決意
潮騒が満たす浜辺。
小舟を人々が囲む。
「犬童殿」
その中のひとりが小舟を押す男を呼び止める。
「本当に、ゆかれるつもりか」
外骨格の鎧を纏った男が振り向いて頷く。
「あぁ、ゆかねばならぬ」
穏やかで決意が滲む声。
「今まで世話になったな」
ちらりと遠くの小丘を見やる。心配そうに見守る人々の中、ひとりの女性の後ろに隠れるように片角の少女が立っていた。着物をひしと掴み、眉を寄せて、犬童から目を離さない。
「世話になったついでに、茨木のことも、よろしく頼むぞ」
自嘲気味に笑う。
「彼女には俺が鬼に見えるらしい」
そして、小舟が砂浜を離れる。
いざゆかん、鬼退治へ。
さぁ、鬼と化した外道を切らん。
「乙姫みたいなべっぴんにでも会えれば良いがな」
犬童は舟を漕ぎながらふふと笑う。
茨木の冗談好きが移ったな、と。
「お前ほどの美人には、会えなんだ」
舟は離れる。
人々は浜辺に、彼が見えなくなるまで、ずっと、ずっと。
薄暗い部屋。布団をかぶり、塞ぎ込んだ少女。
「ユカちゃん」
そこに呼び掛ける声。
ドア越しに転がり込むハナの声だった。
「やっぱり、私、行くよ」
決意の滲む、決別の声。
「前に相談したよね。大江先生から色んなことを聞かされて⋯⋯それで、わたしは、どうするかって言われたって⋯⋯」
扉と布団を通した彼女の声はやけに遠く、くぐもって聞こえる。
「正直、良くわかってないんだ⋯⋯自分がみんなの記憶の受け皿だってことも、"契約"ってことするべきなのかも⋯⋯」
でもね、と続く。
「みんなを守りたいの。みんなの思い出を、忘れたくないの」
だから――と、ドアの隙間から写真を差し出す。
「またね」
足音が遠ざかる。
ユカの頬から静かに雫が漏れ出す。
写真は見ずともわかる。
海。手持ち花火。みんな。大切な思い出。
もう戻らない。
もう帰ってこない。
ただひとり残されて、独りぼっちの部屋に泣き声だけが響いていた。
学校の屋上にサキ。
鉄格子向こう、落ちていく夕日。茜色に染まる海原。黒川はその先を見つめる。そこには空母の影。
そして無数の輸送船が白波を巻き上げながら鬼ヶ島に迫りつつあった。
「あらあら〜、そうだと思ってたのよね〜」
ガチャガチャとたまちゃんの歩く音とともにノアの呑気な声が近付く。
「サキちゃんの角、怪しかったもの〜」
サキは角飾りを付けないままに人としてそこに立っていた。
彼女はゆっくり振り向く。
「あなたこそ」
顎でノアの脚を示す。少し哀しい表情で。
「やせ我慢が痛々しかったわ」
ノアはあらまぁ〜、と素っ頓狂な声を漏らす。
「サキちゃんには隠し事できないわね〜」
たまちゃんの上に座りながら、ぎこちなく脚を伸ばす。
「みんなが卒業して、ツクモ狩り部が私一人になってからは、だいぶ進行が早くなっちゃった。もう感覚が思い出せないの。この脚で歩くことはできないわね」
名残惜しそうに、でも、どこか懐かしそうに、自らの太ももを撫でた。
「楽しかったわ⋯⋯みんなでツクモちゃんたちを追いかけ回したあの日々が⋯⋯」
サキは苦く、俯く。
「知ってるわ、あなたたちのこと、不完全な不死のこと」
茨木の笑顔が、思い出に滲む。ルカの真っ直ぐな瞳が瞼裏に浮かぶ。
「よく知ってる」
サキはきゅっと口を結んで、語尾を必死に整えた。
そこに、でもね、とノアは答える。
「これが、私たちなの。自分自身にではなくて」
彼女の微笑みが、サキには眩しかった。
「あなたたちの思い出に、生命を灯すの」
はっとサキは顔を上げる。
一筋、何故か涙が溢れる。
ノアの答えは、赦しだった。
無力だった少女。復讐に逃げ道を見いだした少女。
罪悪感の檻に自らを縫い付けてしまった少女を、赦すための、答え。
さぁ〜、と間延びした小動物の鳴き声のような喝と、小さくガッツポーズ。
「援護射撃はお姉さんに任せなさ〜い!」
涙を拭い、サキは頷いた。
「あぁ」
きっ、と遠くの巨影を睨む。
夜の帳が今降りる。
桃源軍の切っ先たる輸送船が岸に着いたのだった。




