完全勝利
第二階層へ本格的に足を踏み入れる直前、悠太はダンジョンの入り口で一度その足を止めた。
脳裏をよぎるのは、あの牙ネズミの驚異的な反射神経。空中で体勢を入れ替え、壁を蹴って襲いかかってくるあの機動力を思い出すと、今の覚えたての『スネア』だけでは、再び一瞬の隙を突かれる予感がしたからだ。
「やっぱり、先に新しい罠スキルも強化しておいたほうがいいか。焦って死んだら元も子もないし」
悠太は転移装置を使わず、再び第一階層の湿った通路へと戻った。
目的は獲得したばかりの『スネア』のレベル上げだ。時間短縮のため、そしてスキルの特性を身体に叩き込むため、慣れ親しんだ『落とし穴』も『バネ床』も一切封印する。不器用なほどに、ただ『スネア』のみを設置し、そこへスライムを誘い込む作業を繰り返した。
一時間が経過した頃、静寂な通路に心地よいシステム音が響く。
『スキル:スネアのレベルが上昇しました』
『追加効果:【オートアジャスト】が開放されました』
悠太は即座にステータス画面を呼び出した。
設置時間は他のスキルと同様、45秒にまで短縮。さらに、熟練度が上がったためか消費魔素も「6」から「5」へと軽減されている。何より気になるのは、新たに追加された『オートアジャスト』という項目だ。
(最適な位置に自動で照準を合わせる…?)
試しに前方を這っていたスライムに向けてスネアを展開してみる。
今までは悠太が目視で「このあたりを通過するだろう」と予測して指定していたワイヤーの輪が、設置の瞬間、磁石に吸い寄せられるようにわずかに座標を変えた。獲物の進行速度、大きさ、そして重心地をスキルが感知し、最も効果的なポイントへ自動で設置場所を修正したのだ。
――シュルッ、パチンッ!
小気味よい音と共に魔素のワイヤーが跳ね上がった。
驚くべきことに、今までツルツルと滑り落ちていたはずのスライムが、その水まんじゅうのような体の真ん中を正確に射抜かれ、左右均等に縛り上げられている。
「すごいな、これ!なんか、美味しそう」
宙に吊るされたスライムはプルプル逃げようと身悶えするも、その動きに応じて『スネア』も微妙に位置を調整、左右の重さが均等であるために重心が安定し、滑り落ちる隙がない。
やがて、その自重に耐えきれなくなった核がワイヤーの圧力で圧迫され、デロンと垂れ下がった体は自身の重みに耐えかねて無惨にも真っ二つに裂けた。
キラリと魔石が床に転がり、スライムは霧となって消滅する。
「落とし穴もバネ床も使わずに、スネアだけで勝てた」
これまで相手を足止めするだけの補助だと思っていたスネアが、スキルレベルが上がったことによって必殺の武器にもなる。その事実が悠太の背中を強く押した。
そして悠太は再び第二階層へと降り立つ。
廃墟のような地下街は今日も獣の臭いと殺伐とした気配に満ちている。
制服の上に着込んだ新しいプロテクターの硬さを確かめながら、悠太は慎重に角を曲がった。
「キリキリッ!」
(いた!)
瓦礫の山から顔を出した牙ネズミが侵入者である悠太を見つけ、凶悪な牙を剥く。
だが、今日の悠太は昨日までとは違う。恐怖を押し殺し、冷静に戦場を設計する。
「来い。今日はお前の動き、全部読んでやる」
ネズミが地を蹴り、灰色の弾丸となって突っ込んでくる。
悠太は逃げない。
まず、足元に『スネア』を。
そしてその数歩先に『バネ床』を。
さらにその斜め後方には『落とし穴』を。
脳内で三つの座標をリンクさせ、魔素を練り上げる。
15秒、30秒、45秒――設置完了。
「フルコンボ開始だ」
牙ネズミが悠太の喉笛を目がけて跳躍した瞬間、足元で『スネア』が爆発するように起動した。
『自動調節』によって放たれたワイヤーがネズミの細い後脚を寸分の狂いなく、空中で捉える。
「キィッ?」
逆さまに吊り上げられるネズミ。しかし、その強靭な筋力でワイヤーを振りほどこうと、空中で体を激しく捩る。昨日なら、ここで逃げられていただろう。
だが、悠太はすでに次を仕掛けていた。
「逃がさない。『バネ床』発動!」
逆さ吊りになったネズミの背後に、不可視の圧力が叩きつけられる。スネアに拘束されたまま固定砲台のように前方へ弾き飛ばされたネズミは、もはや空中で体勢を入れ替えることなどできない。
ワイヤーで縛り上げられたネズミの体はなす術なく正確な放物線を描き――。
「今度こそ終わりだ」
最後の一撃。
口を開けて待っていた『落とし穴』がその獲物を深淵へと飲み込んだ。
ドサッ、という重い音。
続いて、もがき苦しむ暇さえ与えない泥濘の窒息。
『個体名:牙ネズミの消滅を確認。魔石を回収しました』
静寂が戻った通路に八百円の魔石が転がる。
二度目の撃破
しかし今回は、一歩も動かず指一本触れさせない完全なる勝利だった。
悠太は魔石を拾い上げ強く握りしめる。
自分の描いた設計図がこの過酷な第二階層を支配した。その現実が何よりも彼に探索者としての確かな矜持を与えていた。
「これなら行ける。もっと深いところまで」
悠太は立ち上がり、暗い地下街の奥へと、さらなる獲物を求めて歩き出した。




