東郷と謎の男
心地よい微睡みから悠太が目を覚ますと、窓の外からは茜色の光が差し込んでいた。時計を見ると、すでに陽は大きく傾き、太陽が林の向こう側へ沈もうとしている。
「うわ、結構寝ちゃったな……」
大きく一つ伸びをしてベッドから起き上がると、寝起きの乾いた喉を潤すために台所へと向かう。
蛇口をひねって冷たい水を一気に飲み干したところで、悠太はふと、昨日ダン研で手渡されたあのアイテムのことを思い出した。
ジャージのポケットから十センチほどの細長い銀色の金属容器を取り出す。東郷から貰った『魔素誘発薬』だ。
「買ったらニ百万か……怖くて逆に持ち歩けないよ」
改めてその価値を思い出し、緊張しながら容器のキャップをゆっくりと回して開けてみる。中を覗き込むと、無色透明の綺麗な液体がなみなみと注がれていた。これを飲み干せば、枯渇した魔素が一瞬で全回復するらしい。
鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅いでみたが、薬液特有のツンとした刺激臭や薬品臭は一切なく、特別変わった匂いはしなかった。
「見た目はただの水だな。本当にピンチになるまで使わずに取っておこう」
貧乏性の血が騒ぐのを感じつつ、悠太は慎重に蓋を閉め直してポケットの奥深くへと仕舞い込んだ。それから、死神のマスクとローブが入ったバッグを肩にかけ、午後の部――武家屋敷の内部探索へと向かうべく、夕闇迫る静岡ダンジョンへと出発した。
◇
東京にあるダンジョン総合研究所。
その最奥に位置する東郷の執務室は何重もの生体認証と厳重なセキュリティで守られた、一般の研究員も立ち入ることを許されない完全な個室となっている。
壁や扉には特殊な魔導素材が組み込まれており防音性能も完璧。
そんな静寂に包まれた部屋で、主席研究員である東郷はデスクの椅子に深く腰掛け、起動したメインモニターを見つめていた。
『いつもご苦労様』
【Sound Only】と表示された画面から落ち着いた口調の男性の声が響く。
東郷が使用しているのは、国賓レベルの限られた要人しか使用を許可されていない通信回線。どれほど高度なハッカーやサイバーテロ組織であっても、このラインの暗号を傍受して情報漏洩させることは不可能と言われるほど絶対的な安全が保証されていた。
『早速だが、例の罠使いの少年はどうだった? 』
モニターの向こうからボイスチェンジされた男の声が質問する。
「先日じっくりとここで検証させてもらいましたよ」
東郷は手元の資料に目を落としながら、悠太のスキルの検証結果を掻い摘んで伝えていった。肉眼でも最新の魔素測定器でも見破れない圧倒的なステルス性能、そして上級探索者にも劣らない一点突破の破壊力。
東郷の報告を静かに聞いていたモニターの男性は「そうか」と呟いたあと、静かに続ける。
『国の管理外であまりイレギュラーが育ちつつあるのは少々リスクが大きいのではないか? やはりそろそろ囲い込んで行動を監視する必要があるのでは?』
その提案に対し、東郷は迷うことなく首を横に振った。
「いえ、今のところはそこまで気にする必要はありません。一年で静岡ダンジョンの第八階層まで到達したことは素晴らしいですが、実績としてはまだまだ。現状維持で大丈夫です」
『ほう? 君がそこまで言い切るとは珍しいな』
「ええ、幸いなことに彼は協力的です。報酬をちらつかせなくても如月くんから伝えてもらうだけで会いに来てくれましたし、動画配信にも興味があるようで、行動は随時把握できます」
『動画配信? あのダンジョンチューブとかいうやつか?』
「はい。すでに結構な視聴者が集まってますよ。探索者業界はいま転換期にあります。ダンジョン出現以来、若年者死亡率は増加の一途をたどり、探索者人口もここ数年横ばいが続いている。我々も魅力的かつ安全快適に探索活動ができるようDATを発足し、動画撮影の推奨、貸与型ドローンの配備等も進めてはいますが、期待していたほどの効果は出ていません。このままだとエネルギー産業は以前の化石燃料に逆戻りですよ」
『ふむ。インフルエンサーという者たちの影響力は大きいからな。彼が探索者の魅力を発信してくれれば歯止めがかかるかもしれんか』
「そのための支援は惜しみません。……それに、彼には如月くんがいます。今回の接触で一番の収穫は罠スキルと空間スキルの親和性です」
『さきほど聞いたレアスキル同士のシナジーか。それは確かに面白いかもしれん。世界的にもそんな組み合わせは聞いたことがないからな』
東郷はふっと悪戯っぽく口元を緩め、椅子の背もたれに身体を預けた。
「先日二人の様子を見ていましたがね、いやぁ、実にお互い惹かれ合っていますよ。如月くんのほうは見ていて本当に分かりやすいくらい彼を特別視している。甘露寺くんのほうは、まだ自分自身の感情にすら気づいていないようですが……まぁ、時間の問題でしょう。彼女といる限り、彼が我々を見限る可能性は低いと思われます」
『なるほど。如月亮司の娘さんであれば安心ではあるな。とはいえ、無差別に動画が拡散されていくのはマズイのではないか?』
「それも一応の対策はしてありまして…」
東郷はそう言うと、キーボードを叩いていくつかのデータを男性のモニターへと転送した。
「彼なりに最低限の変装はしていますし、運営している『KYチャンネル』ですが、制限の網にかかるよう裏から少しだけシステムのアルゴリズムを弄らせてもらいました。海外IPからのアクセスやブラックリスト履歴にあるような者はアクセスできないようにしてあります。まぁ、いずれはDATに加入してもらいたいですがね」
画面の向こうの男性は転送されたデータに目を通し、満足そうに「ほうほう」と声を漏らす。
『相変わらず手回しが早いな。……分かった。彼のスキルにはまだ未知数な部分も多い。今後の成長に期待しつつ、今は彼に警戒されぬよう見守っておくことにしよう』
「それが賢明だと思います。彼がこの先、どこまで化けるか……私個人としても、実に楽しみです」
東郷がそう言って微笑むと、通信は静かに切断され、モニターは元の暗闇へと戻った。
東郷は誰もいない静寂の部屋で、昨日悠太が見せた罠の残像を思い浮かべながら、楽しげに目を細めた。




