流浪人
ダンジョン入り口のすぐ近くにあるラーメン屋。
赤と黄色の派手な看板が目を引くその場所で、ニンニクの効いた特製ラーメンを啜り、久しぶりの休日を満喫した悠太は夜の帳が下りる頃に静岡ダンジョンへと足を向けた。
今回は動画の撮影をする予定はないので、いつものハロウィンマスクも安っぽい死神のローブも纏っていない。
ジャージに亀アーマー、瀬戸が作ってくれたビーシューズという、身軽な通常装備だけだ。
翌日以降から本格的な攻略を始めるつもりだが、まずは小手調べ。
様子見がてら、第八階層の転送装置の登録だけを済ませておこうと考えていた。
第七階層のフロアキーパー部屋。つい先日までキラークイーンが鎮座していた広大なドームの奥に、下層へと続く下り階段がある。
そこを一歩ずつ降りていき、第八階層の境界線を越えた瞬間、悠太は思わずその場に立ち尽くした。
「うわ、すごいな。雰囲気がガラリと変わった」
悠太の口から感嘆の吐息が漏れる。
第一階層から第七階層までは、草原や森林、洞窟といった大自然をベースにしたフロアが続いていたものの、この第八階層はそれらと完全に一線を画していた。
そこはまるで夕闇迫る時代劇の世界に迷い込んだかのような圧倒的な和の空間だった。
天井は見えず、見上げれば果てのない夜空のような深い闇が広がっている。足元には砂利混じりの少し整備された街道が伸びており、その周囲にはところどころに鈍い和蝋燭の灯りが灯った巨大な武家屋敷のような建物が不気味に点在していた。
事前に攻略サイトやブログで下調べはしていたが、実際に肌で感じる空気の冷たさと、微かに香る畳や古い木材の匂いは映像で見るのとは全く別物の臨場感と異様な威圧感を放っていた。
「本当に、別の世界に来たみたいだ……」
新調したビーシューズで砂利を踏みしめながら、悠太はゆっくりと街道を進み始めた。目的はあくまで転送装置の登録。不必要な戦闘は避けるつもりだったが、ダンジョンがそれを許してくれるはずもない。
数分ほど歩いた時だった。少し先にある大きな屋敷の影、ぼんやりと灯る行灯の光の向こうから、何かがこちらに向かってゆっくりと歩いてくるのが見える。
ゆらり、ゆらりと、足音もなく近づいてくるシルエット。
「出たな…」
悠太は小さく呟き、身構えた。
そこにいたのは第八階層の魔物、通称『流浪人』。
魔物の名前は公式に決まっているわけではなく、その姿や形から先人たちが名付けたものだ。
行灯の仄暗い光に照らされたその姿は、いたるところがボロボロに破れた着物を纏う侍のような形をしていた。
しかし、決定的に異常なのはその質感だ。肌にあたる部分は全て、光を吸収するような漆黒の影で形成されており、顔があるべき場所には、ただ二つの濁った赤い眼光だけが怪しく明滅していた。
そして、その腰には同じく黒い影でできた一振りの刀が差されている。
昼に調べたダンチューブの事前情報によると、流浪人の特徴は圧倒的なスピードだった。
あの第七階層で悠太を苦しめたキラービーをも上回る突進スピードと、そこから繰り出される容赦のない手数の多さが、数々の探索者パーティーを恐怖に陥れてきたという。
静寂のなかで「シャリ……」と微かに砂利が擦れる音が響いた。
流浪人の赤い眼光がまっすぐに悠太を捉える。
静寂に包まれる中、二人は十数メートルほどの距離を保って対峙する。
(噂のスピードがどんなもんか、この目で確かめてやる…)
罠スキルで唯一強化されるのは目だ。
暗視スコープのように暗がりでも表示されるグリット線に、障害物を透かして見える生体反応。
そのため、暗がりに佇む全身黒尽くめの相手も悠太にとっては開けた明るい草原の魔物と大差なく視認できた。
次の瞬間、その姿がブレるようにして前触れもなく視界から消え去る。
「ぐはっ…!」
流浪人の刃が完全に悠太を捉えた。
様子見のつもりで訪れた和のフロア。
しかし、第八階層の洗礼は悠太が思っていたよりも遥かに鋭く、そして冷酷に幕を開けようとしていた。




