剣豪①
第八階層の最奥。
転送装置から歩を進めた悠太の目の前に現れたのは一つの巨大な木造建築だった。
かつて蹂躙した武家屋敷群とは違い、そこには立派な外壁もなければ、威容を誇る門もない。ただぽつんと広大な敷地に佇む質素な外観は事前情報がなければ、ここが本当にフロアキーパーの屋敷なのかと疑ってしまうほどだ。
だが、漂ってくるただならぬ静寂は引き返せぬ死地であることを告げていた。
今日は久しぶりの動画配信予定ということもあり、悠太はすでにフルフェイスのマスクと死神のローブを纏っている。上空には配信用のドローンを起動させ、しっかりと滞空させていた。
悠太はいつものように引き戸を乱暴に開け放つことはしなかった。息を潜め、両手でゆっくりと古びた引き戸を左右に引く。
ガラガラと静かな音が道場内に響き渡る。
広々とした室内には事前にダンチューブで何度も目にした通りの美しく磨き上げられた板の間が広がっていた。そしてその中央――。
一人の武士が背筋を不自然なほど真っ直ぐ伸ばし、両腕を足の上に置き静かに正座している。
流浪人のようなボロ布の羽織ではない。
仕立ての良い、漆黒の家紋が入った袴を完璧に着こなしている。その身の回りには煤けたような黒っぽいオーラが陽炎のようにゆらゆらと揺らめいており、肌を刺すような強烈な威圧感を放っていた。見た目だけで、これまでの雑魚敵とは格が違うことが一目で理解できた。
壁際や床の四隅には、等間隔にいくつもの和蝋燭が立てられており、その小さな炎が剣豪の輪郭と悠太の影を不気味にゆらゆらと照らし出している。
あまりの重苦しい空気に気圧され、悠太は思わずフルフェイスマスクの奥で生唾を飲み込んだ。
「……失礼します」
敵陣に乗り込む探索者としては締まらない挨拶が口を突いて出たが、剣豪からの反応は一切ない。
閉ざされた瞼、微動だにしない指先。よく観察してみると、そこには人間らしい情緒や武人の誇りのようなものは一切感じられなかった。
どちらかと言えば、プログラムされた通りに侵入者を排除するためだけに存在する冷徹なサイボーグといった印象だ。
悠太はすぐさま思考を戦闘モードに切り替え、意識の片隅でシステムの構築画面を開いた。まずは事前のシミュレーション通り、罠の消費魔素量の数値を確認していく。
画面に表示された数値を見て、悠太の眉がピクリと動いた。
『落とし穴:消費魔素 1800』
『キューブ:消費魔素 480』
(やっぱりそのくらいいっちゃうよな…)
心の中で軽く溜息をつく。
ボスクラスが相手ともなると、罠一つの発動にかかるコストが雑魚敵の比ではない。落とし穴に1800も持っていかれては、他の罠の発動が制限されてしまう。板の間の上で擬態効果が落ちることも加味すれば、少し様子を見て回収するほかない。
そして、最も頭を悩ませたのが今回のメイン火力である『ウッルの目』の出力設定だった。
これまでの道中では十八倍の火力で蹂躙してきたが、悠太は悩みに悩んだ末、今回の出力を二十倍に設定することにした。
第八階層のフロアキーパー相手に今までと同程度の出力が通用するのか不安であったが、理由はやはり、剣豪の特殊スキル『影潜行』の存在だ。
もし持てる魔素のほとんどをウッルの目に注ぎ込んだ直後、相手に影の中に隠れられて射線を通せなくなれば、その時点で悠太の魔素は枯渇し、完全に詰む。
ボスの反応がまだ十分に分からない以上、魔素にはある程度の余力を残しておかなければならなかった。
(いざとなれば魔素誘発薬があるけどね。できればなるべく使いたくない。まずは足止めとデバフだ。ウッルの目を起動しつつ、引き付けてからアンダーマインを叩き込む…!)
悠太は入口付近に立ち塞がったまま、初動の仕込みを急いだ。
足元への『アンダーマイン』の展開。
さらに、この道場のどこにいても、自分自身がすぐに隠れて身を守りやすいように、四つの『バネ床』をそれぞれの四隅から少し離した「中央寄り」の位置へ等間隔になるよう設置していく。
だが、悠太の最大火力である『ウッルの目』の構築完了まではまだまだ時間が必要だった。
入り口付近で動かず、配置完了までの時間を少しでも稼ごうと突っ立っていた悠太だったが、フロアキーパーはそんな初心者のような時間稼ぎを許してくれるほど甘くはなかった。
ゆらりと四隅の蝋燭の炎が微かに揺れた。
中央で正座していたはずの剣豪が、すくっと立ち上がった――そう認識した次の瞬間には、世界が静止した。
「やばっ!?」
残像すら残らない。
一瞬のゼロコンマ数秒で、剣豪の姿は数十メートルもの距離を無視し、悠太の目の前へと迫っていた。中央寄りに設置したバネ床の設置エリアをすり抜ける文字通り次元の違う踏み込み。
おそろしく澄んだ金属音が道場に響き渡る。
抜刀の軌跡すら視認できない圧倒的なパワーと、流浪人の三段加速を凌駕する超速の初太刀が完全に無防備だった悠太の首元を確実に、そして無慈悲に捉えていた。




