けて跳ねさせた。
(よし、来い!)
一歩、二歩。
獲物が死の設計図に足を踏み入れるのをじっくりと眺める。
一匹目のスライムが悠太の目の前で『バネ床』の不可視の境界を越えた。
――ガシュンッ!
ピチャッ!?
鈍い音とともに、スライムの体が勢いよく真上に跳ね上がった。角度調節により、それは放物線を描いて「その先」へと放り出される。
そこは、二つ目の罠――『落とし穴』の真上だ。
「落ちろ!」
重力に従い、スライムは落とし穴へと吸い込まれる。
次の瞬間、穴の蓋が閉じるような音とともに、モンスターの気配が消失した。
『対象の消滅を確認。魔石を回収します』
脳内に響く無機質な声。
「すごい!ただの穴だと思ってたのに。穴の先はどうなってんだ?」
スライムとともに消えた『落とし穴』のあった床を見つめ、悠太は呆然と立ち尽くす。
同時にもう一匹のスライムが、仲間が消えたことに混乱するように足を止めた。
悠太は震える膝を叩き、古びた剣を構え直す。
「……いける。ハズレなんかじゃない。このスキルは、俺の使い方次第で必殺になるんだ」
不安はまだ消えていない。だが、確かな手応えが、悠太の瞳に鋭い光を宿していた。




