ネズミの執念
不規則に瓦礫の間を駆け抜ける牙ネズミの残像を追いながら、悠太は壁際に身を潜めて魔素を集中させた。
まずは小細工なしのテストだ。ネズミの進路上、古びたタイルの継ぎ目に狙いを定め『落とし穴』を発動する。
(うっ、魔素の消費が重い!)
脳内に表示された消費量は「15」。第一階層の獲物に比べて、設置に必要なエネルギーが跳ね上がっている。それだけこの魔物がスライムよりも強力で倒しにくい相手であることを物語っていた。
45秒後、足元には水溜りのような揺らめきを伴う穴が完成した。
しかし、現れた牙ネズミは、穴の数メートル手前で急ブレーキをかけた。
「キリッ?」
ネズミは鼻を激しくヒクつかせ、前足で地面を叩く。そして、水溜りに擬態した落とし穴をじっと見つめ、不審そうに首を傾げた。
あえて自分から泥水の中に飛び込むような愚かな真似はせず、ネズミは器用に穴を迂回して走り去っていった。
(気づかれた。スライムほど単純じゃないのか)
知能の高さ、そして鋭い嗅覚。単なる「擬態」では、この階層の主たちを欺くには不十分らしい。
だが、悠太は焦らなかった。むしろ、獲物の反応を見て口元をわずかに歪める。
「避けるなら、避けられないように放り込むだけだ」
悠太はネズミが迂回したルートを逆算し、さらにその先の曲がり角に二つ目の仕掛け――『バネ床』を設置した。
一度避けて安心した直後、死角からの一撃。これが罠使いの基本だ。
再び「キリキリッ」と鳴き声を上げながら、別の牙ネズミがやってくる。
ネズミは先ほどの落とし穴を軽快に飛び越え、悠太の潜む曲がり角へと差し掛かった。
(いけ!)
――ガシュンッ!
狙い澄ましたタイミングで『バネ床』が跳ね上がった。
不可視の衝撃が牙ネズミの腹部を捉え、その体を宙へと打ち上げる。
(よし!)
悠太は心の中で快哉を叫んだ。
放物線を描き、無防備なネズミの体が『落とし穴』の真上へと吸い込まれていく。昨日のスライムなら、ここで終わりだった。
だが、牙ネズミは違った。
「キィッ!!」
空中で上下を失ったはずのネズミが、驚異的な反射神経で体を捩った。尾をムチのように空中で振り、一瞬だけ自身の重心をずらしたのだ。
「えっ!?」
悠太の目が見開かれる。
穴の縁、わずか数センチの場所にネズミは着地した。
ずるりと脚を滑らせかけながらも、鋭い爪をタイルに食い込ませ、執念で泥濘から這い上がる。
ネズミは一度大きく跳んで距離を取ると、毛を逆立てて悠太の潜む物陰を睨みつけた。その瞳には、明確な殺意が宿っている。
(空中で体勢を立て直したのか……。なんて運動能力だ)
魔素の残量はすでに半分を切っていた。
『バネ床』を当てても落とせない。
高い機動力を持つ獣を相手に、今の悠太が持っているカードはあまりにも少なかった。
ネズミが低く唸り、攻撃の姿勢をとる。
悠太は冷や汗を拭いながら、錆びた剣を握り直す。
「……やっぱり、甘くないな。第二階層は」
だが、絶望はしていなかった。
今の失敗で、ネズミの空中での回避パターンがデータとして刻まれたからだ。
罠使いの真骨頂は、一度のミスを次の必殺へと昇華させる修正力にある。
牙ネズミが地面を蹴り、弾丸のような速度で突っ込んでくる。
悠太は極限の集中力の中で、次なるグリッドを模索した。




